第9話 初陣
数日かけて駐留地に到着すると鏡華は軍の代表者として会議に赴いた。
「流石は我が軍の姫君。初陣でも緊張なさっていないご様子で」
「今は姫じゃない」
白からの軽口を適当に流しつつ、椿は發が天幕を張る姿を眺めていた。
緊張していない訳ではない。少しでも落ち着こうと努力している最中なのだ。
元気いっぱいの声と共に明峰が小走りでこちらに手を振っている。
鏡華が戻ったのだろうと予想していると案の定、召集がかかっていた。
發、白の二人と分かれた椿は明峰と共に一番大きな天幕へと入っていく。
しっかりと入り口の布が綴じられ、椿がフードを脱いだ事を確認した後に軍議が始まった。
ここから各軍の部隊を展開し於軍を各個撃破していく方針となった為、共同戦線ではなくなったという話だった。
鏡華にとっては椿のお披露目が延期されただけであり、此方に天の人間が居ると仄かせる事が出来たので何の問題も無かった。
ここから更に移動して於軍の一部隊を討つというのが、阿軍に与えられた任務である。
しかし、それは手段に過ぎない。阿軍の存在をこの国に知らしめる為の演出程度にしか鏡華は考えていなかった。
移動だけで疲労困憊の椿は、いつしか緊張感さえも消え去っていたが遂に初陣の時が訪れた。
大声と共に土煙が巻き上がり、各地で戦闘が開始された。
隊を率いているのは空璃と海璃と明峰だ。
鏡華は本陣で指揮を取り、椿は鏡華の采配を隣で眺めていた。
伝令兵の報告によると阿軍が優勢だ。しかし鏡華から余裕の表情は見受けられない。
腕組みをしながら戦況を見ている鏡華を倣い、椿も黙って控え続けた。
しばらくの時が経ち、隣で息を吐く音が聞こえた。
「前線が破られない限り、ここに敵が来る事はないわ」
鏡華は油断しないと思った。しかし、今の鏡華は切れ長の目で椿を見つめ微笑んでいる。
椿を安心させる為か、それとも何か意図があるのか。
そのような考えが巡る前にそれは起こった。
一人の男が剣を構え、鏡華に向かって走って来ている。装備を見ても、明らかに阿軍の者ではなかった。
「鏡華!ここに敵は来ないんじゃなかったのか!?」
「えぇ。でも来てしまったのなら仕方ないわ。殺しなさい」
椿は絶句した。
「聞こえなかったの?あの者を殺せと言ったのよ」
「ちょっと待てよ!」
「貴方が殺さないと私も貴方も死ぬわ。今の私は武器を持っていない。戦えるのは貴方だけよ」
先程の微笑みは嘘だったかのように消え失せ、冷たい声で淡々と言葉が紡がれる。
その間、鏡華は椿の方を一度も見ていない。
鏡華の言葉が椿の頭の中をグルグル回っていた。回るだけでその言葉の意味は正しく認識されていない。椿の頭の中は真っ白だった。
男との距離は縮まっていく。
「椿、覚悟を決めなさい。その肩に担がれた大剣はただの飾りなの?否!それは立ちはだかる者を斬る為の物よ」
向かってくる男を冷ややかな目で睨んでいた鏡華は、椿に向き直り檄を飛ばす。
鏡華の目にはフードの下で情けない顔をしている椿が映っていた。
今の椿にとって必要な言葉を間違えないように紡いでいきたいのだが、思いのほか時間がない。
「貴方は私を護る剣よ。私を死なせたくないのなら、その手に握る剣で敵を斬り捨てなさい!」
早口に捲し立てたが、鏡華の思いは椿に通じた。
無言で鏡華の前に移動し、血走った目をした敵兵を睨みつける。
瑞竜を構え、剣が届く位置まで敵が来るのを静かに待った。
それは一瞬の出来事。奥歯を噛み締めた椿は、勢い良く瑞竜を横薙ぎに振りかぶった。
剣を上段に構えていた敵兵のガラ空きになった横っ腹に瑞竜が迫る。
柄の先端に施された錘が効果を発揮し、薙いだ速度は想像を絶した。それは鏡華も同じで、目を見開いて行く末を見守っている。
鍛錬の時と異なる感覚は、指から腕を伝い脳へと知覚情報として流れた。
それは瞬く間に完了し、椿は喉を鳴らして表情を歪めた。
肉を断つ感覚。それは大木や藁などを切る時とは全く異なる。目の前の敵兵は腹から大量の血を吹き出し、前のめりに倒れた。
椿の白いコートにも返り血が飛び散り、斑点模様を描く。
敵兵から真っ赤に染まった瑞竜へと視線を向けると急に力が入らなくなった。手が震え、唇が震え、全身が震える。
鈍い音を立てて瑞竜が地面へと落ちた。その音を聞くまで自分が瑞竜を握っていられなくなった事を認識できなかった。
ハッと我に帰り、椿は後ろを振り向いた。震える手をそちらに向けて、たどたどしい足取りで鏡華に歩み寄る。その目は赦しを求めていた。
鏡華は一瞬も目を離さないと見開いていた目を閉じて、再度開いたが目の前に椿の姿はなかった。
彼は鏡華に辿り着けず、意識を手放したのだった。
控えていた兵士に椿を後方部隊は下げるように指示を出し、鏡華は敵兵の下へ近付いた。
確実に死んでいる。それは誰が見てもそうだった。しかし、椿は敵の死を確認せずに背を向けた。
これは許し難い事だ。あとで怒ってあげないといけない。だが、自分と主を護った事は称賛に値する。その為に人を斬った事は赦される事だ。あとで褒めてあげないといけない。
鏡華は誰にも気付かれる事なく、口元を緩ませるのだった。
目覚めるとそこは天幕の中で辺りは静かだった。
悪い夢を見ていたのだと思ったが、そんな考えはすぐに吹き飛んだ。
まだ瑞竜を振るった時の感覚が手に残っている。さらに身体を起こすと、離れた所に先程まで着ていた白いコートが畳まれているのが見えた。真っ白のフード付きロングコートには酸化した血がこべりつき、それが現実だと告げていた。
思い出しただけで吐き気がする。
外に出るとすっかり夜になっていた。阿軍は見事に勝利を収めたようだ。
夜風に当たりながら棒立ちする椿は空を見上げている。
太陽はその効力を無くし、椿が屋外でも気兼ねなく出歩けるのは夜だけだ。
「鏡華様を守るために戦ったと聞いた。斬った時の事を覚えているか?」
声のする方を振り向くと、空璃が立っていた。椿は首を縦に振るだけで何も答えない。
「そうか。今はどんな気分だ?」
「苦しい。いや、痛い…かな」
「斬られた方は当然痛い。しかし斬る方も痛いんだ。その心の痛みを忘れた者は外道に堕ちる」
この時、椿は鍛冶屋の店主が言った言葉の意味を理解した。
現代社会であれば罪人だが、この世界では違う。しかし、だからと言って全てが赦される訳ではないのだ。
椿の元から立ち去った空璃とすれ違い、鏡華は椿の元へ向かった。
「剣捌きは鍛錬の賜物ね。ただ油断は禁物よ。肝に銘じておきなさい。椿、私が貴方を赦す。これからも私の側に居なさい」
椿は鏡華の顔を見つめ、静かに微笑んだ。
今回の真相はこうだ。
あの敵兵はあらかじめ捕らえておいた者で気絶させて放置しておいた。手足を縛っておいたが少し力を入れると縄が解けるようにして武器も傍に置いた。やがて気がついた男は武器を持ち、鏡華と椿を襲った。
鏡華にとって、椿は及第点に達していたと言える。
これからの戦において椿の使い方を考える良い機会になった。そして、椿にとってはこの世界で生きていく覚悟を身につける事になった。
彼の中に潜むものはまだ目を覚まさない。しかし、その時期は確実に近づいてきているのだった。




