権大納言
慶長6年(1601年)豊臣秀頼と徳川秀忠は共に権大納言に任じると朝廷の綸旨が下った。
これに不満を持ったのは淀の方である。
「秀頼を家来筋の秀忠殿と同列に見るのは筋違いも甚だしい、秀忠殿が辞退せぬのであれば、秀頼に辞退させましょう。」
などと大坂城本丸はにわかに騒然とした。
これを諫めたのが信長の弟でもある織田長益である。
彼は信長の弟でありながら武将としてよりも風雅の道に長けており、茶聖・千利休の弟子となり利休七哲の一人に数えられ「有楽斎如庵」と号して織田有楽などと呼ばれていた。
少々話はそれるが、東京千代田区の有楽町は彼の名前から来たものであるという説がある。
さて話は戻り、淀の方は叔父である有楽にも怒りをぶつける始末。
ここに運悪く居合わせたのは藤堂高虎であった。
高虎は秀頼の権大納言への昇進祝いの挨拶に来ていたのである。
有楽も淀の方を必死になだめる
「秀忠殿は千姫の父君じゃ、秀頼殿と夫婦になれば秀忠殿は秀頼殿の岳父となるのじゃぞ?」
と説得をするが淀の方は言うに事欠いて
「徳川と縁続きになることで秀忠殿が秀頼と同列になるならば千姫との縁談は破談にいたしましょう」
などと言う。
焦った有楽と高虎は顔を見合わせ淀の方の説得に力を入れる。
次に高虎が
「同列とはいえ、秀忠殿の任官を一日遅らせたのは遠慮の現われに思えますが」
と言う、すると淀の方は高虎の顔を見て
「ほぉ、どなたの遠慮ですかね?高虎殿の口振りでは裏でどなたかの采配があったかに察せられますが?」
とにこやかに、されど目は鋭く高虎に尋ねる。
高虎は余計な事を口にしたか?と思い「さぁ、それは」などとお茶を濁す。
有楽も高虎も押し黙ってしまう。
淀の方は畳みかけるように
「権大納言は関白よりずっと下の位です。」
高虎がここぞと
「されば、関白への布石とお考え下さいませ」
と淀の方の気を引く。
「ほぉ、布石でございますか?」
淀の方は高虎の話に耳を傾ける。
「権大納言より、内大臣、右大臣、左大臣へと昇進され、御成長の暁にはちょうど関白に・・・」
とまで言うと淀の方がその先を切るように
「と、内府殿が仰ったのですか?」
と高虎に尋ねる。
高虎はうつむき、「いいえ」と答えた。
淀の方の怒りは収まらず暫く大坂城本丸では淀の方の怒りの声が聞こえてきた。
淀の方はこの頃から躁鬱の病を発症し始める。
不安定な情勢に精神が憔悴していたのであろう。
治長はここぞとばかりに献身的に淀の方を支え、淀の方も治長に依存していくのであるが、秀頼はそんな二人を軽蔑の目で見ていた。
江戸の秀忠にもその話は届いていた。
秀忠は密かに天海に相談しに行く。
天海は切り捨てるように
「破談にすればよい」
と一言言った。
秀忠は愛娘を淀の方の所に行かせたくは無かったが、この縁組は太閤秀吉の遺命で何より秀忠の正妻お江の方が破談など許すはずが無い、下手を打てば自分が寝ている間に殺されるかもしれない。
お江の方はそれほど恐ろしい女であった、織田家の中でも祖父である信秀の残忍な血を色濃く受け継ぎ、また織田の誇りが天より高い女、それがお江の方であった。
天海は恐妻家である秀忠の心中を察するように
「まぁ、秀忠殿、少し落ち着きなされ、江戸でめぼしい女子でも抱いて少し肩の力を抜かれるが宜しかろう」
と優し気に助言した。
秀忠は「坊主が女子を進めるとは奇怪至極だな」と考えながら、江戸の町を宗矩を連れ物色した。
秀忠も宗矩も気づいていなかったが、その会話を影から聞く者がいた。
天海はその者に声をかける
「さて、秀忠殿は居なくなりましたぞ?正信殿、拙僧に何か御用と推察いたしますが?」
ふふふと不敵に笑いながら天海は影に向かい語り掛けた。
正信は影から姿を現し天海に尋ねる。
「御坊は何がお望みか?」
天海は正信を「流石家康公の懐刀、質問が単刀直入で良いぞ」などと言いながら答える。
「拙僧の望みは徳川家の安泰にござりまするよ?」
と笑顔で答える。
この時点では正信は天海が家康の暗殺の首謀者である事を知らなかった。
「では何故、伏見の大殿にお仕えず中納言様にお仕えするのだ?」
天海は自分が暗殺したなどとおくびにも出さず
「拙僧は、伏見のどこの誰とも知らぬ男では無く徳川家嫡流の秀忠殿にお仕えする事に決めたのです」
正信は「知っていたのか」と思ったが、合点がいった。
次郎三郎では無く秀忠こそ今の徳川家の世子である、それに仕えるのは徳川家の為と言われれば当然なのだ。
「しかしこの坊主、大殿の死をどうやって知ったのか?」
正信が一瞬不思議な顔をしたのを天海は見逃さなかった。
「正信殿には拙僧が如何して大殿の死を知ったのかが不思議な様子、さればお答えしよう、わしには見えるのじゃよ、関ヶ原で近習に刺され、その後、世良田なにがしが大殿の代わりに采配を振るった場面をこの江戸からみていたのじゃよ。」
正信が顔に出たか?と不思議に思いながら天海の言葉をいぶかしむ。
「では御坊は大殿の死を避ける事は出来なかったのか?」
正信が天海に尋ねる。
「わしは遠くの出来事を見る事は出来ても咄嗟に介入する事は出来なんだ、であればこそ大殿の死を悼み、徳川家を盤石にする事こそを大殿に拾って頂いたご恩返しと思い秀忠殿につかえておるのです。」
正信は半信半疑であったが天海はとりあえず「徳川家」には敵意を持っていないと判断し天海に言う。
「中納言様はお若い事もあり短慮な面がおありだ、御坊も徳川家大事ならその短慮を気にかけて下され」
と天海に伝えその場を後にする。
正信はこの時天海を殺しておけばよかったと生涯悔やむのだが、そんな事は今は知る由も無かった。
正信の気配が消えた事を確認した天海は笑いが込み上げてきた。
「ふふふふふ、徳川家大事か、笑わせる。家康は生かしておけば、あの天魔が望んだ世を作るやも知れぬから殺したまでよ。日ノ本は天皇家を守りながら古来のしきたりを重んじ治めるのが一番良いのじゃ。あの猿はわしを裏切り殺害せんとしたが、関白の位に就くという事で禅譲を企まなかったから生かしておいたまで。禅譲など、このわしが生きている限りさせるものか、幕府さえ開かせれば徳川家は征夷大将軍、天皇家を守る家になろうぞ。」
天海は自分の長年の計画がようやく軌道に乗った事に喜びを覚えていた。
彼はその昔、足利義昭を織田信長と共に室町幕府第15代将軍にのし上げ、信長の日本改造計画の第一手である皇位の禅譲を知り、秀吉と申し合わせて本能寺で信長を討ち、山崎の合戦で秀吉に裏切られ敗退した戦国最大の裏切り者として名を残した男「明智惟任日向守光秀」その人であった。
「玉には申し訳ない事をした。忠興殿は短気な所もあるが良い婿だったのう、玉の無念はバテレンをすべて日ノ本より追放する事で晴らして見せようぞ。」
天海はもはやあらゆる怨念の塊であった。
「さて、これで中納言様は権大納言へとおなりになる、徳川幕府は目の前ぞ。」
そこには天海の不敵な笑い声が闇に溶けていった。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
これからも『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いします。




