一人目 白癒の令嬢、リリアナ・オルレイ①
「本命候補五人が、全員同じ人物を推薦しました」
神官長の指が、五枚の聴取録の上で止まった。執務机には、次代聖女選定の書類が並んでいる。候補者名簿、家門調査書、救護実績、推薦状、民衆請願記録。
その中で、セリア・ラングが差し出した五枚だけが、通常報告の綴じ紐から外されていた。
「辞退の申し出ではないのですね?」
「違います」
神官長は、一枚目の聴取録をめくった。
今年の本命候補は五人。
一人目 白癒の令嬢、リリアナ・オルレイ。
二人目 群青の祈り子、エステル・ノーラ。
三人目 黄金の施し手、ヴィオラ・ローゼン。
四人目 灰水の聖徒、ニナ・グラント。
五人目 黒衣の裁き手、クラウディア・ヴェルン。
癒やし、祈り、慈善、救済、裁き。
どの候補も、それぞれの分野で本命と呼ばれている。誰が選ばれても、神殿は説明できるだけの実績があった。
聖女候補の意向確認票には、最後に毎年同じ欄がある。
『他に、次代聖女にふさわしいと思う人物はいるか』
例年なら、尊敬する修道女の名や、世話になった神殿関係者の名が書かれる。謙遜のために空欄にされることも多い。
今年は違った。
五枚とも、同じ名だった。
マルタ。
神官長は、五枚の最後の欄を順に見た。
「候補者間の申し合わせは?」
「薄いかと。五名の家格、所属神殿、支援者は一致していません。利害も分かれています」
「推薦された人物からの働きかけは?」
「現時点では確認できていません」
「では、偶然ですか?」
セリアは答えなかった。
偶然だと言えば、調査官として楽だった。だが五人の筆跡は違う。言い回しも違う。沈黙の長さも、証言の温度も違う。
それでも、最後に出てきた名だけが同じだった。
神官長は、聴取録をセリアへ戻した。
「順に報告してください」
「一人目から参ります」
セリアは、一枚目を開いた。
◇
一人目 白癒の令嬢、リリアナ・オルレイ
リリアナ・オルレイは、次代聖女に最も近いと噂される候補だった。伯爵家の令嬢。癒やしの奇跡持ち。
戦場から戻った兵士の潰れた脚を、杖で歩けるところまで戻した実績がある。熱病で呼吸の浅くなった子どもを、夜明けまで癒やし続けた記録もある。
神殿前に届く請願書には、白い布が結ばれていた。
白癒の令嬢を聖女に、という民衆の印である。
聴取室に入ってきたリリアナは、その呼び名に似合う姿をしていた。白い祈祷服。乱れのない所作。傷病者に触れる時だけ、指先が少し慎重になる癖。
セリアは、確認票の一行目に指を置いた。
「あなたは、次代聖女に選ばれることを望みますか?」
「はい。いただいた力から逃げるつもりはありません」
迷いのない答えだった。
「家門から、聖女になるよう強く求められていますか?」
「求められてはいます。けれど、それだけではありません」
「それだけではない、とは?」
「人を癒やす力をいただいた以上、使わずにいることのほうが怖いのです」
セリアは、確認票の「辞退意思なし」に印を入れた。続けて、家門圧力の欄にも印を入れる。
現時点で、不当な強制は認められない。
「他候補から、辞退や推薦を求められたことはありますか?」
「ありません」
「特定の人物を推薦するよう、誰かから頼まれたことは?」
「ありません」
リリアナの答えは、どれも早かった。
だからこそ、最後の質問で起きた沈黙は目立った。
「他に、次代聖女にふさわしいと思う人物はいますか?」
リリアナは、すぐには答えなかった。
窓の外で、鐘が一つ鳴った。その音が消えるまで、彼女は膝の上で指を握っていた。
「います」
「誰ですか?」
「マルタ先生です」
セリアは、候補者名簿を開いた。
その名はない。
推薦候補者一覧にもない。神官名簿にも、修道女名簿にもない。地方神殿からの追加推薦にも見当たらない。
「マルタ先生、とは?」
「聖イリア孤児院の院長です」
「孤児院長?」
「はい」
「正式な神官ですか?」
「違います」
「修道女では?」
「ありません」
「奇跡の発現記録は?」
「ないと思います」
「年齢は?」
リリアナは、少しだけ目を伏せた。
「五十歳です」
セリアは、確認票の余白に書いた。
マルタ。
五十歳。
聖イリア孤児院長。
正式な神官ではない。
修道女ではない。
奇跡の発現記録なし。
候補者名簿への記載なし。
白癒の令嬢が、なぜその名を挙げるのか。
「あなたは、次代聖女になる意思がありますね?」
「あります」
「そのうえで、マルタ院長の方がふさわしいと考えているのですか?」
「はい」
「理由を聞かせてください」
リリアナの指が、膝の上で白くなった。
「私が聖女になれば、人を癒やすことはできます」
謙遜ではない。彼女は実際に人を癒やしてきた。
「でも、私を人間に戻したのは、マルタ先生です」
セリアは、確認票から顔を上げた。
癒やしの奇跡を持つ令嬢が、自分を癒やしたのではなく、人間に戻した相手として、奇跡を持たない五十歳の孤児院長を挙げている。
「人間に戻した、とは?」
リリアナは、すぐには答えなかった。
聴取室の白い壁に、昼の光が差している。彼女の横顔は、聖女候補として十分に美しかった。
けれど、握られた手だけが、場違いに固い。
「その件は、家が記録から消しています」
「記録から?」
「はい。神殿にも、正式には残っていないと思います」
セリアは、確認票の端に印をつけた。
家門による記録隠蔽の可能性。
要確認。
「話せますか?」
リリアナは、握った手を見下ろした。
「話さなければ、マルタ先生を推薦する理由になりません」
その声から、白癒の令嬢らしい澄んだ響きが少し落ちた。
「私が初めて癒やしの力を使った時」
リリアナは言った。
「弟の腕を裂きました」




