5.公爵家は反撃する
「いたッ! ちょっと、何すんのよ!!離しなさいよッ!! オリー!! オリー!! 見ていないで助けて!!!!」
軍服を纏った男に後ろ手に手を拘束され、無理やり跪かされながらも抵抗するアイビーを前に、王太子オリバーは何も出来ずにいた。
一体、何が起こっているのか。皆目見当がつかない。そんな顔だ。
いつものように、学校のカフェの特別席で食事をしていた。
特別席は南向きに張り出したコンサバトリーで、上位貴族の中でも特別な――王族とそれに準ずる者しか使用することができない、一年中光と緑と花に溢れた心地よい場所。
かつて公爵令嬢フェリシティ・ガーランドも学友と憩いの時間を過ごし、彼女が去った現在、オリバーの恋人であるアイビーが独占して使用している場所だった。
そこで己の幸福に酔いしれる時間が、何より幸せだった。
勝った――邪魔者は去り、王太子は自分の虜。もう何も怖くない。
美しく緑輝く特別席で、上目遣いで王太子におねだりすれば、迷うことなく叶えられ。
自分が特別な存在であると実感できるのだ。
しかしそこは今、ガーランド公爵が率いる魔術省の官僚数人と、彼らを警護する護衛に包囲されている。
その彼らから少し距離を置くようにして、野次馬の生徒たちが人垣を作っていた。
まるで見世物。
屈辱にアイビーは怒りの感情を抑えられなかった。
「まだ、夢から覚めていないのかい?」
ガーランド公爵独特の、人をからかうような明るい声に、オリバーは慌てて膝を折った。
王太子が公爵といえど一貴族の前に服従を示した。
その姿に、生徒たちからは困惑のざわめきが起こった。
「うん、うん。そうだよね。おとなしく従ってくれると僕も助かるよ。これでも忙しい身でね。用件はさっさと済ませたいんだ。さっそくだけどお嬢さん、君の聖なる力を確認させてもらえるかな?」
「お断りよ!!」
「やめろ……アイビー。頼むから」
拝顔を許されていないオリバーは、頭を下げたままで横目にアイビーを必死に制したが、願いも虚しく彼女はギリリと公爵を睨み、真っ向から反抗の意を示した。
「何よッ!! あんたも、しゃがんでないで助けなさいよッ!!」
「無理だ……すまない……」
「この……王太子のくせに意気地なしッ!!」
意気地があろうと、なかろうと。オリバーにはこうするしかないのだ。
未成年であるオリバーには、王太子であること以外にまだ特権はない。王位継承権でさえ、成人するまでは王家の血を継ぐ成人男性の中さで最高位にあるガーランド公爵に継ぐ第二位だ。
ガーランド公爵は兄弟のいない現国王のスペア。言い換えれば、いざというときには未成年のオリバーよりも国王になることが確実な人物だった。
それに……オリバーとアイビーの関係は公的に認められていない。学園の中だからこそ、見逃されている関係だ。
現実的な話をすれば、たとえ聖女であろうと、男爵令嬢が王太子妃に選ばれることはない。
公爵の言葉通り、全ては夢の中だけの戯れ言でしかない。
ガーランド公爵は一枚の書類を携えていた。
手持ち無沙汰に丸めたり広げたりとぞんざいに扱っているが、過去の聖女候補の選定に不備が疑われ、速やかな検分を命じる国王の署名入りの通告書で、登場早々にオリバーに突きつけられたものだった。
拒否は王命を蔑ろにすること。すなわち不敬罪にあたる。
その罪の重さを知るオリバーには、アイビーの態度こそ信じられない。
死をも恐れぬ鋼の精神を持っているのか、単なる無知なのか――考えずとも、答えは明白だった。
「おやおや。随分と威勢のいいお嬢さんだね。なら、仕方ないなあ。魔法省に連れていって、強制的に体に聞くしかないね」
「ふざけんじゃないわよ!!」
状況を正しく理解していないアイビーは、このままでは自ら最悪な結果を招きかねない。
なにしろ、相手は戦狂いと言われる無敵の公爵だ。
「恐れながら、公爵閣下に申し上げます!! 彼女は不調法者ゆえ、どうかお許しを。私が……私が説得いたしますので……」
「不調法……物は言いようだね。まあ、いいよ。オリバー、君に任そう」
「感謝いたします。公爵閣下」
「あんまり待たされたら、僕、君たちの首をかっ切っちゃうかもしれないよ?」
「そ、それはご容赦を……」
「あはは。もちろん冗談さ」
――なんとも耳ざわりだ。
微笑みの下に冷ややかな感情を隠し、ガーランド公爵は二人を待った。
平民に生まれながら周囲に踊らされ、現実が見えなくなってしまった愚かな娘と、世継ぎとして最高の環境に生まれながら、何一つ武器として活かせずにその義務を放棄して夢の世界に堕ちた馬鹿な王子。まさにお似合いの二人だ。
その二人が言い争う姿の、なんと無様なことか。
この場に最愛の娘がいないことを、しみじみ幸運に思う公爵だった。
公爵の脅しが効いたのか、さほど時間はかからず、聖女の力を検分する場はカフェに整えられた。
静まり返ったカフェの一角で、しぶしぶといった風に、アイビーはその手から光の箱を出現させた。
「これは……」
魔法省の男たちは顔を見合せ、ガーランド公爵に告げた。
「これはごく一般的な収納魔法です。聖なる力ではありません」
「嘘よ!! だって、神父さんが言ったのよ、『結界』だって!!」
飛びかかろうとするアイビーは護衛に再び拘束され、跪かされた。無理やり頭を押さえつけられてなお暴れ、桃色に輝く髪を振り乱しながら周囲に牙をむく姿は、獰猛な野生の獣をおもわせた。
これが王太子が選んだ女性なのか。呆れを隠さない野次馬の視線が、自然とオスカーに集まる。当のオスカーはすっかり顔色を失い、ブツブツと何かを呟いている。
「これは魔力を空間に干渉させることで、空間に自分専用の収納庫を出現させているだけの、ごく一般的な生活魔法です」
「ふうん? そっかー。ってことは聖女ではないんだよね? そっかー。聖女ではない人間が聖女を騙った。これは大変なことになるね?」
「何よ!! そんなの勝手にみんなが言ったことでしょ!? 私が言ったんじゃないわ!! 冗談じゃないわよ!!」
「今さらそれを言うのかい? 君だって、その気になってやりたい放題しただろう?」
「うるさい! うるさい! うるさい!!」
アイビーは魔力を発動し、自身を囲むように光の箱を出現させた。魔法に弾かれ、彼女を抑え込んでいた護衛たちは、箱の外に閉め出された。
箱の中では時間は進まない。しかも術者の自分以外、他人の魔力は箱の中に干渉できない。
護衛が魔力を用いてつけた手枷を外し、ぶらぶらと見せつけながらアイビーは余裕の笑みを見せた。
この術を身につけて知ったことだが、アイビーの箱同士は空間を共有していて、箱の中から別の箱に移動することができるのだ。
アイビーは寮の部屋と男爵家の自分の部屋に、秘密の箱を置いて男達からの貢ぎ物を保管している。そのふたつはさらに術を巡らせ、空間と空間の隙間に隠してある。探したとて、術を知らぬ者が見つけられっこない。
ひとまず男爵邸に逃げ込み、追っ手がたどり着く前に王都を脱出すればいい。
そうほくそ笑んだとき、公爵が動いた。
一度軽く箱をノックした。
それだけで、光の箱はガラスが弾けるように粉々に砕け散り、消えた。
「う、そ……」
信じられない光景に目を見張り、アイビーは呟く。
呆然と立ち尽くすアイビーを再び護衛が拘束した。
「魔力で作ったものは、より強い魔力で破壊できる。常識だよ? お嬢さん」
アイビーがゆっくりとオリバーに視線をむけると、彼は静かに首を横にふり、頭を抱えた。
「まあ……下手に逃げて、大事な首と体が離れちゃうとか、内臓を床にぶちまけるような事態よりはマシじゃない? 僕は君が大嫌いだからさ。君がどうなろうと知ったこっちゃないよ」
愕然とするアイビーに、ガーランド公爵はぐっと顔を近づけ、にこりと笑って囁いた。
――どうしてこうなってしまったの……?
聖女を騙った罪。
王太子をそそのかして公費を使い込んだ罪。
逃亡を計った罪。
その3つの容疑で、アイビーは収監された。
国王の代理人たる公爵への不敬罪は問われなかった。
公爵のご温情だから感謝しろと看守に言われたが、アイビーには何が温情なのか理解できなかった。
監獄は、鉄格子がはめ込まれた小窓と、粗末なベッドと、トイレがあるだけの個室だった。
一般的な部屋と違うのは、ベッドが床に固定されていることと、トイレに身を隠すような衝立がないこと、本来は壁になる一面が鉄格子になっていることだ。
食事は日に二回。風呂には定期的に入ることができるらしいが、まだ入れていない。
身の回りの物は全て没収された。服装も、看守から与えられた粗末な服だった。
ベッドは固く冷え、渡された毛布では十分な暖が取れず、絶えず寒さに震えている。
夜灯される明かりは監獄の通路にあるだけで、ぼんやりとした明るさしかなかった。それも消灯時間には消され、暗闇に包まれた。
闇の中で他の罪人たちの罵声や奇声が恐ろしげに響き、毎夜、頭から毛布をかぶって怯えながら眠りについた。
アイビーが収監されている間に、一度だけ義父母が面会に訪れた。
看守に連れられて行かれたのは面会室で、テーブルと椅子のほかには何もない、窓さえない部屋だった。
久々に見る二人は、やつれて顔色も悪かった。元々貴族の派手さと縁遠かった二人は、輪をかけて地味で貧相に見えた。そういう自分は両手を拘束され、ボロ布のような服を着て風呂にも入れないみっともない姿をさらしているのだが。
「今日はこれを渡しに来た」
と、渡されたのは養子縁組を解消するための離縁状だった。すでに法的な手続きは完了し、ただその事実を告げるためだけの面会だった。
大人はいつも勝手だ。
悲しみよりも怒りが沸いた。
聖女と言われるようになると、貴族たちはこぞってアイビーを養子にしたがった。
醜い言い争いの果てに、子のいない男爵家に引き取られることが決まったが、平民よりは少しはマシ程度の教養しか与えられず、勝手に落第を宣言され、そのくせ由緒正しい貴族の令息令嬢の集まる学校に放り込まれた。
明らかに場違いだった。ついていけるわけがない。むしろ、なぜそんな場所でやっていけると思ったのか。
異分子の自分が、居心地の良い場所を求めて、何が悪い。誰も彼も、手助けなどしなかったくせに。
ただ見ていただけの者達が、結果だけをみて手のひらを返した。揃いも揃って胸くそ悪い。
「所詮は偽善者だったってわけね」
去る姿に呟けば、ホール男爵が振り向いた。
「お前のおかげで我が家がどうなったか、想像できないか? お前が婚約破棄に陥れた家々から請求された賠償金が、一体いくらだと?」
「賠償金を払うために、私たちは領地と家を売ったの。でもまだ足りなくて……男爵位など売っても焼け石に水。私たちが生きていくためには、こうするしかなかったの。ごめんなさいね」
ホール男爵夫人は振り返らなかった。その声が悲しみに震えていることは、アイビーにもうかがい知れた。
「なんなのよ、賠償金って……!!」
そんな話、アイビーは知らない。誰も教えてくれない。
狼狽えるアイビーを、怒りをこめた目で、ホール男爵は見つめた。
「私たちは領地も、家も、爵位も売った。残ったのは正真正銘、この身ひとつだ。それでもまだ賠償金は残っている。後は自分で何とかしなさい。私たちには……もう、お前にしてやれることはない」
ホール男爵は嗚咽する妻の肩を抱き、今度は振り返ることなく去っていった。
「賠償金だなんて……冗談じゃないわよ。まさか、死ぬまで借金を背負うようなことはないでしょうね……」
あくまでも自分の心配しかしない呟きに、答える者はいなかった。
アイビーの処遇は、隠し財産の没収、貴族籍からの永久除籍、更生施設への入所と労働におちついた。
彼女の力を勘違いした神父がことの発端であること、未成年であることが十分に考慮された結果だ。
女子更正院と呼ばれる施設に移送される日。
迎えにきた女性職員たちに魔力封じの腕輪をつけられ、目の前で服を着替えさせられた。平民が着る質素なワンピースだったが、新しく買え与えられたものだった。
収監中は囚人のような格好をさせられていたので、安っぽいのは我慢する。
久々に女性らしい装いができたことに、少し心が軽くなった。
移動は馬車で、乗り心地は最悪。しかも両脇にも正面にも更正院の職員が陣取り、窓にはレースのカーテンがかけられて景色を眺めることもできない。またすぐに機嫌は悪くなった。
そんなアイビーにも表情ひとつ変えず、正面に座った女が告げた。
「ガーランド公爵様に感謝なさい」
「はぁ!? 何でよ。するわけないでしょ?」
アイビーはふてくされてふんぞり返った。
投げ出した足を戻され、再度投げ出す。無駄と思われたのか、今度は直されない。そのままズルズルと姿勢を崩し、プイッと横を向いた。
横を向いても、見えるのは真面目くさった表情の別の職員なのだが。
収監されている間も、大人たちからうるさいほど言われた。公爵に感謝しろ、と。
何を感謝しろというのか。アイビーにとって公爵は悪魔のような男。曇りのない笑顔で殺意を向ける狂気の男だ。
「公爵様のご温情により、あなたは死罪を免れたからです」
「何よ、死罪って。大袈裟な」
「大袈裟ではありません。あなたが嘘をついて公爵令嬢を貶めたことも、あなたの公爵様への態度も、どちらも不敬罪に当たります。何者であれ、不敬罪を犯せば死刑。公爵様のお情けであなたは生きながらえたのです。でなければ、とっくに銃殺刑で蜂の巣ですよ」
「銃殺……」
青ざめるアイビーに、正面の――この中でもっとも地位が高いと思われる女は、淡々と説明を続けた。
ガーランド公爵は単なる貴族ではなく、王位継承権を持った王族であり、国王のスペアであった。
とすれば当然、その娘であるフェリシティも、女性であるがゆえに王位継承権こそ持たないが、王族と見なされる。
そしてとある事情から、王太子にとって彼女との結婚は、王太子が国王になるための絶対条件であった。
また、結婚によって対立している王室派と公爵派を結びつけ、磐石な国家体制を築くはずが、解消によって不可能となってしまった。
その責任は王太子が負うであろう。
謹慎などと、生ぬるい罰ではない。
王位継承権剥奪か。
廃嫡の上、臣籍にくだるか。
それほどの過ちだ。
「え、だってオリーは唯一の国王の息子でしょ?」
「唯一の王位継承者ではありません。王家にとって唯一の男子であっても、王族には他にも男子がいらっしゃいます」
「そんな……」
馬鹿な、と言いかけて思いとどまる。
貴族にとって家名が第一で、跡取りの血の濃さは二の次なのだ。血は限りなく水に近かろうとつながってさえいればいいし、大義名分が立てば、つながりのない養子であってもいい。
「全てあなたの行いのせいです」
更正院の職員だけあって、物言いは容赦がない。
「王家だけではありません。あなたの軽率な行いで、多くの男子が破滅し、多くの女子が傷つきました。今や貴族社会は慰謝料請求が大流行ですよ。破産した貴族はゴロゴロいます」
「だって私は」
「ええ、『聖女』と呼ばれたこともありましたね。確かめてもいないのに」
女は鼻で嗤った。
「何か勘違いをしていませんか? たとえ聖女であったとしても、貴族社会のルールを破る行いが許されるはずがありません。聖女は仕事の一つであって、社会的地位とは無関係です。いい加減、被害者ぶるのはおやめなさい。きっかけはどうであれ、あなたは立派な加害者。そのあなたに残されたのは、反省と謝罪と更正の道のみ。幸い、定められた更正期間は無期。時間だけはたっぷりありますから、私たちもそのつもりで、とことんお付き合いしますよ」
一方的に正論をかざす女と、無言でただ座る女たち。三人の女の感情を持たない目が、アイビーに絡み付くようだった。
「言い忘れていましたが、更正院はガーランド公爵家の福祉事業の一つ。私は現場の責任者ではありますが、総責任者は公爵様です。
つまり、あなたの命運を握るのは公爵様。そのくらいは常に頭に入れておくのが、身のためですよ。せっかく命拾いしたのに不慮の事故で……などと言うこともありますからね?」
女の口元がゆっくりと弧を描き、右手で首を切る真似をした。目はアイビーをとらえたまま、ニタリとわらったように見えた。
馬車がゆっくりと減速し、止まった。
「到着ですよ。ご覧なさい。今日は珍しく公爵様がお見えです」
カーテンを開けた小窓を除くことはできなかった。
怖い!!!
全身がそう叫ぶ。体が勝手にガタガタと震えた。
「い、いや……助けて……」
「ええ、もちろん。職員一丸となってサポートしますよ」
「ち、ち、ちが……ッ」
「もちろん公爵様も」
「ヒ……ヒィィィッ!! ヤダヤダヤダ!! お願い助けてぇぇぇぇぇ!!!!!」
もちろん、それは叶えられず。
女たちは錯乱する罪人を不気味に笑みを浮かべて眺めているだけだった。
アイビーは、生まれて初めて、心の底から沸き起こる恐怖に涙した。
毎週金曜日に更新。
次回は1月20日の予定です。
次回は……もう一人のざまぁです。