2 勧誘②
阿久津樟葉の容姿については前もって聞いておいたから、一年五組の教室に入るなり、夏来はすぐに彼女を見つけられた。
「長い黒髪」「白い肌」「整った顔立ち」「抜群のスタイル」…… チームメイトの言っていた通りではある。
ただ、どういう訳か、樟葉の実像は、夏来が思い浮かべていたイメージからは、かけ離れたものだった。パーツごとには全くその通りなのに、「深窓の令嬢」という雰囲気ではない。休み時間を迎えてクラスが騒がしくなる中、机の右に教科書、左にノートと既に次の授業の準備を済ませ、その上で一人静かに読書に耽る姿などは、まさにそれらしいはずなのだが。
しかし、見た目で野球をするわけではないのだから、そんなことを気にしたのは一瞬だった。
「阿久津樟葉さん!」
「……はい?」
突然の大声に眉を顰めながら、樟葉は手にした本――ライトノベルと言うらしいが、夏来はそれについてよく知らない――から顔を上げた。
「スポーツ得意なんだって?」夏来は初対面とは思えない気安さで言う。「縁子から聞いたよ」
「縁子?」
名前を呼ばれるのを聞いた本人は、友人たちとの会話を中断すると、こちらを振り向いて小さく手を振ってくる。それを見て、やっと合点がいったようだった。
「ああ……」
樟葉は短く呟くと、すぐに彼女から顔を逸らした。それどころか、目の前にいる夏来も無視して読書を再開する。言葉にこそしないが、明確な拒絶の意思表示だった。
だが、夏来もそれでひるんだりはしない。お構いなしに話を続ける。
「50メートル走は?」
「6秒4」
「ボール投げは?」
「50メートル」
「スポーツの経験は?」
「特になし」
「天才か」
どちらもスポーツ未経験者の出せる記録とは思えない。だから、夏来はお世辞抜きにそう賛嘆していた。
対して、今まで本に視線を向けたまま質問に答えていた樟葉は、ようやくこちらを見たかと思えば、
「はぁ……」
とだけ言った。もしかしたら、溜息をついただけかもしれない。
「テンション低いなぁ」
顔を上げた樟葉の、その目を見ながら、夏来は困惑の表情を浮かべる。
最初に樟葉を見た時、イメージと実物との間に感じた大きな齟齬。その理由を、夏来はこの時初めて理解した。
世界の何もかもに興味を失って、冷めきってしまったような、生気のない目。「死んだ魚のような目」という言葉があるが、樟葉の目は、捕食者に襲われた野生動物が、最後には抵抗するのをやめて、ただ虚心坦懐と自分の死を受け入れる時のそれを思い起こさせる。この目のせいで、容姿全体の印象が全く別のものに変わっているのだ。
「あのー、話が見えないんですけど」
早く会話を終わらせたいのか、初めて樟葉の方から口を利いてくる。夏来はそれで自分の言動の滅茶苦茶さに気付いて、「ああ」と声を上げた。
「私は、野球部一年の日高夏来」
今更になって名乗った後、夏来は本題に入る。
「阿久津さんさえ良ければ、是非野球部に入部して――」
「嫌です」
「野球部に――」
「嫌です」
言い終える前から拒否してくる樟葉。運動神経がいいだけに、この手の勧誘には慣れっこということか。
「…………」
「…………」
「野――」
「嫌です」
フェイントに一拍置いても無駄だった。溜まらず夏来は、詰め寄るように身を乗り出す。
「最後まで聞いてくれたっていいじゃん!」
だが、これにも樟葉は、「うるさいなぁ」と、すこぶる迷惑そうにするだけだった。
「野球ダメ?」
スポーツに興味がないらしいということは聞いていたが、いくらなんでも反応が極端過ぎるように思える。自分が大の野球好きなこともあって、夏来は尋ねずにはいられなかった。
「何で?」
「ダルいし、面倒くさいし、暑苦しいし、汗かくから」
「どんだけやる気ないのよ」
同じような意味の言葉を四つも並べ立てる樟葉に、夏来は渋い顔をする。仮にそう感じていたとしても、体面を考えたらなかなか言えないし、言わないだろう。
これに対し、樟葉は淡々と、しかし、きっぱりと毒づいた。
「スポーツは全部嫌いだけど、中でも野球が一番嫌いだね」
「どうして?」
「中継の延長のせいで、アニメの放送潰れるじゃん」
自明の理でもあるかのように、当然という顔をする樟葉。更に、野球部員を前に悪びれるでもなく続けた。
「地上波からどんどん消えてって、こっちは清々してるくらいだよ」
「そこまで言う!?」
知らないところで、随分不興を買っていたらしい。やるのは勿論、見るのも好きなだけに、これほど邪険に扱われるのはショックだった。
夏来は落ち込んだままの頭で、樟葉の発言を振り返る。
「……阿久津さん、アニメが好きなの?」
「うん」
「それで帰宅部?」
「うん」
部活に入れば、その分だけ趣味に使える時間は減るだろう。丹波連城にはアニメ研究会の類の部活もなかったはずである。だから、樟葉の選択は至極真っ当だと言えるが、
「えー、もったいない。超運動できるのに」
夏来からすれば、そんな感想しか出てこなかった。
「それに左利き!」そう言って夏来は、樟葉の左手を取る。「左利きっていうのは、それだけで才能だよ」
これも先に聞いていた話である。実際樟葉は授業の準備として、机の右に教科書、左にノートを置くという、左利き特有の配置をしていた。
「スポーツは体育でやってるくらいなんでしょ? なら、一回真剣にやってみない?」
彼女の手を握り締めると、夏来は煌々と輝くような瞳で言う。
「きっと、野球の楽しさが分かるはずだよ」
これを聞いた樟葉は――
振りほどくように、夏来の手を強く弾いた。
「向いてるからやれって、向いてなかったらやってないわけ?」
戸惑う夏来に、樟葉はそう問い返してくる。表情こそほとんど変わらないが、声のトーンには確かな反発の調子がこもっていた。
「そっちが好きで野球やってるのと同じで、こっちも好きでオタクやってんの」
例の、生気の感じられないはずの目が、夏来を睨む。
「そういうの、勝手に押し付けないでくれる?」
九回5失点。三回戦負け。何も今夏の大会に限ったことではない。似たような経験は中学でもしてきた。
だから、自分に飛び抜けた才能がないだろうことは、夏来も薄々自覚していた。傍から見れば明らかなのか、そういう意味の野次や陰口を耳にしたこともある。向いているか、いないかで言えば、向いていないのかもしれない。
しかし、夏来はそれでも野球をやめようとは思わなかった。
それは野球が好きだからである。
彼女が言うことの方が正しいだろう。そう思った。だから、すぐに謝った。
「ゴメン。そういうつもりじゃあ……」
「別にいいけど」
相変わらず表情には乏しいが、声からは棘が消えていた。許してもらえたようで、夏来は胸を撫で下ろす。
それで、そのまま次の話を始めた。
「お詫びに、私が阿久津さんに付き合うよ」
「……はい?」
よほど意外だったらしい。読書に戻ろうとした樟葉は、危うく本を落としそうになっていた。
「だから、アニメ鑑賞」
一体、何を言い出したんだ、という顔をする樟葉にそう説明した後、夏来は笑顔で付け加える。
「今日、遊びに行くね。よろしく」
「嫌です」
「えー、いいじゃん。見せてよ」
冷淡なまでの拒否姿勢を崩さない樟葉に、夏来はやきもきしながら言う。断られるのは仕方ないとしても、せめてもう少しくらい柔らかい言い方をしてくれてもいいのではないか。
しかし、樟葉は樟葉で、いつまでもしつこく食い下がる夏来を鬱陶しがっているようだった。
「どうせまともにアニメ見たことないでしょ? 分からないでしょ?」
「分からないよ」
あっけらかんと正直にそう答えると、樟葉は苛立ったように質問を重ねる。
「じゃあ、何で?」
「だって、スポーツ苦手ならともかく得意なのに、それでも阿久津さんはアニメの方が好きなんでしょ?」
そこまで言うと、夏来は拳を握って意気を上げた。
「そんなに熱中できるものなのか、分かってみたいじゃん」
樟葉はこれに、一瞬虚を突かれたような顔をした後で、
「……だから、そういう暑苦しくて面倒くさいのが嫌いだって言ってるんですけど」
と、忌々しげに答えるのだった。




