①ビッグフット、現る
「お母さんね、この方と再婚しようと思うの」
頬を赤らめながら照れくさそうに言う母の隣にいるのは……一体何者なのだろう?
失礼である事を十分承知しているがどう見ても人間には見えない事は確かだ。顔の輪郭はチンパンジーっぽいが、目鼻口のパーツはゴリラに近く、しかも全身が黒い毛で覆われており、更に足が異様にデカい。
「カナダでこの方に出会った時お母さん一目惚れしちゃったの。ああ、私、残りの人生はこの方の側にずっと居たいと」
母は淡々と話すが、俺の頭の中は今でも理解が追い付かない。と言うかこの状況を瞬時に理解出来る者など恐らくいないのでは無いだろうか?
一目惚れ?この得体の知れない生物(と言えるかはまだ定かですら無いが)に一目惚れ?まぁ確かに人の好みはそれぞれだし、ましてや父が亡くなって十年以上は経過している。母も再婚を考えてもおかしくは無いとは思ってはいたが……
それを抜きにして考えてもやはり理解が追い付かない。人間かどうかすら分からない相手を再婚相手に選ぶなど、物凄く失礼である事を承知の上で言うが母よ、『恋は盲目』にも程があるぞ?
「でね?明日にでも二人で市役所に行って婚姻届を提出しようと思うのだけれど……良いかな?」
いやいや?そもそも婚姻届がスムーズに受理される光景が全く目に浮かんで来ないのだが?母よ、正気か?しかも真剣な眼差しで訴えて来ないでくれ。どう反応すれば良いのか返答に迷う。
あ、そうか、思い出した。
これはアレだ。俺の目の前にいるのはビッグフットっぽい何かだ。小学生の頃に読んだ『UMA大辞典』的な本で見た生物にソックリだ。カナダで目撃例のあるUMAと記憶しているから俺の目の前にいるのはほぼ間違い無くビッグフットだ。
へーそっかー実在したんだービッグフットって……。
そんな訳あるか!!
ハッハーそうか、分かったぞ?コイツはアレだ。ドッキリ的な企画か何かに違いない。きっと目の前にいるビッグフット的な生物は着ぐるみに違いない。恐らくは背中にジッパー的な何かがあるに違いない。そもそもこんな姿のままでは飛行機で日本に来れる筈が無い。そう考えると中の人は母が一目惚れする程に相当にイケメンでジョーク好きな男性なのかも知れない。
全く、母もビッグフットの着ぐるみの人も中々手の込んだドッキリを仕掛けて来たものだ。折角だからもう少し茶番にでも付き合ってあげるとするか。
「あー……うんまぁ……良いんじゃない?母さんの人生だし、俺はどうこう言うつもりは無いよ。俺ももう成人してるし、母さんもこれから新しい人生を歩むのも悪く無いんじゃないかな?」
「良いの!?お母さんこの人と結婚しても良いの!?」
母の瞳は物凄く輝いているように見えた。こんなに瞳を輝かせた姿を見るのは恐らく初めてな気がする。余程この人の事に惚れているらしい。父が見たら嫉妬するのでは無いかと思う程にその瞳はキラキラと輝いていた。
「ヤパパロポロポウキュキュンペさん!!私達、夫婦になって良いんだって!!」
実に奇妙な響きの名前だが恐らくは仮名だろう。
「グルホルホルホ!!」
ゴリラっぽいけどゴリラでは無い鳴き声まで随分と凝った演出だなと思う。
なんだか二人が物凄く楽しそうに見えて来たので「ドッキリでしょ?」と聞くのは野暮な気がした。もう暫く母とビッグフットさんの茶番劇を微笑ましく眺めていようと思ったが、
「あ、でも流石にその着ぐるみの姿で市役所に行くのはやめた方が良いと思うよ?絶対警察呼ばれると思うし」
笑いながら言った俺の言葉に二人はキョトンとしていた。
「着ぐるみ?何が?」
母よ……まさかまだ俺を騙し通す気でいるのか?
「いや、どう見てもそのビッグフットさん……だけど?」
「……ビッグフットって何?」
いやいや……そんな真剣な瞳をしながら言われてももうなんか、白々しいとしか言えないぞ?流石に失笑を禁じ得ないぞ?もう茶番劇は終わりにしようぜ?母よ、ビッグフットさんよ。
「いや、目の前にいるじゃん」
「もしかして……ヤパパロポロポウキュキュンペさんの事?」
「うんそうヤパパ……ええっと……」
「ヤパパロポロポウキュキュンペさん」
「うんゴメンな?ちょっと異次元過ぎる名前なんでもうそろそろ本名を名乗って貰って良いかな?」
更に二人はキョトンとした。「え?お前何言ってんの?」な感じの視線で俺を見て来るので流石にイラっとして、
「だからさー?ビッグフットさんの中の人の本名を教えてくれって言ってんの!!」
二人は顔を見合わせて更に首を傾げるポーズをするので、
「あー!!もう!!茶番劇は終わりだよ終わり!!ビッグフット!!良いからとっととその着ぐるみ脱げ!!」
只でさえ連日の酷暑日で暑いのに更に暑くさせないでくれ。俺を熱中症にでもする気か?母よ、ビッグフットよ。
「アンタ……この暑さで頭おかしくなっちゃったの?ヤパパロポロポウキュキュンペさんが着ぐるみに見えるの?」
「着ぐるみで無かったら何だって言うんだよ!!」
……何だか本当に頭がクラクラする思いだ。もうネタバラシしたって構わないだろ?正直に言ってくれれば俺もこんなに声を荒げる事なんて無かったよ。
母とビッグフットは顔を見合わせた後神妙な表情で俺を見返し、
「……救急車呼ぶ?」
「それはコッチの台詞だよッ!!」
喉から血が吹き出そうな勢いで二人に向かって叫んだ後、頭がクラクラして倒れそうになったが何とか耐えた。こんな馬鹿馬鹿しい事で倒れ込んだらそれこそ恥かし過ぎる。
一瞬の静寂の中に蝉の鳴き声が木霊していた。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
松尾芭蕉の声の幻聴を聞いた気がした。
何だかもう、茶番劇を続ける二人を見て一周回って清々しい気分になって来た。思えば父が亡くなって以降、母の顔からは本当の意味での笑顔が消えていた気がする。そんな母が今とても楽しそうにしているのを見ると、ようやく心を許せる相手が見つかったのだなと少し安心する思いがした。そう考えると少しだけ大人げ無かった気もする。
分かったよ、もう俺からは何も言わない。心おきなく二人で茶番劇を楽しんでくれ。楽しみ終わったら本当の事を話してくれ。俺は待つ事にするから。
「ゴメン……ちょっとアツくなり過ぎた。でもマジで市役所には普通の恰好で行ってくれな?それだけは約束してくれ」
そう言って二人の前を後にした。まだ少し頭がクラクラするので自分の部屋で少し休む事にしよう。何とも馬鹿馬鹿しい話だが、二人が楽しいのなら良いかと思い、ベッドの上に横たわった。
ビッグフットさん、起きた時には本当の姿を俺に見せてくれよな。
(続)




