十二、決まりごと
「あれ? 首輪の呪い……ほんとに掛けられたのかな」
急いで体を流して、流水のお風呂に入った後、そう言えばと備え付けの鏡を見ていた。
だけど首輪も、何の痕さえも無い。実は他の場所だったりするのかなと、あちこちチェックしている。
でも、鏡に映るのは真っ白で、スベスベのきめ細やかな肌。細くて頼りないけど、ガリガリという訳ではない女の子の体だ。
男衆の皆が、いつも干し肉をくれるし、マムのごはんもモリモリに盛ってくれているし、どう見ても健康な体だ。胸はぺったんこだけど。
その細い首にもどこにも、首輪や呪いらしき印も、何も無い。
「もしかして、僕に魔法制御を覚えさせるために……そんな風に言ったのかな」
血は不味かったけど。
――不器用な人だ。
教え方も。
だけど嫌いでは、絶対にない。
不器用なりに構ってくれようとする、お父さんみたいだ。
元の僕の父親は、完全無干渉だったから……父親像というものに少し、憧れているのかもしれない。
――あぁ。やめよう。昔の事なんて、思い出しても良いことなんかひとつもない。
物心ついた時にはすでに、両親から嫌われていた。
無関心と、ゴミ扱い。両方を味わった。
救いの無い世界。
外面の良い両親だったから、世間からは普通の……むしろ、良い家庭に見えていたらしい。
――なんで、今頃になって鮮明に思い出すんだ。
着るものも食べるものもあれば、幸せに見えるらしい。
家があって寝るところがあれば、平穏に暮らしていると思うらしい。
でも、味方の居ない世界なんて、苦痛しかなかったんだ。
僕が抱えていたものは、怒りや憎悪ばかりだったんだ。
――くそっ! 名前と一緒に、こんな記憶も無くなれば良かったのに!
憎かった。
いや、今でも憎い。
家族でさえ僕にここまでするのなら、他人ならどうだ?
人間なんて、どれも同じだろう。だから、人間を嫌いになった。
僕自身も含めて。
――思い出すな。もう、思い出さないでくれ。
せっかく転生出来て楽しい生活なのに、なんでこんなつまらないことを……。
まさかそんな奇跡が起こるなんて、思いもよらなかった。
期待と不安が、入り混じったままではあるけど。
そういえば、僕はどうして死んだんだっけ。
――あぁ、そうだった。
まさか自分の目の前で、暴走車が現れるなんて誰が思うだろう。
怖くて嫌なニュースだと思っても、実感や危機感なんて、のんきな僕には無かった。
でもその時は本当に、咄嗟に体が動いた。
僕の前を歩く小学生くらいの女の子が二人、友達同士だろう、楽しそうにお喋りしていたんだ。
広い歩道だった。その分隣を走る車道も、交差点もそれなりに大きかった。
「危ない!」とか「キャー!」という声が遠くで聞こえた。
そちら側にふと、無意識に視線が動いたのかもしれない。
それが何であるかを理解する直前から、反射的に僕は二人の女の子を、突き飛ばした。
次の瞬間には白いセダンが、僕を真横から押しつぶした。
正確には、跳ね飛ばす先が無かったんだ。
壁と車に挟まれて、その衝撃を感じた。
体にとって、致命的な重さが少なくとも三度、入り込んだ。
あれだけスローに見えたし感じたのだから、本当は避けられたんじゃないだろうか。
そのくらい、その時は全てが見えていた。
突き飛ばした二人の女の子には、車はかすりもしなかったのを確認出来た。
どうだ。凄いじゃないか、僕は。
だけどバカだ。
人間なんて、とか思っていたのに、咄嗟の行動はこれだ。
ひとつだけ救われたと思ったのは、無惨に潰されたであろう自分の体を、見ずに意識が飛んだことだった。
そこで終わり。
気が付いたら、目の前に天使のような、スーツ姿のお姉さんが居た。
――そうして僕は今、ここに居る。
魔族の城で、楽しく暮らしている。
だから……もう、思い出さないでくれ。頼むから。
もう誰も、嫌いになりたくない。
――もう、人から受ける仕打ちで傷付きたくないんだ。
「ルスティ? お風呂にまだ居るの?」
「あっ……!」
アイシアだ。
「いやだ、裸のままじゃない! どうし……何? 誰かに何かされたの? 体は何ともないわね。何か酷いこと言われた?」
「どうして……?」
「ひどい顔しているもの! 何があったの? 言いなさい。私がそいつに文句言ってやる!」
「ち、ちがうんだ。僕……嫌な事、思い出しちゃって……」
どのくらい、ここに居たんだろう。
「それで、そんな悲痛な……? そう。そうなのね。じゃあ、ここの誰かが、って訳じゃないのね」
「うん」
「とにかく服を着ましょう。風邪をひくわ。こんなに冷えちゃって、もう……」
そう言いながら、少しホッとしたのか、アイシアは険しい顔を解いて僕を一旦、抱きしめた。
それからすぐに、テキパキと僕に服を着せていった。
自分で着るよりも、早いかもしれない。
「ルスティ。私はあなたの味方よ。ここの皆もきっとそう。だから、辛い時は頼って。それとも、頼るのが怖い?」
「…………うん」
「そっか。じゃあ、勝手にあなたを大切にするわ。裏切ったりしない。人間はどうか分からないけど、魔族は仲間を、決して裏切らないから。それだけでも、安心して頂戴」
「僕のこと、分かっちゃうんだね」
「人がそういう表情の時は、誰かに傷付けられた時だけだもの。その中でも、あなたは飛び抜けて酷い顔よ。心を殺されたみたいな、ね。そこまでする奴が、ここの誰かじゃなくて良かった」
「そっか……僕が、人間だから」
「うん。でもまさかよ。一度受け入れたら、魔族はそんな酷い事しないはずだもの。だからホッとした」
「うん……ごめん」
「どうして謝るのよ。ほら、もう大丈夫。ここに居れば、安心していいのよ」
そう言ってアイシアは、僕をぎゅっと抱きしめた。
「今夜は一緒に寝ましょう。狭くても、こうしてぎゅっとしたら平気よ」
「……そしたら、アイシアの胸で窒息しちゃうよ」
「アハ、もうそんな冗談を言えるの? ほんとに……あなたは強い子ね。強過ぎるのよ。だから一人きりで、全部抱え込んじゃうんだわ」
「つよ……い?」
「うん。でも、だから人を頼れない。それはとても辛いことよ。頼りなくても、私を頼って。陛下でもいい。もっと甘える練習……しないとね」
「……ニガテだなぁ、それ」
**
昨日は本当にアイシアの部屋で、狭い一人用のベッドに、二人で眠った。
最初、アイシアは隅っこに体を寄せて、僕に広く使わせてくれた。
それを僕が申し訳ないと思うのを、知っててそうしたらしい。
「遠慮するくらいなら、もっと引っ付いてよ」
そう言って彼女は、宣言していた通りに僕を抱きしめた。
「フフ。あなたの扱い方が、少し分かってきたわ」
「……ずるいよ」
「ずるくなーい」
そのお陰か、僕はぐっすりと眠れた。
ここに来てからは、快眠生活をしていたと思っていたけれど、違ったらしい。
日頃、朝日が昇る頃には目が覚めていたのに、全く起きられなかった。
アイシアに体を揺すられて、「さすがにもう、朝の仕事に遅刻しちゃうわよ」と、起こされるまで眠りに落ちていた。
起きた時の気分は、随分と心が軽くなっていた。
辛さの余韻が、まだ少し残ってはいたけれど。
それでも昨日とは、比べ物にならない。
「まだ急には、無くならないわね。目のクマ」
「え、そんなのある?」
「しょうがないよ。取れるまで、一緒に眠ることけってーい!」
「え、そんなの……悪いよ」
「悪くないわ。一緒じゃない方が悪い。だから決定。わかった?」
「……うん」
「素直でたいへんよろしい!」
どうにも、アイシアに逆らえなくなってしまった。
僕の遠慮も、人を避けてしまう部分も、見透かされているみたいだ。
「ちなみに、いつまで続けるの?」
数日くらいで飽きてくれたら、いいなと思ってしまった。
ずっと誰かと一緒に居たことがないから、今からすでに落ち着かない。
――ような気がする。
「ずぅっとよ! でもそうねぇ、最低でも、あなたが大人になるまでね」
「おとな、とは……」
魔族の成人が何歳なのか。そう聞いたつもりでいたけど、アイシアはその胸を突き出すようにして、そしてその大きな膨らみを持ち上げるように、下から腕を組んで見せた。
「ふふん?」
アイシアの分身のように、プルンと主張する胸。
僕のは、まだまだ膨らんだりしないだろう。体つきからして、どこもかしこも真っ直ぐだったから。彼女のような見事な曲線美は、昨日みた限りではどこにも無かった。
「……ずるいよ」




