父の足跡
3人で少し歩くと、目当ての建物が見つかった。日本で言えば古民家のような、趣のある造りの比較的大きな建物だった。1階が食堂、2階が宿屋といったこの国の典型的な形の食事処だ。
中に入ると、おかみさんと思われる人が大きな声で言った。
「ああ、ゴメンね、うちはお昼はやってないよ」
「あ、すみません。わた……僕の知り合いが昔ここによく来ていたんです。ご迷惑でなければ、少しだけ中を拝見させていただけませんか?」
せっかく来たのだ。
ダメ元で聞いてみることにする。
「見るだけなら遠慮なくどうぞ。何か飲むかい? お代はしっかりいただくけどね」
カラカラと笑う気さくなおかみさん。
その方がこちらも助かるので、喜んで果実水を注文する。リリーちゃんも果実水、メリーちゃんはお茶をお願いしている。
席に座ってキョロキョロする。
天井はしっかりとした太い梁でそこから灯りがいくつも下がっている。奥に厨房、その手前にはカウンターがあって、オーク材の木の椅子とテーブルが所々に配置されている。柱も同じ木の色。古いせいか、それとも来た人がいろいろ書いたり彫ったりしているせいか、柱は黒く光っている。
奥にはソファーの席もあり、クッションがあって気持ちが良さそうだ。
この中のどこか、この椅子のどれかに若かりし頃の父トーマスは、実際に座ったんだろう。行儀が悪いと知りながら、待っている間にテーブルや椅子の一つ一つを触って歩く。
仲良し クレオ&アリス
必勝、絶対合格、大漁
エリーマイラブ
エディ&イブは永遠
椅子やテーブルや柱などに落書きしたり、名前を刻みたいと思うのはどこの世界でも共通らしい。今の両親である公爵夫妻も利用していたというから、彼らの名前も探し出そうとした。さすがにそれは無理だったようだ。『マリー』という名前が所々にあって、色んな人から愛の言葉を捧げられていたから、それがちょっとあやしかったけれど。
過去の記憶でしか会ったことのない、まだ見ぬ父を思い浮かべながら、過去の彼と同じ場所に立つ。父がこちらの世界で見た景色を見て、同じ空気を吸っていることに、なんとも言えない感慨を覚えた。
雰囲気に浸っていると、リリーちゃんから声をかけられた。
「おじょ……坊っちゃま、お行儀が悪いです。果実水要らないのでしたら、いただいちゃいますよー」
ごもっとも。
私は席に戻ると、よく冷えた甘い果実水をゴクゴク美味しくいただいた。
「ごちそうさま、とても美味しかった」
笑顔でお金を払う。
公爵令嬢、お小遣いならたっぷりあります! 普段なら自分では持ち歩かない金貨や銀貨も、変装中なのでしっかり持って来ている。おかみさんのいるカウンターに近寄って飲み物代を支払いながら、何の気なしに柱を見た。
すると――
心臓が止まるかと思った。
柱には日本語の、それもカタカナである言葉が彫られている。
『エミコ、トーマ、アイリ、カイリ』
思わず固まる。
こちらの世界で、カタカナを目にするなんて!
「あら、あんた」
おかみさんに声をかけられる。
「そういえばあんた、この前来てその模様を彫った人によく似ているね。もしかして、知り合いかい?」
「……っ! この前って何時ですか? 彼はその時、どんな様子でしたか?」
「やっぱり知り合いかい。この前っていっても去年か一昨年ぐらいかねぇ。年取るともの忘れがひどくて、どうにもいけないねぇ。私の娘時代の常連さんで、物静かなとびきりいい男だ。今は年のせいか頬がこけちまっていたけどね」
「その時彼は、何か言っていませんでしたか?」
侍女達が何事かと驚き私を見る。
けれど構わず、矢継ぎ早に質問した。
「そうそう。もう結婚していてこの国と遠い国に娘がいるって言ってた。お互い年を取ったね~って言ったら、寂しそうに笑っていたよ」
やっぱり、父だ!
トーマスは生きている。
去年か一昨年だというなら、私が意識を失っている間にこの国に来ていたんだ!
その時に会えていたなら。
父の恐ろしい計画を、止めるように言えていたら。
お父さん、今何処にいるの?
あなたの娘、愛梨は――あなたのアリィはここにいるよ!
柱に彫られた家族の名前。
この国のこんなに近くに来ていたのに、闇に囚われていた私は会うことができなかった。
父自身が生み出したであろう闇の中に、私はいた。
今日はただ、父と同じ景色が見たかった。
同じ場所に立って、彼のことを考えてみたかった。
父が産まれたばかりの私を愛してくれたように、私も父のことをよく知りたいと思った。
まさか、父がここに来たという事実と向き合うとは思わなかった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「お嬢様が変ですぅ~~」
立ち尽くしている私を見て、侍女達が心配する。
「お嬢様? 綺麗な顔だと思っていたら、あんた女の子だったのかい。そんな格好で、ワケありだね?」
おかみさんに問いかけられた。
適当に笑ってごまかす。
侍女の二人にも心配をかけてしまったから、パチパチと瞬きをして自分を取り戻した。
「すみません。変な事ばかり聞いて」
「いんや、私は別にいいけど……。もしかして、あんたがあの人が言っていた、この国に住む娘さん?」
私は今の彼に、そんなに似ているのだろうか?
知らず知らずのうちに、涙が頬を伝って落ちていた。
「ええ、そうです。彼がきっと私の父です。でも私は、父を覚えていません」
前世で、赤ん坊の頃にしか会っていない。
今の世界の夢の中でしか出てきていない。
後から後から涙が溢れる。
私によく似ているという彼が、私の本当のお父さん――
「そうだったんだね、可哀想に。何にも無いとは思うけど、せっかくだから上の部屋も見ておくかい?」
人の良いおかみさんは、私に同情してくれたようだ。トーマスはここに泊まったのだろうか? 痕跡でも残っていればいいけれど。
「差し支えなければ、是非」
袖で涙を拭いながら、無理に笑って明るく答えた。
「今、泊まっている人もいるから、空いてる部屋しか見せられないよ。期待しないどくれよ」
おかみさんは大きな身体を揺らしながら、木の階段を上って二階に案内してくれた。
「手前の部屋以外は自由に見てくれていいよ。あたしは夜の仕込みがあるから下にいるけど、帰る時はまた声をかけとくれ」
初めて来た私達にこんなに親切にしてくれるなんて。おかみさんは何て良い人なんだろう! ここが美味しいって、後でみんなに広めなくちゃ……食べてないけど。
何か手がかりはないかと思って、泊り客のいる手前の部屋を除いて一つずつ念入りに調べていった。扉やベッドの横、サイドテーブル、戸棚や壁、窓枠まで。何か書かれるか彫られるかしていないかと、真剣に探していく。
リリーちゃんとメリーちゃんは何も聞かずに、不思議な模様――カタカナを一緒に探してくれた。
結局、書かれていたのは全部この国の言葉で私には関係のないものばかりだった。期待していた分、失望も大きかった。仕方がない、今日で全てが見つかるわけないか。父のトーマスが、ここに来た事があるってわかっただけでも良しとしよう。
果実水も美味しかったし、おかみさんも親切だった。街ではいろいろビックリしたけれど、優しい人に出会えて父の事を聞かせてもらえた私は、とってもラッキーだった。
帰ろうと思って振り向いた途端、ベッドの上から枕が落ちた。元に戻すついでに、皺の寄っているシーツも直しておいてあげよう。ベッドの背もたれ部分にシーツを入れ込んだ時、何かが指に触れた。何だろう、傷? それとも……
私は弾かれたように動いてマットレスをどけると、その部分――ベッド上部の隅の方に隠すように彫られていた文字を確認した。
そこにはやはりカタカナで、こう彫られていた。
アンフェールデ、マツ




