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それ以上天候が荒れることもなく、ほぼ予定していた通りの時間に到着することができた。
絶え間なく雪が降っているというのに溢れるように人がいる。馬車が近づくと皆こちらに手を振り、中には万歳をしているものもいた。(慣れないんだよな、こういうの)
俯きかけた顔を上げ、小さく手を振り返す。ああ 今顔引き攣っているだろうな。
それにしても、酔うことはなかった、が疲れた。今まで王都の中でのみ暮らしてきたため、これだけの時間馬車に揺られたのは初めての体験だったし。
『ソフィアは凄いな。毎年この何倍もの距離を往復しているんだものな』
「そうですね、ボレーリン領までは2週間前後かかると言われておりますし、そこからクルーム領へはさらに数日かかるでしょう」
ロニーも王都育ちだ。長距離の移動に慣れてはいないだろう。
『数日は静かに過ごしたいところだけれど、そうも言っていられないんだったな』
「はい、明日は教会を三堂訪問の予定でございます」
『ーあと何日これ着ていればいいんだ?』
ニッコリと笑顔を見せたロニーは
「ああ そろそろ降車の準備をいたしませんと」
逃げた。準備するものなどないくせに。
高台にある城がノシュール家の本邸だ。下から見上げた様子は、降り注ぐ雪も相まって殊更幻想的に見える。暗闇の中照らされた城だけがぽっかりと浮いているようだ。
緩やかな坂道を慎重に進む。何度も雪かきをしたのだろう。道の左右には大きな山ができていた。
門は予め開けられていて、門番が走り寄ってくる。さらに進み、ようやく馬車は止まった。
外ではデニスとベンヤミン、そして2人の兄、ケヴィンが出迎えに立っていた。
「悪天候の中、我が領までようこそお越しいただきました。誠にありがとうございます」
『出迎えありがとう。しばらく世話になるよ』
代表して挨拶をするケヴィンと握手を交わした。
「精一杯おもてなしさせていただきます。弟たちに案内もさせますので我が領をお楽しみくださいませ」
ケヴィンの後ろでそわそわしていたベンヤミンが、もう我慢できないとでも言うように駆け寄った。つられてかデニスも小走りに近づく。
「待ってたぜ、レオ」
たった数日ぶりの再会だというのに、お互いが久しぶりのような感覚だ。
「今日は酷い天気で大変だっただろう」
今も雪が降り続いている。この空を見てデニスも1日気を揉んでいたのかもしれない。
『私は問題ないが、皆疲れ切ってるようだな』
「皆も降りてきたね。案内するよ」
デニスの先導で城に入る。ステファンマルクにある4つの城で1番新しいのがここノシュールだ。外観は王都の城と同じく白壁を基調とした優美な様子で、南からこの国を目指して航海してきた交易船にとっての目印となっている。そして一歩中に入り驚いた。
中は吹き抜けの天井まで壁が淡い黄色1色で塗られていた。これは良く言えば重厚、正直に言うと暗い王都の城とは大きく異なる。開放的でとても明るい。
ケヴィンと挨拶を済ませた皆も中に入ってきた。
「わぁ!明るい」
「素敵ですわ」
「ありがとう。先ず部屋に案内するよ、疲れただろう?」
それぞれ部屋へ案内される。通された部屋では既にロニーの指示で荷物が運び込まれている最中だった。
厚いカーテンの隙間から窓の外を見る。眼下に広がる民家の灯り、その向こうは海だ。
『海か』
「港も視察されますか?」
もちろん。今回を逃したら次に来る機会が何年先かわからないから。
『見ておきたいな』
「かしこまりました。日程の調整をいたします」
運び込まれる荷物をチラチラと横目で見る。
「何かお探しですか?お上着でしたら先に出しております」
振り返ってとびきりの笑顔を向ける。向こうからも同じ勢いで笑顔が返ってきた!
『助かる助かる本当に助かった!』
言いながら上着を脱ぐ。
それを受け取りクツクツと堪えきれない笑いを漏らしつつ
「お持ちいたしますね」
と従者はドレスルームへ消えていった。
「城の中を案内するよ」
皆着替えも済み、デニスとベンヤミンに城の中を案内してもらうことになった。
食堂、サロン、図書室、展望室ー。
展望室へは階段をいくつも登るため、今日のところは男4人だけで向かう。
「夏だととても綺麗に見えるんだけれどね」
「冬の海は黒いからな」
夏の景色を知っているデニスたちには不満らしいが、遠く水平線を見渡す光景には今から心が躍る。明日陽が昇れば見えるだろう。
「でも僕は初めての海だから、とっても楽しみだよ」
「イクセルは海を見たことがなかったのか。明日案内するよ」
「レオも海は初めて?」
『私はー』
あると答えそうになったが、レオは本当に海を見たことがあったか?自分のものではない記憶を辿る。
『どうだったかな、憶えてないな』
面倒になって適当に返してしまった。
「じゃー初めてってことだね!僕と同じだ」
『そうだな。海を見るのも楽しみだ』
そうさ、レオのことは知らんが私にとってこの世界で見る初めての海だ。それでいい。
『ソフィアたちを置いてきてしまったし、今日のところはそろそろ降りようか』
「そうだな。俺たちも合流しよう」
その日の晩餐はまさにサーモン尽くしだった。ノシュール家はそんなに皆サーモンが好きなのだろうか?少なくともベンヤミンからは聞いたことがないが。ケヴィンも好物なのかもしれない。
燻製にしたサーモンの前菜から始まり、サーモンと蕪のポタージュ、サーモンのコンフィー、ディップ、そして今、一匹丸ごとパイ包みした豪快な料理が運ばれてきた。目の前で切り分けられ、ソースを掛けて供される。
イクセルの一言が全員の気持ちを表していた。
「すごいや。僕今日だけで1年分のサーモンを食べた気がするよ」
だよな。
「まだまだ旨いサーモン料理もあるんだよ、これかrー」
デニスが熱弁をふるおうとしたその時
「デニス、殿下や皆さんがノシュール領に2度と来たくないとおっしゃっても構わないのか?」
ケヴィンの強烈な一言が発せられた。
「殿下申し訳ありません。 今日はどうしても弟が譲らずこの様な献立になってしまいましたが、明日以降は別のものをご用意しておりますので」
ノシュール家が無類のサーモン好きでも、ノシュール領がステファンマルクで随一のサーモン産地でもなかった。
『気に病むことはないよ。どれも素晴らしい料理だった。美味しくいただいているよ』
「そうですよ。僕も美味しくいただきました」
1年分の旨いサーモンを今日食べたって意味だもんな、イクセル。
「私もですわ。デニス様と言えばサーモンですもの。ご自慢のお料理を出していただけて光栄ですわ」
皆口々にデニスの擁護に走る。いや半分は正直な感想だ。どの皿も間違いなく素晴らしい味だったのだ。
「お気遣いありがとうございます。デニス、よい友人を多く持つことができてよかったな」
「はい兄上ー」
普段は兄貴格のデニスもケヴィンの前では小さい子供のようだ。恥ずかしそうに笑っている。
パチンと小さく手を叩き、ソフィアが話題を変えた。
「そう言えば熊と遭遇されたとか、お話しを聞いたときは驚きましたわ」
「そうなんだよ!この時期に熊と出会うなんて驚きだよな」
当時のことを思い出したのか、ベンヤミンが興奮気味に話しだす。
「町までもうすぐって場所でさ、立っていたんだよ熊が」
「冬眠し損ねたのか、そこら中足跡だらけだった」
デニスも話に加わる。
「万が一町まで来ては大変だと、兄上が討伐を命じたんだ」
「皆様ご無事でよかったですわ」
ヘルミは少し震えている。
「美味しかったなー熊」
その一言で緊張していた空気が一気に緩んだ。流石はイクセルである。
「俺たちはステーキを食べたんだ。それも食べさせてあげたかったよ、とても旨かった」
ステーキを出されなくてよかった、助かった。それだけは食べきる自信がない。
「熊を見せたらシェフは驚いていたけどね。でも処理が良かったから臭みがないって感心していたよ」
「凄いなぁー。ノシュール家の護衛は狩猟のプロでもあるんだね」
イクセルの発した何気ない言葉にベンヤミンとデニスの手は止まった。
「そこは、どうだろうな、そう、なのかもな」
デニスらしくない、なんとも歯切れの悪い返答だ。まあ理由はわかる。




