第28話:現場の共通言語
油と鉄粉が入り混じった匂いが、作業場の冷たい空気に溶け込んでいた。
図面と仕様書の最終確認を終え、老人——種田氏が旋盤の前に立つ。
スイッチを入れると、重低音の駆動音が響き始めた。
私は作業台の隅を借り、持ち込んだダンジョン産鉱物のサンプルを等間隔に並べていく。
種田精密に大規模な生産ラインは存在しない。
現場で機械を動かしているのは社長である種田氏と若手の二名のみであり、奥の事務所に経理や軽作業を担う者が数名いる程度の、顔が見える範囲の超小規模体制だ。
今後この限られたリソースで私の要求する安定供給を満たすには、徹底した工数管理が必須となる。
完成後の動作検証の手順を頭の中で組み立てながら、要求した仕様通りに部品が仕上がるのを待った。
数十分が経過し、旋盤の削り音が、一定のリズムから微かに甲高い音へと変化した。
私は種田氏の手元へ視線を向ける。
彼が削り出しているのは、バッテリーと発振器を内蔵した円筒形の本体に取り付ける、超音波振動の伝達を担う、先端接触部である振動ホーンだ。
対象の極大硬度装甲へ直接押し当てるこの部位は、激しい摩擦と金属疲労により数回の使用で確実に摩耗するため、鋭利な刃ではなく鈍角な金属の平面として設計し、定期交換を前提とした使い捨ての消耗品としている。
彼の指先は、仕様書で指定した公差の範囲をすでにクリアしているはずのその消耗部品を、さらに細かく削り込んでいた。
それに留まらず、工程表には記載のない研磨用のヤスリを手に取ろうとしている。
接触面をミクロン単位で平滑に磨き上げ、超音波の伝達効率を極限まで高めようというのだろう。
それは、よかれと思っての無償の品質の向上なのだと考える。
彼が職人であることを考えれば、理解はできる。
しかし、私が依頼した今回の件においては、工数の無駄だ。
ダンジョンでの消耗を前提とした設計においては、むしろ不要な過剰性能だ。
私の計算では、その追加工程は今後の量産化において致命的な遅延を招く。
ゆえに、彼に伝える必要があった。
「種田さん、そこは仕様書通りでお願いできますか」
私の言葉に、種田氏の手が止まった。
駆動音だけが響く中、鉄の粉が舞う作業場に、冷ややかな空気が充満していくのを感じた。
「……仕様書通りの強度じゃ、現場ですぐに駄目になる。俺のやり方なら、もっと長持ちする」
種田氏が旋盤から振り向き、低い声で言った。
私は彼の手にある部品の削り出し面を見つめる。
「その精度は必要ありません。研磨に時間をかける分、工数が無駄に消費されます。これは芸術品ではなく、消耗品です」
私が事実を告げると、種田氏の顔に明確な不快感が浮かび上がった。
「道具への敬意がない」
彼はヤスリを作業台に置いた。金属同士がぶつかる鋭い音が響く。
「敬意で工程は管理できません」
「なら俺のやり方に口を出すな。依頼人が職人の手を止めるような仕事は、受けられない」
私は息を吐いた。
彼の矜持は理解できる。
だから、怒りや苛立ちといった気持ちは沸かない。
ただ、私は頭の中で計算をする。
ここで私が折れて彼のやり方を容認すれば、今回の試作品は完成するだろう。
だが、ダンジョンの環境下でこの機材は必ず摩耗し、再発注が必要になる。
仕様書を遵守できない外注先を事業の根幹に組み込めば、中長期的なコストは雪だるま式に膨れ上がる。
投資対効果が見込めない。
ならどうする?
答えは一つしかなかった。
ここで損切りをするのが最適解である。
「……わかりました。依頼は取り下げます」
私はバックパックの留め具を外し、作業台に並べていた鉱物サンプルをしまい始める。
種田氏は腕を組み、口を真一文字に結んだまま何も言わない。
彼はそれでいい。
私がバックパックを背負い、
「ありがとうございました」
皮肉ではない。
大手メーカーでは、仕様書を見もしなかったが、彼は私の仕様書に赤を入れた。
その事実は変わらない。
私は彼に向かって一礼し、出口へ向けて歩き出す。
「あの」
背後から、少し上ずった若い声が響いた。
振り返ると、部屋の隅で雑務をこなしていた若者が、作業用の軍手を握りしめながらこちらを見ていた。
「なんで、そこまでこだわるんでしょう。社長も、静河さんも。後学のためにも……教えていただけませんか」
私が立ち止まれば、種田氏が口を開いた。
「……道具には作り手の名前が宿る。指定以上の仕上げが職人の誠実さだ。それを無駄だと切り捨てる奴に、俺の道具は使わせられない」
彼の、職人としての信念は理解できるし、地上においては正しいと私は思う。
「……私がそれを持ち込むのはダンジョンです」
私は若者に向き直り、続けた。
「ダンジョンの中では、地上の常識は通用しません。今回、私が相手にするモンスターの装甲は、名工が仕上げた刃も、妥協した刃も、そして魔剣であっても、等しく一瞬で潰すほどの硬度を持っています。だから私は最初から、消耗することを前提に設計しているのです」
冷たい作業場の空気に、沈黙が降りた。
油の匂いが微かに鼻を掠める。
若者が呟く。
「……どちらも、正しいんですね」
否定はしない。
ただ、種田氏の考え方が、私の最適解ではなかったというだけだ。
話は終わった。
ここにいる理由はもうない。
私は再び一礼して、今度こそここを出ていこうとしたのだが、
「……おい」
種田氏が口を開いた。
「何でしょう?」
呼び止められた。
だから立ち止まった。
しかし、種田氏は腕を組んだまま、そこから先、何も言おうとしない。
急かすつもりはないが、ここで時間を無駄にするつもりもない。
「用がないようでしたら、私は——」
「やる」
「はい?」
「仕様書通りにやると言っている」
種田氏の言葉に、若者が「……言ってないと思いますけど」と小さく漏らし、彼に睨まれていた。
種田氏は白髪の頭を掻きながら、
「ただし、だ」
私を睨みつけるように見据える。
「持ち手だけは俺のやり方でやらせろ。そこだけは譲らん。わかったか」
それは妥協ではなく、彼が引いた実用性における一線なのだろう。
私は頭の中で仕様書を呼び出し、持ち手の形状変更が全体の破砕効率に及ぼす影響を計算する。
干渉はない。
「目的が達成されるなら、加工のアプローチはお任せします」
私が頷くと、種田氏は再び旋盤の前に立ち、
「……お前も用意しろ」
私に背中を向けたまま、そう言って旋盤のスイッチを入れた。
再び重低音が響き始める。
私は作業台に戻った。
夜が明け、すりガラス越しの光が作業場に白く差し込んでいた。
朝の冷え込んだ空気が、徹夜明けの火照った顔を冷やしていく。
種田氏が、図面に描かれていた通りの無骨な金属の塊を、『対極硬度用・高周波解離ユニット』として私の前に置いた。
そのシルエットは、建設現場で見かける大型の充電式ハンマードリルに酷似している。
下部に高出力バッテリーを内蔵するための太いグリップがあり、見た目から推測される重量は片手で扱うには限界に近い3kg弱といったところだ。
先端の振動ホーン部分は、研磨工程を意図的に省かせたため、旋盤による荒々しい加工痕が残る金属の平面となっている。
ドリルのような鋭利な回転刃ではなく、対象の装甲に面で押し当てるための、鈍角な金属の円柱だ。
「銘は入れない」
彼は油まみれの手を布片で拭きながら告げた。
「俺の道具じゃなく、あんたの現場が求めたものだからだ」
「……ええ」
私の応答に、種田氏は私を見る。
厳しい表情だ。
しかし、それが彼の心情を現していないことを、この短期間で私は知っている。
「本当に使えるかどうか、それはあんたが現場で証明しろ」
私はそれを受け取った。
ずしりとした冷たい金属の質量。
それは計算通りの重量だ。
指を滑らせていくと、彼が譲らなかった持ち手の感触が伝わってきた。
先端の無骨さとは対照的に、私の掌の骨格と手首への負荷分散を計算し尽くしたかのように、仕様書の無機質な数値よりも、明らかに手のひらに吸い付くように馴染んだ。
「……確かに受け取りました」
私の言葉に、種田氏は小さく頷いた。
「ありがとうございました」
そうして私は種田精密を後にした。
少し離れた場所にいた若者が、私に向かって一礼するのが視界の端に写った。
さすがに今日、こんな状態でダンジョンに行くことはできない。
私がダンジョンに向かうのは、他の探索者のように名を挙げ、英雄のようになりたいからではない。
私が私として生きていくためだ。
宿舎の自室に戻り、重い体をベッドへと投げ出す。
仰向けのまま、視線を机の上に向ける。
そこには持ち帰ったばかりの完成品があった。
冷たい金属の表面が、鈍く光を反射している。
机上の計算と、職人の技術。
この投資が正しい利益を生み出すのか、それとも不良債権と化すのか。
「……すべての結果は、現場でしかわからない」
私は静かに目を閉じた。
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