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元社畜は慎重さと準備を武器に、搾取する幼馴染や家族を切り捨て、ダンジョンで自立した平穏を勝ち取る  作者: 日富美信吾
第3部

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第27話:仕様書という名の挑戦状

 夜、いつもの業務を終え、さらに食事をしたあと、私は宿舎の備え付けの安っぽい化粧板の机に向かっていた。


 手元にあるのは白紙の設計図面だ。


 先日、緊急依頼を受けて、資金は確保した。


 次の段階は、中層に存在する『金剛石の回廊(アダマント・ロード)』と呼ばれるエリアを安定した収益源へと変えるための、投資フェーズへの移行である。


 あの階層に生息するフォートレス・アイソポッドから得られる魔石は、工業用コーティング材として市場で常に供給不足となっており、極めて高い利益率が見込める。


 だが、その多層装甲を削り取るには、既存の刃物ではあまりに効率が悪い。


 私は机に定規を当て、直線を引いた。


 必要なのは、武器ではない。


 解体用の専用機材だ。


 私が考えているのは、工業用超音波溶着機の回路を転用した、高周波共鳴による分子結合解離ユニット。


 かつての『私』の記憶の底にある知識を引っ張り出し、ダンジョンの異常環境、高湿度と高硬度を前提とした要求スペックを書き出していく。


 定格荷重の計算。


 モンスターの聴覚器官を刺激しないための、無音破砕の要件。


 不測の事態を想定した安全マージンの取り方。


 手首への負荷分散の数式。


 数時間の作業の末、図面が完成する。


 魔剣にあるような、美しい流線型のデザインや、過剰な装飾は一切ない。


 しかし、


「これは私が生きていくために必要な道具だ」


 次の工程は、これを物理的な機材として実装できる外注先の確保だが、さすがにこの時間ではメーカーも営業時間外である。


 問い合わせフォームに投げるよりも、翌朝の営業開始時刻に直接オペレーターと対話する方が、要件を正確に伝達できるはずだ。


 私はそう考えて、照明を落とすと、明日に備えて眠りについた。




 翌朝。


 通常業務、つまりダンジョンに赴く前に、私はスマートフォンを操作した。


 あらかじめリストアップしておいた大手産業機器メーカーの総合受付窓口へと発信する。


 保留音を経て繋がったオペレーターに対し、私は要件を簡潔に伝える。


 新規の破砕ユニット開発案件であること。


 要求仕様書はすでに完成していること。


 初期投資の資金は確保済みであること。


 滞りなく口から出たそれらの単語は、かつての『私』が日常的に使用していた言語だ。


 オペレーターは手慣れた様子で応対し、そのまま法人向け特注開発部門の担当者との面会日時が数日後に設定された。


 オペレーターは私の用いる語彙と明確な要件定義から、こちらを企業からの案件だと分類したのだろう。


 そして私は、自分が個人事業主である探索者だと、あえて訂正しなかった。


 受付のフィルターを突破しなければ、仕様書を見てもらう機会すら得られないからだ。




 数日後の指定された時刻。


 私は、ガラス張りの高層ビルの一階、その広大なエントランスに足を踏み入れた。


 受付で名前を告げ、案内された応接ブースのソファに腰を下ろす。


 沈み込むようなクッションの感触に、身体が僅かに警戒を覚える。


 ダンジョンに最適化された私の筋肉は、この過剰な快適さに適応できなくなっているらしい。


 ほどなくして、現れたのは、仕立ての良いスーツを着た三十代ほどの男だった。


 彼はテーブル越しに真っ直ぐな姿勢で立ち、私に名刺を差し出した。


 私は立ち上がり、それを受け取る。


 こちらから返す名刺は、ない。


「本日はどのようなご用件でしょうか」


 私は着席し、バックパックからクリアファイルを取り出した。


「事前に窓口でお伝えした通り、高周波共鳴による分子結合解離ユニットの開発依頼です。こちらが要求スペックをまとめた仕様書になります」


 私がファイルをテーブルに置いた瞬間、男の視線が私の手元、そして私の服装を素早く往復した。


「……恐れ入りますが、お名刺を頂戴してもよろしいでしょうか」


「名刺はありません。私は探索者協会に登録した、個人の探索者です」


 その瞬間、男の顔にあった営業用の微笑みが、微かに硬直した。


 彼の中で、オペレーターが通した『新規の法人案件』というタグ付けが、根本から間違っていたことに気づいたのだろう。


「……誠に申し訳ございませんが、個人のお客様からの特注開発依頼は、弊社の規定上、お受けすることができません」


「技術的な実現性の問題ですか」


「いえ、コンプライアンスおよび保証体制の問題です。未検証のダンジョン環境下で使用される個人向けの特注機材は、製造物責任の観点から、弊社として安全性を担保できません。法人としての継続的な取引実績がない以上、例外は認められておりません」


 完璧な企業論理だった。


 私はテーブルの上のクリアファイルを引き寄せ、バックパックに収めた。


 取引を検討する気がない相手に対し、説得というコストを支払うのは無意味だ。


「お時間をいただき、ありがとうございました」


 私は立ち上がり、頭を下げた。


 男は安堵の混じった表情で、慇懃な礼を返してきた。


 彼に背を向け、完璧に空調の効いたロビーを歩き出す。


 怒りはない。


 落胆もない。


 この巨大なシステムを動かすための条件を、私が満たしていなかった。


 これは、ただそれだけの話だ。




 今日はいつもより遅く業務についたので、さすがに通常通りの確保数とはいかなかった。


 それでもモンスターを倒し、手に入れることができた魔石を換金カウンターで換金する。


「ありがとうございました」


「こちらこそ! 静河さんが持ってこられる魔石の質の高さには、いつも驚かされます!」


 その言葉に、胸の中にあった何かが洗い流されるような気がした。


 もう一度、礼を告げてから、私が帰ろうとしていると、


「静河さん」


 背後から呼び止められた。


 振り返れば、権藤さんだった。


 彼はバインダーを手にしていて、何らかの査察の途中だったのかもしれない。


「今日はいつもより来る時間が遅かったみたいだが」


「見ていたのですか?」


「私ではなく、他の探索者たちが話していたのでね」


 ……なるほど。


「実は」


 と、機材の外注先を探していることを伝えると、彼は少しの間、視線を落として、


種田(たねだ)精密という工場がある。下町の工場だが、腕は確かだ。以前、探索者の依頼で魔剣を一本作ったことがある」


 ただ、と続ける。


「今は、受けていないんだ」


 技術力も、実績もある。


 しかし、何らかの理由で顧客層を制限している。


「ありがとうございます。行ってみます」


 権藤さんに一礼した。




 ——数日後。


 アポイントを取っていた住所へと、私は足を運んだ。


「ここだ」


 看板には『種田精密』の文字。


 引き戸は開いている。


 足を踏み入れれば、機械油と、金属粉の混じった重く埃っぽい空気が鼻腔を刺激する。


「すみません」


「あ、お電話をくださった、ええと」


「静河です」


「ああ、そうです。静河さん」


 作業着姿の若い男が、私を奥の薄暗いスペースへと案内してくれた。


 パイプ椅子に腰を下ろし、数分待つ。


 奥の作業場から聞こえていた機械音が止み、油まみれの前掛けをした老人が姿を見せた。


 この男が種田だろう。


 彼は私を一瞥すると、


「……あいつが何を言ったかは知らないが、探索者の依頼は受けてない」


 挨拶もなく、名乗りもなく、ただそれだけを言い捨てて、背を向けようとした。


 門前払い。


 大手メーカーと同じ対応だ。


「理由を、伺えますか」


 私の低く抑えた声に、種田氏の足が止まった。


 振り向いたその顔に浮かんでいたのは、怒りや苛立ちといったものではなかった。


 もっと古く、深く澱んだ、乾いた何かだった。


「以前、一本作った。三ヶ月かけた。自分にできる最善を、全部入れた。持っていった探索者は、使えなかった、これじゃなかったと言った。……だから、探索者の依頼は受けない」


 探索者と職人で、見ている世界があまりにも違ったのだろう。


 おそらく探索者が求めたものは派手であること。実用的かどうかは二の次。


 しかし職人は違う。道具は使うためにある。まず実用的かどうか。派手であるかどうかは意味がない。


 種田氏はそのまま、暗い作業場へと戻ろうとする。


 私はバックパックの中からクリアファイルを取り出した。


「仕様書、置いていってもいいですか」


 なぜそんなことをしようと思ったのか。


 他の探索者たちと自分は違うと証明したかったのだろうか。


 その気持はないと、そう断言したら嘘になる。


 だが、それよりも、職人としての彼に見てもらいたいと思ったのだ。かつての『私』の魂が。


 若者が、種田氏と私を見比べながら、戸惑いながら、受け取った。


 種田氏は、私を一度も振り向かなかった。




 その日の夜。


 私は宿舎のベッドに座り、常温の水を喉に流し込んだ。


 手詰まりだった。


 大手メーカーは、実績という外部の評価軸で私を拒絶した。


 種田精密は、過去の傷という内部の経験から、探索者そのものへの信頼を失っていた。


 どちらの評価基準も、


「今の私には動かすことができない……」


 思考を止めることは、生きることを諦めるのと同じだ。


 だから、私は次の選択肢を思考する。


「……他の工場をリストアップして片っ端から当たるか?」


 あるいは、妥協した素材と工具を調達し、自分の手で自作する——。


 それとも、そもそも『金剛石の回廊(アダマント・ロード)』への挑戦を諦め、


「……別のルートで代替の収益源を探すか」


 どれも一長一短であり、決定的な解決策には至らない。


「……今は、ここまでか」


 今夜、これ以上思考を巡らせても、疲労が蓄積するだけだ。


 明日のダンジョン探索に備え、私は部屋の照明を落とした。




 翌朝、玄関に座り、安全靴の紐をイアン・ノットで締め上げている時だった。


 ポケットの中でスマートフォンが震えた。


 画面に表示された番号に、見覚えがない。


「……種田だ。来い」


 電話は、それだけで切れた。




 種田精密の引き戸を開けると、種田氏はこちらに背中を向けるように、作業台の前に立っていた。


 その作業台の上には、昨日、若者に預けた仕様書が無造作に広げられている。


 紙面が、赤で埋め尽くされて。


 種田氏の隣にいた若者の会釈に、軽く応じながら、私は視線を素早く巡らせた。


 書き込みは、要求数値への疑問、代替材料の提案、工程上の問題点、加工時の熱膨張率の指摘。


 余白という余白に、乱暴だが的確な文字がびっしりと書き込まれているのが見えた。


 種田氏は仕様書に目を向けたまま言う。


「お前、これは何だ」


 図面と仕様書を見れば、私が何を求めているのかはわかっているはずだ。


 だから彼が求めている答えは、それではないだろう。


「私が生きていくために必要な道具です」


 種田氏はしばらく黙って、赤字だらけの仕様書を睨みつけていた。


「……作ってやる」


「ありがとうございます」


「礼はいらん。一つ聞く」


 種田氏が顔を上げ、ようやく私を正面から見た。


「この把持部の安全マージン、なぜ2.3倍にした。ダンジョンの岩盤の硬度を基準にするなら、設計上は1.8倍で充分だ」


 さすがは以前、魔剣を製作しただけのことはある。


 彼はダンジョンを()っている。


 私は自らの手首に視線を落とし、過去の記憶を引き出した。


「実際に、想定外の重量変動で手首に負荷がかかった経験があります。道具が壊れるより、使う側が壊れる方が、結果としての損失が大きい。その判断です」


 種田氏は短く、鼻を鳴らし、奥に向かいながら背中越しに言った。


「納期と概算は、後で連絡する」


 若者が笑顔で、私に向かって深く頭を下げた。




 探索者協会の入り口に到着した時、予定の出発時刻から遅れが生じていた。


 ロビーを抜け、ダンジョンへと続く連絡通路の手前で、見知った姿とすれ違った。


 大剣を背負った赤髪の男、颯真くんだ。


「おう、静河」


 と告げてから、彼は少しだけ驚いたような顔をした後で、ニヤッと笑った。


「なんかいいことでもあったのか? 笑ってるぞ」


 ——笑っていた、のか。


 そんなつもりは全くなかった。


 ただ、種田精密からの帰り道、足取りがいつもより軽かったのは事実だ。


 仕様書が、一晩で読まれていた。


 私が詰め込んだ仕事の中身が、言葉ではなく、設計という共通言語を通じて、時間をかけて相手に届いた。


 颯真くんが私の背中を叩く。


「今日はいつもより気をつけろよ。浮かれてる時が一番危ない——って静河に言うことじゃねえか」


「……いえ、肝に銘じます」


 颯真くんが手を挙げ、先に連絡通路の奥へと消えていく。


 私はその背中を見送りながら、一度、大きく息を吐き出した。


 いつもより遅れている。


 取り戻せない時間ではない。


 だが、颯真くんが言ったように、浮かれている時が一番危ない。


 本日の行動計画を再計算し、魔石の回収目標をあえて下方修正する。


「それでいい」


 私はいつもどおり、すべてのルーティンを行う。


全条件(コンディション)規定値内(オールグリーン)


 靴底でしっかりと地面を踏みしめ、ダンジョンの暗がりへと足を踏み入れた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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