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第5話 最後の一日、百貨店は「選ぶ自由」を売った

前書き


「売れ残りしかない魔王城を、異世界最強の百貨店にする」


そんな無茶な挑戦から始まった物語は、ついに次の舞台へ進みます。


今回、直人たちが向かうのは、“売れ残りが一つもない帝国”。


一見すると、完璧な国です。

商品は余らない。

無駄もない。

誰も買い物に迷わない。


でも、その国には大きな問題がありました。


人々が、自分で「欲しいもの」を選べなくなっていたのです。


効率よく。

失敗なく。

無駄なく。


すべてが最適化された世界では、買い物すら「正解」を選ばされるようになっていました。


前作で直人が作ったのは、商品を売るだけの百貨店ではありません。


「どれにしよう」と迷う時間。

誰かのために贈り物を選ぶ時間。

必要ではないけれど、なぜか欲しくなるもの。


そんな、人が自分で選ぶ楽しさを守る場所でした。


だから今回、直人は再び問いかけます。


「売れ残りがゼロなら、本当に幸せなのか?」


リリスとの距離も少しずつ変わり、仲間たちとの日常や笑いもありながら、物語はやがて帝国そのものを揺るがす戦いへ進んでいきます。


剣や魔法だけでは変えられない世界を、

売り場と接客と「選ぶ自由」で変えていく。


『転生バイヤー、魔王城百貨店をはじめますⅡ』

売れ残りゼロの帝国で、「選ぶ自由」を取り戻した話。


前作より少し大きく、少し切なく、そしてもっと賑やかな物語を、ぜひ最後まで楽しんでください。

開店まで、残り五十八分

《白紙の日》発動まで、五十八分。


中央演算室を満たす数百万個の光が、夜空の星のように明滅していた。


その一つひとつが、東方統制帝国の人々から奪われた記憶だ。


好きな食べ物。


好きな色。


大切な人。


故郷の匂い。


子どもの頃に見た景色。


将来の夢。


それらすべてが、《ゼロ・マーケット》の中に商品在庫のように保管されている。


装置を壊せば、国民は支配から解放される。


ただし、保存された記憶も二度と戻らない。


壊さなければ、二十四時間後には全国民から「選びたい」という心が消される。


黒瀬征司が俺へ突きつけたのは、どちらを選んでも誰かが傷つく二択だった。


けれど、売り場に用意された二つの選択肢から選ぶことだけが、バイヤーの仕事ではない。


お客様が本当に必要としている商品がなければ、探す。


なければ仕入れる。


それでもなければ、作る。


「装置は壊さない」


俺が告げると、黒瀬の眉が動いた。


「では、《白紙の日》を受け入れるのか」


「それも断る」


「選択肢は二つしかない」


「あなたが用意した売り場には、な」


俺は制御卓へ、リリスの《好きなものカード》を置いた。


カードの裏には、彼女自身も書いた覚えのない文字が残されている。


《大切な人 高城直人》


《ゼロ・マーケット》は、そのカードを記憶の配送先として認識した。


つまり、国民から奪った記憶は返却できる。


ただし、条件が一つ。


本人が、自分の意志で何かを選ばなければならない。


「記憶を一人ひとりへ配送する」


俺は万年筆を取り出した。


日本で初めて大きな契約を結んだ時に買った一本。


異世界へ来てからも、売り場図も配送計画も、この万年筆で書いてきた。


「帝国中の配給所を、今日だけ売り場へ変える」


「何を並べるつもりだ」


黒瀬が低い声で尋ねる。


「何でもいい」


「何でも?」


「花でも、パンでも、服でも、石ころでもいい。本人が欲しいと思って選べるなら、それが記憶を届ける鍵になる」


「数百万の国民へ、残り一時間で商品を並べるというのか」


「商品なら、すでにある」


俺は壁一面の在庫表示を指さした。


東方統制帝国は、すべての商品を国家が管理している。


倉庫。


配給所。


学校。


病院。


工房。


街角の物資保管庫。


商品が足りないのではない。


一か所に並べて、選ばせるという発想がなかっただけだ。


「帝国全体を、一つの百貨店にする」


黒瀬が息を止めた。


「馬鹿げている」


「売り場を作る前は、だいたいそう言われる」


俺は計画書を書き始めた。


配送経路。


売り場の位置。


避難経路。


人員配置。


選択と同時に発生する記憶配送の流れ。


万年筆の先から、黒い線が地図の上を走っていく。


「店長」


隣に立ったリリスが尋ねる。


「数百万のお客様を、五十八分で開店準備させるおつもりですか?」


「そうなるな」


「魔王城百貨店の開店準備には、通常三時間かかります」


「今日は各自で売り場を作ってもらう」


「人手不足を、お客様へ転嫁していませんか?」


「自主参加型の催事だ」


「便利な言葉ですね」


記憶を失ったはずのリリスが、少し呆れたように目を細めた。


その表情が以前の彼女に重なり、胸の奥が温かくなる。


「それでこそ、うちの店長だ」


ガルドの声が通信石から響く。


「何をすればいい?」


「帝国中の配給所を開放する。ガルドは従業員と住民を守ってくれ」


「客が多すぎるぞ」


「世界最大の売り場だ。繁忙期だと思え」


「繁忙期に敵兵は出ない!」


「魔王城では出たことがあるだろ」


「三回ほどあったな」


「では通常営業だ」


「どこが通常だ!」


別の通信石から、ゼファーの声が割り込む。


『店長、帝国全土の映像板へ接続した! 広告枠は十五秒でいいか?』


「今から国の運命を話すんだぞ」


『三十秒?』


「広告枠の交渉ではない!」


『では、開店告知へ自然に商品紹介を混ぜる』


「混ぜるな!」


『魔王城百貨店東方店、近日開店!』


「まだ国が残るかも決まっていない!」


『だからこそ、先行予約を』


通信を切った。


ゼファーの商魂は、世界の危機より丈夫らしい。


バルグからは短い報告が届く。


『保存パン、残り二個』


「なぜその在庫を報告した」


『戦略物資だ』


「食料として報告されたことが一度もないぞ」


『今回も、食べる予定はない』


「それを保存食と呼ぶな」


笑っている時間はない。


それでも、仲間たちの変わらない声を聞くと、息がしやすくなる。


俺は最後の線を書き終えた。


「ゼファー。帝国全土へ放送をつなげ」


『いつでもいける』


《白紙の日》まで、五十二分。


中央演算室の映像板に、帝国全土の街が映し出される。


人々は同じ服を着て、同じ建物の前に立っていた。


これから何を命じられるのかと、無表情に空を見上げている。


俺は大きく息を吸った。


「東方統制帝国に暮らす、すべての皆さんへ」


自分の声が、国中の魔導映像板から流れ始める。


「本日限り、帝国全域で百貨店を開店します」


黒瀬が俺を見つめている。


リリスが隣に立つ。


数百万個の記憶が、俺の言葉を待っているように揺れていた。


「お金はいりません」


「国の許可も、正解もありません」


「あなたが欲しい物を、一つだけ選んでください」


正しい商品を、教えてください

帝国全土の配給所が、一斉に開いた。


食料配給所では、いつも箱に入れて渡されていたパンが、棚へ並べられた。


白いパン。


黒いパン。


蜂蜜を使った甘いパン。


衣料配給所では、色の違う布が並ぶ。


赤。


青。


黄。


緑。


花柄。


縞模様。


病院では、患者へ渡されるカップを三種類から選べるようにした。


学校では、子どもたちの机の上へ色鉛筆を並べた。


工房では、捨てられる予定だった端材や金属片を、好きな物へ加工できるよう開放した。


道端では、返品街の農民たちが育てた花が箱ごと置かれた。


売り場はできた。


商品も並んだ。


それでも、人々は動かなかった。


帝都中央広場。


何万人もの市民が、商品棚を前にして立ち尽くしている。


手を伸ばす者は一人もいない。


映像を通しても、彼らの恐怖が伝わってきた。


正解のない問題を突然解けと言われた顔。


「どうして選ばないのです?」


リリスが映像板を見つめる。


「怖いんだ」


「商品を選ぶことが?」


「選んだ後に、何が起きるか分からないからだ」


この国では、自分で選ぶことは法律で禁じられてきた。


配給以外の商品を欲しがれば、監視される。


違う色の服を望めば、再教育の対象になる。


職業も住居も食事も、国が決めてきた。


そんな人々に「自由です」と言ったところで、すぐに手を伸ばせるはずがない。


自由は、扉を開けるだけでは完成しない。


その先へ進んでも罰せられないと信じられるまで、誰かが隣に立つ必要がある。


映像板の向こうで、一人の老人が手を上げた。


「質問があります」


「どうぞ」


俺が答える。


老人の前には、青と白の花が置かれていた。


「どちらが、国にとって正しい花でしょうか」


「国にとっての正解はありません」


「では、家族にとっては?」


「分かりません」


老人の顔が曇る。


「あなたにも、分からないのですか」


「はい」


俺は正直に答えた。


「ですが、あなたが誰を思って選ぶのかは、あなたにしか分かりません」


老人は二つの花を見比べた。


青い花へ手を伸ばしかける。


途中で止まる。


白い花へ移る。


また止まる。


何度も迷った。


誰も急かさなかった。


俺も答えを教えなかった。


長い沈黙の後、老人は青い花を手に取った。


「妻が、若い頃に好きだった色です」


その瞬間。


《ゼロ・マーケット》の中で、一つの光が輝いた。


青い光が中央演算室から飛び出し、配送網へ吸い込まれていく。


帝都の上空を走り、老人の胸へ届いた。


彼の体が震える。


手から花が落ちそうになる。


「思い出した……」


老人の頬を、涙が流れた。


「妻が初めて、この花をくれた日のことを」


広場がざわめく。


老人は花を抱きしめ、声を上げて泣いた。


この国へ来てから初めて聞いた、命令ではない人間の声だった。


「記憶が戻った」


誰かがつぶやく。


一人の女性が、甘いパンへ手を伸ばした。


「私は、これが食べたい」


光が届く。


女性は口元を押さえた。


「母が焼いてくれたパン……」


少年が緑色の鉛筆を選ぶ。


「僕、この色が好きだ」


若い男性が小さな髪飾りを選ぶ。


「母に渡したい」


一人が選ぶと、隣の人も手を伸ばした。


赤い布。


猫柄のカップ。


木で作った笛。


少し欠けた皿。


曲がったキュウリ。


商品として完璧である必要はなかった。


欲しいと思った理由があればいい。


帝国中で、記憶の光が動き始める。


百。


千。


一万。


数百万個の光が、それぞれの配送先へ飛んでいく。


「成功です!」


ミレイアの声が通信石から響く。


「帝国全土で、記憶の返却が始まっています!」


俺は拳を握った。


まだ終わっていない。


《白紙の日》まで、四十一分。


全員が選び終えるには時間が足りない。


そして、《ゼロ・マーケット》がこの事態を見逃すはずもなかった。


中央演算室に、甲高い警報音が鳴り響いた。


《許可されていない選択行動を確認》


《全国規模の統制逸脱を検知》


《反乱と判定》


黒瀬の顔色が変わった。


「まずい」


「何が起きる?」


「《ゼロ・マーケット》は、帝国の秩序を守るために作られている」


装置の内部で、赤い光が走る。


《全自動鎮圧兵器、起動》


映像板の中で、帝国各地の地下扉が開いていく。


秩序騎兵。


大型魔導戦車。


空を飛ぶ監視兵。


街を守るために設置されていたすべての兵器が、商品を選んだ国民へ向けて動き始めた。


《選択者を排除する》


冷たい機械音が、帝国全土へ響いた。


百貨店は、戦場より忙しい

最初に動いたのは、魔王ヴァルディスだった。


帝都中央広場へ向かう巨大魔導兵器の前へ、黒い翼を広げて降り立つ。


『買い物中の客を襲うとは、礼儀のなっておらぬ国だ!』


魔王の拳が、魔導兵器の正面装甲を砕いた。


その隣を、勇者アルトの光の斬撃が走る。


『ここは俺たちが守ります! 買い物を続けてください!』


「戦闘中に買い物を続けろという勇者は初めてだな」


俺がつぶやくと、リリスが魔糸を構えながら答えた。


「戦闘中に百貨店を開く店長も初めてだと思います」


「世界初は宣伝になる」


「ゼファーの影響を受けていますよ」


映像板には、帝国中の戦いが映っている。


北部の配給所では、ガルドが従業員たちを率いていた。


「買い物かごを盾にしろ!」


『店長、かごは商品ではないのか!』


通信石から怒鳴り声が届く。


「備品だ。壊すな!」


『敵の槍を受けながら、備品を守れと言うのか!』


「繁忙期は備品が足りなくなる!」


『今は戦争だ!』


「お客様がいる限り営業中だ!」


ガルドは何か叫びながら、秩序騎兵を買い物かごごと投げ飛ばした。


「かごがへこんだぞ!」


『後で始末書を書く!』


「反省文は最低三行だ!」


『世界を救った後で細かい!』


南部では、バルグが食料と回復薬の配送を続けている。


秩序騎兵が倉庫の扉へ迫る。


バルグは例の保存パンを取り出した。


「まさか」


リリスが映像板を見つめる。


バルグは巨大なパンを、扉の取っ手へ差し込んだ。


硬すぎるパンが鉄扉を固定し、騎兵の侵入を止める。


『防壁、完成』


「また食べ物以外の役割で活躍した!」


俺の声へ、バルグは真顔で答える。


『食べなければ長く使える』


「保存食の定義を変えるな!」


バルグの隣では、返品街の料理人たちが甘いパンを配っていた。


人々はパンを選び、記憶を取り戻す。


硬いパンは戦場を守り、柔らかいパンは心を取り戻していた。


食品売り場としては、少々役割分担がおかしい。


西部の工業都市では、ゼファーが全大陸の商人へ通信を送っていた。


『現在、東方統制帝国では革命記念セールを開催中!』


「セールではない!」


『選択商品一個につき、記憶一個を無料配送!』


「事実だが、宣伝文句にするな!」


『協力商人には、東方市場への優先出店権を』


ミレイアが通信へ割り込む。


『その許可を出すのは私です!』


『殿下、事後承認で』


『認めません!』


『では共同企画ということで』


『勝手に共同にしないでください!』


口では争っているが、ゼファーの呼びかけに応じて、世界中の商人が動き始めた。


エルフの薬草。


ドワーフの工具。


人間の国の衣服。


魔王領の保存食。


選択肢が足りない地域へ、商品が次々と運ばれていく。


戦争のためではない。


人々が、自分の記憶を取り戻すために。


「店長」


リリスが中枢を見上げる。


「返却率、七十二パーセントです」


《白紙の日》まで、二十三分。


「間に合わない」


残り二十八パーセント。


百万人を超える人々が、まだ商品を選べていない。


物理的に売り場へ来られない人もいる。


病院の患者。


牢に閉じ込められた人。


辺境の村。


《返品街》へ送られた人々。


そもそも、自分に選ぶ資格がないと思い込んでいる人たち。


「配送網を広げる」


俺は制御卓へ手を置いた。


「商品が売り場へ来られないなら、売り場をお客様のところへ運ぶ」


「全配送馬車を動かすのですか?」


「馬車だけじゃ足りない」


俺は帝国の在庫画面を切り替える。


使える物はすべて使う。


給食用の荷車。


病院の薬品台。


学校の教材箱。


農場の収穫かご。


工房の材料棚。


一つでも選べる物があれば、そこが売り場になる。


「ゼファー、全配送路を個人宅まで開放しろ!」


『帝国の配送規則では、許可が』


「今から規則を変える!」


『店長、それは行政権の侵害だ』


「ミレイア殿下!」


『許可します!』


「早いな!」


『この国の未来がかかっています!』


『では、東方店の出店許可も』


『それは別です!』


ゼファーの野望は阻止されたが、配送路は開いた。


商品を積んだ荷車が街を走る。


動けない患者の寝台へ、三色の花が運ばれる。


牢の中へ、二種類のパンが差し入れられる。


雪深い村へ、赤と青の毛布が届く。


選択の光が、再び増え始めた。


「八十一パーセント」


リリスが告げる。


《白紙の日》まで、十五分。


「八十八」


十二分。


「九十三」


九分。


その時、中央演算室が大きく揺れた。


天井から光の管が落下する。


リリスの魔糸が俺の腰へ巻きつき、後方へ引いた。


直後、さっきまで立っていた場所へ鉄柱が突き刺さる。


「またですか!」


「今回は避けようとした!」


「結果が伴っていません!」


《ゼロ・マーケット》の中枢が赤く点滅している。


記憶を返却するほど、装置は制御を失っていく。


黒瀬が制御卓へ駆け寄った。


「演算負荷が限界を超えている」


「停止できないのか」


「選択が続く限り、反乱鎮圧命令は解除されない」


「管理者権限は?」


「ある」


「なら止めろ!」


黒瀬は動かなかった。


「選択を許せば、また同じことが起きる」


その声には、迷いが残っている。


「買い占める者が現れる。価格をつり上げる者が現れる。薬を独占する者が現れる」


彼の目には、今の帝国ではなく、二十三年前の飢饉が映っていた。


薬を手に入れられず、娘を失った日。


黒瀬の時間は、そこから動いていない。


誰にも選ばせない世界では、誰も助けられない

《白紙の日》まで、七分。


返却率、九十五パーセント。


あと五パーセント。


黒瀬は停止鍵を握ったまま、動けずにいる。


「自由を与えれば、また奪い合いが始まる!」


悲鳴に近い声だった。


「人間は、自分の欲望を止められない!」


「そうかもしれない」


俺は否定しなかった。


「買い占める人間は出る。値段をつり上げる商人も出る。間違った商品を選んで、後悔する人もいる」


「なら、なぜ自由を返す!」


「だから、店が必要なんです」


黒瀬が俺を見る。


「誰かが買い占めない仕組みを作る」


必要量を計算する。


購入数を制限する。


不足している場所へ優先して届ける。


価格を監視する。


悪質な商人を排除する。


「届かない人へ、商品を届ける仕組みを作る」


遠い村。


貧しい家庭。


病院。


戦場。


利益が少なくても、必要とする人へ運ぶ。


「失敗したら、改善する」


完全な制度などない。


俺も間違えた。


黒瀬も間違えた。


これから作る店だって、いつか問題を起こす。


「それでも、人間から選ぶ力を奪うんじゃない」


「君は、人間を信じすぎている」


「信じていません」


黒瀬が目を見開く。


「人間は間違える。欲張る。見栄を張る。値段だけで商品を選ぶ。買った後で後悔する」


「なら」


「でも、誰かへ分けることもできる」


俺は映像板を指した。


広場で、甘いパンを選んだ女性が、隣の子どもへ半分渡している。


青い毛布を選んだ老人が、赤い毛布を寒そうな若者へ譲っている。


薬を選んだ男が、自分より重症の患者へ先に渡している。


誰も命令していない。


自分で選び、自分で分けている。


「あなたの娘さんへ、薬を分けなかった世界と同じではありません」


黒瀬の顔が揺れた。


「変わったのではない」


俺は続ける。


「変えようとしているんです」


百貨店は、商品を並べるだけの場所ではない。


作った人と、必要な人をつなぐ。


余っている場所と、足りない場所をつなぐ。


誰かの善意が、途中で消えないように仕組みへ変える。


「あなたが作った配送網も必要です」


黒瀬が顔を上げる。


「《ゼロ・マーケット》が悪かったのではない」


「何を言っている」


「国民を飢えさせなかった仕組みは残すべきです」


必要な食料。


薬。


住居。


命に関わる物は、誰にでも届ける。


そこへ、自分で選べる売り場を加える。


黒瀬の仕組みをすべて否定する必要はない。


間違った部分を直せばいい。


「あなたは、娘さんを救えなかった」


残酷な事実だ。


それでも、目をそらしてはいけない。


「でも、これから救える命はある」


黒瀬の手が震える。


停止鍵へ、娘ミオの小さな姿が映り込んだ。


幻ではない。


彼の記憶だ。


『お父さん』


聞こえるはずのない声が、演算室へ響いた気がした。


『次は、薬を買える家の子になりたい』


黒瀬の目から、涙が落ちる。


「違う」


彼は小さくつぶやいた。


「買える家の子にするのではない」


握っていた停止鍵を、俺へ差し出す。


「誰の家に生まれても、薬が届く世界を作るべきだった」


俺は鍵を受け取った。


「一緒に作りましょう」


黒瀬は答えなかった。


ただ、静かにうなずいた。


俺は停止鍵を制御卓へ差し込む。


《鎮圧兵器、停止》


帝国全土で、秩序騎兵の赤い光が消えた。


人々が歓声を上げる。


《白紙の日》まで、三分。


返却率、九十八パーセント。


「あと二パーセント!」


リリスが叫ぶ。


中枢が崩れ始める。


停止した兵器から逆流した魔力が、演算装置へ集中している。


天井の魔法陣が割れ、巨大な光の塊が落下する。


「退避しろ!」


黒瀬が俺たちを出口へ押した。


「あなたは!」


「最後の配送処理を行う!」


「一人では無理だ!」


「これは私が作った装置だ!」


黒瀬は制御卓へ両手を置いた。


「最後まで、私が責任を持つ」


その顔から、統治者の仮面が消えていた。


そこにいたのは、娘を救えなかった父親ではない。


今度こそ、誰かへ必要な物を届けようとする一人の物流責任者だった。


「高城君!」


黒瀬が叫ぶ。


「売り場を閉めるな!」


「ああ!」


「誰にも選ばせない世界へ、戻すな!」


「約束します!」


俺とリリスは演算室を飛び出した。


背後で、数百万の光が最後の配送先へ向かって飛んでいく。


返却率。


九十九パーセント。


九十九・五。


九十九・九。


最後の一つが動かない。


その光に映っていたのは、リリスだった。


「なぜ、私の記憶だけが」


リリスが立ち止まる。


《返却条件未達成》


《選択対象を確認できません》


好きな色は赤を選んだ。


それだけでは足りない。


装置に保存されている彼女の記憶は、もっと深い選択と結びついている。


誰を信じるか。


誰と未来を歩きたいか。


「好きなものカード」


俺は胸元からカードを取り出した。


《大切な人 高城直人》


だが、書かれた名前だけでは、本人の選択にはならない。


「リリス」


塔が大きく傾く。


床が崩れ、下から炎が吹き上がる。


彼女が俺を見る。


「選んでくれ」


「何をです?」


「これから、誰と生きるかを」


あまりにも格好のつかない告白だった。


崩壊する塔。


迫る炎。


残り時間。


商品の説明も、比較する余裕もない。


バイヤーとしては最低の売り場だ。


「店長」


リリスが、困ったように笑った。


今度は、確かに笑った。


「告白する場所を、もう少し選べませんでしたか?」


「時間切れだ」


「返品はできます?」


「受け付けない」


「横暴ですね」


彼女は赤いリボンを髪へ結んだ。


そして、自分の手を俺へ差し出した。


「では、選びます」


「何を?」


「あなたと、同じ売り場に立つ未来を」


俺はその手を握った。


瞬間。


最後の光が、リリスの胸へ飛び込んだ。


白い光が彼女を包む。


赤いリボン。


船で触れた手。


夜市で食べたパン。


魔王城百貨店の売り場。


仲間たちの笑顔。


俺を守るために飛び込んだ、あの瞬間。


すべてが彼女の中へ戻っていく。


リリスの瞳から涙がこぼれた。


「思い出しました」


「全部か?」


「はい」


彼女は泣きながら笑う。


「店長が、最初から最後まで鈍かったことも」


「そこから思い出すのか」


「私がどれだけ分かりやすくしたと思っているんです?」


「非売品と言われただけだぞ」


「十分でしょう!」


床が崩れる。


俺たちは同時に走り出した。


「話は外で続けよう!」


「逃げないでくださいね!」


「今は物理的に逃げている!」


「そういう意味ではありません!」


魔糸が出口へ伸びる。


リリスが俺の体を引き寄せる。


背後で中央塔が崩壊する。


最後の配送完了を示す音が、帝国全土へ響いた。


《記憶返却率、百パーセント》


《白紙の日、停止》


俺たちは魔糸を伝い、崩れ落ちる塔から飛び出した。


帰る場所は、もう決めた

俺たちが着地した直後、中央塔は完全に崩れ落ちた。


巨大な白い塔が、朝焼けの中で静かに沈んでいく。


帝都中に立ちこめた砂煙。


けれど、誰も逃げていなかった。


人々は自分で選んだ商品を抱え、空を見上げていた。


泣く人。


笑う人。


家族の名前を呼ぶ人。


互いに抱き合う人。


自分の過去を取り戻し、これからの未来を選ぼうとしている。


「終わったのか」


ガルドが剣を肩へ担いで近づいてきた。


額には傷がある。


片手には、なぜかクリームパンの袋を持っていた。


「それは?」


「負傷者用の食料だ」


「自分で食べているぞ」


「毒見だ」


「三個目だろ」


「毒の蓄積を確認している」


最後まで認める気はないらしい。


バルグは猫柄のカップを無事に抱えていた。


保存パンはなくなっている。


「パンは?」


俺が尋ねる。


「帝国を救った」


「食べられないまま伝説になったな」


「次は、さらに硬くする」


「柔らかくする方向を考えろ!」


ゼファーはすでに人々へ紙を配っている。


「何をしている?」


「新生東方自由連邦、最初の百貨店の会員募集」


「国名まで勝手に決めるな!」


ミレイアが紙を奪い取る。


「新政府の名称は、これから国民が選びます!」


「では候補を商品化して投票券を」


「今すぐ商売から離れてください!」


騒がしい。


間違いもある。


誰も同じ方向を向いていない。


それでも、その光景がたまらなく愛おしかった。


リリスが俺の隣へ立つ。


髪には赤いリボン。


紫色の瞳には、以前と同じ光が戻っている。


「店長」


「何だ」


「日本へ帰れるとしても、私と一緒に来ますか?」


第3話の夜市で聞かれた質問だった。


あの時、俺は答えられなかった。


日本に残してきた家族。


街。


百貨店。


思い出。


帰りたい気持ちがなくなったわけではない。


過去を捨てる必要もない。


それでも。


今、自分が立ちたい売り場は分かっている。


「帰る場所は、もう決めた」


俺はリリスの手を取った。


「俺は、君と同じ売り場に立ち続けたい」


彼女の瞳が揺れた。


涙が一粒こぼれる。


「告白まで、在庫管理みたいですね」


「悪かったな。バイヤーなんだ」


「では、返品は受け付けません」


「保証期間は?」


「一生です」


「ずいぶん長いな」


「嫌ですか?」


「いや」


俺は彼女の手を握り直した。


「それを選ぶ」


リリスが笑った。


今度は、誰にも奪われない笑顔だった。


最初のお客様が選んだもの

数か月後。


東方統制帝国は、国民投票によって《東方自由連邦》という名を選んだ。


必要な食料、薬、住居は、これまでどおり公平に届けられる。


そのうえで、人々は服や食事、仕事、住む町を自分で選べるようになった。


すぐにすべてがうまくいったわけではない。


人気商品には行列ができた。


売れ残りも出た。


自分で選んだ服を翌日に返品する客もいた。


初めて値段交渉を覚えた市民たちが、ゼファーを相手に三時間粘り、彼を泣かせる事件も起きた。


「自由には、交渉時間の上限が必要だ」


ゼファーは真剣に訴えた。


「それを決めると、また統制が始まるぞ」


俺が答えると、彼は頭を抱えた。


黒瀬征司は生きていた。


崩壊した中央塔の地下から、魔王と勇者によって救出された。


彼は自分の行ったことへの処罰を受け、監視下に置かれながら物流顧問として復興に協力している。


食料と薬を誰にでも届ける仕組み。


買い占めを防ぐ仕組み。


そこへ、人々が選び直せる売り場を加えた。


黒瀬と俺の物流は、初めて同じ方向へ動き始めた。


そして今日。


東の大陸で最初の百貨店が開店する。


入口の上には、大きな文字が掲げられていた。


ようこそ。あなたが選ぶ未来へ。


扉の前には、長い列ができている。


「店長、開店時間です」


赤いリボンを髪に結んだリリスが、俺の隣で言った。


「緊張しているのか?」


「まさか」


「手が震えている」


「店長の手です」


「俺か」


二人とも少し震えていた。


魔王と勇者の戦いより。


中央塔への突入より。


新しい店の扉を開く瞬間のほうが、なぜか緊張する。


「開けましょう」


「ああ」


俺たちは一緒に扉を開いた。


店のベルが鳴る。


カラン。


最初に入ってきたのは、小さな少女だった。


第1話で赤いリボンを欲しがり、母親に口を塞がれた少女。


あの後、再教育施設に連れていかれていたが、夜市の住民たちによって救出されていた。


少女は母親と手をつなぎ、色とりどりのリボンが並ぶ売り場へ向かう。


赤。


青。


黄色。


白。


緑。


何十種類ものリボン。


少女は長い時間、棚の前で迷った。


母親は何も言わない。


店員も、どれが似合うか教えない。


俺たちも待った。


迷っていい。


選び直していい。


自分の心が答えを見つけるまで、誰も急かさない。


やがて少女は、一本のリボンを手に取った。


あの日と同じ、赤いリボン。


「これにします」


少女が言う。


「自分で使うの?」


リリスが尋ねると、少女は首を横に振った。


そして、隣にいる母親を見上げた。


「お母さんに、あげたいです」


母親の目から、涙があふれた。


欲しい物を選ぶだけではない。


大切な人へ贈りたい物を、自分で選んだ。


少女はもう一度、赤いリボンを差し出す。


「これをください」


俺は笑顔で商品を受け取った。


「ありがとうございます」


隣では、同じ赤いリボンを髪に結んだリリスが微笑んでいる。


少女が自分の意志で選んだ、その瞬間。


店のベルが鳴った。


カラン。


それは、ただ開店を知らせる鐘ではなかった。


誰かに決められていた世界が終わり。


一人ひとりが、自分の人生を選び始めたことを知らせる鐘だった。


俺は少女と母親へ、赤いリボンを手渡した。


そして、新しい売り場へ入ってくるすべての人へ告げる。


「いらっしゃいませ」


迷っている人へ。


選ぶことを怖がっている人へ。


一度間違え、自分を責めている人へ。


「あなたが選んだ未来は、こちらです」


第5話・完

『転生バイヤー、魔王城百貨店をはじめますⅡ』完

あとがき


ここまで**『転生バイヤー、魔王城百貨店をはじめますⅡ』売れ残りゼロの帝国で、「選ぶ自由」を取り戻した話**を読んでくださり、ありがとうございました。


前作では、売れ残りばかりだった魔王城を舞台に、直人たちが「どうすれば商品を手に取ってもらえるのか」を考え続けました。


そして今回は、まったく逆の場所から物語を始めました。


売れ残りが、一つもない帝国。


一見すれば、商売人にとって理想の世界です。


在庫は余らない。

無駄はない。

必要なものが、必要な人へ届く。


けれど、そこから「迷うこと」まで消してしまったら。


「どれが好きだろう」


「こっちも気になる」


「失敗するかもしれないけれど、これが欲しい」


そんな気持ちまで失われてしまったら。


それは本当に、豊かな買い物なのだろうか。


この物語で描きたかったのは、商品そのものよりも、


「自分で選ぶ」という小さな自由でした。


赤いリボン。


香水。


蜂蜜パン。


誰かにとっては、ただの商品かもしれません。


でも、それを「好き」と思った記憶や、大切な人と一緒に選んだ時間まで含めれば、そこにはその人だけの人生があります。


だから直人は、売上や効率だけではなく、人が迷い、選び、時には失敗できる売り場を守ろうとしました。


そしてリリスとの物語も、今回は大きく動きました。


大切な人に自分を忘れられる。


好きだったものも、思い出も失われていく。


そんな中で直人が選んだのは、「元に戻せ」と押しつけることではありませんでした。


もう一度。


リリス自身に選んでもらうこと。


その積み重ねこそが、今回の物語の中心だったと思っています。


商売は、正解を売る仕事ではありません。


時には、


「どちらでもいいですよ」


「迷っても大丈夫です」


「やっぱり違ったと思ったら、選び直してもいい」


そう言える場所を作ることも、店の役割なのかもしれません。


もし今回の物語を読んで、


「選べることって、思っていたより大切なのかもしれない」


そんなことを少しでも感じていただけたなら、とても嬉しいです。


そしてもちろん。


直人とリリス。


ガルドたち。


魔王城百貨店の物語は、まだ終わりません。


百貨店が大きくなればなるほど、新しい商品も、新しい客も、新しい問題もやってきます。


次に直人たちが向き合うのは、


「売る自由」のその先にあるもの。


誰が値段を決めるのか。


誰が価値を決めるのか。


そして、本当に必要なものとは何なのか。


また少し厄介で、少し笑えて、少しだけ胸が痛くなる物語をお届けできればと思っています。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


感想や印象に残った場面がありましたら、コメントでもメッセージでも、どちらか一つだけでも聞かせていただけると嬉しいです。


それではまた、


魔王城百貨店の次の売り場で。

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