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オメガだとわかって絶望したのに、気づけば四人の夫に愛されています  作者: チュチュ


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ただいま


朝から、家の中がやけに騒がしい。


「陽向、今日は俺がパンを焼いてみようと思う」


「レオさん、それ絶対やめた方がいいです」


厨房に立つレオの手には、すでに小麦粉の袋が握られていた。


「前より上手くなっているはずだ」


「前が黒焦げだったので、比較の意味がないです」


陽向は慌てて、レオの手からその袋を取り上げる。


「……そうか」


肩を落とすレオの背中は、少しだけしょげているように見えた。


けれど、その残念そうな顔さえ、今ではもう見慣れたものになっている。


「代わりに、一緒に作りましょう。焼くのは僕がやりますから」


「分かった」


素直に頷くレオを横目に、隣のテーブルではヴィンスが唸っていた。


「今日は休みたい……」


書類の束を睨みながら、まるで小さな子どものような声を出している。


「休みたいと言いながら、もう手が資料を読んでますよ」


「体が勝手に動くんだ。困る」


「その台詞、前にも聞きました」


陽向がくすりと笑うと、ヴィンスは片眉を上げて、まんざらでもない顔をした。


その向かいでは、もう一つ別の火種が燃えていた。


「カイ、僕の祈祷道具に、勝手に触らないでくださいと何度言えば分かるんですか」


「ちょっと魔力効率を試したかっただけだ」


「実験に使うものじゃありません! 聖具です!」


フィンが珍しく声を荒げ、カイはまったく悪びれた様子もなく肩をすくめている。


そんな二人の隣、当然のように陽向の席の右側を狙っていたカイの椅子は、いつのまにか静かに動いていた。


「あ」


気づいた時には、その席にレオがどっしりと腰を下ろしていた。


「……いつの間に」


カイが低く呟くのへ、レオは表情も変えずに一言だけ返す。


「気づかなかったのか」


「今度は絶対に取る」


負けん気だけは相変わらずのカイに、陽向はつい笑ってしまう。


「朝からうるさいなあ」


口ではそう言いながら、その声には少しも困った響きはなかった。


四人分の椅子が引かれる音、皿がぶつかる小さな音、誰かの文句と、誰かの言い返し。


そのどれもが、もう陽向にとって、当たり前の朝の音になっている。


朝食が終わり、それぞれが身支度を整える中、陽向は自分の右手首に視線を落とした。


腕輪に並んだ四つの宝石が、窓から差す光を受けて、静かに輝いている。


サファイアの青、アメジストの紫、エメラルドの緑、そしてトパーズの金色。


検査の結果を聞かされたあの日、自分の人生はここで終わるのだと思った。


白い光に包まれてこの世界に来た夜も、もう何もかも失ったのだと、そう思っていた。


けれど今、こうして見上げる四つの色は、失ったものの数ではなく、選び取ってきたものの証だった。


誰かに決められた運命ではなく、自分の意志で重ねてきた時間の分だけ、その輝きは増えている。


「陽向、行ってくる」


支度を終えたヴィンスの声に、陽向は顔を上げた。


「僕も、そろそろ神殿に」


「俺も出る」


「じゃあ俺も」


四人が次々と玄関に集まってくる。


いつもは揃って出発するのに苦労するくらい、それぞれの予定はまちまちなのに、今朝はなぜか珍しく重なっていた。


「いってらっしゃい」


陽向が笑って送り出すと、四人はそれぞれ違う返事をした。


レオは短く頷き、ヴィンスは手を振り、フィンは丁寧に一礼し、カイは軽く片手を上げる。


それぞれの背中が、朝の光の中へ消えていく。


その光景を見送りながら、陽向はしばらく玄関に立っていた。


静かになった屋敷の中で、四つの気配が消えた後の空気だけが、いつもより少し広く感じられる。


けれど、それは寂しさではなかった。


戻ってくる場所があるからこその、静かな余白だった。


「陽向様、今日はお珍しく、四人まとめてお見送りですね」


いつの間に現れたのか、リゼットが後ろから顔を覗かせていた。


「たまたま、時間が重なっただけです」


「本音でいいですよ」


「……本音を言うと、ちょっと得した気分です」


そう答えると、リゼットは満足げに笑った。


「その顔、見られてよかったです。陽向様、最初にここへ来た頃とは、全然違う顔をなさいますから」


「そうですか」


「ええ。あの頃は、笑っていても、どこか無理をしているように見えました。今は違います」


その言葉に、陽向は少しだけ照れくさくなって視線を逸らす。


けれど、否定する気持ちは、どこにもなかった。


昼過ぎ、屋敷の中庭で洗濯物を干していると、遠くから聞き覚えのある重々しい足音が近づいてきた。


「陽向殿。少し、よろしいか」


アイスフェルト侯爵ゲルハルトだった。


以前のような威圧感は、もうそこにはない。


「制度の見直しの件、進捗を報告に来た。……お前が言っていた通り、時間はかかるが、少しずつ変わってきている」


「ありがとうございます、侯爵」


「礼を言われる立場ではない。儂は、長らく間違った道を正しいと思い込んでいただけのことだ」


ぶっきらぼうにそう言うと、ゲルハルトは軽く咳払いをして、そのまま踵を返した。


その背中を見送りながら、陽向はふと、この一年で変わったものの多さに、あらためて気づかされる。


夕方、最初に帰ってきたのはレオだった。


「ただいま」


「おかえりなさい」


かつては、その一言に「……ああ」としか返せなかった男が、今はもう当たり前のように扉を開けて入ってくる。


その変化に、陽向はいつも小さな喜びを覚えていた。


続いて、書類の束を抱えたヴィンスが帰ってくる。


「ただいま。今日は本当に長かった」


「お疲れ様です」


三人目は、少し土埃をつけたフィンだった。


「ただいま帰りました。神殿の外での祈祷が、思ったより長引いてしまって」


最後に、カイが軽い足音で戻ってくる。


「ただいま」


四つの「ただいま」を聞き終えたとき、陽向はふと、ある考えに行き着いていた。


ここは、誰かから一方的に与えられた居場所ではない。


自分が選び、この四人と一緒に、時間をかけて作り上げてきた場所なのだ。


そう気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「今日はみんな早いですね。夕食にしましょうか」


食卓に料理が並び、五人分の椅子が引かれる。


案の定、カイが陽向の右隣の椅子に手をかけたその瞬間、横からレオの手がすっと伸びて、先にその椅子を引いてしまった。


「……また、お前か」


「今度は絶対に取ると言っていたはずだが」


「言った直後にやられるとは思わなかった」


その様子を見て、ヴィンスが声を上げて笑う。


「毎日同じ争いをして、飽きないのか、お前たち」


「飽きません」


カイとレオが、珍しく同時に、しかも即答した。


フィンが、深い溜息をつく。


「席くらいで争わないでください。子どもみたいですよ」


「フィンだって、僕の祈祷具のことでは同じくらい怒ってましたよね」


陽向が指摘すると、フィンは一瞬言葉を失い、それから諦めたように苦笑した。


「……それは、別問題です」


賑やかな声に囲まれながら、陽向は笑いをこらえきれずにいた。


こんなに騒がしい夕食が、こんなに愛おしく思える日が来るなんて、あの検査室にいた頃の自分は、きっと想像もしなかっただろう。


四つの宝石を纏った右手で、そっとテーブルの上のグラスを持ち上げる。


「それじゃ、今日も一日お疲れさまでした」


その一言に、四つの声が重なって返ってくる。


かつて一人だったはずの帰る場所に、今はこんなにも多くの声が響いている。


それだけで、陽向にはもう、十分すぎるほどだった。


窓の外はすでに暗くなっていたが、食卓の周りだけは、いつまでも明るいままだった。


僕の家族は、今日もうるさい。


だから僕は、今日もきっと、幸せだ。

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