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「……もしかして、魔女?」
驚いて足をすくませる読真と朗。しかし、扉の向こうから現れたのは想像していた魔女ではなかった。
「あら、お客さん?」
可愛らしい声が扉の向こうから聞こえてくる。そこにいたのは、朗よりも幼い雰囲気の三つ編みを結った色白の女の子だった。
「もしかして、道に迷ったのかしら?」
女の子が、山道を見つめて言う。
「うん、そうなんだ。お腹も空いたし、もう動けないよ」
出てきたのが女の子だったことに安心した朗は、その場に座り込んだ。
「道に座るなよ。汚れるだろ。それに、お前はお菓子を食べていたじゃないか」
読真の言葉に、
「お菓子って……もしかして、この家を食べたの?」
女の子の顔色が明らかに変わった。
「ごめん。朗が……弟が、壁を少し食べちゃったんだ」
「……そう。あなたも?」
「いや、俺は食べてないよ」
「そう」
「この壁、直せるかな。俺たちも修復を手伝うよ」
「……いいわ。とりあえず、上がってちょうだい。疲れているでしょ?」
「え、でも……」
「あなたもお腹が空いているんじゃない? お菓子ならたくさんあるから、食べて行くといいわ」
そう言うと、女の子は読真と朗を家の中へと招き入れた。
「お客さんかい?」
入ってすぐ、奥の部屋からしわがれた声が上がった。のぞいてみると、椅子に腰かけている老婆が見える。老婆の顔はこちらを向いているが、その目は閉ざされていた。
――目が見えないのかな。
読真がそう思っていると、
「かわいいお客さんたちだね。自慢のお菓子をたくさん食べてもらいなさい」
との老婆の言葉が聞こえてくる。それを聞いた読真は、緊張で肩をすくませた。
「え、お菓子? やったあ!」
隣で、朗は「お菓子」という言葉に完全に魅了されてしまっている。
ほどなくして、女の子がケーキやクッキーやチョコレートなどを、ところ狭しとテーブルの上に並べた。
「うわあ! すごいや! これ、全部食べていいの?」
「ええ、どうぞ」
女の子が答えると、朗はすぐさま手を伸ばす。手はじめに、目の前にあったケーキをわしづかみにすると、がぶりとそれにかぶりついた。
「坊やはいい食べっぷりだねえ。さあ、兄さんもお上がり」
奥の部屋から老婆が声をかけてくる。読真は、震える手を抑えながらクッキーを一枚手にした。
「どうしたんだい? 遠慮はいらないよ」
おずおずと口元に運ぶ。その時、
「あ……」
女の子が、ポットのお茶をこぼしてしまった。
「ごめんなさい」
お茶をふくために読真の前に出る。それが、ちょうど老婆から読真を隠す形になった。
「どうぞ私のことは気にしないで食べて。……美味しいでしょ?」
「……うん。美味しい」
「そう。よかったわ」
隣では、遠慮などまったくない朗が、焼き菓子を口一杯に頬張っている。
「美味しい! これ、すっごく美味しいよ!」
そうしてお腹が膨れると、これまでの疲れが出たのか、うとうととしはじめたようだ。
「おや、眠そうだね。坊やを寝室に連れて行っておあげ」
眠たそうな朗の気配を察知したのか、老婆が的確な指示を出す。女の子が朗を連れて行こうとするので、
「いや、いいよ。俺たち、そんなに長くいるつもりはないから」
と読真が断った。しかし、
「うう……眠いよ」
朗が、目をこすりながらテーブルに突っ伏す。強かにおでこを打ったようだが、痛がるそぶりはない。痛みよりも眠気が勝ったのだろう。そんな朗を、女の子が寝室へと連れて行ってしまった。
女の子が寝室から戻ってくると、老婆が椅子からすくっと立ち上がる。
「さあ、ぼさぼさしているんじゃないよ! 働きな、グレーテル!」
先程までの穏やかさは一瞬で消え去り、老婆は二本の足でしっかりと床を踏みしめて立つと、杖を振り上げて女の子に指示する。見開かれた切れ長の目には鋭い眼光を湛えていた。
「お前もあのガキも、もうここから出ることはできないからね!」
「やっぱり、目が見えないふりをしていたのか……」
「ふん。気づいたところで、お菓子を口にしたお前たちはここから逃げることはできないよ。もうすぐお前も眠気に襲われるだろう。グレーテル、こいつも部屋に閉じ込めておやり」
グレーテルと呼ばれた女の子は、びくりと肩を震わせる。彼女は、震える手で読真の手をつかむと、朗とは別の部屋に連れて行った。
「やっぱり、君がグレーテルか……。俺は、読真。さっき君が連れて行ったのは弟の朗だよ」
「……」
「ねえ、ここから出よう」
読真を部屋に入れてすぐに出て行こうとするグレーテルに、読真が早口に言った。
「君も、囚われているんだろ?」
「私は……無理よ」
「どうして?」
「お兄ちゃんが捕まっているの」
「……それって、ヘンゼル?」
グレーテルは驚いて目をぱちくりさせている。
「……そうよ。でも、どうして?」
その時、
「グレーテル! いつまでも何をやっているんだい!」
部屋の外から恐ろしい老婆の声が聞こえる。
「あ……私、もう行かないと」
それだけ言うと、グレーテルは急いで部屋を出て行った。外から扉に鍵をかける音が室内に響く。
しばらくの間、一人になった読真は、こじんまりとした部屋を眺めていた。
読真は、グレーテルのおかげでお菓子を口にせずに済んだ。もうすぐ眠気に襲われるはずだと老婆は言ったが、きっとお菓子に睡眠薬でも混ぜられていたのだろう。お菓子を食べたと思わせたことで油断している老婆の裏をかいてこの家から出ることは、グレーテルの助けがあれば簡単だと思う。
一人で逃げるのは、難しくはない。
――でも……一人で先に進められるのかな。
最初の「物語」で出会ったアンナの言葉が思い出された。アンナは、読真と朗に木靴を与えながら、「二人でならどこにでも行ける」と言った。それは、つまり、二人でないと先に進むことができないということではないだろうか。
――それに……やっぱり、朗を置いていけない。ヘンゼルとグレーテルのことも気になるし。もしかしたら、ヘンゼルとグレーテルが次の扉を開く鍵なのかも。
そんなことを一人で思っていると、固く閉ざされた扉の隙間から紙切れが差し込まれた。
開いてみると、そこには丸文字でこう書かれていた。
――この家では、何も食べてはダメ――




