二人目を選ぶ
市場での一件から、数日が過ぎた頃だった。
穏やかな日々が続いていたぶん、その知らせは唐突だった。
屋敷に、フィンから急な知らせが届く。
「一部の貴族が、陽向様を政治利用しようと動いているようです」
「利用って……」
「異世界のΩという特別な存在を、自分たちの派閥に取り込もうとしているとか。良からぬ噂が、社交界に流れ始めています」
具体的にどう利用されるのか、陽向にはまだ実感が湧かなかった。
けれど、その言葉の不穏さだけは、はっきりと伝わってきた。
不穏な話に、陽向の顔が強張る。
その動きに、真っ先に対処したのがヴィンスだった。
議会や貴族院で、その噂を真っ向から否定して回っているらしい。
「宰相自らが矢面に立つなど、普通はしません」
フィンが、心配そうな顔で付け加える。
「下手をすれば、ヴィンス様ご自身の立場が危うくなります」
その話を聞いて、陽向はすぐにヴィンスのもとへ向かった。
政務室で書類に向かっていたヴィンスは、陽向の姿に少し驚いたような顔をした。
「どうして、そこまでするんですか」
問い詰めるように尋ねると、ヴィンスは少し困ったように微笑んだ。
「私の仕事ですから、とでも言っておきましょうか」
「本当の理由を聞きたいんです」
陽向が引かずにそう言うと、ヴィンスは、しばらく黙り込んだ。
窓の外から差し込む夕日が、彼の横顔をゆっくりと照らしていた。
「あなたに嫌われるのは、耐えられます」
静かな声だった。
少しの間を置いて、彼は続けた。
「けれど、あなたが傷つけられるのは、耐えられそうにありません」
いつもの飾った言葉ではなかった。
不器用なほど、まっすぐな響きだった。
その一言に、陽向の中で、何かが静かに定まっていく。
計算から始まった関係だとしても、今この瞬間の言葉に、嘘はないと思えた。
「今の言葉、本気だと思っていいんですか」
念を押すように尋ねると、ヴィンスは静かに頷いた。
「あなたが信じてくださるなら、本気にしていただいて構いません」
その答えに迷いはなかった。
「……分かりました」
陽向は、まっすぐにヴィンスを見た。
「二人目の夫に、ヴィンスさんを選びます」
驚いたように目を見開くヴィンスに、陽向は続ける。
「……ヴィンスさんは、それでいいんですか」
「政治的な計算から始まった僕を、二人目に選ぶことになりますけど」
「初めから、計算だけの関係を望んだつもりはありません」
ヴィンスは、まっすぐに陽向を見返す。
「あなたがそれでもいいと言ってくださるなら、これ以上の答えはありません」
陽向は、しばらくヴィンスの目を見つめていた。
「完璧な人じゃなくていいんです。今の、その言葉を信じたいので」
婚姻の儀式は、それから間もなく執り行われた。
神官長の祈りとともに、陽向の腕輪に光が集う。
やがてその光は、深い紫の輝きを持つ石へと形を変えた。
アメジストだった。
同時に、ヴィンスの襟元にも、同じ紫の石が嵌め込まれた装飾具が現れる。
儀式を見守るレオが、隣でぼそりと呟いた。
「本当に、こいつでいいのか」
「儀式中ですよ、レオ殿」
すかさず返すヴィンスに、陽向は思わず噴き出しそうになった。
腕輪に灯る紫の輝きを見つめながら、陽向は静かに思う。
計算から始まった出会いだったとしても、その先で積み重ねた時間は、確かに本物だった。
まだ完全に消えたわけではない緊張と、それでも確かに芽生えた信頼。
その両方を抱えたまま、陽向の新しい生活が、また一つ始まろうとしていた。




