第9話:雨天決行、のち嵐
※今日は18時頃、もう1話更新します。
ダンジョンの入口。
私はいつものルーティンをこなす。
靴紐の締め直し。
ポーションの位置確認。
ナイフのメンテナンス状況。
新調したばかりの手袋は、まだ手に馴染んでいない。
だが、大丈夫だ。
「いつもどおり。問題ない。いける」
と、そこまで呟いた時、視界の端から、私に向かって何かが投げつけられた。
私が難なくそれを受け止めると、
「ナイスキャッチ!」
ニッと笑う颯真くんがそこにいた。
私の手の中にはブラックの缶コーヒー。
颯真くんの手の中にあるのは、カフェオレ。
「……おはようございます、颯真くん」
「おうよ。……しかし、年下の静河に『くん』付けされるのは、相変わらず変な感じだな」
静河くんにとって彼は年上になるが、『私』にしてみれば彼は、あるいは息子と言っても差し支えのない年齢になる。
直そうとも思ったのだが、彼が言ったのだ。
なんかその方が静河らしい、と。
だから直す必要はない、と。
なので、私はそのまま彼をそう呼んでいる。
そして、あの日以来、こうして会えば挨拶を交わし、あるいはこうやってコーヒーを奢られたりする。
そして時には私が彼に奢ることもある。
あの日のように、一緒にダンジョンに向かうことはない。
だが、お互いにこうして、顔を合わせれば、生きていることを確認する、そんな間柄になっていた。
「気をつけろよ、静河。——って静河にそんなことを言うのは野暮ってもんか」
「いえ。先日のこともあります。肝に銘じます」
「んじゃ、またな」
「ええ、また」
また——短い言葉には、お互いに今日を生き抜いて、そしてまた会おうという意味が込められていた。
彼の背中がダンジョンに消えるのを見送り、私は手の中の無糖の缶コーヒーをゆっくりと飲み干す。
頭が冴えていく。
私は深く呼吸をし、最終チェックを行う。
……装備、よし。
……協会が出している最新のモンスター出現情報の確認、よし。
……ダンジョン内の地図、よし。
……体調、よし。
全条件、規定値内。
「……行こう」
今日の目標は、ダンジョン内で摂取する保存食の補充費用と、予備の光源を確保するための資金稼ぎだ。
ルートは前回と同じ中層の手前。
しかし、颯真くんとの一件以来、私は視線の配り方をアップデートした。
足元、壁、そして天井。
これまでもそうしていたが、上方への警戒はことさら注意を払うようになった。
あの時のように、颯真くんはいない。
これまで以上に私は慎重に進んでいく。
そのせいで効率が多少落ちることになっても構わない。
大事なことは、生き残ることなのだから。
予定時刻にはまだ余裕がある。
目標はすでに3割達成している。
このままいけば、夕方にはスーパーに寄って、特売の鶏肉と野菜を買って帰れるだろう。
鍋にするのもいいかもしれない。
そんな、ささやかながらも確実な『いつもの今日』が続くはずだった。
その悲鳴が耳朶を震わせるまでは。
「いやだ、助けて! 誰か……っ!!」
「足が! 僕の足がぁ……!」
若い声。おそらく高校生くらいか。
つまり、静河くんと同年代ということになる。
静河くんとして生きている私がこうして探索者として活動しているように、18歳に達していれば、探索者になること自体は可能だ。
理想通りの名声が得られるかどうかは別にして。
場所は——。
「……なるほど、崩落が起きやすいエリアか」
脳内に展開したダンジョンマップを確認し、私は思わず嘆息してしまう。
どうする?
ダンジョンは自己責任の世界だ。
探索者になった際、しつこいくらい念入りに、何度も何度も説明を受けた。
つまり、私に彼らを助ける義務はない。
逆に、私が危機に陥っていたとしても、彼らに私を助ける義務はないのである。
ここで私が彼らを見捨てたとしても、誰にも非難されない。
もっとも、ダンジョンで誰かがいなくなる『事故』は頻繁に起こるわけではないが、決してゼロではない。
だから、たとえ見捨てたとしても、彼らは未帰還者のリストに登録されるだけ。
未帰還者とは、すなわち死亡者リストでもある。
家族が要請すれば、彼らのために捜索隊が組まれることもある。
捜索隊は募集に応じた探索者によるものだが、家族の希望が叶うところを私は見たことがない。
どうする?
再度、私は自分自身に問いかけた。
私の生存戦略では、ここは『動かない』が正解だ。
だというのに、私は動いていた。
英雄になりたいから?
あるいは、感謝されたいから?
違う。
今の私には、彼らを助けるだけの余力がある。
ただ、それだけだ。
ポーションの予備も、体力も、まだ十二分に残っている。
「あるいは——」
こんな状況だというのに、私は笑った。
いや、正確には苦笑か。
今朝、再会した颯真くんの影響。
さらには、胸の奥に宿ったあたたかさ。
それが今の私を動かしているのかもしれなかった。
声がした方に走れば、そこには、崩れた瓦礫に足を挟まれた少年と、土気色した顔の少女がいた。
毒を受けたか?
そしてそこにいたのは彼らだけでなく、彼らを狙うモンスターの姿もあった。
ヴァーミンラット。
直訳すれば、害獣ネズミ。
要するに、大型犬ほどのネズミだ。
奴らは群れで行動する。
一匹だけか? 他にいないか?
私は周囲を素早く索敵する。
一つのミスが致命的になる。
慎重に、しかし時間は有限。
こうしている間にも、彼らの生存可能性は目減りしていく。
「………………よし、こいつだけだ」
彼らが倒したのか、あるいはこいつがハグレか。
どちらでも構わない。
私は無言で石を投げ、ヴァーミットラットの注意を逸らした。
その隙に背後へ回り込み、急所に向かってナイフを突き立てた。
ナイフを通じて、命が失われていく感覚が伝わってくる。
こればかりは、いくら経験しても、慣れない。
ヴァーミットラットが普通の動物ではない証拠に、淡い光を放って消滅。
後には魔石が残った。
私はそれを拾い上げると、彼らの元へ駆け寄った。
「ひっ、あ、あ……」
パニックに陥り、過呼吸気味になっている彼ら。
「大丈夫です。落ち着いて。今、処置をします」
かつて、理不尽な要求を突きつけてくる顧客に対し、決して感情的にならず、事実と解決策だけを提示して場を収めてきた、あの頃のトーンで語りかける。
まずは瓦礫をどかす。
「すぐに楽になりますから」
私はバックパックから取り出したヒールポーションの封を切る。
ちょっとした怪我が治るような安物——低ランクではない。
自分用の命綱として購入した、大怪我でもたちどころに直す中ランク。
目標通りに魔石を回収できていたらよかったが、これでは今日の探索は赤字だ。
それでも、私は目の前の彼にヒールポーションを使った。
呼吸が浅くなってきた少女には、急いで毒消し用のキュアポーションを使用する。
「立てますか?」
「は、はい……大丈夫です」
さすが中ランクポーションである。
それでも血がだいぶ失われたせいか、彼の足元はおぼつかない。
ヒールポーションでは、怪我は回復するが、失った血液まで補ってくれるわけではない。
「肩を貸します」
負傷した探索者を加えての帰還は、想定した以上に困難だった。
負傷者がいる状況は、一人の時とは比べ物にならないほど神経を使う。
血の匂いに誘われて寄ってくるモンスターを、彼らにも手伝ってもらいながら、追い払う。
私自身も負傷した。
それでも私たちは地上に戻ってくることができた。
日はとっぷりと暮れていたが、生きて帰ることができたのだ。
彼らを協会員に預け、さらに報告を済ませると、私はロビーの外れにあるベンチに深く腰を下ろした。
「……やってしまった」
今日の稼ぎはゼロ。
彼らに使用した分と自分に使った分のポーション代、装備の修理費、それにクリーニング代を考えれば、大幅すぎる赤字だ。
今夜の鍋は当然お預けだし、明日からの食事もしばらくは切り詰めた方がよさそうだ。
貯金を切り崩せばいける。
しかし、先々のことを考えれば、それはできない。
窓の外を見る。
星が輝いていた。
「……まあ、こういう日もある」
まさか自分が、こんなふうに誰かを助けるために体を張る日が来るとは思ってもいなかった。
自分のことながら驚きである。
だが、不思議と嫌な気持ちではなかった。
私は一人、静かに息を吐いた。
「……帰ろう」
今日は何も考えずに、ただただ眠りたい。
「しかし、さすがにシャワーくらいは浴びないと」
苦笑して立ち上がろうとした時だった。
私の前に立ちふさがる複数の人影。
「あなたね! 息子に余計なことをしてくれたのは!」
そう告げる人物の後ろに、私が助けた少年たちの姿があった。
なるほど、どうやら彼らの親らしい。
感謝の言葉を期待していたわけではない。
だが、この言葉はあまりにも予想外過ぎて、私は呆気にとられてしまった。
「息子が言ってたわ! あなたが無理やり動かしたせいで怪我が悪化したって!」
「うちの娘にも同意もなく勝手なことをしたそうね! 変な後遺症が残ったらどうしてくれるの!?」
「訴えますからね! 覚悟しなさい!」
自分の身を削って、彼らを生かした。
その結果が——訴訟?
疲れと呆れ、その両方が一遍に襲いかかってくる。
「……なるほど。これが余計なことをした結果。しかし、さすがにこれは予想できなかった」
「何ブツブツ言っているの!?」
どこの世界にもこういうクレーマーみたいな存在は実在する。
実際、かつての『私』も対応したことがある。
私は短く息を吐き出し、思考をクリアにする。
帰って寝る前に、まだ片付けなければいけない業務があるようだ。
「では、私は彼らに対し、相応の精算を求めさせていただきます」
「は?あなた何を言って——」
「まず、彼らに使用したポーションについて。これは不測の事態に備え、私が自己資本で調達していた備品、いわば私的資産です。救助というイレギュラーな業務にこれを充当した以上、原価の補填を求めるのは当然の権利です」
そして、と私は続ける。
「次に、本日の救助対応により、本来予定していた私の探索業務が阻害されました。これにより喪失した機会利益——つまり、私が今日一日で得るはずだった期待報酬の全額を、彼らに請求させていただきます」
「は?」
「要するに、正当な権利に基づく損害賠償請求です。手続きを進めさせていただきますね」
「そ、そんなのたかが知れてるでしょ!? 見たところあなただってうちの息子と変わらない年齢に見え——」
「確かに。年齢という属性だけを評価対象とするならば、そう見えるかもしれません」
と言ったのは、私ではない。
権藤さんである。
騒ぎを聞きつけたのだろう。
彼は書類を手に、冷徹なまでのプロの顔でこちらへ歩み寄ってきた。
「しかし、彼はあなたがたのご子息方とは異なり、当協会において極めて高い『稼働信頼性』を持つ探索者だ。我々協会側も、彼の着実な成果には高い評価を与えている。その彼が一日一現場で生み出す『期待収益』――それを個人が全額補償するとなれば、相当なコストを覚悟していただくことになる」
また、と権藤さんは言葉を切って、相手の顔を正面から見据えた。
「さらに付け加えるなら、不当な訴訟が提起された場合、当協会は所属探索者の権利を守る義務があります。係争中、彼の業務に支障が出るのであれば、その期間の『営業損失』についても、当然ながら賠償の対象として精査させていただくことになるでしょう」
少年たちの顔色が悪くなる。
おそらく、自分たちと対して年齢が変わらない私のことなど、取るに足りない存在であると思ったのだろう。
だから、自分たちが親に怒られないよう嘘をつき、私を悪者に仕立て上げようとしたに違いない。
「何より、探索者の活動は自己責任。探索者に他の探索者の救助をするという義務はありません」
協会員、しかも権藤さんのような立場の方に断言され、少年たちの親はお互いに顔を見合わせ、その場を立ち去ろうとした。
「待ってください。彼に謝罪がまだ——」
そう告げる権藤さんの言葉を、私は遮った。
「もういいです、権藤さん。大丈夫です」
「だが」
「本当に。彼らは去りました。なら、充分です」
とことんやり込めたいわけではない。
窮鼠猫を噛むではないが、追い詰めすぎて、余計なリスクが発生する可能性は排除しておきたい。
だから、これでいい。
ひとまず訴訟は回避されたのだから。
だが、再び関わってくるようなことがあるなら、その時は——。
「……君は人が良すぎる」
「そんなことはないと思いますが」
私の答えがお気に召さなかったらしい。
権藤さんは呆れたように首を振った。
「……これからは探索者登録の際、自己責任の確認を徹底しておこう」
後日、彼らが再びダンジョンに潜り、そのまま未帰還者リストに名を連ねることになるのだが、それはまた別の話だ。
「ありがとうございました」
私は権藤さんに礼を告げ、宿舎に戻る。
今日は疲れた。
颯真くんに影響され、そして胸に宿ったあたたかさに突き動かされ、らしくないことをしてしまった。
今後は気をつけよう。
シャワーを浴びると、ベッドに潜り込み、眠りについた。
夢も見なかった。
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