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ネコと勇者と魔物の事情2  作者: 東風 晶子


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4.秘め事

14,000文字……あれ?

 通りのそこかしこで祝祭の賑やかさが溢れる町、レシェム。

 王都から離れた場所ながら、大街道沿いの比較的大きな町とあって、祝祭の影響は色濃い。

 とはいえ陽が既に落ちたこの時分、大通りから逸れれば一気に夜の闇に覆われる。

 寝静まるほどの時間ではない。それでも人出は大通りに集中し、一歩路地に入れば住民の穏やかな日常があるだけである。

 窓から明かりが漏れ、ささやかな話し声が路地を彩る。

 そんな路地裏のひとつに佇む人影があった。

 まるで人目を避けるように、建物の間の僅かな隙間に体を滑り込ませている。

 簡素な旅装に外套。付属のフードを目深に被り、壁に背を預けている。その視線は反対側の壁に向けられ、揺らぎもしない。


「だからさ……今動くのはだめだって。城は完全に落ちたことになってるし、暫くは周りも大人しい筈だから」


 心持ち潜められた声が、闇に落ちる。

 漆黒の双眸が見据える先には隣家の壁。赤茶けた、何の変哲もない土壁はなぜか表面が不自然に波立っている。

 時折ゆらりと色を変える様子は、水面のようだ。


「ですがエルさま、この機に乗じて攻めてくるやからがでてこないとも知れません」

「そうです。なによりアイツが諦めるとは思えませんよ」


 矢継ぎ早に響くのは二人分の声。

 波紋を広げる壁に映し出されているのは、二つの人影だ。

 長い水色の髪を持つ青年に、藍色の髪をした異国風の衣服をまとった青年。どちらも整った容姿をしていたが、その美しさや雰囲気はどこか人間離れしている。

 それもそうだろう。

 彼らは人間ではない。水色に藍色という、人間には持ち得ない色彩の頭髪は、彼らが魔物である証だ。

 彼らの正体は、カディス近くにある『城』の幹部。中でも四天王の地位にある両者は、事実上『城』を動かしているといっても過言ではない。

 何しろ、彼らの主であるところのエルが城を空けているのだから。


「せめて城に戻って頂く訳には参りませんか」


 金色の目を伏せてそう伺うのは、スイ・キーラル。魔法を得意とするエルの腹心だ。


「ずっと城に居ろとは言いませんけど……時々そっちに行く形じゃ駄目なんですか?」


 現在は城を常に空けた状態であり、時々こうして連絡を取り合うのが関の山である。

 その不満を隠すことなく言い放つ、もう一人の腹心アイシャ・ヴォルグ。

 一見、性格も行動も正反対とも思える二人だが、基本的な部分では馬が合うらしい。特にエルに関する諸々については、かなりの確率で意見の一致をみせる。


「あー……うん、そうしたい気持ちはあるんだけどね……」


 そして、二人がタッグを組んだときほど厄介なことはない。

 そのことを痛感している彼らの主であるところのエル。

 壁に背を預け、腕組みをした姿勢の彼は、現在人の姿に偽装中である。

 髪と目は漆黒に、耳や牙、爪といったいわゆる"魔物らしい"特徴は魔法によって変化済みだ。

 その上にフードを目深に被っているため、傍目にはただの旅人にしかみえない。

 因みにエルが羽織っている外套はスノウのものである。

 疲労の余り寝落ちしたスノウに替わり、夕食の調達のため街へ繰り出してきたのだ。よくよく顔を覗きこまれでもしない限り、宿の人間はエルを「スノウ」だと思い込むだろう。


「まだ原因どころか切欠きっかけすら見当もつかないから……もう少し調べたいんだ」


 せめていきなりネコに変化してしまう状態をどうにかしたい。

 そう思っての行動ではあるのだが、そのせいで彼らに負担を強いていることもエルは理解していた。


「ごめんね、勝手してることはわかってるんだけど。なるべくこまめに連絡入れるようにするから」


 謝罪をすると、アイシャは渋面で、スイは無表情のまま頷いた。

 納得していないが、とりあえず納得したことにする。そんな副音声が聞こえてきそうだ。


「エルさまの"なるべく"はまあ耳半分程度にしておきますけど。当面の指示をお願いします」


 明らかに『信用できるか』と言うアイシャは、相変わらず隠す気が見られない。

 長い付き合いとはいえ、主人相手に随分な態度である。

 エルはといえば、すっかり慣れたもので気にする素振りもなく、「うん」と頷いて話し始めた。


「今のところは守りだけ固めておいて。

 間違ってもこっちから戦端を開くのだけは避けてほしい。降りかかる火の粉は払って貰って構わないけど」


 不測の事態が起き、エルが城を後にしたあの日から17日が経過していた。

 時々、こうして即席の『水盤』で連絡をとりあっている為、城のことは大体エルも把握している。

 そもそもこれまで、エルが自ら城のことに口出しをすることの方が珍しかったのだ。その間、城はスイやアイシャといった幹部の指示で稼動していた。それも一年や二年の話ではないのだから、城主とはいえエルの影響力など皆無に等しい。

 その気になれば、エル不在のまま城をこれまでどおりに保つことは容易いはずだ。

 だが、彼らがエルに敢えて城に戻るよう勧めるのにはある理由がある。

 王国軍への敗北だ。

 城が人間に「落ちた」という情報が流れるにつれ、城の周囲をうろつく魔物が増えた。

 それも魔獣などではなく、組織に属していそうな魔人や明らかに斥候とわかる複数の魔物、時には下級貴族らしき姿もあるらしい。

 結局は火事場泥棒だろう、というのが彼らとエルの共通の見解だが、放置でいいというエルに対し、彼らを含めた城の魔物たちには看過できないらしく。やはり自分の城や城主が侮られるのは腹に据えかねることのようだ。

 なので、手っ取り早くエル自身でその噂を払拭して欲しいというのが彼らの主張である。

 気持ちはわからなくもない。見知らぬ魔物にうろつかれるのも煩わしいだろう。

 だが、事情が事情である。

 下手に反撃に出れば、城が落ちていないことなど簡単にバレてしまう。

 それはエルの望むところではない。

 難しい顔をしている彼らを見つめ、エルはふと唇に指を当てる。


「スイ、乗り込んで来そうな連中の目星はついてるんだっけ?」

「乗り込ませはしませんが……はい、幾らか情報が入ってきています」


 エルの言葉にスイが頷く。

 元々あまり表情の動かないスイだが、今は僅かに強張っているように見える。それだけスイも事態を憂慮しているのだろうと思い、エルは思考をめぐらせる。


「うーん、なら脅すくらいはいいかな? 壊滅させたりしないで、ちょっとだけ。

 いい? やりすぎはだめだよ。

 あとこちらの被害は許可しない。兵ひとり、かすり傷ひとつ許さないからね」


 先方の被害に関しては"やりすぎ"なければいい、とざっくりとした命を下す。

 エルは単純に"今"目立ちたくないだけなのだ。このまま永久に岩山でいようとまでは思っていない。

 エル一人しかいない城ならばまだしも、アイシャやスイを始めとした多くの魔物を抱えている。静かに暮らせというのは、魔物にとっては酷だということも、わかっている。

 ただ、折角「人間に負けた」という体裁を取っているのだ。ならば真実が明るみに出るまではこの情報を有効活用しない手はない。

 エル自身に起きている異変もさることながら、何より作りかけの『仕掛け』を完成しておきたかった。

 岩山と認識させているうちはまだ良かったのだ。

 そこがエルの城だと知る者は少なく、エル自身殆どひきこもっていたのでちょっかいをかけてくるような暇な連中はいなかった。

 実力と野心を抱いた厄介な連中はエルなど眼中になく、呑気に構えていられたのだ。

 だがそれなりに城として機能することがわかれば、エルに目を向けてくる者も現れる。兄、ヴァスーラのように。

 既にばれてしまったものは仕方ないが、ここで「人間に負けた」程度の実力だと思われればまだ猶予が伸びる。

 戦力差は如何ともしがたいものだ。ならばせめて防御だけでも磐石ばんじゃくにしなければ、とエルは思っていた。


「もちろん、皆がそのへんの雑魚に遅れを取るとは思わないけど、油断は禁物だよ。

 これは二人にも当てはまるんだからね。間違っても自ら突っ込んでいったりしないでよ」


 エルの執拗な念押しに、スイは首肯する。神妙にも見えるが、案外"やりすぎて"しまうことはアイシャよりも多い。


「それから、兄様に関しては考えるだけ無駄だから。兄様に本気で来られたらこっちの防御なんて紙同然だし。どうせまたちょっかいかけてくるよ」


 放置していいと言うエルに、アイシャは渋面だ。


「万一の時は例の仕掛けで時間かせいでおいて。……大丈夫、兄様の好きなようにはさせないからさ」


 ね、とアイシャを伺えば、アイシャは数回瞬きをした後、口を尖らせる。


「……わかりました」


 非常に不満そうである。

 だが、こちらも譲れないのだ。噂の払拭はもう少し待ってもらわねば。


「何か策がおありなのですか?」


 スイが控えめに聞いてくる。


「まあね。伊達に血族じゃないよ、兄様に使えるカードは幾つかあるし」


 といっても今も効果があるかどうかは不明だ。何しろ有効だったのは遥か遠い過去である。カードの内容が「泣き落とし」とか「上目遣い」とかであるのは、口が裂けてもいえなかった。


「……カードが無効だったら、最悪本気出しての殴り合いかな? 兄弟喧嘩とか初めてだなあ」


 ふわふわとエルが笑う。緩く微笑むその姿は、『殴り合い』の単語がひどく不似合だ。

 確かに普通の兄弟であれば微笑ましいのかもしれない。ただここで喧嘩を始めるのは最強の竜族2名だ。人型であればまだしも、本性を晒した上でとなれば周辺被害は甚大である。


「……そのときはぜひ外でお願いいたします」

「やめてくださいよ、それ城壊れます。それくらいなら俺らが突っ込んだ方がまだマシですって」

「そう? さすがに城に防壁くらい張ってから喧嘩するよ? 案外兄様に勝てちゃったりして」

「そこは是非勝ってくださいよ。城の存亡かかってます」

「そうだった。卑怯な手を駆使してでも勝たなきゃいけなかった」


 話が大分逸れてきたところで、鐘の音が響いてきた。

 町の中心に建てられている時を知らせる鐘だ。どうやら、気付けば宿を出てから一時間ほど経過していたようだ。

 あまり長く宿を空けるわけにもいかないだろう。

 万一、宿の人間が部屋に入りでもしたら面倒だ。滅多にないことだとわかってはいるが、鍵を預けてある以上そう楽観視もできない。


「鐘が鳴ったね……今日はこの辺にしておこうか。そろそろスノウも起きる頃だし。また連絡するよ」


 エルの言葉に、水鏡の向こうで二人が首肯する。

 それへひらりと手を振ると壁面が波立った。二人の像がゆらゆらと歪み、乱れる。

 波紋が収まった後には赤茶けた壁があるだけとなった。先ほどまでの名残はどこにもない。壁の色が周囲と若干違う程度だ。因みにその原因は、そこにまだ魔法が作用している為である。


「さて、と。もうひと仕事かな」


 エルはひとりごちて、そこに再び魔力を込める。

 壁面が再び揺らめいて、ひとつふたつと波紋が広がる。

 水滴を垂らすように一定のリズムで揺らめくそれが、暫くして淡い像を結び始める。

 金色と翡翠。

 懐かしいその色合いに、エルの唇が小さく笑みを刻む。

 思えば、この偽装した姿を彼女、或いは彼らに見せるのは初めてかもしれない。

 色意外はさほど変えていないため、すぐに自分だということは知れるだろうが、どんな反応をみせてくれるだろう。

 人間のようだと笑ってくれるだろうか。

 少し上向いた気持ちで、エルはそっと呼びかけた。

 それが通信の合図。


「……メリル?」




☆☆☆☆☆☆




 宿に戻ると、室内は完全に明かりが落ちていた。

 僅かに盛り上がったベッドは、エルが部屋を出る前と変わりない。

 音を立てないように扉を閉め、鍵をかける。暗がりの中を迷いのない足取りで進むと、窓辺に掛けられたランプを手に取った。

 夜目の効くエルにとっては、この程度の暗さならば別段明かりは必要ない。

 スノウが未だ眠りの中であることを思えば、無理に起こすのも憚られる。ベッド脇のラウンドチェストにパンの包みを置き、一緒にランプも置いた。

 目が覚めて、食事を取る気になれば自分で火を入れるだろう。

 人間の目では満足に見えないはず、とかつての記憶を引っ張り出した上での、ちょっとした気遣いである。

 ベッドの傍から一歩退き、そっと息を吐いた。

 強張った両肩から力が抜ける。

 未だ被ったままだったフードを取り払い、外套を脱いだ。万一でも外に見えないようしっかりと纏めていた髪を解くと、漆黒の長い髪が宙に散らばる。


「……エル?」


 掠れた声に名を呼ばれた。

 思わず視線を向ければ、どこかぼんやりとした青い目とぶつかる。


「あれ、起きてたの?」


 暗かったから寝てるかと、と呟いたエルの言葉に、スノウは緩く瞬く。


「いま、めがさめた……」


 茫洋ぼうようとした口調は、その言葉が真実であると告げていた。

 エルの気配だか、鍵の開いた音だかで目覚めたのだろう。勇者としてはもっと早い段階で気付くくらいでいいとは思うが、本調子でない彼にそれを求めるのは酷というものだ。


「ごめん、起こしたかな。ほら、夕飯替わりに買ってきたよ」

「夕飯……」

「パンだけど……もし嫌だったら俺が食べるよ。今の時間ならまだ一階で食事も摂れるし」

「いや……ありがとう、助かる」


 礼を述べた後、スノウは緩慢な仕草で体を起こした。

 これは本格的に疲弊しているようだ。

 エルは脱いだ上着を手近な椅子の背もたれに引っ掛けると、ベッドに近寄った。


「ねえ、スノウ。一体何をそんなに焦ってるの」

「焦る? 何を?」

「とぼけないでよ。王都からここまでほぼ休みなしで移動なんて普通じゃないよ。メリルやフレイが一緒だったらこんな無茶なことしなかったでしょ。そんなに急いで、何処に行きたいの」

「そうだったか? 旅の目的なら以前も言ったと……」

「うん、聞いたよ。それが本心だって言うなら尚更、君の行動はおかしい」


 断言すると、スノウはふと視線を泳がせた。

 青い瞳の中に感情が波紋を広げているのが分る。スノウの中で何らかの感情がせめぎあい、迷っているようだった。


「……そうだな。随分迷惑をかけてしまったようだし……すまない、これからは気をつける」


 エルに視線を戻し、スノウは笑う。その笑みはエルもよく見知った類のものだ。全ての感情を鉄の意思で覆った、勇者の顔。

 さすがに一筋縄ではいかない、とエルは内心溜息をつく。

 エルの言葉に迷ったことからして既に、何か抱えていると言っているも同然である。それでも勇者の顔で誤魔化したのは、彼のプライド故か。それともエルには言えないことが潜んでいるのか。

 どちらにしろ、これ以上の詮索は無意味だった。幾らつついたところで、さらりとかわされてしまうだろうことは目に見えている。

 だからわざとらしく溜息をついて、エルは緩く瞬きをする。

 瞼の奥から現れたその双眸は、真紅に輝いていた。血の色を思わせるそれが、うすらとわらう。


「……ねえ、魔王討伐なんて君には荷が重いんじゃない?

 俺たちの王だよ、こんな痩せっぽちの腕で倒せるなんて、まさか本気で思ってるの?

 可哀想だね、勇者スノウ。いいように踊らされて、君は人類最大の貧乏くじをひいているんだよ。こんな子供に魔王を倒せるはずがないって、だれが考えてもわかることだ。俺にすら敵わないくせにね?

 無駄死にする前に諦めよう? 人を守りたいならこれまでどおり雑魚でいいじゃないか。だれも、魔王の顔なんて知らないだろう?」


 顔どころかその存在すら、人間は知らないのだ。

 「いるらしい」というその仮定だけで、多くの勇者を輩出し死地に送り出してきた。そこには情報の信憑性がさほど重要視されていなかった現実が浮かび上がる。

 重要だったのは、魔王という悪が存在する「可能性」だった。

 全ての憎悪と不満と不信を、一手に引き受けるべき「絶対悪」が必要だったのだ。

 勇者として過ごした期間があるからこそ、知った人間の事情。

 嘲りついでに誘惑を混ぜて囁けば、スノウは大きく目を瞠って――声をあげて笑った。

 勇者の顔ではなく、年相応の幼さを残した顔で。


「お前、ほんと面白いな」

「別に面白いこと言ってないけど」


 むしろ完全に馬鹿にした発言をしたのだ。そこでどうして『面白い』となるのか。

 視線を尖らせて見遣れば、スノウは笑いながら言う。


「それで挑発したつもりか?」

「……どちらかというと、馬鹿にしたんだけど」

「ああ……なるほど、馬鹿に、して、たのか。それはまた……随分と可愛い」


 笑いを堪えているのか時折不自然に息継ぎをしつつ、スノウは言う。

 言われたエルの方は、笑うどころではない。


「は? 可愛いって……いやいや、どうしてそうなるの。腹立つでしょ普通。馬鹿にしてるんだよ……え? 通じてるよね?」


 わかりやすく言ったつもりだった。それはもう直接的にはっきりきっぱり馬鹿にしたのだ。通じないはずはないと思ったが、まるでダメージを受けていないように笑い続けるスノウを見ているとだんだん不安になってくる。

 怒らせる、あるいは精神的ダメージを与えるために放った言葉だが、スノウがそれに上手く乗ってくれるとははじめから思ってはいない。ただ、苛立ったついでに隠している内心を吐露してくれないものかと画策しただけである。

 最終的に、己の無茶な行動を大いに反省してくれれば尚良い。


「ああ、大丈夫だ、わかってる。……まあ、別に腹は立たないな。強いて言うなら微笑ましい、かな」


 なんでだ。

 エルは内心突っ込む。

 微笑ましい要素がどこにあったのか、エルには見当もつかない。確かに異種族ではあるが、完全に未知の生命体に遭遇した気分で、エルはスノウを見つめた。

 スノウはまだ楽しげに笑っている。


「エルは随分と優しいな。もう少し性悪になったほうがいいんじゃないか?」

「余計なお世話だよ。喧嘩なら買うよ? 何ならこのパン、今すぐ俺が食べてもいいんだからね」


 飛んできた嫌味とも忠告ともとれる発言に、喧嘩腰で返して机の袋を掴む。

 そうすると、再びスノウが笑いの発作に取り付かれて、完全に会話が成り立たなくなった。

 常に落ち着いた印象のあるスノウだが、それはあくまでも彼の一面でしかない。彼の強靭な精神力がそれを可能にしているだけであり、本来の彼自身は感情の起伏が激しい方だとエルは分析している。

 そして、割と口が悪い。

 クロスやアイシャほど砕けてもいないが、市井しせいの少年たちのような、年相応の言葉の荒さもあるのだ。

 ただ普段は、本人曰く「意識して口調を変えている」らしい。

 勇者という立場が大きな理由と言っていたが、それだけではないだろう。

 かつて『エル』として振舞っていた時も口調を改めていた。恐らく、それ自体が一種の防衛反応なのかもしれない。緊迫した場面であればあるほど、スノウの口調は厳しく冷徹になるのだから。

 だが、それがエル相手だとなぜか適用されないことが多い。

 仮にも敵対する相手に防衛反応が沈黙するのは可笑しくないだろうか。

 そのため、エルと二人の時のスノウは、比較的口調も態度も砕けたものになっている。

 この唐突な笑いの発作も、気配すら気付かなくなるまでバテるのも、その一環だと思われた。つまりは、限りなく素に近い『本来のスノウ』ということになる。

 勇者だなんだと祭り上げられていても、たかだか18歳の子供。

 腹を抱えて笑う姿を見ているとそれが顕著に感じられて、エルは少し微妙な気分になる。 その双肩にのしかかる数多あまたのものを思うと、どうにも胸がもやもやとするのだ。

 溜息をついて首を振ったエルは、掴んだ袋を左右に揺らした。

 がさついた紙の音に、スノウが涙目の顔を上げた。


「まったく……ほんと意味わかんないなあ。ほら、食べるられるなら食べちゃってよ」


 差し出された紙袋を受け取り、スノウは短く礼を述べた。

 その表情に生気が戻っているのを見取って、エルは外套を引っ掛けたままの椅子に腰掛ける。多少皺にはなるだろうが、そういう体裁を気にするような衣服でもない。

 なんとはなしに足を組んでパンをかじるスノウを眺める。

 そんなエルの視線に気付いたのか、スノウが声をかけてきた。


「ところで、この買い物はその姿で?」

「ん? そうだよ。流石にネコじゃ買い物できないしね。ああ、スノウの外套借りたから、誰にもバレてないと思う」


 この部屋に宿泊しているのは「スノウ」ただ一人なのだ。他の部屋にも宿泊客がいるのはいいとしても、万一この部屋から出入りする場面を見られては厄介である。

 そのため、見られても問題ないようそれなりに偽装したのだ。

 スノウの羽織る外套は、大きめのフードが付いていた。身長はエルの方が高いとはいえ、スノウの衣服を纏い、フードを目深に下ろしてしまえば別人だと気付く人間はほぼいないだろう。

 スノウ自身に化けることも考えたのだが、漸く回復した状態であまり面倒な魔法は使いたくなかった。


「なんというか……新鮮だな」


 首を傾げて言葉を捜す風のスノウに、エルも首を傾げる。

 見下ろした自身の姿は、淡い色の上着と少しだぼついた灰褐色のパンツ。至って地味なものである。魔物らしさもなければ威厳の欠片もない、控えめに言っても野暮ったかった。


「ああ……そうかもね。この姿でスノウと話すことってあんまりなかったから」


 思い返してみれば、エルとスノウがそれぞれの本来の姿で対峙した時間は、酷く短いのだ。

 スノウと共に王都に来てからは、何度か確認の為に戻りはしたが、殆どの時間をネコで過ごしている。強制的にネコにされた場合もあれば、自主的にネコにならざるを得なかった場合も多かった。何しろ魔物にとっては敵の本拠地とも言える場所なのだ。おいそれと本性を晒すわけにはいかない。

 そして、本来の色彩を隠して"人間のように"偽装したエルと対峙することは、スノウにとっては初めてのことだろう。鏡でなら散々見てきたかもしれないが。


「ああ。お前の方が偽装は上手いな」

「まあ……うん、一応、魔物だからね……」


 感心したように頷くスノウを見つめ、エルはろくに答えにもなっていない言葉で濁した。

 エルは自身が"魔物らしくない"ことを自覚していた。

 そのため、人の中に紛れ込むことは、さほど難しく感じていない。『勇者』として過ごした月日があるから、以前にもましてその傾向は顕著だ。


「その服はどうしているんだ」

「ああこれ? 城から適当に持ってきてるよ。本当は魔力で作るのが手っ取り早いんだけど、魔力の無駄遣いしたくないからね」


 ネコの状態は当然ながら全裸である。そのまま何も考えずに人型になれば全裸なのは間違いなく、わざわざ変化前に衣服を調達するわけにもいかない。そのため、城の自室から適当に転送し、魔法で一瞬に纏うという方法をとっている。

 そこまでの余裕がない場合は、魔力で編んだ衣服を纏う。これといった決まった形はないが、大抵の場合やたらと長く大きめなものになる。エルの場合は魔力の性質ゆえか、以前の「エル」が着そうな、漆黒のずるずるとした長衣になることが多い。

 力加減次第で外套を羽織るも華美な装飾品をつけるも自在だが、そのどれもが魔力に起因しているので魔力の消費も相応である。

 よって、エルはなるべく既存の衣服を着るように心がけていた。因みに逆の場合は、衣服はその場に残されることが多いが、後からなるべく回収するようにしている。


「便利なもんだな」

「これくらいは基本だよ。人型してる以上、全裸はさすがになあ……」


 人型を取れる魔物なら大抵が可能だとエルは笑う。

 魔力で織り上げる衣服は、そのまま本人の魔力の高さや質を現している。

 強大な魔物ほど華美な衣装を好む傾向があるのは、相応の魔力を有していることを誇示する狙いもあるのだ。

 ただ、人間の生活圏に近い場所に住む魔物においてはその限りではない。何しろ、様々な衣装が容易く手に入る。幾ら負担はそう多くないとはいえ、余計なところに力を割きたくないと思うのはそう珍しい思考でもなかった。


「そういえばアイシャやスイは割りと衣装持ちだったような……」

「二人ともそういうところは似てるよ。合理的というか、無駄を省くところ」


 思い出す風のスノウに、こちらも遠い目をしたエルが同意する。その、今は漆黒に染まった瞳を見上げて、スノウが小さく笑った。


「ああ、お前に似たんだな」


 その言葉にエルは目を瞠る。


「え? 俺?」


 似るも何も、二人と血縁関係はない。それどころか同じ種族ですらないのだ。

 一体何をという気持ちを込めて見つめ返すと、スノウは笑みを深めて言葉を重ねる。


「言っただろ、無駄遣いは嫌だって。慕われてるな」


 そうだろうか、とスノウの言葉にエルは疑問を覚えた。確かに長く過ごしているのだから、多少思考は似てくる部分もあるだろう。互いに影響しあって現在のような関係に落ち着いているが、「慕われている」とは少し違う気がした。

 アイシャやスイの忠誠心を疑っているわけではない。彼らがエルを主人と仰いでいることは、自他共に認めるところだ。ただそれでも、エルはどこか一歩引いてしまっていた。


「上司だからね。

 さて、今日は流石にこのまま休むでしょ? 動き回る気だっていうなら寝かしつけてあげるけど?」


 曖昧な同意を返して、エルは話題を変えた。

 スノウの顔色は相変わらずよくない。少しはマシになった程度だ。

 人間と魔物の体力は根本から違う。もともと人間であるスノウが加減を「間違う」とは思えなかったが、最近のおかしな行動をみる限り、周囲が気を付けておく必要がありそうだった。

 指先に小さく魔力を揺らめかせて脅せば、きちんと理解したらしいスノウは苦笑して首を振る。


「いや、自力で寝るから遠慮しておく。こんな時間だしな、何をするにも明日にまわすよ」

「それがいいね。その顔で出歩いたら幽霊と間違われるよ。じゃあ、俺はちょっと出るから。ああ、一応結界は張っとくから完全に気を抜いてても大丈夫だよ」

「出る? 何処に?」

「城だよ――あ、俺のね? だって今夜はもう寝るだけでしょ? だから様子見がてら戻って仮眠してくる」


 本音は7割で、のこりは口実だ。

 先ほど連絡を受けた限りだと、緊急にエルが出張る必要はなさそうだった。相変わらず城に戻るようせっつかれはしたが、それは城の状況が切迫している故ではない。

 ただ、それ以上に不満が溜まっている様子だった。

 その原因が自分にあるという自覚があるだけに、あまり無視もしていられない。

 まさか彼らが自分の命令を無視して短気な行動にでるとは思っていないが、命令を曲解して"やりすぎて"しまう懸念はある。

 ひとまず彼らを落ち着けるためにも、一度戻ってしっかり釘を刺しておかねばならない。

 転移の魔法を使えば、この距離ならば一瞬で済む。明日の朝には戻ってくるつもりで、エルはそう言葉をかけた。


「寝るならここでもいいだろ?」


 そんなエルの軽い口調に、スノウはどこか不満そうな表情で言う。


「無理だよ、一人部屋じゃないか。まあ寝ようと思えば椅子でも寝られるけどさ、どうせなら横になりたい」


 だから城に戻ると主張するエルに、スノウは渋い顔のままである。


「だから、ここで寝ればいい」


 言って、ぽすぽすと己のベッドを叩く。


「……え」

「お前も俺も、残念なことにそう体格に恵まれてる方じゃない。少し詰めればいけるんじゃないか?」


 確かにそれは否定できないところではあるのだが、問題はそこではない。


「いやいや、何言ってるの。一人用なんだから一人で使ってよ。俺は自前の寝床があるから」

「二人で使えないという訳ではないだろう。第一、城とここの往復は非効率的だ。明日も一緒ならここで寝起きする方が楽だし余計な労力もいらない」


 整然と説明するスノウの口調はどこか堅い。

 微妙なその変化に気付いたエルは内心冷や汗を流す。

 緊迫した状態で相手と対峙するときの、その口調によく似ている気がする。

 冷たく、鋭く。一分の隙もなく相手の急所を狙う、その口調。

 これはよくない。

 旗色が悪くなったことを感じ取り、エルは既にたじたじとなっていた。そうでなくても、流されやすい自分は痛いほど自覚している。


「それはそうだけど、城を大分空けてるから……」


 相手の言い分にうっかり納得しかけている段階で、よくない傾向だ。

 首を振って気を取り直し、言うつもりのなかった城の内情を説得材料にしようとしたところで、手首をスノウに取られた。


「見た目ほど狭くはない。とりあえず入ってみれば分る」

「明らかに狭いって。ちょ、待って待って」


 先ほどまでぐったりしていたとは思えないほどの力で、ぐいぐい引っ張られる。

 とはいえ人間の力である。エルが本気で引き剥がそうと思えばできなくはない。ただ加減を間違えるとスノウに怪我を負わせる可能性もあり、そう思うがゆえにエルは碌な抵抗もできずに引き寄せられてしまっていた。

 そうしてあれよあれよという間に、エルはベッドに放り込まれている。


「スノウ、いきなり何……」

「思ったほど狭くないだろう? 寝返りはできんが」


 言って、スノウはベッドに押し倒したエルの隣に潜り込んでくる。

 一人用の寝台なのだ。狭くないはずがなかったが、残念なことに平均より華奢な二人では予想していたよりも狭くはなかった。快適ではないが眠れなくはない、そんな寝心地である。


「まあ……そうかもしれないけどさ。これじゃスノウも落ち着かないだろうし、やっぱり俺は城に」


 落ち着かない云々以前に、男二人が同じベッドに寝るという事態が既に色々無理がある。字面だけみればあらぬ誤解を生むこと間違いなしである。

 溜息を飲み込んで身を起こそうとすると、スノウの腕が胴に巻きついてきた。

 半身を半端に起こした状態で、己に抱きつくような形のスノウを見下ろす。


「遠慮するな、以前はよくしていたことだろう?」


 青い双眸が、何の躊躇いも見せずに言い放った。

 かつて城で過ごしていた間、『エル』はよく『スノウ』を寝台に引っ張り込んでいた。

 色めいた意味ではなく、ネコに変化させた『スノウ』を湯たんぽがてら愛でていたのだ。

 互いにまだ記憶がなく、スノウは己を『エル』だと信じ込み、エルもまた自身を『スノウ』だと信じていた。だから魔物が人間をネコに変化させて可愛がるなんて、と『エル』の頭を疑ったものだった。

 今は違う意味で頭を疑っている。人間が魔物を、ネコの姿ですらないのに寝台に引っ張り込むなんてと。


「ネコと人じゃ違うと思うけど」

「大きさは違うな」


 控えめなエルの抗議に、スノウは快活な笑い声を上げる。

 エルの眉間に皺が寄った。

 スノウが、エルの言わんとしていることが理解できない筈はない。いくら多少鈍感なところがあると言っても、この状況が「人間」と「魔物」のどちらの常識からしても可笑しいことは分っているはずだ。

 エルは渋面を作り、わざと声を低めてスノウに囁いた。


「大きさだけじゃない。今の俺には、頑丈な爪と牙がある」


 ネコの姿ならまだしも、何の制約もない今のエルには揮えない力はない。

 その危険性を勇者であるスノウが理解していないはずはなく。

 増して、二人は種族の違いだけでなくそれぞれに立場というものがある。

 スノウは魔王討伐の先鋒を担う勇者。エルは小規模ではあるが魔物の城の主だ。

 先だっての戦いの結果を思えば、互いに手を取り合うよりも武器を付き合せている理由の方が多い関係である。

 理解しているのか、という思いを込めて見下ろせば、スノウは動揺の欠片もなく笑みを浮かべたままだ。


「わかってる」


 青い双眸に過ぎる、強い輝き。覚悟の色だとエルは感じる。

 スノウは何もかもを分っているのだろう。

 勇者という地位に付随する様々なことを呑み込んで、彼はここに在る。


「なら、この手を」

「断る」


 にべもなく言い切られる。それどころか、腕の拘束は一層きつくなった。

 なぜそんなにも拘るのかと当惑しつつ、エルはスノウの腕を叩いて言外に外せと訴える。

 拘束は緩まず、むしろ縋る勢いで締め付けてきた。

 なぜだ。


「……痛いんだけど。ちょっと、スノウ。ほんと緩めて、締まってる、痛いから、ねぇ!」


 ぎりぎりと締め上げてくる腕に、半ば必死になってスノウの腕を叩いて抗議する。「吐く!」と宣言して漸く拘束が緩んだ。


「疲れたし、寝るぞ。明日も早いからな」


 悪びれもなく言い放ったスノウが、解放されて喘いでいるエルの背を軽く叩く。


「誰のせいで……」

「エル、もう少しそっちに詰めろ。落ちる」

「……」


 何事もなかったように寝る体制に入るスノウを見下ろし、エルは色々と放棄することにした。

 魔物だろうと人間だろうと、生き物の本質はそうそう変わるものではないらしい。このマイペースぶりは、もはや種族の違いで片付けられるものではない。

 溜息をついて、大人しくベッドに横になる。布団を被り、スノウの要請に応じて少し壁際に寄ってやった。

 スノウは当然とばかりにエルに身を寄せる。

 互いの体温が間近にあり、エルは奇妙な気分に陥る。

 隣で無防備に寝ようとしているのは、天敵でもある「勇者」で。

 本来ならば仲良く寝こけている場合ではない。それはおそらく、頑なにエルを逃がそうとしないスノウも理解していることだ。

 いくらついひと月ほど前までこんな感じだったとはいえ、事情が事情である。しかもその時はエルはネコの状態だ。抵抗感は今よりぐっと少ない。

 だというのに、無理やり引き込まれたベッドで、温かさに早くも睡魔が訪れようとしている。

 しゃくではあるがエルはスノウにほだされている自覚があった。

 でなければ四の五の言わずに城に戻るだろうし、抵抗するのに遠慮などしていない。

 こうしている今ですら、魔法を使えば逃げ出せないはずもないのだ。ただ、スノウが「ここにいろ」と言うから、それに「仕方なく」付き合っているだけで。

 つらつらと考えつつ目の前の端正な寝顔を眺めていると、さすがに瞼が重くなってきた。

 ついこの間までこの顔が「自分」だったのだと思うと、ますます不思議な気分になる。 その閉ざされた瞼の下にうっすらと隈があるのを認めて、思わず手を伸ばす。

 そこに触れる手前で、相手が寝入っている可能性を思い出した。目が覚めたら可哀想だ、と寝入り前のぼやけた頭で思考して、目元に落ちかかっていた髪に触れる。

 今は何の色も塗られていない指先が白金の髪をすくい、後ろにそっと撫でて。

 そのままふつりとエルの意識は途絶えた。

 完全な善意だった。目の前に髪がちらついていたら邪魔だろうな、という、何の意図もないそれ。

 辛うじてスノウの体に重みを載せることはなかったものの、途中で寝てしまったエルの手は、互いの顔の間に力なく投げ出されている。

 それを、スノウの青い双眸が見つめていた。

 微かに笑みを履いたスノウが「おやすみ」と囁いて。

 その手にそっと口づけたことを、エルは知らない。



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[一言] 続きを、続きをお恵みください(>Д<;) この続きが気になりすぎて困ってます。 本当に楽しみに待っているので作者様もお体にお気をつけて続きをお恵みください。 本当に長文に申し訳ないんですが何…
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