・・・・・・ルルミカ、俺は
グランの三騎士。
それは偉大なる大地に選ばれた勇者。
人の身で人の領分を越え、神の足元に昇りつめた者。
世界で最も強く、最も気高く、最も孤高である三人の・・・神の使徒にして世界を守護する騎士。
そう呼ばれる偶像の事だ。
真実は違う。偉大なる大地は勇者など選ばない。選ぶのは愚者だけだ。
グランの三騎士とは、この世界が大いなる転輪の中に浮かぶ木の葉だと知るもの。
この世界を見ている、あの言葉にすることもおぞましい邪悪を知るもの。
その邪悪と目を合わせて、心の臓を止めず、腐り果てず、狂死に逃げず、崩れ落ちず、地に両足をつけて立ち続けた、馬鹿どものための称号に過ぎない。
48年前、俺はグランの騎士になるために自ら深淵の先に挑んだ。
その日から今日まで、ただの一日も後悔したことなどない。
強さが必要だった。強くならなければいけなかった。
誰よりも愛する者のためならば俺自身の痛痒など感じる暇などありはしない。
俺たちの人生は短い。森の民であるエルフと違い、まばたくような一瞬で俺たちは産まれて死んでいく。
力が必要だった。俺が生きている間に、望みを叶えられるだけの力が。
・・・・・・・・・そして、すべてを賭けて俺は勝ち取ってきた。
一代で成したすべては俺の愛する者のために捧げている。それ以上は何もいらない、それ以外は何もいらない。俺の人生はすべて、俺の生きた軌跡はすべて、俺の手に入れたものはすべて、俺の妻と娘のためだけにあればいい。
このまま終わってたまるものか。このまま死んで。このまま果てて。どんな顔をして逝けば良いと言うのか。考えるだけで、はらわたが煮えるようだ。
レスターは・・・グランドゥエルは、己の後継を決めたのだろう。
あの青年がグランを継ぐかどうかはわからない。しかし、それは残酷な選択だ。彼の未来を閉ざし、彼に不幸を手渡すその心境はいかなるものなのだろうか。
軽蔑している自分がいると同時に、なるほど、それがグランの正しい騎士なのかもしれぬ、とも思う。
俺にはできない。できはしない。こんな血まみれの道を歩ませることなどできるものか。
あの奈落の淵を見せることなど。生きているものに死よりもつらい道を歩ませることなど到底できはしない。
・・・おそらく歴代の騎士たちもそうだったのだろう。
だからこそ、血を持って継がせる事ができる技を知りながら、グランの騎士たちは、みな死と同時に称号を返上しマナとして消えていったのだ。
だからこそ、グランの騎士は偉大なる大地が選ぶと思われているのだ。
人が人を殺すことは容易い。
だが、どんな悪党であっても、罪なき人を無間地獄に落とすことなどできはしない。
グランドゥエルはそれを越えて見せた。なるほどそれは英雄の所業だ。正しく人でなしだ。
・・・・・・いや、だが、実際にその時が来たならば、どうだろうか。
己のすべてを。己が背負いこんだすべてを、本当に手渡す事ができるのだろうか。
躊躇は、ためらいは?俺がかつてまみえた時、奴は若く、精強で、情に厚い良い戦士だった。
冒険を心の底から楽しみ、未知の財宝を夢見て、強者との戦いに心を躍らせる。
いかなる嵐の中でも莞爾と笑う、見惚れるような青年であった。
そのグランドゥエルが。いや。騎士でなかった頃のレスターが。
本当に、世界などと言う曖昧なもののために血の繋がった者を犠牲にするだろうか。
奴の魂はそこまで磨り減ってしまったのだろうか。グランであり続ける事で、奴の心が折れてしまったのだろうか。もはや、人間と石ころの違いすらわからなくなっているのだろうか。
・・・すべてが、数字でしか見えていないのだろうか。
コンコン、と扉を叩く音がして、書斎に一人の女が入ってきた。
アンネリンゼ・ランズアップ。スレイマンの伴侶にして先代のランズアップ女侯爵である。
「なんのようだ」
「・・・もう、おやめください」
驚くような冷たさを持ってその声が書斎に響いた。
「・・・・・・なにをだ」
「戦う事を、です」
睨むわけでもなく、スレイマンは静かな目で彼女を見つめた。
アンネリンゼの瞳は美しく濡れたように輝き、歳を経て髪の色が抜け落ちた今もなお、美しさと気品に満ちている。
「俺は戦う事しかできん。今までと同様に。これからも同様にな」
「それは嘘です」
凛とした声でアンネリンゼが断じる。
「・・・嘘だと?」
「はい・・・・・・うそ、です」
初めてアンネリンゼの声が震えた。
わななき、涙がこぼれて膝が折れる。
「旦那様は、もう、死ぬおつもりです。これが最後の戦いなのでしょう?死ぬために戦いに行かれるのでしょう?」
「死ぬつもりで戦うほど臆病になった覚えはない。たしかに今度の戦いは厳しい、命惜しさに逃げる事が無ければ武運及ばず死ぬ事もあるだろう。だが戦いとはすべからくそういうものだ」
「今までの旦那様でしたら・・・きっと逃げています」
「・・・なに?」
涙を拭き、スレイマンに抱きしめられたままのアンネリンゼが続ける。
「これまでの旦那様は、次を臨む眼をしておりました。必ず手に入れる、必ず成し遂げる。そのために・・・そのために最善を尽くし、それでも及ばなければ一度逃げてでもまた挑む。そんな眼をしておりました!!でも今は違うのです!!!」
「・・・アンネリンゼ」
「此度は死んでも成し遂げるおつもりです。いいえ、死と引き換えにでもしなければ叶わないと思っておられます!!!」
「・・・・・・そうだな。よく、見ているものだ」
アンネリンゼを長椅子に座らせると、スレイマンは戸棚から強い蒸留酒を取り出してグラスに注いだ。
一つをアンネリンゼの前に置き、もう一つを一息に飲んでから、もう一度注ぎなおす。
「俺も、もう歳だ。長くない。この50年で積み上げてきた物を返して貰うには、命を賭けでもしないと足りないようだ。若い時なら逃げられたんだが、まあ、仕方なかろう」
「でしたら・・・お逃げになればいいのです」
小さいグラスに注がれた蒸留酒を飲み干したアンネリンゼが言う。
「すべて捨ててお逃げ下さい。ランズアップの家名も、グランの騎士の名もすべて捨てて、どこか遠くでみんなで暮らしましょう」
「仮にも侯爵であったものの言葉とは思えんぞ」
「今は違います。私は・・・・・・私は、あなたの妻です」
その言葉には悲痛な覚悟があった。
「・・・妻である私を連れて逃げて下さい」
「国を捨てるのか?」
「滅ぶ国にいて何になりますか!」
「滅ばぬように俺が戦うのだか・・・」
「この国のために戦うわけでは無いでしょう!?」
「・・・・・・そうだ。この国のために戦ったことなど一度もない。そんな戦いをするのはごめんだ」
「では、なんのために」
「誓いのためだ。俺は誓った」
「ならば誓いも捨てて私と逃げて下さい」
「それはできない」
「私はあなたの妻です!!妻のために逃げて下さい!!!」
「言うな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
怒号のような絶叫が書斎に響き渡る。
「それ以上は言うな。アンネリンゼ」
「・・・私は、あなたを愛しております。私の夫は、今生でも来世でもスレイマンただ一人と決めております」
「もう・・・・・・言うな」
3杯目のグラスをあおると、スレイマンは手を叩いてマグラを呼ぶ。
「へい。旦那様」
「少し夜風に当たってくる。アンネリンゼを頼む」
部屋を出たスレイマンはアルドの所へ行くと封蝋の押された一通の書簡を手渡した。
家宰であるソルレイユにも一通の書簡を渡し、それから屋敷を出て、月を見上げる。
月神ピサンティエは地上のすべてを見ていると言う。
ならば、未来すら見ているあの神将はピサンティエと同等か。あるいはそれ以上のものなのか。
スレイマンは手を天高く伸ばして月を掴むように拳を握った。
かつては精気に溢れていた己の腕も、もはや筋張って皮と骨を残すのみにまで老いさらばえた。
若い時と同じように身体が動くことなどありはしない。
愛する妻から託された剣さえも、今の自分では使いこなすことができないだろう。
「・・・・・・ルルミカ、俺は」
暖かな風がスレイマンの頬を撫でる。
それは意思でもあるかのように吹き付けてスレイマンに言葉を飲み込ませると、静かに溶けて月光の中に消えていった。
いつもありがとうございます。次話は明日か明後日に投稿する予定です。
宜しくお願い致します。




