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るき×ろじ!  作者: 我楽太一
第一章 Bystander×Baseballer
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1 勧誘

「おはよう」


 学校の野球場に顔を出した古家ふるいえ穂波ほなみは、すぐにその言葉を訂正した。


「お疲れー」


 太陽が昇りきる前の朝の空気は、この時期でも澄んだ、涼やかなものである。加えて、朝練が始まるまでまだ時間もある。


 にも関わらず、ショートカットから覗く日高夏来の額には、既に玉のような汗が光っていた。インターバルとして立ち止まっていただけで、今の今まで一人で走り込みをしていたのだ。


 朝日に一層と輝く瞳に、意志的なくっきりした眉。中性的な顔立ちだが、それは何も顔に限った話ではなく、夏来は体型にも目立った膨らみがない。練習着のようなパンツルックだと、余計に中性的に見える。


 だから、時々「少年みたい」という言い方をされることもあるのだが、夏来自身はその形容も満更悪くないと思っていた。「少年」の前に「野球」がつくという前提でなら。


 しかし、穂波は、夏来のそういう姿勢が気がかりらしかった。


「また自主練?」


 一つ年上の幼馴染ということもあってか、穂波の夏来に対する態度は姉のそれに近い。今も、ただ心配するというより、半ば咎めるような口調になっていた。


「根詰め過ぎじゃないの。少しは休んだら?」


「休めないよ」


 タオルで汗を拭きながら返答する夏来。内心では、こうして休憩を取る時間すらなくせればいいのにとさえ思っていた。


「負けた後なんだから」


 甲子園行きの切符を賭けた、今夏の兵庫県大会。期末テストが終わり、終業式を間近に控えた七月半ばの現在、大会そのものはまだ続いているが、県立丹波(たんば)連城れんじょう高校は決勝戦(八回戦)には遠く及ばず、三回戦で早くも姿を消していた。しかも、スコア自体も5対2と、惜しくも敗れたとは言い難い。


「何も、なっちゃんのせいだけで負けたわけじゃないでしょう?」


 穂波の弁に、「それはそうかもだけど」と夏来は曖昧に答える。当たり前の話だが、野球はチームスポーツである。


 しかし、夏来はそんな理屈で自分を納得させることはできなかった。


「一応エースなのに、あんなに打たれちゃったわけだしさ」


 野球の守備において、最も重要な役割を担うポジション。それがピッチャーである。


 野球の勝敗は七割ピッチャーで決まる……というのは流石に言い過ぎだが、守備について言えば七割がピッチャーに懸かっていると考えても強ち間違いではないらしい。先発ローテーションや投手分業制が確立されているプロと違い、高校野球ではエースピッチャーの連投・完投が珍しくないから、その重要性は更に増すことだろう。


 夏来は一年生にして、そのエースピッチャーの大役を任せられ――


 そして、その結果が九回5失点の失態だった。


 その上、5対2ということは、打線の援護がなかったわけではない。ピッチャーの出来次第で、どうとでもなった試合である。それだけに、自分のせいで負けたという意識は余計に強かった。


 ただ、もし仮にスコアが5対0だったとしても、おそらく自分の行動にさしたる変化はなかっただろうとも夏来は思う。それはチームの一員としての責任以上に、一個人としての悔しさが自分を突き動かしていたからである。


 長い付き合いのせいか、詳しく語らずとも考えていることは悟られてしまったようだった。穂波は心底憂うような声色で言う。


「あんまり無理しないようにね」


 それはキャッチャーとしてバッテリーを組んだ責任感からか、それとも幼馴染として純粋に心配だからか。あるいはその両方かもしれないが、何にせよお説教というのは積極的に聞きたいものではない。夏来は「はいはい」とおざなりに返事をして、強引に話題を変えることにする。


「今は私のことより、野球部の心配が先でしょ」


 不純な目的があったとはいえ、これも重大な懸案事項には違いない。


「部員、あと一人どうするの?」


 三年生の引退などの影響で、野球部には現在八人しか部員がいなかった。最低でも、あと一人いなければ試合にならない。


「部員ね」考えがまとまらないのか、穂波は無意味な反復をする。「どうしようかしらね……」


 とはいえ、夏来も何か具体的な解決策があるわけではない。だから、こちらも意味のない返答になった。


「春は結構いたんだけどなぁ」


「監督はちょっと厳しいから」


 リタイアが出るのは、さほど珍しいことでもないらしい。今年も、四月には六人いた新入部員が、七月の現在では三人にまで減っていた。


 だから、穂波の言うような「ちょっと厳しい」という表現が適切かどうかは疑わしいところだが、それでも夏来は一概に監督を責める気にはなれなかった。


「自分が倒れるくらいだもんね」


 詳しい病名等は聞かされていないが、元々健康上の不安を抱えながらの監督業だったという。それが体調不良を押してまで指導を続けた結果、大会前にとうとう倒れてしまい、今もって入院中なのである。確かに厳しいには厳しいが、その厳しさはまず自分に向けられていて、大上段から理不尽な指導を行うような、前時代的なタイプの指導者ではないのだ。


 それだから、早く部活に出てきて欲しいという気持ちと、この際ゆっくり養生して欲しいという気持ちが、夏来の中では半分半分であったのだが、穂波はそれとは全く別の意見を口にしていた。


「なっちゃんも、気を付けないとダメよ?」


「分かったから」


 話題を変えたつもりが、回りまわって戻ってきてしまったようである。夏来は辟易としながら、そう答えた。


「でも、秋の大会までに何とかしないとヤバイよね」


 今度の発言は、ただの話題転換でもなかった。


 基準がやや不明瞭ではあるが、ともかく秋の大会でなるべく勝ち進むことが、春の甲子園出場校に選抜される上で大きな要素となっている。また、女子の兵庫県大会では、秋の大会の結果が夏の大会のシード権獲得にも関わってくる為、尚の事勝ち進むことの意義は大きい。春に新一年生が入ってくるのを待つような余裕はないのだ。


 そうして焦る夏来だったが、穂波はそれ以上に焦燥感を覚えているようだった。


「秋じゃあ遅くない?」


「え?」


「〝毎年夏休みの終わりに、陵央りょうおう高校と練習試合やってる〟って前に言わなかった?」


「あー……」


 夏の大会の後、三年生が引退した新チームを対象に、秋の大会のシード権を賭けた新人戦(新人大会)が開催される地域もあるが、兵庫にはそういった制度はない。ただ、公式なものではないが、丹波連城と陵央との間で、毎年新人戦として練習試合を行う伝統が古くから存在していた。


 共に強豪と呼ばれていた頃に始まったこの新人戦だが、公立校と私立校の差が出たのか、近年は丹波連城の凋落に伴って、互いの実力差は大きなものとなっていた。その上、人数不足を理由に棄権したとなると、事によっては廃止という話まで出てくるかもしれない。


「じゃあ、マジでヤバイじゃん」


「マジでヤバイわね」


 青い顔で言う夏来に、これまた青い顔で穂波は頷いた。


「新入部員探すか、辞めた子に戻ってもらうか」夏来は頭を捻る。「最悪、試合の時だけ助っ人を頼む手もあるけど……」


 個人の実力の面でも、チームの連携の面でも、正規の部員として普段から練習に参加してもらうのが一番良いのは確かだろう。それは穂波も同意見のようだった。


「またヒロちゃんの時みたいに、有望な新人を呼んでこれない?」


 以前に、クラスメイトが「家業の道場でやる剣道が嫌いなわけではないが、学校でやる部活にも興味がある」というようなことを言うので、夏来が半ば無理矢理に野球部まで引っ張ってきたことがあったのである。


 しかし、もう一度同じことをするのは難しいだろう。あの時とは状況が違う。


「もう一学期も終わりだし、そういう子はみんな部活入ってるんじゃないの?」


「帰宅部の有望な新人とか」


「そんな都合の良い――」


 人材がいるかな、と言おうとして、


「あ!」


 と、夏来の脳裏に閃くものがあった。


「そういえば、前に縁子が〝クラスに、帰宅部なのに運動神経抜群の子がいる〟って言ってたかも」


「それ本当?」


 穂波が顔をほころばせる。夏来は聞かれるまでもなく、チームメイトとの会話を思い返していた。


「うん、言ってた言ってた」


 気まぐれを起こして野球部に来てくれればいいのに、という話をした記憶もある。後で確認は取るつもりだが、まず間違いないだろう。光明が見えたかもしれない。


 夏来は「よしっ!」と叫んで、自分に気合を入れる。


「休み時間にでも、早速勧誘に行ってみるよ」

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