君の歌
部屋に戻った俺は、自分だけの思いに浸る。この家に帰った時にはいつも、アリィの隣の自分の部屋に滞在している。今日、アリィは下の広い部屋で女友達と一緒に過ごす予定だ。いくら耳を澄ませても、隣の部屋から物音は一切聞こえてこない。
俺ーーレオンがここを『自分の家』だと言えるようになったのは、彼女のおかげ。
ここに来たばかりの頃の俺は、小さな物音にも怯えていた。もう殴られないとわかっているはずなのに、近づいてくる大人が何だか無性に怖かった。
恐ろしい怪物が俺をまた連れ戻しに来たらどうしよう? そう考えると夜、一人になるのが怖かった。だけど知り合いのいない俺は、誰にも頼れず甘えることができなかった。嫌われて、また捨てられたらどうしよう?
そんな時、隣の部屋から音程の外れた歌が聞こえてきた。恐らくアリィの自作だろう。めちゃめちゃだけど初めて耳にした時、不思議な感じがしたのを覚えている。
まったく知らない旋律なのに幸せそうなその歌は、聞いているだけで楽しかった。同じ場所で繰り返し何度も音を外すアリィ。「あれ?」と言いながら慌てて直す様子がおかしくて、思わずくすくす笑ってしまった。
いつしか俺は、夜の怖さを忘れていた。壁に耳をピッタリ付けて、歌の続きを聞きたいと願うようになっていた。
それからの俺は夜に彼女の声を聞くだけで、安心してぐっすり眠れるようになった。
朝は朝で 「レオン君、大好き~~」と言いながら飛び込んで来るアリィ。来てくれるのがわかっていたから、本当はもう起きているのに、わざと寝たフリをして待っていた。遠慮なくベッドによじ登り、頬ずりしたり頭を撫でてくれるアリィ。彼女からは、いつも良い匂いがしていた。
さすがに慣れてきた頃には、恥ずかしくなって拒否したけれど。だけどアリィは構わずに、俺のことを「可愛い」と言って抱き締めてくる。たまらず「襲うよ?」と言ったのに、本気にされず笑われてしまった。男なのに可愛いと言われ続けるのは、不本意で複雑な気分だった。
アリィの方がよっぽど愛らしかったのに。
楽しかった子供時代。俺に『自分の家』と呼べる場所を与えてくれた人。この部屋にはアリィとの幸せな思い出があり過ぎて、彼女のことを考えてしまう自分を止められない。
目が覚めたアリィは、大人っぽく綺麗になった。けれど、すごく泣き虫にもなっていた。最近では俺の顔を見るたびに、泣いているような気がする。別に泣かせたいわけじゃない。自分の魅力に気づかない危なっかしい存在を、一番近くで見守りたいだけだ。
今日は仮装パーティーだったから、みんながいろんな衣装を着ていた。あの中ではアリィが、一番目立って輝いていた。彼女は服に合う水色のキラキラした仮面をつけていたけれど、そんなものに意味はない。俺がアリィのことを見つけられないわけがないだろう?
でも正直、身体にピッタリしたドレスを着た彼女の姿を他の奴らには見せたくなかった。深く抉れた胸と背中を、他の男の目に晒して欲しくはなかった。『人魚』の衣装を選んだ義母に文句を言いたい。仮装なら『ミイラ』でも良かったんじゃないのか?
だから思わず注意した。泣かせたいわけじゃなかったんだ。
アリィは優しく綺麗だから心配だ。俺が大人になるまで待って欲しい。他の誰にも取られたくない。
それなのに、アリィと踊りたがる王子をアイリス嬢に引き渡して彼女が満足気な顔をしていた時、ついつい文句が先に出た。だって俺は、王子の気持ちがわかるから。切ないほどに求めても、与えられない苦しみがわかるから。なのに俺の言葉で、アリィが泣きそうになるなんて……
彼女を連れて咄嗟に外に出た。
震える肌を隠したくて、何より彼女に触りたくて。上着をかけてその上からアリィを抱き締める。「好きだ」と言えないかわりに、彼女の髪に頬ずりをして想いを伝えた。
「ねぇアリィ、聞いて欲しい。4年は長い――眠っている間に中身は変わらなくても、外見は大きく変わっているんだ。綺麗になったアリィを男は当然放っておかない。無防備で危なっかしいから、もっと自分の魅力を自覚して気をつけた方がいいよ」
これが、今の俺に言える精一杯。
注意するふりをして、告白する。
アリィが少しでも、俺の気持ちをわかってくれたらいいのに。このまま時が止まったなら、アリィはずっと俺の腕の中にいる――
居心地が悪かったのか、彼女は俺の腕の中でもぞもぞ動いた。だから残念だけど、中に戻ろうと声をかけた。自分のものだと主張するように、腰に手をしっかり回したまま。
ザックの後でようやくアリィと踊れた。
同じくらいだった目の位置が、かなり下の方になっていた。自分が成長したことがすごく嬉しい。彼女を見下ろし笑い合えることが幸せだった。
踊りながらアリィに「ダンスが上手になったのは、好きな子のためなのかしら?」と聞かれた時は、ドキッとした。俺の想いが全てバレていたのかと焦った。
だから聞いてみた。
「そう。じゃあアリィは、俺の好きな人が誰なのか知っている?」
けれど彼女は気づいていなかった。それどころか、全然違う方に考えがいっているようだ。
良かった。
俺はまだ、立派な大人になれていないから。彼女を守れる強い男になっていないから。「好きだ」と言うには早すぎる。
騎士見習いの立場で修行を積めば積むほど、自分の弱さや甘さが見えてきた。父やヴォルフやガイウス様、レイモンド様などのすごい大人が身近にいると、どうしたって自分の存在が、ちっぽけなものに思えてくる。
アリィの幼なじみで彼女のことが大好きな王子だって、知識も才能も俺より格段に優れ努力だってしている。もっとも、アリィや本人の前で決して褒めるつもりはないけれど。
未熟な存在の俺では、まだまだ彼女に手が届かない。だからアリィには、俺の好きな人のことをこう話した。
「わからないならいいんだ。いつかきっと、教えてあげるから――」
いつかきっと君に好きだと伝えるから。
もうずっと前から、姉だなんて思っていない。アリィは俺にとって、かけがえのない大切な女性。彼女にふさわしくなったその時に、溢れる想いを伝えよう。その日を夢見て彼女のために、俺は毎日頑張っている。
アリィのいない隣の部屋。
シンとした部屋の向こうの聞こえるはずのない歌。思い出に寄り添うように上体を傾け、壁に耳を当てる。そっと目を閉じ彼女を想う。
今夜見る夢も彼女の夢であって欲しい。子供時代でも今でも、どちらでも構わないから。夢の中でも、君に逢えたら……
アリィのことを考えて温かい気持ちになった俺は、目を閉じて幸せな眠りにつくことにした。




