34 ああ、なんという幸せ――
混乱に乗じて、学園の門を出ようと抜け駆けしている1体の捕囚がいた。長津田さんをさらい、何度もアクガリや俺を裏切り、この騒ぎを起こした主犯格だ。
今も気を失っているであろう長津田さんをその手の中に収めている。
脅されて結界を解除したのだろう、結界の精霊があたふたして脱走している捕囚の背中を見ている。
「次の隠れ家を見つけ、そこでメイド奴隷として仕えさせてやる――ゥ!」
「おいッ! 待て!」
「――ぐッ! 救世主め、まだ理解できぬか? 愛無き世界に我々は存在――でき……な……」
囚人はその姿を見ると、急に声が裏返った。
コミンの魔法で、俺たちは捕囚に先回りしていた。
コミンは捕囚を睨みつける。
「――ああ、お美しい、め、女神さま! 深紅のドレスの軽やかな雄姿は語らずもがな、神殿学園の果樹園の制服姿も地下で膨らませた妄想をはるかに超越する、まさにこの瞬間は最後の僥倖――ゥ」
捕囚はそれを見て手を震わせていた。そして、手斧を長津田さんに突きつける。息を荒げて完全に気が動転している。
金城コミンはそれを見ても何にも語らず、顔色一つ変えずにいる。
「偽りの救世主! 女神さまにお告げしろ! そ、それ以上お近づきになると、ここっ、この慈しんだ娘がこのまま永遠に眠ることになる! それでもよろしいのでしょうかと――ゥ!」
俺は金城コミンを横目にちらちら見ながら訴える捕囚の哀れな姿を見て何も言わなかった。
自分の発言に誰も答えず不安になったようで、捕囚の声がさらに裏返る。
「カギを盗んだりと実に賢いおてんば娘だ! 調教すれば良いメイドになる! そしたら神殿学園に返還する、約束しよう―――ゥ!」
「彼女はか弱いんだ! 連れまわしたり、乱暴するな!」
「か弱い――? このメイド奴隷のせいで黒魔術の執行が遅れ、迎撃が失敗したッ――ゥ! それに、……愛無き心を惑わせる魔性ッ――ゥ!」
「もういいだろ、諦めろ! 弱い者イジメは騎士と同じだ!」
「最期のひと時に、あんな騎士どもの話を持ち出すな!」
コミンがため息で俺と捕囚の口論を遮った。
「その子が傷つくこと、あなたこそ見るに堪えないんじゃないの?」
「――な、なにをッゥ!」
手斧がヤリに変化する。コミンが指をくるりと回していた。
ヤリが囚人の体を突き抜ける。
「――ぐはッ!」
そして地面に倒れた。
俺は長津田さんに駆け寄る。サリスマリスが長津田さんを抱える。
捕囚はサリスマリスに奪われた長津田さんに手を伸ばすが、俺が立ちはだかる。
「……女神さま、せめて、無礼にお許しを――……」
俺はホウキを握り、捕囚を見下ろす。
「ああ、わが身を解放に導いた救世主よ。果実を盗んだ罪深き吾輩に頼み事など言えた身分ではないが、せめて女神さまのヤリで最期を迎えたい、そう伝えてもらえるだろうか――……ゥ」
捕囚はせき込みながらも、力を振り絞り、俺に手を差し出す。
「……そもそも、救世主が無抵抗な魔族に、手をあげてよいものだろうか――? だから女神さまに看取られて……」
「――うるさい、お前は地下に逆戻りだ!」
「よしなさい」
金城コミンの低い声が俺を制止する。
「だがコミン、こいつは調子がいい! 乗せられて、甘やかしたら――」
金城コミンは見たこともないほどに真面目な顔をしていた。
それを見て俺は黙る。囚人が重い口を開く。
「この世は強い者に味方し、弱い者に冷たい。願えば願うほどに激しい虚無を思い知らされる――。何故に女神さまは、均等に愛をお分けにならないのだろうか――」
「アタシがその愛無きを見過ごすとでも?」
「愛することもできないから奪ってしまったこと、お許しください――ゥ」
「そうやってムキになって探すから、自分の足元に芽生えた愛に気付かず踏みにじる」
「足元に――ゥ?」
「一瞬でも愛を感じたなら命を懸けて奪いにいかなきゃ。周りの目や、自分の立場や体裁を気にして心にウソつく者が、いくら愛を欲してもつかみ取れるわけないじゃない! 邪魔する救世主を打ち倒してでも! そう、アタシの果樹園はそんなに甘くないわ!」
「しかし、女神さまの慈しんだメイドと、罪深き囚人である吾輩などとは身分不相応――、儀式に使うために盗み出したものを仲間が許すはずも――」
「だったら他の囚人を張り倒してでもその子と駆け落ちすればよかったじゃない。そしたら今頃、南国の小舟の上で水平線のかなたを眺めながら二人きりの逃避行。あらあら、恋の天使が落とした奇跡のチャンスを逃したわね。アタシもしぶしぶ許可したわ。救世主はどうか知らないけど」
俺は眉をしかめる。
「今更慰めをいただく必要もない――! 吾輩は愛無き囚人なのだから――ッ!」
「アタシとその子、騎士のみんなで一生懸命に牢屋の入り口にきれいなお花を育ててた。この意味わかる?」
「そ、そんな――ッ! あれは吾輩への花――!?」
金城コミンは長津田さんのメイド服のポケットからナイフを取り出す。
「なッ!?」
「ほら、目を閉じれば、自分の中にある小さな愛の芽も見つかるでしょ? アタシには見ていたわ。自分に愛する資格も素質もないと決めつけないこと」
「しかしそれ以上に吾輩は罪深き囚人――」
「あの時、あの子を救ったのは真実で愛の証よ! その事実だけで充分だわ! だからこっそり連れ出さず、そこの校門を堂々と2人で手をつないでくぐって出ていきなさいよ! みんな祝福の花びらを投げて送り出してくれるわ! アナタも、ね?」
俺は歯をくいしばりコミンの同意にうなずく。
捕囚が涙をこぼす。
「……我は自分で作り上げた愛無きの虚像に縛られていたのか――? ……危うく、見過ごすところだった――堕す前に知れただけでも幸せだ――」
捕囚は自分の喉元にヤリを突きつける。
「真の女神さまになんという謂れなき無礼を――、再び偽りの愛を語ってしまう前に、この世界を去るとしよう――」
捕囚の握るヤリがシャベルに変化する。コミンが指をくるりと回していた。
「愛はよその果樹園から盗むのではなく、自分で育むこと。汗水垂らして更地を耕し、長い年月をかけて成長を見守ること。ソォスィン国にお帰り」
「コミン……」
捕囚は金城コミンを見上げる。
「あの時のソォスィン国反乱でのヴァーサー・クーラー様への無礼、とても許されるまじき、とても償えるものではなき歴史――」
金城コミンはいいのよと言う。
「せっかくの愛あるお計らいに対して我ら悲しき魔族たちの弱き意思で、恩を仇で返し、現状のようなフィシス教徒への批判世論の原因を生んだこと、とても卿の目を見て詫びることもできません――それでも許されるというのですか――?」
金城コミンは気にしないわと微笑んだ。
その瞬間だけは女神が存在したように見えた。
次の瞬間には捕囚の腹にヤリが突き抜けた。
「……え、えぽけ……――」
捕囚は巨大な図体をどんどん委縮させて、胴体が小さくなり手のひらサイズのサリスマリスくらいの大きさになる。
小さくなって気を失った捕囚は、どこか満ち足りた表情をしている。
金城コミンは地べたで伸びているその小さな捕囚を見下ろす。
「愛を履き違えて幻想を抱く者こそ、自分に降り注いでいる愛に気が付かないものね。サリスマリス、この子をソォスィン国の畑に送り届けて。そして今頃地面で伸びている子も同じようにね」
俺をちらりと見たサリスマリスはコミンにうなずき、囚人をつまみ上げて、抱えた長津田さんと一緒にマリアたちの方へ向かう。
●
校庭に戻ると、2人の魔女は、ありとあらゆる魔術と、無数の物騒なヤリを捕囚たちに浴びせ続けていた。
マリアたち騎士は魔女たちの大暴れに態度を決めかねていて、校舎を背に身構えるだけのようだ。
捕囚たちは武器も捨て、逃げもせず、ひたすら立ちすくみ唖然としたまま魔女たちの攻撃を一身に受けた。
金城コミンは制服姿のまま、まるで野球部の試合でも観戦するように、校庭の隅の部活小屋のベンチからのほほんと見守っている。
「なあ、もうそれくらいにしてやったらどうだ? 捕囚たち抵抗する気も失せてるぞ――」
「アナタは捕囚から見習うべきね。きちんと反省してアタシの教育を素直に受け入れてるじゃない。どこかの頑固な誰かさんより立派なものよ」
デリスゥ、マベランという恐ろしい魔女たちは捕囚たちに対して一仕事終えた。金城コミンに視線を向けて何かの意思疎通を行った上、2人はすっとその場から姿を消した。
校庭に残され、全身にヤリが刺さったままの捕囚たちは、ふらふらしながらも一斉に天に向けて手を伸ばした。
「まさか、この胸の高鳴りは――ゥ”」
「女神の倫理が見えてくる――ゥ”!?」
「麗しい女神の剣が心に刺さる――ゥ”!?」
「この魂が浄化されてゆく――ゥ”!」
「憎しみの力が消えていく……ゥ”」
「真の女神さまが慈悲を垂らされた――ゥ」
「愛にみとられて呪いが乾いてゆく――ゥ」
「麗しき女神さま――」
「我らの心、花咲き乱れる――」
ああ、なんという幸せ……
●
青空の下、彩り豊かな花に囲まれた学園の花壇のベンチで、アクガリは目覚めた。
「……むぅ、――あれ!」
「アクガリ、気がついたか? 怪我はないか?」
「オレ、黒騎士に騙され、ヴァーサー卿にやられて、囚人に捕まって、辱められるところだった!?」
「囚人たちはお前の国に帰ったし、悪い黒騎士たちもやっつけた」
「アクガリさん、ハロさんにお礼を。ずっと隣で看病してくれてましたの」
「ヤロがオレを……助けてくれたのか? あ、ありがと――だゼ……」
突然、アクガリはがばっと俺の腕にしがみつく。
「おい、ちょっと!?」
「ふふふ……」
「やっぱり落ち着く……」
マリアたちが生徒魔族をお仕置き教室まで追いやって大人しくさせたようで、校庭に戻ってきた。
「まさか、あの頑固な囚人たちが帰ったです?」
「うっそ! ソッチは本当にエリートな救世主なの!?」
「ハロくん! ないすぅ!」
「みなさんご無事でなによりですの」
「悪いのはヴァーサー・クーラー、そして黒騎士です」
「そ、そうだな! 黒騎士が全部悪いんだ」
「正しかったのはヤロだった、黒騎士に心許したオレが間違ってたゼ……」
そう言ったアクガリに対して、マリア、ポポ、クゥは黙ってじっと見つめる。
「ん? どうしたんだゼ、マリア?」
「……アクガリ、ずいぶんとハロと仲を深めたですね」
マリアたちは俺にくっつくアクガリを見る。
「……え、なにが? だって、女の子同士だから恥ずかしくな――って!?」
アクガリは俺の顔を見て、顔を真っ赤にした。
「――ひぇ! な、なんでヤロが!? これは、ち、違うんだゼッ!」
アクガリは俺の腕を突き飛ばす。
「痛ッ! 体中が痛いんだ! 少しは加減しろっての!」
「う、うっせ! エッチ!」
「は!? いやお前から――ッ!」
「アクガリさん、みなさんが見てる前ですよ」
「スレイさん、その言い方にも誤解が……」
「え、影でもそんなことしてるのですか? それは風紀的に……」
「変態えりーと、見せつけてくれるなの! ぶー!」
「学園でイチャイチャは、めッ!」
「――(ギロリ)」
「その……オレ、なんでこんなこと――ぅぅ」
アクガリはスカートで小さく握りこぶしをして抑えてうつむく。
「まぁ、きれい!」
長津田さんが見上げた。分厚い雲から吹き出していた雨は風に流され消えていた。
みんな目を細めて照り返す太陽を見る。
「ねぇ、ヤロ……」
「ん?」
「ヤロがいれば魔女もフィシスも怖くないし、囚人たちも改心して国のために働いてくれると思う。ヤロは狩りが下手だけど、それはオレが頑張るから――」
アクガリははっきりしない。
「今は更地だけど2人で協力してソォスィン国を再建して欲しいんだゼ――」
「……!? アクガリさん、それってもしかして――!?」
「だから、……オレと一緒に――! オレの国に――」
「ララララ!」
「あ、会長さんです」
「アークりん!」
「おい、ヤロ、返事はどうな――ひぅッ!」
「天使からアドバイスされた夢見ヶ丘の奇跡は素敵だった? アクりん!?」
「きき、金城さんッ、ちょっと! スカートの中はやめて!」
「天使が下りてきそうな日ね! 愛と正義と平和のため、夢見ヶ丘の恋はみんなで守るのよッ」
「おーです」
「おーなの!」
「おぅ!」
「おーです!」
「お~ですの」
「お、おーだゼ!……ぅぅ」
「ガルガルガル――! 騎士ちゃんたちはみーんな、知らず知らずに女神さまの心の奴隷だガルね!」
●
翌日、生徒会室で金城コミンは俺が扉を開けると、思い出したのか怒りをあらわにした。
金城コミンは言いたいことがある、というよりお仕置きがあると告げてきた。
「涼子ちんもアクりんも、みんなよ! アナタがいながら危険な目にあって、ケガもして……きれいな乙女の実を――ッ」
マリアたちがいないからだ、俺は次の瞬間にはヤリが飛んでくるのだと察し、踵を返した時には背中にヤリが突き刺さっていた。
「これはあの日のパーティの分! そして涼子ちんの分! そして、……これもパーティの分ッ!」
ぶっ倒れて降参した俺の胸ぐらをつかみ上げ、その顔を近づけた。
「じっくり噛みしめて反省しなさい!」
その金城コミンは実に楽しそうだった。




