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忠輝と五郎八

さて、忠輝と五郎八の結婚生活初期のエピソードです。

歴史的には五郎八は忠輝と離縁した後、政宗がいくら再婚を勧めてもすべて断り続けたというエピソードがありますが、そうした五郎八の信念はどういった所から来たのか?

やっと少しづつ忠輝と五郎八の事を書けて私は嬉しいです(笑)

慶長(けいちょう)11年(1606年)、松平忠輝(まつだいらただてる)と伊達政宗(だてまさむね)の姫君である五郎八(いろは)姫の婚礼の儀が賑々(にぎにぎ)しく行われた。


仲介役には大久保長安(おおくぼながやす)がこれに当たり、目出度(めでた)く徳川家と伊達家は婚姻関係で結ばれたのである。


しかしながら忠輝ははじめ五郎八姫を伊達政宗の娘という事で警戒した。


理由は明解である。


伊達政宗という武将は稀代の策謀家である。


農民達の感情の機微を読み、他領にて一揆(いっき)を煽動(せんどう)し、これを平定する事により自分の武働きを誇る事もあり、信長をして「この者は普通の者と目が違う、我が婿としよう」と言わしめた蒲生氏郷(がもううじさと)の領内で一揆を煽動したり、南部領で一揆を煽動したりと謀略に長けた武将であったのだ。


政宗は天下の形勢は徳川に傾いたとはいえ、未だ平らかでない今、万が一にも家康が病などで亡くなったりすれば天下を狙える器量を備えた武将の一人であった。


家康の息子である忠輝からすれば、五郎八姫は徳川の内情を探る伊達家の忍びの様に思えてならなかった。


忠輝は伊達政宗に万が一にでも徳川家へと漬け込む隙を与えないように、婚姻直後から五郎八姫を遠ざけるのである。


その昔、美濃を掠め取りこれを治めた斉藤道三(さいとうどうさん)という戦国大名がいた。


彼は娘である帰蝶(きちょう)を尾張の織田信秀(おだのぶひで)の嫡男・信長に嫁がせる時に一振りの懐刀を与え


「信長が真実うつけ者であれば、その刀で信長を殺害し美濃へと戻って参れ。その時は美濃兵を差し向け尾張を我が手に入れてくれようぞ。」


と笑いながら帰蝶に言いつけた、それに対し帰蝶は真剣なまなざしで


「畏まりました。しかしながら、信長殿がうつけにあらざればこの刀、父上の首を掻き切るやもしれませぬ。」


と返したという。


さすがの道三もこの返しには驚き「さすがは我が娘よ」と帰蝶を褒めたという話があった。


斉藤道三程の謀略の大家が「婚姻」という名目で自分の娘を刺客に送るのだ。


権謀術数に長けた政宗もそれに習い、同じような事を考えてもおかしくはない。


忠輝は五郎八姫に油断をした姿を見せたが最後、自分も寝首を掻かれるやも知れぬと考えていたのだ。


忠輝は自分に天賦の才があるとか、徳川家の血筋が素晴らしい能力をもたらすなど微塵も考えていなかった。


「自分は至って普通の人間であり、また人とは愚かである。」


忠輝は様々な事を学ぶうち、仏教とキリスト教の教えで「人は元来愚かである」と説いたものに似通ったものを感じ、「愚かさは罪ではなく、そこから何かを学ぶ事が自分の富である」とそれを己の中で昇華した解釈をしまたそれを信念とした。


これは忠輝が徳川家の他の兄弟と大きく違う所であった。


忠輝は幼き頃より自分が徳川家の御曹司であるという事を誇りには思っていたがそれを鼻にかける事は無かった。


理由の一つとしては自分が徳川宗家の世継ぎでない事、養子に出されていないにも関わらず松平の名乗りしか許されなかった事、他の兄弟に比べ自分の石高が極端にも低い事、それ故、徳川家の御曹司と言われても、なんとなくそんな気がしなかったのだ。


また自分が愚かである事を知るがゆえに、身分の差など問わず、己が知らぬ事を頭を下げ教えを乞うという姿勢をとることが出来たのである。


そんな忠輝が自分を遠ざけ警戒しているのを感じた五郎八はある日、忠輝を善光寺参りへと誘う。


忠輝は五郎八姫の急な誘いを訝(いぶか)しみ聞く。


「何故、この寒い中善行寺などに行きたいと申す?」


季節は冬、12月に入ろうとしていた。そんな忠輝の問いに五郎八が答える。


「忠輝様は五郎八を遠ざけておいでと拝察いたしますが五郎八と外出する事すら恐れていらっしゃるのですか?」


忠輝は五郎八が自分が遠ざけられている事に気付いていたか、と思い「ただの箱入りではなさそうだ」と評価したが、そうなればますます五郎八の善光寺参りの考えが良く解らず答える。


「そういう事では無い、五郎八は何故にこの真冬に善光寺に行きたいなどと申す?春を待ってからでも遅くは無かろう?」


五郎八が笑顔で答えた。


「春では遅うございます、ただ今我ら夫婦の仲は初冬の如く冷え始めていると考えております、これが厳冬にならぬ内に忠輝殿と夫婦円満の願いを致しとうございます。それに私は信州・川中島に来て日も浅く、領内の事を何も知りませぬ。善光寺にて私と忠輝様の末永い幸せを願いたいのです。それが理由ではいけませぬか?」


忠輝が五郎八の目を見て答える。


「それは良い、しかしそちの輿入れと共に参ったくノ一も共に参るのか?もし忠輝を亡き者にするつもりならば、相当の腕が無くてはならぬぞ?」


今度は五郎八が驚いた。


実は五郎八は今の今まで自分の侍女がくノ一だと知らなかったのだ。


五郎八の侍女は輿入れの際に政宗が仙台より派遣し、傍に付けていた者であり、五郎八はただの女中と思っていたのだ。


伊達家子飼いの黒脛巾(くろはばき)のくノ一衆の頭が忠輝に対し「恐れながら」と遠慮しがちに答える。


「忠輝様のご明察にございます、我らは確かに黒脛という忍びの者であり、政宗公より五郎八姫の身辺警護を仰せつかっております、しかし決して忠輝様に害を為すために来たのではございません、我らの護衛の対象には当然忠輝様も入っておられます事、お判りいただきたく。」


といい忍び刀を忠輝に差しだす。忠輝は忍びが己の刀を差しだす意味を知っていたので、それを叱責交じりに申し付ける。


「愚か者、今この時、五郎八を狙う曲者が現れたらその方、如何いたす?そなたらの思いは承知したゆえ、刀は常に持っておれ。」


五郎八もくノ一衆も忠輝の言葉に驚いた。


忠輝の後方で忠輝の側近・愛洲斬陽(あいすきよう)が笑っていた。


「斬陽、何が可笑しい?」


忠輝が、斬陽を半眼で見つめる。


「いやいや、上総(かずさ)様は五郎八様と忍び達の忠誠を見ながらにして、未だに五郎八様と外出されるのがお嫌なのかと思えば面白くて。」


斬陽も事情は解っているくせにわざと忠輝を煽るようにいう言葉に忠輝はつい気恥ずかしさからその挑発に乗ってしまった。


「嫌なのではない、これは五郎八の身を案ずればの仕儀である。」


忠輝はそこまで言って自分が乗せられた事に気付く。


五郎八が行きたいと言い、くノ一衆が守っていて、その上、個人戦闘では日ノ本で右に出る者が居ない剣神と言われてもおかしくない斬陽が供に行くのだ、下手をすれば地獄の鬼すら切り刻んでしまいそうな布陣である。


もはや五郎八が心配と言うよりも道中襲ってくるかもしれない山賊や盗賊の方を心配する方が正しいというくらいなのである。


「上総様と五郎八様は私がお護り致しますよ、愛洲の名に懸けて。」


斬陽がここまで言うとなると忠輝にはもはや何も言えない。


「あいわかった、政の後事は皆川広照(みながわひろてる)と大久保長安に任せる事にし、五郎八!善光寺だろうが、上杉謙信公と武田信玄公が5度に渡り干戈(かんか)を交えた川中島の合戦城跡でも何所だろうと連れて行ってつかわす!」


くノ一は五郎八の何でも知りたがる気性を知っていたゆえに、大急ぎで忠輝の発言を止めようとするが、そんな五郎八の気性を露とも知らない忠輝は半ば自棄になり、「とんでもない事」を口走った事を後で後悔する事になる。


忠輝と五郎八は斬陽とくノ一衆を引き連れ善光寺に参詣した。


善光寺は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とする信州最大の山寺である。


善光寺と一口に言ってもそこには天台宗の「大勧進(だいかんじん)」と浄土宗の「大本願(だいほんがん)」が点在し、大進進の住職は「貫主(かんす)」と呼ばれ、天台宗の中で推挙された者が住職を務めており、大本願の方はこの時代の大寺院には珍しい「尼寺」であった。


大本願の住職は「善光寺上人(しょうにん)」と呼ばれ、公家や皇族が住職を務める門跡寺院(もんせきじいん)では無いのだが、代々住職を公家より迎えている由緒ある寺院であった。


善光寺は仏教が様々な宗派に別れる以前より建立されていた寺院で、宗派の区別なく宿願の可能という稀有な霊場であった。


そして何より善光寺を特殊な場所にしたのが古来より女人禁制が多かった仏教の中で善光寺は「女性救済」の宿願も可能とした場所でもあったのだ。


五郎八はこの善光寺の特殊な成り立ちを京で学び知っており、忠輝に心を開いて欲しい一心で善光寺参りに誘ったのだ。


「女人の救済を宿願出来る善光寺様ならば私の願いも聞き届けてくれるやも知れません」


と五郎八は善光寺にて願う忠輝に対しての誠実かつ素直な乙女心を心に抱き一行は善光寺へ向かう。


先にも言ったが季節は雪降り積もる冬である。


ましてや川中島は信州と越後の間にある山間部の領地。


一行は山道を忠輝と五郎八を護衛しながら善光寺へと向かう。


忠輝と斬陽は川中島へ来て3年程経ていたので寒さや雪には無論慣れていた。


また、奥州の厳寒の中で、更に厳しい修行を積んだ黒脛衆もさほど寒さを気には留めなかった。


しかし奥州の大名の姫君とはいえ京、大坂暮らしの長かった五郎八にとっては「冬の山」の厳しさは中々辛いものがあった。


手を真っ赤にし、必死に息をかけ手を擦る五郎八を見て、忠輝は五郎八の手を握り、繋いだ。


「俺たちは夫婦であるからな、手を繋いだとて何も不自然な事はあるまい?」


忠輝は少し照れたようにそっぽを向き五郎八に言う。


五郎八は寒さからなのか、はたまた照れてなのか顔を赤く染めて、少しうつむき加減で小さく「はい」と言った。


それをくノ一達はうっすらと目には涙を浮かべながら、笑顔で眺め、斬陽は忠輝を指さし笑おうとしたところをくノ一頭に思いっきり蹴られていた。


そんな珍道中を繰り広げながら一行は善光寺の麓へと辿り着く。


皆が安心して、無事に道中を乗り切り山麓にたどり着いた事を喜ぼうとした時に斬陽が忠輝に鋭く声をかける。


「殿、お出迎えが見えた模様です、如何いたしましょう?」


忠輝は斬陽の尋常ならない殺気を感じ出迎えが刺客である事を察し、一瞬黒脛巾を見るが、斬陽が首をわずかに振り


「恐らくは忍びと言うより剣客でしょう、動きが違います。」


と黒脛巾を庇った。


剣客?関ヶ原の浪人の報復か?と忠輝は思い


「とりあえず、奴らの話を聞いてから斬るも良いであろう。」


と刺客に探りを入れる事を決めるのであった。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。

これからも『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いします。

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