第六十六話 勇者の軌跡
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「俺達はここまでだな。瘴気避けの魔道具を使っても、これ以上進めば防ぎきれない。本当に行くのか、ローランド?」
「ああ、もちろんだ。邪竜をどうにかしないことには俺たちに未来はない。瘴気だけでもどうにかしないと、いずれ俺たちは互いに殺し合って滅ぶぞ。」
その場には五人の男達がいた。そのうち、先へ進むと宣言した一人は軽装の革鎧に腰には剣を提げた剣士風の男。
しかし、残りの四人は少々奇妙な格好をしていた。頭の先から足元までをすっぽりと覆い、どこに継ぎ目があるのかも分からない厚手で動き難そうな服。
顔面を覆う仮面は周囲の服と一体化しており、目の部分さえ硝子のようなものがはめ込まれていて露出していない。
おそらくこの服が瘴気避けの魔道具なのだろう。喋る声さえくぐもっていて、男女の区別も難しかった。
「ローランド、君は瘴気を受け付けない特殊体質だが、この先の濃い瘴気の中でも無事だという保証はない。異常を感じたらすぐに引き返すんだ。」
「悪意の邪竜に関しては不確かな噂話ばかりで実体はまるで掴めていない。無理に倒そうとせず、とにかく情報を集めるんだ。」
「この辺りは瘴気が強すぎて生き物が住めない『死の大地』と呼ばれているが、魔獣が発生しているかもしれん。くれぐれも油断するなよ。」
「我々は一つ前の拠点で待つ。期日になったら、何の成果がなくても一度戻って来るんだ。」
「ああ、絶対に何か成果を上げて戻って来る。」
男は、仲間たちから声を掛けられ、食糧等の入っていると思しき荷物を受け取ると、仲間と別れて一人進み始めた。
「本当に何もないな。こんなところで、邪竜はいったい何がしたいのやら。」
死の大地と呼ばれたその場所は、その名にふさわしく生物の気配がなかった。虫の一匹、草木の一本も生えていない。
それはそれで安全な道行に思えたのだが、そこまで甘くはなかった。
「! こいつが、魔獣と言うやつか。」
男は剣を抜いて警戒する。その視線の先には、大型犬くらいの大きさがあるどこか歪な動物がいた。
魔獣とは瘴気などによって大きく変異し、特異な能力を獲得したり本来の性質を大きく変化させた獣の総称である。もっとも、獣とは言い難い鳥や魚や虫などが魔獣となることもあるし、果ては植物や死骸、どう見ても非生物が動き出して魔獣と化すこともあるのでこの辺りの定義はかなりいいかげんだった。
なお、変異した状態で種として定着したものは魔物と呼んで魔獣とは区別されていた。
「グルルルル……」
男の前に現れたのは、明らかに動物が変異したもの。魔獣と呼ぶにふさわしい魔獣だった。
「ハッ!」
男は、襲い掛かってきた魔獣を一太刀で切り伏せた。相当腕は立つようだった。
「なんだ!? こいつネズミか?」
倒した魔獣をひっくり返して調べていた男が驚いた声を上げる。尖った鼻、細長い尻尾、突き出た前歯。巨大化し変質してはいるが、魔獣は所々にネズミの特徴を残していた。
「こんな何もない場所で、一体何を喰ってここまででかくなったんだ、こいつ?」
魔獣の生態は謎に満ちていた。
「いったい何処にいるんだ、邪竜の奴は?」
男は小高い丘の上に登って周囲を見渡していた。
「噂では、邪竜は天を覆うほどの巨体なんだが、……影も形も足跡すら見当たらないな。一日歩いても魔獣にしか会わなかったし。」
草木も生えていない荒野は見晴らしが良かった。しかし、巨大な生物の姿どころか、その痕跡さえも見当たらなかった。
たまに動く影があっても小さなもので、おそらくは魔獣であろう。
「……地下にでも潜っているのか? だとすると、面倒だな。」
男は丘を降りて歩みだす。
「とりあえず、瘴気の濃い方へ行ってみるか。俺、瘴気の感知は苦手なんだよな……」
男は地面にぽっかりと空いた穴を覗き込んでいた。
「瘴気には鈍い俺でも、ここまでくればはっきりとわかる。ここが瘴気の吹き出し口だ。」
男は背負っていた荷物から必要なものを取り出すと手早く作業を進めた。
まず地面に杭を打ち込み、そこにロープを括り付ける。ランタンに火を灯すと腰に引っ掛けた。
そしてロープを手に、穴に飛び込んだ。
穴は三メートルほどで底に達し、そこから横穴が続いていた。
「この先に邪竜がいるのか? まあ、瘴気の強い方へ行ってみればいいか。」
男は横穴の奥へと進み始めた。
「洞窟かと思ったら、地下遺跡だったか。」
男が進むにつれ、周囲はむき出しの土岩から、床も壁も明らかに人工物に変わって行った。
「そして、やっぱり魔獣も出るか、よっと!」
男は、ふらふらと近付いて来た巨大化した蝙蝠のような魔獣を軽く躱して切り伏せた。
「しかしこいつ、魔獣化してかえって弱くなったんじゃないか。」
魔獣となった蝙蝠は、体が大きくなった分、自在に飛べずに動きが鈍かった。
人が遭遇する魔獣はだいたいが強くて狂暴だ。しかし、瘴気で変質した魔獣が必ずしも強くなるわけではない。弱くなった魔獣は人目に付く前に死ぬだけなのだ。
その後も男は遺跡の中を進んで行った。その歩みはかなり速い。遺跡の調査が目的でないため、学者ならば注目しそうな様々な遺物に目もくれずに進んでいるのだ。
そして、結構複雑な遺跡の通路を迷わず進んで行く。
「ここは、……瘴気の強いのは右か。行ってみよう。」
瘴気を頼りに、分かれ道も気にせずに進む。行き止まりに当たったらその時考えようという適当なやり方だったが、今のところうまく行っているようだった。
「魔獣も見かけなくなったな。奥の方にはうじゃうじゃいるのかと思ったのだが。」
奥の方の瘴気の強い場所の方が生物は変異を起こしやすい。しかし、瘴気が強く、食べ物もろくにない遺跡の奥は生き物が住み続けるのに向いた環境ではないのだ。
結局、魔獣が発生するのは、たまたま遺跡に潜り込んだ動物が徘徊する入り口付近に限定されていた。
そして、奥の方に魔獣が少ない理由がもう一つ。
「なんだ、あれも魔獣なのか?」
通路の向こうを奇妙な物体が移動していた。全体的に白く、ほぼ円筒形の体に両腕を付けた奇妙な容姿。どこが顔なのか分からないが、円筒の上部に目らしき輝きが瞬いている。足が付いているようには見えないが、通路を滑るように進んでいた。
謎の物体は、男の姿を認めると速度を上げて近付いて来た。目の色が赤く変わり、それが声なのか警戒音らしき甲高い音を発している。
「うおっ!」
咄嗟に斜め前に飛び退いた男の背後でネットが広がった。どこに隠し持っていたのか、いきなり男に向かって投げつけてきたのだ。ネットに殺傷能力はなくても、絡め捕られれば袋叩きにあっただろう。
男はそのまま進み出て、丸い胴体に向けて剣を振り抜く。
――ガン!
およそ生き物を剣で斬りつけたとは思えない音が響いた。
「硬いな、おい! 全身鉄でできているのか!?」
斬りつけられたダメージもないのか、先ほどと変わらない様子で男に向かい、腕を振り上げた。体格に比べて細く見える腕の先には棒きれのようなものが付いていた。
振り下ろされた棒切れを、男は剣で受けるが――
「くっ、重い!」
相手の予想以上の力の強さに、男は顔を顰める。
近くでよく見れば、円筒形の高さは男の胸のあたり。しかし横幅は男よりも広い。男が感じたように、その体が鉄で覆われているのならば相当な重量になる。当然その体を動かす力も相当に強いだろう。
男は力比べでは不利とみて、棒切れを受け流して横に躱した。そして次々と振られる腕と棒切れを避けながら、その丸い体に斬撃を入れて行った。
幾度目の斬撃だっただろうか、剣で斬るというよりも叩くといった方が良い攻撃を続けたことが功を奏したのか、それともたまたま急所に出も当たったのか、相手は動きを止めていた。
「ようやくかよ。どけだけ頑丈何だか。」
一息つく男、だが安心するのは少々早かった。
「おいおい、勘弁してくれよ!」
先ほどの個体が呼び寄せたのか、そっくりな円筒形の体が十体以上向かって来ていた。
男は一目散に逃げだした。
男は周囲を見回しながら、慎重に進んで行った。先ほどの戦闘がよほど懲りたのだろう。
「あれが遺跡を守る守護者と言うやつだったのだろうか。足が遅かったから助かったが、囲まれたら危ないところだった。」
男は慎重になりながらも、歩みを止めることはなかった。
慎重に進んだ甲斐があってか、その後は戦闘も行わずにここまで来たのだが――
「こいつは魔獣か? それとも守護者か?」
男が通路の角に隠れながらこそこそと覗き見る先には、ここまでで出会った魔獣とも守護者(?)とも違った姿をしたものがいた。
外見的には人型といえるだろう。しかし頭部は小さく盛り上がった両肩に埋もれてしまいそう。両腕は太く長く、手の先には長くて鋭い爪が付いている。
体には、頭髪を含めて一切の体毛がなく、黒い皮膚は硬質な感じがした。顔のパーツは人間と同じだが、どこかのっぺりとした無表情で、知性を感じられなかった。
「まずいっ! 目が合った。」
男は大慌てで引っ込むと、剣を抜いて通路を後退った。
「いや、ここは一当てするべきか。向こうの力量が分からないのも問題だ。」
男が覚悟を決めるのとほぼ同時に、通路の角から黒い人影が姿を現した。
「速い!」
白い守護者とは打って変わった足の速さに驚愕する暇もなく、黒い人影は目の前まで迫り、大きな爪を振り下ろした。
「くっ!」
男は反射的に爪を避けると、そのまま剣で斬りつけた。僅かに掠ったのか、男の頬から一筋の血が流れた。
「今のは、危なかった。避け損なっていたら命はなかった。……え?」
男の目の前で、たった今斬って倒した黒い人影が消滅した。あとに残ったのは水晶のような結晶が一つ。
「何だったんだ、一体?」
男は疑問を抱いたまま、結晶を拾って探索を続けた。さらに慎重になったことは言うまでもない。
「さて、そろそろ終点だと思うのだが……。」
男は遺跡の奥深くへと進み、ついに最も瘴気の濃い場所を探り当てた。
「ここで、合っているよな? 無茶苦茶瘴気が濃いし。」
その場所は、普通の生き物ならば魔獣化する以前に死んでしまうほどに瘴気が濃かった。むしろ、男が生きて普通に動けることの方が不思議であった。
しかし――
「なんで、何も無いんだ?」
その部屋には何もなかった。邪竜はおろか、守護者や魔獣の姿もない、空っぽの部屋だった。
「だが、間違いなくこの部屋から瘴気は溢れている。一体どこから出て来るんだ?」
男は部屋の中をさらに詳しく調べ始めた。何も無いように見えても、どこかに瘴気の発生源があるはずだった。
「これだな。間違いなく瘴気はここから出ている。しかし、これは……。」
男が困った顔をする。
男が見つけた瘴気の噴き出し口は、部屋の片隅、床から伸びた一本のパイプ。その先端に開いた口だった。
「床下を通って別の部屋から瘴気が送られてくるのか、ここよりももっと下に何かあるのか。」
男は近くの床を叩いてみたりして調べたが、床下に入れそうな入り口は見つからなかった。試しに剣で斬りつけて見ても、床板は傷一つ付かなかった。
「困ったな。最悪この遺跡を虱潰しに探さないと瘴気の元が見つからないぞ。」
男は瘴気の濃い方へと進んできたため比較的短時間でここまで来れたが、地下遺跡そのものはかなり広い。さらに下階が存在する可能性も考えるとどれだけ広いか分からない。その上魔獣や守護者の妨害まであると、遺跡の全容を調べ上げるのにどれほど時間がかかるか分からなかった。
「とりあえず、簡単に出来そうなことからやっておくか。」
男は再び瘴気の吹き出すパイプを眺めた。
床から突き出したパイプは、その中ほどにハンドルが付いていた。
「ちゃんと、動くようだな。」
男はハンドルを軽く左右に捻ってみた後、大きく回して行った。すると――
「……瘴気の噴出は止まったようだな。」
パイプの先端から噴き出していた瘴気は止まっていた。瘴気の供給が停止した室内は、徐々に瘴気の濃度が下がってきているようだった。
「これで一旦様子を見るか。他にも瘴気が噴き出している場所があるなら、また瘴気をたどって行けばいいだろう。」
男は、少々釈然としない表情で、来た道を引き返すのだった。
勇者のお仕事=元栓を閉めただけ。
いや、まあ、勇者ローランド以外には成し得ないことなんですけどね。




