◆9 さあ、歴史のやり直しを始めよう!
時間を遡って転生した私には、これから起こることがわかっている。
神暦八三五年五月十日以降、ワルトチェル伯爵領で領民の叛乱が起こる。
だが、じつは悪神に操られてのことだ。
だから悪神の働き自体を止めなければならない。
とはいえ、オリガ以外、私の言うことに聞き従ってくれる聖職者を確保することはできなかった。
前世では公私に渡って懇意にしていた何人かの聖女たちも、今の私には警戒と侮蔑を込めた態度しか取ってくれない。
それも、ネビール帝国では仕方のないことだ。
聖女のすべてが貴族令嬢なために、平民女の私、フィーニスの言うことを真に受けることは恥ずかしいことと思っている。
前世ではあれほど仲良くして、頻繁にお茶会などを開いた仲だったのに。
それもすべて前世の私、イニティウムが生粋のワルトチェル伯爵家の令嬢であり、大聖女であったゆえのことだったのだ。
念のため、フェルトン皇太子殿下には、書状で、これから未曾有の事態が発生することを「神託を受けた」と申し添えて、お伝えしておいた。
『五月十日以降、ワルトチェル伯爵領で起こる事態は領民の暴動にあらず。
悪神の顕現です』と。
加えて、ネビール帝国軍の出動要請を、あらかじめ出しておいた。
宰相らの反対で、どうせ動員できないだろうけど、一応は。
ところが、五月六日の出立の刻には、思いがけず、多くの手勢を借り受けることができた。
帝国魔法師団二〇〇とゴルトムント公爵家の騎士団五〇〇が同行してくれることになったのだ。
フェルトン皇太子と、私の教え子オリガとナタリアス皇女の尽力のおかげだった。
「たった一日で、これだけの援助を得られるなんて!」
私は喜び勇んで白馬に騎乗すると、意気揚々と行軍を開始した。
そして三日後の五月九日ーー。
帝都ブリズから街道を通ってワルトチェル伯爵領に入るや否や、伯爵家の騎士団が出迎えてくれた。
今世の養父母であるワルトチェル伯爵夫妻宛に、何日も前に、来訪することを告げていたからだ。
さっそくワルトチェル伯爵邸に私は顔を出す。
すると、フェフリッツ・ワルトチェル伯爵は感極まって目に涙を浮かべた。
「養女となったフィーニスのみならず、聖女様や皇女殿下までがいらっしゃるとは!」
思いも寄らぬ多人数で押しかけて、ワルトチェルの領民のみならず、伯爵邸の使用人たちまでが驚いていた。
とりあえずオリガ聖女候補とナタリアス皇女を上座に据えて、私、フィーニスはワルトチェル伯爵夫妻と椅子を並べて着座する。
私は挨拶もそこそこに、赤髪を後ろで束ねながら切り出した。
「端的に申し上げます。
これから、こちらで領民の叛乱が起こります。
ですから、それを防ぐために行軍して来たのです。
それでも兵数が足りません。
養父様の騎士団にも出動を願います」
「その予言は、少し信じ難いな。
領民との関係は良好なのだが……」
たしかに、帝国魔法師団とゴルトムント公爵家の騎士団を引き連れて領都ワルムの大通りを行進するだけで、沿道から歓声がかけられた。
どうして我々が来訪してきたのか詳しく事情を知らないのに、ワルトチェル領の人々から大歓迎を受けたのである。
紙吹雪までが舞い出していたほどだ。
領主家と領民との関係が良好なのは確かなようであった。
それでもーー。
「ですが暴動は起こります。
なぜなら悪神に操られた者どもが動き始めるからです」
悪神から発せられる瘴気に当てられると、すべての生物が心身に異常をきたし始める。
どうやってか、いまだ不明ながら、瘴気を媒介にして、悪神の意志が伝わるようであった。
意志のある瘴気に、身体が乗っ取られるのだ。
そうなると、その人物は、もう以前のその人ではなくなってしまう。
それがわからず、前世の|フェフリッツ・ワルトチェル伯爵《お父様》は、愚直に領民相手に暴力を振るわないよう、説得を試みた。
その結果、なす術もなく群衆に押し潰された。
その後、ワルトチェル領内全域が恐慌状態になってしまったのだ。
それはそうだろう。
領主を殺しておいて、暴動参加者が無罪になるはずもない。
いずれ帝都ブリズからネビール帝国軍が派遣されてきて、叛徒は皆殺しにされるに決まっている。
そう思うがゆえに、悪神に操られていない者までが恐慌状態になって暴れ廻ることになってしまったのだ。
だから、これからやることは、たった一つ。
背後で領民を操ろうとする悪神の撃退だ。
その悪神が活動を活発にする前に叩くか、封印してしまうのだ。
私、フィーニスは、そうした決意を伝える。
だが、フェフリッツ・ワルトチェル伯爵は怪訝そうに眉を顰めるばかりだった。
「それにしても、我がワルトチェル領内は平穏そのものです。
悪神は何処から現れるのでしょう?」
平民出身の養子である私相手に丁寧な口調だ。
前世のお父様は、私を、あくまで善神アフラから予言力をいただいた聖女様として扱ってくれている。
本心を言えば、私としては、ちょっと寂しい。
本来は実の娘なのだから、家族のように仲睦まじく接したい。
だが、今は非常時だ。
私を聖女扱いにしてくれているのを利用して、うまく騎士や魔法使い、聖職者たちを動員するしかない。
蒼い聖衣をまとう私は、胸を張った。
「悪神の顕現場所については、すでに神託を得ております。
シリウスの森です」
前世で帝国魔法師団が、発生した魔物や魔獣の動向から、悪神の顕現場所を明らかにしていた。
ワルトチェル領北部のシリウスの森の奥深くであった。
だが、一回目の悪神顕現の場所が明らかになった頃にはすでに、お父様とお母様は狂った領民によって八つ裂きにされてしまっていた。
さらに、あらゆる公共施設が焼き討ちに遭い、帝国軍が暴動を鎮圧しに押し入って、ワルトチェルの街中が騒然となってしまった。
すべてが遅かったのだ。
だからこそ、今度こそは、悪神の好き勝手にはさせない!
私、フィーニスは席を立って宣言した。
「私がワルトチェル伯爵家の騎士団と魔法師団を率いましょう!」
フェフリッツ伯爵が慌てて身を乗り出し、両手を振る。
「いや。ここは領主である私がーー」
「いえ。
養父様は養母様と一緒に、この伯爵邸で、私からの吉報をお待ちください」
「しかし……」
「領主様が迂闊に動いては、必ず不幸が起こると神託を受けました」
「そうですか……」
「神託」についてはでっち上げだが、フェフリッツ伯爵に悪神討伐軍を指揮をしてもらっては困る。
実際、悪神に毒された領民相手に、「話せばわかる」などと言って、こちらの武装を解かれてはたまらない。
前世では、悪神に操られた人間は、かなり狡猾に動いていた。
「苦しい」「助けて」などと被害者然と振る舞って、我々聖職者に助けを乞うたりした。
そこを迂闊に手を差し伸べたところを襲われたものだ。
中には交渉を持ちかける者さえいた。
「瘴気を宿したら人間は狂う」と言うものの、一概にそう決め付けられないことが厄介なところだ。
いかなる条件でそうなるかは不明だが、大量の瘴気を吸い込みながら、独立的に思考することができる「魔人」となった者は、じつに油断ならない存在だった。
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