手を伸ばしても
※失恋回です
「それはない」
藤真とあたしの声がぴったり揃う。思わず顔を見合わせて、ねぇ、と同意を求めるように小首を傾げた。なにこの奇跡。尊い。
「えー。意外と合うんだって!甘さと酸味がさぁ」
ツッコミの原因となった、高岡の食の合わせ技のアカンやつに心から感謝します。絶対食べんけど。
担任との面談週間で、体育館の割り当ては後半。
面談が終わったあたしと、たまたま日直で日誌を出しに来た高岡でクラブ棟に向かったところで、面談までの時間を潰す藤真と林と合流したという幸運なあたし。
きっと今日の星占いは1位だろう。見てないけど。
部室前の段に、ずらりと一列に並んで座る。
「そういやコンビニの中華まん、新商品出てたな」
「あーそんな季節だな」
林がコンビニで買ったらしいパックのジュースを飲みながら言うと、藤真がふわりと嬉しそうに笑った。中華まんが好きなのだろうか。
「あれでしょ。メープルカスタードとかなんとか、糖分かける糖分みたいなやつ」
中華まんといえば女子学生の得意分野。しかも、新商品が甘々デザート系なので気にはなってた。
「甘そー」
藤真と高岡の声が揃う。間違いなく甘いぞ。そしてあったかいから想像よりさらに甘いぞ。
想像してにやつくあたしの心臓は、平時より少し早い鼓動を刻む。少し前なら、こんな風にはとてもいられなかった。
藤真の存在。藤真との距離を意識すると、その間の空気までが圧力を増す。その無駄な壁は、恋ゆえのあたしの自意識。
近付きたいけど、近付きたいわけではなかった。
見ていたいけど、側で見ていたいわけではなかった。
相反する欲で自分を守りながら、傷付かない方法をずっと探していた。
欲しいと思っても、その先を思い描けなかった臆病な自分が、こうして側にいて言葉を交わすことに慣れてしまったら
ふと藤真が目線をさまよわせて、あたしの腕に目を止めた後、あたしを見た。目が合ってぎくりとするあたしの周辺視野に、藤真の目当てだろう腕時計が映る。
「時間?」
「あ、うん。何時?」
腕を掲げて尋ねると、こくんと小さくうなづく藤真。かわいい。時計しててよかった。
デジタルなのに数字が目を滑るせいで、たどたどしく時刻を告げると、そろそろ行くわ、と藤真が立ち上がる。面談の時間らしい。
「時間ありがとな」
「ん」
ふわりと微笑む藤真が尊い。心臓がきゅんとなる。
そんなやりとりが愛おしい。胸が少し熱くなって、瞳が潤みそうになる。
こんな時間が当たり前になってしまったら。
どうしても、この先に手を伸ばしたくなってしまう。
伸ばしてもいいと、許してもらえる気になってしまうじゃないか。
「じゃあ、また後で」
「おう。遅れんなよ」
ん?藤真の挨拶に手をひらひら振りながら、林のセリフに首を傾げる。これから面談でも、部活の時間まではまだ二時間近くある。遅れるような時間じゃないだろう。
「わかってるよ」
藤真が林を軽くにらむようにして、校舎の方に向かって歩き出す。
「?」
「んじゃ、俺もそろそろ面談だから行くわ」
疑問を浮かべながら、藤真の背中を横目で見送っていると、そう言って林が立ち上がった。
え、やだ。高岡と二人になるじゃん。なんか気まずい。
「へ?なんで林も?藤真の番じゃねーの」
「ん?あ、そういや二人同じクラスじゃ」
高岡の指摘に、あたしも気付く。担任との面談なのに、同じ時間に二人ともなわけがない。
あたしと高岡に見上げられて、林は肩をすくめて苦笑を浮かべた。
「藤真は彼女と待ち合わせしてたんだよ」
「は?」
反射的に口をついて出た反抗的なひと文字。
一瞬遅れて、言葉の意味が理解を伴って脳に届いた。
彼女?
「あー、デートな。こんな時しかないもんなー。だから部活遅れんなっつーことね」
高岡が当たり前のようにうなづくのが視界の隅に映る。いつもの半分くらいに狭まった視界で、ばっと藤真を振り返った。
小さくなった藤真の背中が、校舎に向かう渡り廊下に消えていく。その先に人影が見えた気がして、あわてて視線を戻した。
林と目が合って、心臓が跳ねる。
いまあたしはどんな顔をしてるだろう。なんでもない顔ができてるんだろうか。
「・・・彼女できたから、女子に免疫ついてきたんじゃねーの」
林のセリフに、一瞬呼吸が止まった。
同情のいろであたしを見下ろす林の目は、とっくにあたしの気持ちを見抜いてる。
胸がじくじくと熱を持って痛みに疼く。
藤真に彼女ができたこと。
あたしが近付けた距離はその副産物であって、手を伸ばす許可どころかシャットアウトされていたこと。
林に気付かれて、思い上がりを指摘されたこと。
情けなさと動揺でこみ上げる涙を気合で押し込めて、立ち上がった。
「メープルカスタードまん買ってくる」
手を伸ばしてもつかめないなんて、ありふれた出来事だから。
伸ばした手で中華まんを指差して、ごまかした。