次郎三郎の軍師
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ささやかなお礼ではありますが、一日一話の投稿ですが本日2話目を投稿させていただきます。
おふうが六郎と出会うのに時間はかからなかった。
おふうは島清興、今は左近と名乗っている男を探し、六郎は次郎三郎の周辺を探っていたのだから。
おふうは六郎が柳生忍や伊賀甲賀などの忍びとは違う空気を察していた、また六郎も同じようにおふうに恐ろしいものを感じていた。
先に口を開いたのは六郎であった。
「そなたは徳川家康公にお仕えする忍びの者だな?」
おふうは黙って答えない。
「何処の忍びが自分の主の名前を軽々しく答えるものか?」
おふうは六郎に忍びらしからぬ質問に少々戸惑い心の中で呟いた。
六郎は左近に自分の名を使っても良いので今の家康公と何としてでも話をして来いという命を受けていたので仕方なしに自己紹介から始めるのだ。
「俺は、元は武田家に仕えた高坂弾正昌信の末裔で高坂六郎と申す忍びである、奇縁があり今は石田治部少三成様に仕えていた島清興様に仕えている、島清興様は名を捨て今はただの左近と名乗っておられるが三成様の最期を見届けた際、新しい内府様に一度御目通り願いたいと申しておるのだ。」
おふうは迷った。
六郎と名乗るこの男の話に恐らく嘘はない。
しかし風魔くノ一の頭とはいえ、おふうに次郎三郎の許可も無く伏見にこの男を連れ帰る権限はない、その上この男は「新しい内府殿」と言った。
家康と次郎三郎の入れ替わりをどこかで知ったという事になる。
もしやこの場で殺しておかねばならない相手なのかもしれないと即座に判断し、おふうは10名の風魔くノ一で六郎を囲んだ
六郎はしまった、口を滑らせすぎたか、と後悔するがそこに一人の大柄な男が現れ、おふうら風魔くノ一衆を制するのだ。
「すまんな、六郎は一言余計な事を言いそなたらの疑心を買ったのだな、わしが左近だ。」
おふうは島清興を見た事があった、ゆえにすぐに本人であると確信した。
「左近殿と申されましたね、よく関ヶ原の修羅場から生きて戻られましたね、新たな家康様などと、その様な戯言を何処でお耳にしたのでしょうか?」
おふうは少しでも報告すべき情報を左近から引き出そうとしていた。
「ふむ、言うても信用してもらえんかもしれんが、わしと三成の殿はいついかなる時、口が利けなくなった時に備え、会話が出来る様に手を使い会話をする技術を身につけておったのよ、三条河原へ向かう最中、わしは三成の殿を助けようと「ひとあばれ」するつもりであったが、三成の殿に制され、その時に内府殿が入れ替わっている事、入れ替わった内府殿は秀頼公に好意を抱いている事を伺ったのよ、であるからして、左近は新たな内府殿に仕官しようと六郎を遣わしたというわけだ」
高笑いしながら左近はおふうに説明をした。
おふうは左近の話の辻褄はあっている、三成ならば次郎三郎の事も知っていたし、三成の指図なら清興も秀忠では無く次郎三郎に仕官するというのもうなずける。
おふうは次郎三郎に確認を取るために数日時間が欲しいと言い、左近に当面の暮らしが出来る様に金銀を渡し、次はこちらから伺うという旨を伝え伏見城に戻る。
報告を受けた次郎三郎はおふうの手柄をおおいに褒めた。
「島清興殿が生きておったか!いや、今は左近殿か、まぁどちらでも良い!おふう!大手柄であるな!」
嬉しそうな次郎三郎を見てお梶も嬉しくなり共におふうを褒める。
そんな中、阿茶は早速次の手を考えていた。
「左近殿が殿に仕官するは良いとして、どのようにお会いになるつもりですか?殿の周りは柳生だらけです、名前を変えたとて島清興の恐怖は我らに加担した諸大名の心から未だに消え去っておりません。」
次郎三郎は「そうだなぁ」と言いながらいたずら小僧の様な顔をして、
「少し柳生と秀忠殿を驚かせてやろう。」
と言って計画を練るのである。
数日後、早馬が江戸に急報を届ける。
「大殿が倒れました!!」
秀忠は宗矩を睨みつけた。
宗矩は身に覚えがないので早馬の使者に
「それは真実であろうな!!大殿はいったいなぜ倒れたのだ!!」
と身の潔白を証明するために問いただす。
使者は
「白寸との事、大事無いゆえ殿におかれましては江戸から動く事まかりならぬとの仰せ、大殿は快癒した後、伏見から江戸に向かうとの事」
白寸とは現代風で言うと寄生虫の一種でいわゆる「サナダムシ」の事である。
次郎三郎は度々「白寸」を理由に仮病を使う、戦国末期、家康は「サナダムシ」や「回虫」で悩まされたという記録があるが、もし寄生虫が家康(次郎三郎)を悩ませていたとすれば栄養が寄生虫に吸収され体型は痩せるはずなのだ、しかし後世描かれている家康像は太っている。
家康は武田信玄と戦った三方ヶ原敗戦の折りその場で絵師に自分の姿を描かせている、その絵の家康の姿はやせ細っていた。
元々、家康はそこまで太りやすい体質では無かったのではないであろうか、逆に次郎三郎は体質的に太りやすい体質であったのではないだろうか。
秀康、秀忠、忠吉、忠輝、義直など家康の血を受け継いだ息子たちの肖像画はどれを見ても太っている様には見えない。
もし遺伝ならだれか一人でも家系として太っていてもおかしくはないであろう。
話は戻るが、秀忠はますます柳生を疑う。
秀忠は次郎三郎を下手に刺激しないように宗矩に「次郎三郎が江戸へ来るまでの間、柳生衆を次郎三郎から遠ざけよ」と命じ早馬の使者には
「役目大義、ゆるりと休むが良い」
とねぎらいの言葉をかけるのだ。
柳生が遠ざかるのは正に次郎三郎の思惑通りであった。
そこに次郎三郎の思惑とはまた違う動きを見せる者たちがあった。
すなわち大坂城である。
淀の方は家康の病に大いに喜び、「これに乗じて呪詛を重ね掛けせよ」と大坂城中の僧侶に家康調伏の呪詛を秘密裏にかけさせるのだ。
「邪魔な内府殿さえこの世から消えれば、後に続く秀忠殿は千姫の父君、そして秀忠殿は我が妹お江の夫にて、何より人が良い、千姫と秀頼の輿入れも滞りなく行われましょう。」
大野治長と淀の方は奥の間で手を取り合い口付けしながらこれからの豊臣家の栄華を思い描き燃え上がるのである。
次郎三郎はそんな皆の期待を裏切るように仮病を半月ほど続け、原因は寸白と諸大名に公表した。
次郎三郎は度々仮病を使う際には寸白を理由として使っていた。
理由としては寸白であれば、すぐに命にかかわるものでは無いからである家康は医師嫌いとして有名な大名で、薬も自作できるほど薬草の知識も豊富であった。
その知識の中にはもちろん白寸退治の薬も入っている。
次郎三郎も当然同じ知識を持っているので医師を必要としなかった。
それ故次郎三郎の暗殺に医師は仕えないと秀忠と宗矩は嘆いていたのであるがそれは別の話である。
次郎三郎は、半月の仮病を装った後、江戸へと向かってゆるりと出立する。
秀忠は柳生に絶対に手を出すなと指示をし、宗矩に現場に赴き若い柳生の抑え役を命じる。
次郎三郎は道中、鷹狩りなどしながらゆっくりと江戸へ向かう。
実は次郎三郎、鷹狩りの道中、昼食をとる家々に様々な人材を引見していた。
その人物は野盗の頭であったり、忍び崩れの頭であったり、時にはお梶や阿茶の推挙する商人であったり、多種多様な人物であった。
次郎三郎はそういった者に金銀を与え、自分の配下とし、江戸の町を陰ながら守らせ、また秀忠の監視牽制役として江戸住まいを命じる。
彼らは次郎三郎の言う事をよく聞き、野盗たちは生業を与えてくれた次郎三郎への感謝から、忍び崩れ達は取り立ててくれた次郎三郎への恩義から、決して次郎三郎を裏切ることは無かった。
もう一つ次郎三郎には強い武器があった。
彼は元が野武士であるが故、彼らを身分の違いから侮蔑する様な事を決してしなかった。
「赤心を推して人の腹中に置く」
ということわざがある。
すなわち、真心をもって人と接し、少しの隔ても置かない事、赤心とは赤子の心をさし、曰く何にも心を覆われてなく真実の心である事、腹は人間の情、精神が宿るものでありそこに置くという事は「我の偽らざる心を見よ」という意味合いになる。
次郎三郎の言葉は自然とこれを実践しているかのような気持ちに相手をさせる言葉であったのだ。
次郎三郎は相手にものを頼む時や間違えたと思えば素直に頭を下げられる男である。
当時の武将からは考えられない事を自然とする次郎三郎に面会する人々は心を掴まれたのであった。
伏見から岐阜を抜け、尾張領、三河領、遠江領を抜け駿河領の駿府に入ったところで、次郎三郎はかねてより面会の約束のあった左近と会うのである。
この日だけは流石の次郎三郎もおふうに命じて次郎三郎の影武者を作り柳生忍を遠ざけさせた。
左近との面談は駿河の増善寺で行われた増善寺は家康にもゆかりのある寺であり家康が今川家の人質の時代、岡崎時代から顔見知りの等膳和尚を慕いよく通った。
一度、家康が
「自分は父親の葬儀にも墓参りもすることなく、駿府に人質に来たため1度だけでもいいから岡崎に墓参に行きたい」
と等膳和尚に相談した、和尚は家康の為に密かに持舟の港から船を出し、家康を岡崎に連れていき墓参りの願いを叶えたという決して浅からぬ縁がある寺であった。
次郎三郎がこの寺を選んだのにはもう一つ理由がある。
自分が隠居所に選んだ土地がこの寺から一望できるのだ。
左近にもその土地の地相を見てもらおうという魂胆もあったのだ。
次郎三郎が待つ茶庵に左近が訪れた。
次郎三郎がいまだに信じられぬ様子で
「生きておられたか、よくあの地獄を生き抜かれた」
と涙し喜んだ、左近は恥ずかしそうに頬を人差し指で掻き
「生き恥を晒しております」
と申し訳なさそうに答える。
次郎三郎は首を横に振り
「そなたが生きていてくれたお陰で秀頼殿の命は長らえましょうぞ」
という。
お梶が茶を点て左近に茶碗を差し出す。
この茶庵の警備は六郎とおふうのみであった。
左近が茶を啜り、茶碗を次郎三郎に渡し尋ねる。
「何故それがしをここへと誘われた?」
次郎三郎は茶碗を回し、答える。
「さすれば、わしはこの地に隠居の城を建てようと思っておる、左近殿にも地相を見て頂きたくここに誘ったのじゃよ」
次郎三郎はいたずらっ子の様な顔をし左近に答えた。
左近はなるほど、と納得し答えた。
「安部川を外堀とするとは考えましたな?」
と次郎三郎の考えを先読みした、次郎三郎も「さすがは音に聴こえた島清興」と言いながら答える。
「南は駿河湾があるから良いとしても、問題は箱根山、こちらに控えるおふうは風魔の出にて、箱根山を根城とする風魔の力を借りたいのだがなかなか良い案が出ずにおるのだが、左近殿に良案はおありか?」
左近はしばし考えながら、「六郎とおふうを夫婦にするのはどうか?」と言い出した。
これには六郎もおふうも驚いた。
「本人たちが嫌ならば仕方が無いが、何やらそうでもない様子」
と左近がにやにやしながら次郎三郎に告げる。
お梶も次郎三郎も驚き、おふうは良いのか?と聞くとおふうは頬を赤く染めた。
お梶も笑顔で「頬を赤く染めております、おふうも可愛らしい所があるのですね」などと茶化す。
聞けば六郎は高坂弾正昌信の末裔と聞く、おふうとは良い夫婦になるだろうと次郎三郎も賛成する。
六郎には意見すら聞かれなかった。
まぁ六郎も悪い気はしなかったので敢えて何も言わなかったのだが。
左近が六郎に言う
「わしとそなたはこれより次郎三郎殿の家臣である。六郎よ、次郎三郎殿の最初の主命としおふうを伴い風魔衆に認められ彼らを味方へと説得してまいれ」
六郎は大任を背負い、おふうと共に風魔の里へと向かうのである。
こうして左近は次郎三郎の新たな仲間となるのであった。
左近は一つだけ気になった事を次郎三郎に聞く。
「失礼かと存じますが、殿は伊勢長島の合戦の折、信長公を撃った御仁ではござらぬか?」
その場にいた全員が初めて聞く次郎三郎の過去であった。
「信長を撃った男」
この事実はその場の誰もが驚愕する。
次郎三郎は頬を掻きながら少し悲しそうに
「いやいや、その男は関ヶ原で討ち死にいたし申した」
と肯定したのであった。
お梶は次郎三郎の意外な過去に惚れ直し、蕩けた様な視線を次郎三郎に送り、左近はこれは面白くなりそうだとにやにやし、六郎は大変な事になってきたぞと汗をかくのであった。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
今後も『闇に咲く「徳川葵」』をよろしくお願いいたします。




