第十話 魔法修理師の最初の依頼
「魔法を修理できる子がいるって、本当か?」
朝食のパンを食べている時、知らない男が家へ飛び込んできた。
正確には、工房の扉を勢いよく開け、その音に驚いた俺がパンを喉へ詰まらせた。
「ごほっ、ごほっ!」
「お兄ちゃん、死ぬ?」
「死なない……水……」
ミアから木杯を受け取り、どうにか飲み込む。
男は村の広場でパン屋を営むボルクだった。大きな腹に粉まみれの前掛け。俺も何度か店で見たことがある。
「朝から何だ」
父さんが工房から顔を出す。
「窯が駄目なんだ。火は点くが、魔石を馬鹿みたいに食いやがる。昨日までは一個で一日もったのに、今日は朝だけで空になった」
「まず現物を見ないと分からん」
「すぐ来てくれ。昼の分が焼けない」
ボルクが俺を見る。
「それで、魔法を直せるっていう息子も」
「まだ見習いだ」
父さんが先に答えた。
「でも見えるんだろう? 術式の悪いところが」
噂が広がっている。
ハンナ先生か、講習を見ていた子供たちか、魔導灯を抱えて帰ったミアか。
最後の可能性が一番高い。
「見れば、何か分かるかもしれません」
直せるとは言わない。
父さんがこちらを見る。
「行くなら、俺の手伝いとしてだ。勝手に触るな」
「分かってる」
◇
パン屋の厨房は、いつもと違う匂いがした。
焼きたての香ばしさではない。生地と、小麦粉と、冷えた灰の匂い。
棚には焼く前のパンが並んでいる。このまま時間がたてば、発酵しすぎて売り物にならないらしい。
問題の窯は、石造りの大きな箱だった。側面に魔石を入れる金属器具と、温度を調整する術式板が取り付けられている。
「いつからだ?」
父さんが聞く。
「今朝だ。最初のパンを焼いて、二回目を入れたら急に魔石が切れた」
「昨日、何か変えたか?」
「何も」
「掃除や修理は?」
「閉店後に煙道の煤を取ったくらいだ」
何も変えていない、の直後に変更点が出てきた。
利用者への聞き取りではよくあることだ。嘘をついているのではない。本人が問題と関係ないと思ったことは、「何も」に分類される。
父さんが窯の外側、術式板、魔石受けを順番に調べる。
割れや焦げ跡はない。
試験用魔石を入れ、火を点ける。
窯の内部が赤くなった。
コードが見える。
target_temperature = 220
current_temperature = read_temperature()
heat = target_temperature - current_temperature
use_mana(heat * 2)
create_heat(heat)
現在温度と目標温度の差を計算し、その二倍の魔力を使っている。
窯が冷えている最初は差が大きいから、消費も大きい。それ自体はおかしくない。
少し待つ。
窯の温度は上がっている。それなのに`current_temperature`の数字が、外気と同じところからほとんど変わらない。
「温度感知子か?」
以前の給湯器と同じ症状に見える。
だが警告は出ていない。
感知子は正常に値を返している。
ただし、測っている場所が違う。
「父さん。窯の温度を測る部品、どこにある?」
「内壁の奥だ。直接は見えん」
俺はコードの流れを追う。
`read_temperature()`の参照先が、窯の上ではなく、細い煙道の方向へ伸びているように見えた。
「昨日、煙道を掃除したんですよね」
「ああ。詰まりを全部取った。よく燃えるようになったはずだ」
父さんが煙道の蓋を開ける。
内部は確かにきれいだった。
きれいすぎる。
「掃除する前、ここに何かありませんでした?」
「煤だよ。黒い塊が、壁みたいにこびりついてた」
煤の壁。
それが温度感知子の周囲を覆っていたのではないか。
掃除によって感知子が外気の流れへ直接さらされ、窯の内部より低い温度を読み続ける。術式は温度が足りないと判断し、魔力を追加し続ける。
「壊れたんじゃない」
「何?」
「今まで、煤が感知子を窯の熱から逃がさない壁になってたんだと思う。掃除したら、本来の取り付け位置が悪いせいで、外の温度を読むようになった」
父さんが感知子へつながる導線を確かめる。
「確かに、煙道側へ寄りすぎてるな」
「じゃあ煤を戻すのか?」
ボルクが真顔で聞く。
「戻すな」
父さんと俺の声が重なった。
煤を詰め直せば、一時的には以前のように動くかもしれない。だが火災や煙の逆流を起こす。
父さんは感知子を固定している金具を外した。
「導線に余裕がある。窯側へ移せるな」
「移したあと、何回か温度を変えて試したい」
「言われなくてもやる」
二人で作業を進める。
俺は見えている温度を読み上げ、父さんが感知子の位置を少しずつ変える。ボルクには普段使っている薪、魔石、パンの焼き方を確認してもらった。
一度目。温度は読めたが、反応が遅い。
二度目。反応は速いが、炎へ近すぎて実際より高く出た。
三度目。窯の中央温度とほぼ一致。
空の状態だけでは終わらない。
ボルクが生地を入れ、実際にパンを焼く。
魔石の消費は以前のおよそ半分で止まった。
焼き上がったパンを割る。
中まで火が通っている。
「直った……」
ボルクが、湯気の立つパンを見つめた。
「買い替えずに済んだのか?」
「術式板も魔石受けも壊れてない。感知子の場所を直しただけだ」
父さんが答える。
ボルクは大きく息を吐き、それから俺へ向き直った。
「お前が、魔法修理師か」
「まだ、見習いです」
「でも見つけたのはお前だろ」
焼きたての小さな丸パンを、紙袋へ三つ入れて渡してくれた。
「今日の修理代とは別だ。昼飯にしろ」
「ありがとうございます」
温かい袋を抱える。
魔法のコードは一行も変更していない。
悪かったのは、コードへ渡される温度と、現実の感知子の位置だった。
それでも、これは魔法の修理だ。
店を出る時、ボルクが笑って言った。
「また何か壊れたら頼むぞ、魔法修理師」
世界一には、まだ遠い。
けれど今日、初めて誰かが、俺をその名前で呼んだ。




