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忌み指輪の召喚令嬢 ~ 辺境伯の娘は闇ギルドと手を結ぶ  作者: 佐藤猛山


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1/3

1 悪魔の手

 走る。

 夜の森の中を、ただひたすらに。


 弾む息と鼓動で、全ての音がかき消される。

 もはや、追手の足音すら聴こえない。

 

 しかし、振り返る余裕も勇気もなかった。

 靴は脱げ、裸足のまま、がむしゃらに駆ける。

 

 でも、もう走れない――

 

 気持ちばかりが前へいって、次第に足が遅れる。

 とたんに身体の重さを感じ、前のめりになる。


 たくし上げた夜着の長い裾が木の枝に引っかかり、とうとう冷たい土の上に転んでしまう。

 痛みより、驚きのほうが大きかった。


 だが、それもすぐに絶望の感情に塗り替えられる。

 もう終わりだ――

 

 ふと、擦りむいた手を見る。

 木の間から注ぐ月光が、手のひらの傷を照らしている。

 その赤い色が目に入ると、ようやく遅れて痛みがやってきた。


 痛みに顔をしかめながら、上体を起こしてどうにか後方を見ると、追手がもう迫ってきていた。

 その姿は月光に照らされて、やけにはっきりと見える。

 

 ひとり、ふたり――

 

 たとえ相手がひとりだったとしても、どうすることもできないだろう。

 逃げることすら、ままならないのだから。

 もう、立ち上がる気力さえない。

 

 気づけば追手は、目の前だった。


 「この娘で間違いないのか?」

 「分からんが、逃げていたんだから、そうだろ」


 追手が口を開く。

 なぜ、すぐに殺さない?

 

 「これが伯爵の娘ねぇ……貴族にしちゃあ、地味じゃねえか?」

 「いや、よく見ろよ、庶民がこんな上等な絹を着るか?」


 殺すことが目的ではないのか――?

 

 〝あの男〟は言っていた。


 『お前の父親は殺された』


 そして、こうも言った。


 『ここにも追手が来るかもしれん。とにかく逃げろ。森へ入って、見つからぬように隠れていれば、俺が迎えに行く』


 父が本当に殺されたのかは、分からない。

 しかし、現に追手が来ている。

 ただ事ではない〝何か〟が起きているのは確かだ。


 「ウダウダしていても仕方ない。さっさと終わらせようぜ」

 「そうだな……おい、悪いがこっちも仕事なんだ。恨むなよ」


 追手のひとりがナイフを手に近づいてくる。

 やはり、殺されるのか――


 「なにか言い残すことはあるか……?」


 今から自分を殺そうという者に、なにを言えというのか。

 そもそも、恐怖で声が出せない。

 こんな冷たい森で、命を落とすなんて。

 疑問や悔しさや悲しみが、涙となってあふれる。


 ああ、〝指輪〟がない――


 今更、そのことに気がついた。

 屋敷からひとつだけ持ち出した、父の遺品。

 父が大切にしていた指輪だ。


 さっき転んだ拍子に、落としてしまったのだろう。

 じきに訪れるであろう理不尽な死に、どうにか抗おうと、声を出す代わりに地面をまさぐった。

 なぜそんなことをしたのか、解らない。

 それでも必死に、指輪を探した。


 あった――


 つま先の辺りに、落ちていた。

 まるで、なにかの骨を接いで拵えたような、不気味な指輪。

 その少し大きな指輪を指に通して、傷ついた手のひらをしっかりと被せた。

 

 せめて、もう失くさないように。

 せめて、父の魂と繋がれるように。

 目を閉じ、心から信じたことのない神へと、祈った。

 

 (正しき神よ、救い給え。光と火の始まり、全能なるア=ゼリアよ)


 暗闇の中で、一筋の光を求め、何度も祈ったが――

 神は、応えなかった。

 

 しかし、刃が振り下ろされることもなかった。

 追手にも、一片の情けがあったのか?


 だが、それは違った。

 おそるおそる目を開けると――


 背中から照らす月光が象る影。

 そのくっきりとした自分の影から――


 〝悪魔の手〟が伸びていた。 


 「な、なんだ――ば、化け物かッ?」


 おぞましい〝闇〟――

 大量のインクのような黒色の〝なにか〟が、追手の前で蠢く。

 その先端は、巨大な手の形をしている。

 人でも、獣のものでもない。

 〝悪魔〟としか、いいようがなかった。

 

 「やべえッ! この娘まさか、〈魔女〉なのか?」

 「おい、それどころじゃねぇ、に、逃げねえと――」

 

 〝悪魔の手〟は、ふたりの男を捕食するかのようにまとわりつき、つかみ上げ、引きずり回し、樹木や地面へ叩きつけた。

 さらに、声を上げる間もなく昏倒した獲物の腹や胸を、太く鋭い爪で突き刺すように蹂躙する。


 (ああ、もうやめて――)


 ナイフを向けられた時よりも、さらに強い恐怖と深い絶望が心臓を脈動させる。

 涙がとめどなくあふれる。

 月の下の惨劇は一瞬のことだったが、まるで永遠に感じられた。


 ふたりの追手はもう、動かなかった。

 そして〝悪魔の手〟も、いつの間にか消えていた――

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