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魔力ゼロで家を追い出されたら、幼なじみの大魔導師様に「頼む、俺のそばにいてくれ」と離してもらえません  作者: フトダマノミコト


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第16話 そばにいてくれ

最終話になります。

 塔に戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。


 丘を登りきると、玄関の前でハロルドが灯りを掲げて待っていた。


「お帰りなさいませ」


 老執事は、それだけ言って深く頭を下げた。


 声が震えていたことに、ルチアは気づいた。


「ただいま、ハロルドさん。……心配をかけて、ごめんなさい」


「いいえ。お帰りになったのなら、それでよいのです」


 ハロルドは顔を上げて、目尻のしわを深くした。


「胡桃のパンは、召し上がりましたか」


「……馬車の中で、全部」


「それはよかった」




 塔の中は、ひどい有様だった。


 窓という窓が割れ、廊下の燭台は床に散らばり、壁の亀裂はルチアが初めて来た日よりも大きくなっている。


「これ、全部……」


「俺だ」


 シリルが、ばつが悪そうに言った。


「お前がいないとわかって、抑えがきかなくなった」


 ルチアは、散らばった破片を見回した。


 たった一日で、ひと月半かけて取り戻した塔の姿が、元に戻ってしまった。


 それだけ、シリルは苦しかったのだ。


「……研究室へ行こう」


 シリルに手を引かれて、ルチアは階段を上った。


 研究室も、窓が割れて夜風が吹き込んでいた。けれど窓際の長椅子だけは、不思議と無事だった。


 シリルはルチアをそこに座らせ、自分はその前に膝をついた。


「シリル?」


「ルチア。話したいことがあると言っただろう」


 紫の瞳が、まっすぐにルチアを見上げていた。


「伯爵家で、俺が手紙を送っていた話をしたな」


「……うん。私、知らなかった」


「知らなくて当然だ。届かなかったんだからな」


 シリルは、ルチアの両手を自分の手で包んだ。


「八歳のとき、お前に手を握られて、生まれて初めて頭の中が静かになった。それから何年もかけて、その理由を調べた。十五のとき、お前が魔力を持たないと知って、ようやく仮説にたどり着いた」


 シリルの声は、静かだった。


「それで、手紙を書いた。……だが、ルチア。誤解しないでほしい」


 包まれた手に、力がこもる。


「俺がお前に会いたかったのは、魔力を静めてほしかったからじゃない」


 ルチアは、息を止めた。


「植え込みの陰で、苦しんでいた俺に、お前は何も聞かずに手を握ってくれた。俺に近づけば誰もが目眩を起こして逃げていく中で、お前だけが逃げなかった。……あのとき俺は、生まれて初めて、誰かにそばにいてほしいと思ったんだ」


「シリル……」


「お前の体質がわかったのは、ずっとあとのことだ。順番が逆なんだ。お前が器だから会いたかったんじゃない。会いたいと思った相手が、たまたま器だった」


 夜風が、割れた窓から吹き込んで、二人の髪を揺らした。


「お前が塔に来た日、俺はお前を器だと言った。そう言わなければ、お前はここに留まる理由がないと思ったからだ。家を追われたばかりのお前に、別の言葉を押しつけたくなかった」


 シリルは、少しだけ目を伏せた。


「だが、それがお前を苦しめた。お前は自分を道具だと思い込んで、俺のために出ていった。……すまなかった」


「違う、シリルのせいじゃ」


「俺のせいだ。だから、今度こそちゃんと言う」


 シリルが、顔を上げた。


「ルチア。たとえ明日、俺の魔力がすべて消えても、お前の体質が変わっても、それでも俺はお前にそばにいてほしい。器としてじゃない。ルチアとして」


 紫の瞳が、灯りを映して揺れていた。


「俺と、結婚してくれないか」


 涙が、頬を伝った。


 止めようとしても、止まらなかった。


 欠け者。役立たず。家の恥。


 十年間、そう呼ばれ続けた。何も持たない自分は、誰にも必要とされない。そう信じてきた。


 でも、この人は違った。


 何も持たないルチアを、ずっと探してくれていた。


「……私ね、シリル」


 ルチアは、涙を拭うこともせずに言った。


「塔を出るとき、本当は、ずっとここにいたかった。器でもいいから、あなたのそばにいたかった。グランツ様に何を言われても、あなたの手だけは離したくなかった」


 シリルの手を、ぎゅっと握り返す。


「あなたが好きよ。……器じゃなくても、そばにいていいなら」


「いいに決まっている」


 次の瞬間、ルチアはシリルの腕の中にいた。


 強く、強く抱きしめられる。夜風の冷たさが、どこか遠くへ消えていった。


 シリルの胸の奥で、鼓動が速く鳴っているのが聞こえた。


 自分のものと、同じくらいに。


「……静かだ」


 耳元で、シリルがつぶやいた。


「お前がいると、本当に静かだ」


「魔力が?」


「それもある」


 シリルは少しだけ体を離して、ルチアの額に自分の額をこつんと当てた。


「だが、それだけじゃない。お前がいると、俺は安心できる。生まれてからずっと探していた場所に、ようやく帰ってこられた気がする」


 ルチアは、泣きながら笑った。


「私も。……私も、やっと帰ってこられた」




 割れた窓の向こうで、月が静かに輝いていた。


 階段の下では、ハロルドが後ろを向いて、こっそりと目元を拭っていた。




 それから半年後。


 王都外れの丘には、季節外れの花が咲き乱れていた。


 塔の窓はすべて新しい硝子に入れ替えられ、庭では香草が青々と茂っている。台所からは、毎朝のように胡桃のパンを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。


 国一番の大魔導師が、魔力を持たない妻を迎えたという話は、王都でちょっとした噂になった。


 けれど塔の主は、そんな噂など気にも留めない。


 今夜もまた、彼は妻の手を握って眠りにつく。


「ルチア」


「なあに」


「そばにいてくれ」


「……ずっと、いるわ」


 ひんやりとした大きな手が、眠りに落ちる直前、そっと握り返してくる。


 役立たずと呼ばれた娘は、もうどこにもいない。


 ここにいるのは、たったひとりの大切な人の隣で、穏やかに眠る幸せな妻だった。


(完)


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