駿府の戦い~箱根山~
駿府城落成に合わせ、秀忠陣営はいよいよ次郎三郎への本格的戦争を仕掛ける。
目的は次郎三郎の完全な屈服。
果たしてこの戦はどこへ向かうのか?
慶長12年(1607年)駿府城落成す。
天下普請と言われた大修築された駿府城は安部川を自然の大外堀とし、その他に三重の堀を巡らす輪郭式の平城で、城の顔でもある天守閣は、石垣天端(一番高い部分の事)で約55メートル×48メートルという城郭史上最大の城が出来上がった。
次郎三郎は早速伏見城より本多正純、左近、側室衆と駿府駐在の為に風魔小太郎により選抜された風魔衆と小太郎を引き連れ駿府へ移った。
駿府の守りは風魔小太郎自ら守備頭となり、駿府城を陰から守る手筈となっていた。
東には風斎が頭となり箱根山に新たな風魔の結界を敷き、箱根山は江戸方面からの敵の侵入を防ぐ天然の要害となっていた。
こうして駿府城は西に安部川、東に箱根山と天下の要害を二つ持ち、万が一、落城しても駿河湾から船で脱出が可能になっている、といった日本に類を見ない難攻不落の名城であった。
しかし、次郎三郎と左近、小太郎はそんな駿府城に入った時に自分たちの失策に気付いた。
「これは予想外の弱点でござった。」
左近が、目を瞑り失敗したという顔をして呟く。
「我々も外からくる敵襲のみに気を配り過ぎておりましたな。」
小太郎もうつむき反省する。
「しかしもはや致し方あるまい、ここだけの為に工事をやり直す訳にもいかぬであろう。駿府で奉公する人間ももはや決まっておる、詮議には左近殿と小太郎殿も立ち会ったであろう?」
確かに駿府で働く者は小者から腰元まですべての人間を風魔衆で詮索し素性を洗い出している。
小太郎が報告する。
「一応不審な者はおりませんでしたが、念には念を入れよと申します。まさか駿府の弱点が城中よりの攻撃であると気付く者も多くはないでしょう。」
次郎三郎は不安な顔をして小太郎と左近に伝える。
「一応準備はしておいた方が良い。相手は南光坊天海、どのような手に出るか想像もつかぬ。」
この時既に駿府城には天海の手の者が入り込んでいた事を次郎三郎たちは知らずにいた。
その噂の大元である南光坊天海は徳川秀忠と柳生宗矩と荘田教高を無量寿寺北院へと呼び次郎三郎暗殺の計画の手筈を説明した。
ここで秀忠は駿府に既に天海の手の者が入り込んでいる事を初めて知る。
その方法を天海に問いただそうとするが、天海は「昔の知り合いに頼んだだけじゃよ」と秀忠の追及をのらりくらりとかわすのであった。
手筈は至極簡単であった。
天海が忍び込ませた女中が駿府城内から火の手を上げさせる。
それはもう駿府城を焼き尽くさんとする程に火を起こし駿府城を混乱の渦に陥れる。
後は大火に驚き逃げ出したところを柳生の刺客を総勢で仕留めるという作戦であった。
宗矩に何名の刺客を駿府に送れるか秀忠が問うたところ宗矩は
「50名は送り込む事が出来ます」と答えた。
秀忠は次郎三郎に散々煮え湯を飲まされ続けただけに50名でも少ないと感じたが、天海がそれに合わせ天台柳生を30名派遣すると申し出たので合計すると80名の刺客が駿府に押し寄せる事になる。
さしもの秀忠も80名からなる柳生の刺客が居れば次郎三郎の息の根はもはや止まったも同然と高笑いし、後事を天海と宗矩に任せた。
駿府へは荘田教高が現地へ直接赴き、彼らの指揮を執る事となった。
次郎三郎は秀忠が駿府の致命的欠陥に気付くとはとても思わなかったが、相手方に天海が付いている事を考慮し、とある手を打っておいた。
最初の知らせは江戸に潜伏している風魔衆からの早馬でもたらされた。
「江戸に柳生の兵が集結しつつありその数おおよそ80!」
次郎三郎も左近、小太郎も80という兵数に驚きを隠せなかった。
「秀忠殿はここに勝負をかけてきおったか。」
次郎三郎は側仕えの風魔に本多正信へこの旨、書状を届ける様に指示を出す。
書状の内容は簡素なものであった。
「柳生が駿府を狙い、わしを亡き者にと画策しておる、しかし柳生は駿府から出る事は敵わない。初めから居ないものとして後始末を頼む。」
これだけであったのだ。
またこの一文で弥八郎(本多正信の事)も理解し納得するであろうとわかっていたのだ。
秀忠と宗矩、天海は江戸にてこの度の暗殺、いや80の兵を差し向けたとあっては暗殺とは言えないであろう、これは戦である。
そして彼らはこの戦の成り行きを見守っていた。
次郎三郎は風魔忍び30にて鉄砲隊を組んだ。
鉄砲の指南には次郎三郎自らがこれに当たった。
左近は左近で風魔忍び20で槍隊を結成、これの鍛錬に当たる。
小太郎はそれぞれに伝令を配置し、駿府城は柳生80名を迎え撃つ準備が万端になっていた。
次郎三郎と左近は箱根山の駿河方面に陣取り柳生の兵を待ち構えていた。
しかして柳生が箱根山に差し掛かったあたりで事件は起こったのだ。
「申し上げます!駿府の城より火の手が上がっております!!」
伝令兵の伝える言葉に次郎三郎たちは己の耳を疑った。
駿府が火事になっている!?
「駿府におる者たちは如何いたした!!」
声を荒げる次郎三郎。
「ただ今、お味方が必死の救出活動を行っております!」
次郎三郎も左近もこの場から動けなくなった。
今下手に撤退すれば柳生に背後をつかれるのは必定。
しかし駿府に残してきたお梶をはじめ側妾や駿府に奉公する者達の命が次郎三郎にはどうしても気になってしまう。
「うーむ、如何に動くべきか・・・。」
迷う次郎三郎に左近は言う
「それがしが見事殿を務めましょう。大御所は駿府に立ち戻り、指揮をお取りください!六郎!そちもお供して大御所をお守りいたせ!」
六郎は「はい」と一言答えたが、次郎三郎が「左近殿、それではしかし」と言いかけた時、左近は槍を持たない左手で次郎三郎を制止するように
「大御所もよくご存じでしょう?戦場では迷った者から先に死ぬという事を」
次郎三郎は左近に諭され改めてその真理を思い出す。
「戦場では迷った者から先に死ぬ。」これは当時の戦では常識であった。
それと似たような話に「勝ち戦を確信し驕ったものは、死兵によって甚大な被害を受ける事もある。」この話は次郎三郎自身が「伊勢長島の一向一揆」で体験した事であった。
次郎三郎は「一介の影武者」から「家康の代わり」になっていく内に徐々に大切で守らなければならないものが増えてゆき、かえって自由気まま天衣無縫で過ごした傭兵暮らしの頃の事を忘れつつあったという事実であったのだ。
君主としては正しいののかもしれない、家康自身も「徳川家を守る」というストレスに苛まれ爪を噛むという悪癖があったのだから。
次郎三郎にとっていくさ人としての気骨を失うなどと云う事はあってはならない事、天性の生き残る嗅覚を忘れれば自分はおろか駿府にて自分を待つ人々が皆殺しにされてしまう。
次郎三郎は左近に殿を任せ駿府へと舞い戻る事を決意する。
「左近殿、死ぬことは許さぬぞ?それに槍隊も出来るだけ生かして戻せ、死線を潜り抜けた兵は強くなるのでね。」
左近は次郎三郎の無理難題ともいえる叱咤激励に笑いながら
「殿は無茶を仰る!!まぁそこそこ数を減らしたら撤退いたしますよ!」
と答えるのであった。
「皆の者!!我は島清興なり!地獄の鬼どもを成敗し関ケ原から舞い戻ったぞ!!わしと一戦交えたい者は前へ進みでよ!!わし自ら相手して遣わすぞ!!」
柳生兵は島清興の名に驚き動揺した。
まさか次郎三郎の側に島清興が付いているなどと予想だにしなかったからである。
清興の名を聞いて逃げようとする柳生兵や戦意を無くした柳生兵は容赦なく風斎率いる箱根風魔衆にその命を刈られていった。
清興も名乗った以上柳生を一人たりとも生かして帰すつもりは無かったのだ。
清興隊20に対するは柳生80
柳生80はそれぞれ剣術達者の強者揃い。
こうして最大級の城郭が落成して間もなく大火により焼失するという天下の大事件は幕を上げたのだ。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
これからも『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いします。




