[38]
翌朝。
やはりいつもの時間に目が覚める。カーテンをそっと開けて外を見ると雪が降っていた。かなりの大雪だ。
『外に出るのは止めておくか』
かと言ってこの部屋で剣を振り回し、万が一何かを破壊しても大変だ。ここは大人しく・・・
『筋トレだな』
床に這い蹲っているところを見られては何を言われるかわからないため、普段はロニーが下がってからの時間にしかやらないと決めているが、実は筋トレはほぼ毎晩の習慣になっている。
いつ頃からか鍛えることが趣味のようになってしまったらしい。つまりは前世ではスマホの中でやっていたことを今は自分の身体でやっているというようなわけだ。
『まあ娯楽も少ないし ゲーム替わりと言ったところかな』
無心で腕立て伏せをする。筋トレ中に別のことは考えないことにしているので、今日も数だけを数えてこなしていく。
そして腹筋。
静かだ―今朝はまだ誰も起きだしていないらしい。
黙々と続けていると、どこかの扉が開く音が聞こえた。ロニーか。
起き上がり靴を履く。服を整え素知らぬ顔で長椅子に座った。
ノックが聞こえた。
「おはようございます」
『おはよう ロニー』
「・・・何かされていましたか?」
バレた。有能すぎる従者は時に考えものだ。
『雪が降っているようだから ここで少し身体を動かしていた』
「霏々と降りしきっておりますね 馬車に支障が出ないとよいのですが」
『ここからはそう遠くもないし なんとかなるだろう でも少し予定を早めて出るほうがよいだろうか』
到着の時間を考え、今朝は少し遅めに発つ予定なのだ。
「陽が昇ってから邸のものにも聞いてみましょう」
『それがいいな』
「ではまだ朝食までありますし 湯浴みをされますか?準備はできております」
『ありがとう そうするよ』
私は風呂が好きだ。この世界に来て最初にしたことだから、と言うわけではないけれど、風呂の中で一人になると心が休まる。考え事をするにも最適だ。
湯浴みを終え着替える。はぁー、今日もこれを着なくてはならないのか。
「お顔に出ていますよ」
ロニーにも早速揶揄われる。
『今だけさ』
とにかく重いのだ。使いもしない釦がズラリと縫い付けられていたり、銀糸の刺繍がぎっしりと刺されていたり。しかも丈が長い。何の訓練だと言いたくなる。
『いやだけど!ロニーだって重いと思ってるだろう?』
「はい・・・初めて手にしたときは驚きましたね」
『私のでもこれだ 父上の正装なんて一体どれだけの重さなのか・・・鎧のほうがマシかもしれないぞ』
「・・・確かにそうかもしれません」
『と言うわけで 今は上着は置いていく』
「かしこまりました」
別の上着を羽織って廊下へ出ると隣の部屋の扉が開いてイクセルが出てきた。
『おはよう イクセル』
「おはようーレオ 今朝は雪みたいだね」
『そのようだな 吹雪にならないといいが』
私たちが先だったようだ。二人で席に着く。まもなく運ばれてきたカップからはスパイスの独特の香りが漂う。チャイだ。
「今朝は冷えましたので こちらをご用意いたしました」
「美味しいー温まるね」
『うん 温まる』
チャイで温まってきたころ、ヘルミたちも降りてきた。
「お待たせいたしました おはようございます レオ様イクセル様」
「おはようー今ね レオとチャイを飲んでいたところなんだ 温まるよー」
三人にもチャイの入ったカップが置かれる。それと共に湯気の立ち上るスープが出された。
「クスクスと野菜のスープでございます」
『これは嬉しいな』
パンやハムなども次々と並べられていく。よかった、今朝は熊は出ないようだ。
「邸のものにも聞いてみましたが 今日一日止みそうにないだろうとのことです」
荷物をまとめ終えたロニーが思案顔を浮かべている。
『騎乗のものたちが気掛りだな 温石を忘れずに渡してやってくれ』
「かしこまりました」
荷積みも終わり、出発の時間になった。玄関先で集まっているイクセルたちに告げる。
『念の為 今日はそれぞれの馬車に乗ってほしい 念の為だ』
誰も理由を問うものはいない。
「うん・・・そうだね わかったよー」
「ではまた後程」
「皆様お気を付けて」
整備の進んでいるノシュール領だからそれほどの心配はないが、このような天候の時は万が一ということもある。その場合全員が同じ馬車に乗っていては被害が甚大になる恐れがあるのだ。
「私はご一緒させていただきます」
馬車の扉を開けてロニーが言った。
『うん よろしく頼むよ』
今日は荷を積んだ馬車が先を走る。騎士たちも数名ずつ交代で馬車の中で休息をとりながら慎重に進んで行く。馬は元気だ、頼もしい。
そうして最後の休憩地となる町にたどり着いた。一時を少し過ぎたくらいか。相変わらず止むことのない雪で空は鉛色だ。だが、騎士たちは突然生き生きと動き始めた。素早い動きで馬を繋いでいき、餌を与えてまわる。
「なんだか皆とても元気そうだね」
イクセルの目にも異様に見えているようだ。
『ああ あれがあるからな』
「あれ?」
『そう あれ』
「あれ・ね・・・・・もうー何があるんだよーおしえてよー」
笑いながら答える。
『サウナ』
今から騎士たちはサウナに入るのだ。休憩後にはとんでもなく体力が復活しているに違いない・・・恐ろしい。
『イクセルも入るか?』
「どうしようかなーレオは入るの?」
『いや 私は遠慮しておく』
「・・・そっか じ・じゃあ僕も遠慮しようかな」
『遠慮しなくていいんだぞ?』
「やだよ なんか怖いよ レオのその言い方!」
「ではこちらで休憩にいたしましょうか ベーン様」
涼しい顔で言っているが、ロニーなんか涙目じゃないか?隠れて笑っていたな。
笑いながら個室の中に入ると、既に三人が長椅子に座っていた。少しぐったりとしている。
『酔ったみたいだな・・・食べられそうか?』
空腹だとこの先さらに辛い。なんとか少しでも口に入れられるといいのだが。
「私は平気です 少し身体を伸ばせば良くなります」
ソフィアは酔いではないらしい。
『私たちのほかに誰もいない 遠慮せず膝を崩してくれ』
「ありがとうございます」
『ヘルミとアンナはどうだ?』
「申し訳ありません 少し酔ってしまったみたいです」
「私も少し気分が・・・」
『ロニー』
「はい 頼んで参りました」
『流石に早いな 助かるよ』
ロニーが用意したのはハーブティーだ。ミントの爽やかな香りがぼんやりとした酔いの頭をすっきりとさせてくれる。
『慌てなくていい ゆっくり楽にさせてやってくれ』
二人の介抱はそれぞれの侍女に任せ、私たちも足腰をほぐす。
『イクセルも疲れただろう』
いつも明るく元気なイクセルが珍しく口数も少ない。
「平気 算術の時間に比べたら全然余裕だったよ」
『・・・・・相当辛かったんだな 横になるか?』
イクセルの前にそっとミントティーが差し出された。
「レオだけピンピンしているね」
『そうだな ・・・きっと三半規管が頑丈にできているんだろうな』
「さんはんきかん?」
『耳の中にあって それが弱いと酔いやすくなる』
「へぇー初めて聞いた」
『そうか?』
しまった・・・この世界にはまだない知識だったかもしれない。幸い他には聞かれていないようだ。
『とにかくイクセルも休め あと少し揺られなくてはならないからな』
「うん・・・」
「レオ様・・・ご心配をおかけしました」
「休息の時間を随分と使ってしまいました 申し訳ありません」
『謝らない その為の時間なんだ もう皆気分は悪くない?』
「僕はすっかり元気!」
「私も大丈夫です ようやくすっきりしました」
「私も治りました」
『よかった では昼食にしようか』
色とりどり、大きな皿に一口大のオープンサンドがたくさん乗せられている。ハムやパテ、魚のマリネにエビ、チーズにフルーツやナッツが乗っているものも。温かいポタージュもある。
「美味しそうだねー急にお腹が空いてきちゃったよー」
『よかった ゆっくり食べて』
皆顔色もよくなっている。無理をしているものはいないようだ。
かぼちゃのポタージュを飲んでいると、小さめのボウルに入った料理が運ばれてきた。
「こちらもよろしければお召し上がりください パンに乗せても合いますし そのままでもあとこのヨーグルトをかけていただいても美味しくお召し上がりいただけるかと思います」
配膳を終えて再び説明に入る。
「リンゴとジンジャーのコンポートでございます こちらも馬車酔いに良いと言われておりまして ご用意いたしました」
「まあ!ありがたいですわ」
「綺麗な色 嬉しいわ」
『ありがとう 助かるよ』
「お役に立てれば幸いでございます それではゆっくりとお過ごしくださいませ」
暫くするとホールが賑やかになった。サウナを終えた騎士たちが昼食を摂りに入ってきたようだ。
『向こうは今からみたいだな』
「騎士ってすごいね とんでもない体力じゃないと務まらないや」
『そうだな その通りだと思う・・・』
休憩を終えると、いよいよノシュール家本邸へ向けて最後の旅程だ。
 




