3 Bystander
「……で、マジでうちに来る気なの?」
終礼後、五組の教室の前で待ち構える夏来を発見した際の、樟葉の第一声がこれだった。
低い声に、睨むような目つき。さも迷惑だと言わんばかりの聞き方だったが、それでへこたれる夏来ではない。
「行くよ。超行く」
「げぇー」
「げぇー、って。そんなに嫌がることないじゃん」夏来はめげずに頼む。「行こうぜー」
「…………」
友達と連れ立って、これから部活に行ったり、家に帰ろうという生徒で廊下はごったがえしていた。二人が押し問答をしている間にも、賑やかな話し声は次々とその側を通り過ぎていく。
結局、先に折れたのは樟葉の方だった。
「……まぁ、いいけど」
そう言ったかと思えば、こうも言った。
「どうせこの馬鹿は言っても聞かないだろうし、一日くらい我慢するしかないか」
「心の声が駄々漏れになってるぞ」
無気力と冷笑癖が骨の髄まで染み付いているらしい。馬鹿呼ばわりされたことよりも、夏来はむしろ、そちらの方が気になったくらいだった。
とはいえ、少なくともアニメ鑑賞の話は本当に承諾してくれたようである。
「それじゃあ、行こうか、日高さん」
「夏来でいいよー」
承諾が貰えた上に、出会ってから初めて名前を呼んでくれた。そのことが嬉しくて、夏来は思わず笑みをこぼす。
「もしくは、なっちゃん」もっと親しくなろうと、過去に呼ばれた記憶のあるあだ名をひたすら列挙する夏来。「もしくは、なつきち。もしくは、なっきー」
「多い多い」
樟葉が面食らったように遮る。それでも構うことなく、夏来は喋り続けた。
「で、樟葉んちってどこなの?」
「とりあえず、勝手に下の名前で呼ぶのやめてもらえませんかね」
◇◇◇
近いから、という理由で丹波連城を選んだだけあって、目的地にはすぐに到着した。
見るからに高級そうな、シンプルだが品の良いデザインのマンション。エントランスには当たり前のようにオートロックが付いていて、樟葉も当たり前のようにそれを利用する。ジョークやドッキリという訳ではないらしい。
外観からして大きなマンションだったが、その上、ワンフロアが一住戸だった。樟葉の個室も、子供部屋とは思えないくらい広い。
「適当に寛いでてよ」と言われた夏来が、落ち着かない気持ちで立ち尽くしていると、そこに飲み物を取りに行った樟葉が戻ってくる。
「……座ったら?」
夏来は「はぁ、どうも」と、促されるままソファに腰を下ろした。正面にはテーブルが置かれ、更に奥には大画面のテレビと、それに見合う大型スピーカー。樟葉の部屋は、半ばホームシアターという様相だった。
出された飲み物も、氷入りのグラスと瓶詰めのオレンジジュースと、阿久津家にあるものは何でも高そうなものばかりだから、寛げと言われても夏来にはそうする余裕がなかった。樟葉がいなければ息が詰まりそうである。
その樟葉はといえば、ラックに収蔵された大量の、アニメのBD・DVDを前に頭を悩ませていた。
「うーん、一般人には何がいいかな……」
「一般人て、樟葉もそうでしょ?」
夏来は素朴に質問してみる。結局、返答はなかったが、それで一種の符丁だということは何となく察せた。
しばらくの間、そのまま考え込んでいた樟葉だったが、
「……何か気になるのでもある?」
ジュース片手に近寄ってきた夏来を見てそう尋ねた。夏来は持ち前の馴れ馴れしさで、早くもこの状況に順応し始めていたのである。
マニアとしてのこだわりなのか、BD・DVDはしっかりと整理整頓した状態で並べられていた。身なりがきちんとしていること、部屋が片付いていることなどを併せて考えると、面倒くさがりではあっても不潔なのは受け付けないのかもしれない。
「『僕は友達が少ない』、『中二病でも恋がしたい!』、『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』……」
聞かれた通り、気になったものを読み上げる夏来。もっとも、その興味は作品そのものとはあまり関係のないところにあったが。
「これタイトルだよね? 何か文章みたい」
「最近の流行だよ。最近ってほどでもないけど」
一般人でない人間にとっては、さして突飛な質問ではなかったらしい。樟葉は淡然と答える。
「タイトルにインパクトが出て興味を引きやすいとか、タイトルだけで簡潔に内容が伝わるのが良いとか何とか。だから、もっと長いというか、あらすじっぽいのもあるよ」
「なるほどねー」
これには思い当たることがあったから、夏来も大きく頷いていた。
「『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』みたいな?」
「……まぁ、そうだね」
樟葉は否定こそしなかったが、やや呆れ交じりの物言いをした。
それから、話は横道に入る。
「ちょっと前は、四文字タイトルが流行ってたんだけどね」
「四文字……」
夏来はそう繰り返した。何のことかよく分からなかったのだ。
「『けいおん!』とか、『らき☆すた』とか」樟葉は具体例を挙げて説明する。「聞いたことない?」
「『ドカベン』とか?」
「違う」
「『あぶさん』とか?」
「いい加減にしろ、野球馬鹿」
今度は否定どころか、明確な罵倒だった。
「馬鹿」の前に「野球」がつくと、褒められているような気にもなるのだが、また罵られそうなのでそれは言わないでおくことにする。
代わりに、「そういえば」と夏来は尋ねた。
「野球じゃなくてもいいんだけど、スポ根みたいなアニメってあるの?」
「スポ根とまで言っていいかは分からないけど、それっぽいのは結構あるよ。私はあんまり持ってないけど」
そう答えてから、樟葉は聞き返してくる。
「そういうのがいい?」
少し考えた後、夏来は「ううん」と首を振る。
「せっかくだし、樟葉の一番好きなやつがいい」
これを聞いた樟葉は、わずかにだが無表情を崩す。不意を突かれたような顔だった。
夏来は続けて言う。
「それに、スポ根なら多分簡単に分かっちゃうし」
「……そうかもね」
何でもないような言い方だったが、樟葉は明らかに呆れかえっていた。
そうして要望を伝えると、樟葉は「一つだけ選べと言われると難しいんだけど……」などと文句を垂れつつ、
「やっぱり一番はこれかな」
と、ようやく一つを手に取った。
「『ある日のアルバム』……」
覗き込むようにして、夏来は横からタイトルを読み上げる。ジャケットには、セーラー服にカメラを提げたキャラクターを中心に、彼女を含めて四人の少女の姿が描かれていた。どちらにしろ、作品の内容はいまいち想像がつかない。
「これは何なの?」
「日常系だよ」
「日常系って?」
「…………」
樟葉はまるで、「ワンポイントリリーフって?」と聞かれでもしたかのように押し黙る。門外漢にはそこから説明が必要なのか、門外漢にはどう説明すれば分かってもらえるのか。そういう種類の沈黙である。
最終的に、樟葉はこう説明した。
「……可愛い『サザエさん』みたいな」
「可愛い『サザエさん』かー、へー」
分かるような、分からないような喩えだった。樟葉も説明し切れていないのは重々承知のようで、すぐに「まぁ、見た方が早いと思うよ」とレコーダーを操作して視聴の準備を始める。
運動神経抜群の樟葉が、その才能を蔑ろにしてまで好きだと言うアニメとは、一体どんなものなのか。夏来は好奇心に胸を高鳴らせながら、改めてソファに座った。
◇◇◇
「どうだった?」
一話を見終えた後、樟葉にそう尋ねられたが、夏来は言葉に詰まっていた。
「んー……」
『ある日のアルバム』の内容は、無趣味で特に取り得もない主人公が、高校入学を機に趣味としてカメラを始め……というものだった。一話は、主人公が高校で新しい友達を作ったり、その友達や幼馴染とカメラを買いに出かけたりした後、初めての撮影で四人の集合写真を撮ろうとして失敗する場面で終わる。
日常系というだけあって、日常的な、とりとめもないような会話が話の大半を占めていた。だから、ギャグなどはくすりと来るところもあったが、全体としては劇的なストーリー展開やハチャメチャなアクションシーンなどはなく――
「別につまんなくはないけどさー、そこまでハマるようなもんかね。『サザエさん』だって、そんな真剣に見るもんじゃなくない?」
そういう感想になった。
怒らせるつもりはなかったが、そうなっても致し方ない感想だったろう。しかし、樟葉は気を悪くした素振りを見せるでもなく言う。
「癒しというか、和みというか」
「癒しねぇ……」
理解ができず、夏来はオウム返しした。
「見た方が早い」という方針は変わらないらしい。樟葉は結局、それ以上の説明はせずに、ただ提案する。
「とりあえず、三話まで見てみようか。それが作法だから」
「……作法?」
夏来は再びオウム返しした。
それから、樟葉の言う通りに視聴を続けたが、三話になっても話の内容や構成に大きな変化はなかった。よって、夏来の感想も、一話の頃とほとんど変わらないままだった。
「やっぱり、よく分からんわ」
悪役や敵役の類は出てこないし、挫折や苦悩といった暗い展開にもならないから、不快感を覚えることはないかもしれない。ただ、その代わりに、勧善懲悪や成功譚的なカタルシスも得られないように思えてしまう。だから、樟葉がそこまで熱中する気持ちがよく分からないのである。
しかし、夏来の感想にはまだ続きがあった。
「でも、ピンクの髪の子は癒しかもしれない」
「セイコね」
「そうそう、セイコちゃん」
樟葉の訂正に、頷く夏来。セイコは主人公カヤノの幼馴染で、温厚かつ大人びた性格をしており、グループ内ではお姉さん的な立ち位置にある。夏来はそのキャラクター性に、何故か妙に心惹かれるものがあったのだった。
会話の最中に気がついて、夏来は今になって根本的な質問をする。
「でも、癒し、癒しって言うけど、そんなに癒されたいの?」
「癒されたいね」
きっぱりと断言したかと思うと、樟葉は逆に問い返してくる。
「夏来は生きるの面倒くさくなったりしない?」
「何、急に……」
「私は面倒くさい。ほんっともう面倒くさい」
「大丈夫か、アンタ」
まさか、そんな深刻な理由でアニメを見ていたのだろうか。これまでの発言を鑑みると、冗談なのか本気なのか分かり辛いから、夏来は簡単に笑い飛ばすこともできなかった。
当の樟葉は、けろりとした顔で尋ねてくる。
「で、どうする? 別のにする?」
「途中まで見ちゃったし、これでいいよ」
そう答えた後、夏来は付け加える。
「ピンクの髪の子も見たいし」
「だから、セイコね」
◇◇◇
「もう七時か……」
夏来は部屋の時計を見ながら呟く。アニメを視聴する間に、思ったよりも早く時間が経過していたようである。
「じゃあ、私、そろそろ帰るね」
樟葉には何か言い出すような気配はなかったが、これ以上長居しては家の人にも悪いだろう。ただでさえ、押しかける形で遊びに来て迷惑をかけたのだから、せめてお礼くらいはきちんと言おうと思う。
「結局、よく分かんなかったけど、今日は見せてくれてありがとう」
「はいはい」
いかにも適当に答える樟葉。他人が何を言おうが、何を思おうが、さしたる関心もない、という風である。
ただ、樟葉になくても、夏来にはあった。
「これって、あとどれくらいあるの?」
「全十二話で、今五話が終わったから、あと三時間くらいかな」
「そっか」
一話完結で話の繋がりが希薄だから、どうにも物語の流れから残りの話数や時間を予想するということができなかった。それでも現在時刻から考えて、長時間視聴したつもりでいたのだが、実際にはまだ半分以上も残っているようだ。
だから、夏来はこう続けた。
「じゃあ、また明日ね」
「また? 明日?」
よほど意外だったのか、樟葉はまず狼狽の声を上げると、次に嫌悪感を露わにする。
「明日も来るつもりなの?」
しかし、夏来からすれば、樟葉の反応の方がよほど意外だった。
「え? だって、続きが気になるし」
「わりとハマってんじゃん」
そう言って、樟葉はじっとりした目つきを夏来に向けるのだった。