79話「昨日の今日で」
レイディルたちが執政官と論議した次の日。
日はすでに空のいちばん高い場所へと上り詰め、影を真下に落としていた。
晴れ晴れとした空に、いくつかの雲が浮かぶ。
青いキャンバスに白い絵の具を散りばめたような、そんな気持ちのいい天気だった。
そんな空の下、いまいち気分が乗らないといった顔で、レイディルは城からの帰り道を歩いていた。
今朝からバーグレイ将軍から今後に向けた簡単な説明を受けていた。
遊撃隊の全員で聞くと思いきや、「レイディル君が、リーダーだから」というクラウス博士の一言で、レイディルだけが説明を受けに行っていたというわけだ。
とはいえ、博士は目下のところ、開発に追われて外に出る暇も無いらしいので仕方ないのだが。
この後の流れは、まずはクラウス博士の防衛兵器の完成次第、港へ迎うという。
(それにしても……うーん)
レイディルの気分が低空飛行気味なのは、それが原因ではなかった。
彼の中では、昨日のことが尾を引いていた。
朝の日課であるトレーニングも、この気分のせいでいまいち身が入らなかったほどだ。
レイディルは頬をピシャリと叩く。
「よし、気分転換に、もう一回身体動かしとくか……!」
次の予定までは、まだ少し時間がある。
ならばと、もう一度身体を動かすことに決めた。
次の予定は、クラウス博士のところへ向かい、ヴァルストルムの装備を確認することになっている。
レイディルは中央の道を外れ、大きく東へ向かう。
足を踏み入れたのは、王都アルディアスの東端にある、木々の生い茂る緑地公園だ。
健康志向の住民が早朝や夕方などに走っているのを見かけることもある。
レイディルは芝生を越え、土の遊歩道へ。
しばらく歩くと、前方に人影が落ちているのが見えた。
レイディルは目を細めて人影を見やる。
まるでボロ雑巾だ。
そのボロ雑巾──いや、人影はピクリとも動かなかった。
普段ならば、人が倒れていれば緊急事態だ。
レイディルもすぐに駆け寄って安否を確認するだろう。
しかし、彼は慌てずゆっくりと倒れている人物へと近づいた。
そして、足元へと声をかける。
「こんな所で昼寝か……?」
「見て分かりませんか……? 倒れてるんです」
その人物……アリーシアスは顔を地面に突っ伏したまま、身動ぎもせず告げた。
「なんでまた……」
レイディルはアリーシアスの後頭部を見つめている。
その目は訝しげだ。
やがて、その視線を彼女の全身へと移す。
そこでレイディルは、いつものローブ姿ではないことに気がついた。
身に着けているのは、動きやすそうなTシャツにスパッツ姿。
「運動してたのか」
レイディルの言葉に、ようやく少し回復したのか、顔だけを向けたアリーシアスが答える。
「……アレを運動と呼べるなら……あるいはそうかもしれません……」
そう告げる彼女の目はどこか遠くを見ていた。
レイディルがしゃがみこみ、アリーシアスの腕を取る。
「とりあえず移動するか」
アリーシアスが倒れている場所は歩道だ。
このままここに倒れていては、誰かが通る時に邪魔になるだろう。
レイディルはそう思い、起こそうとした。
しかし、彼女は立ち上がる気配はなかった。
レイディルが引っ張るも腕が持ち上がるばかりで、彼女自身微動だにしなかった。
「おい……」
「わたしをどかせたければ、力づくでやることですね……もっともそう簡単にはいかないでしょうけれど……!」
「どこの悪役だよ……」
レイディルは呆れながらも、突っ伏しているアリーシアスの横に立つように、体勢を変えた。
「例えわたしの体重が軽くても──」
アリーシアスの言葉を無視し、レイディルは両手を体の下に差し込み、ゴロンと彼女を仰向けにひっくり返す。
「完全に力を入れられない人間というものはですね──」
レイディルは仰向けになった彼女の肩と、足に腕を差し込んだ。
「非常に持ち辛い。それは鍛えられたレイディルと言えど──」
そしてレイディルは太ももに力をぐっと入れ、立ち上がる。
「あ、ちょっと、人が説明してるのに、なに普通に持ち上げてるんですか」
レイディルは何故か非難を浴びせられていた。
そこでアリーシアスはなんとか力を入れ、自分の体勢を見やった。
自分が今、どういう格好で持ち上げられているのかを確認するために。
肩を支える腕。
そして、膝裏に回されたもう一方の腕。
それはまさしく──
いわゆる、お姫様抱っこというものであった。
アリーシアスの顔が、みるみる赤くなっていく。
「ちょっと、変なところ触らないでください!」
レイディルの手は、アリーシアスの膝裏に位置している。
その手が太ももにも当たっていた。
「仕方ないだろう。これが一番運びやすいんだから……」
アリーシアスが抵抗しようにも、限界に達した体ではもがくことも出来ない。
彼女はギャーギャーと喚いていた。
「横っちょに退けたら下ろすから我慢しろ」
レイディルは抗議の声を気にすることもなく、道の脇へと進む。
「あっ」
すると、そこへ両手に飲み物を入れた容器を持ったレイラが赤面して見ていた。
見れば彼女も、上着を脱いだ動きやすい運動用のインナー姿だ。
「お、お姫様抱っこ……!」
彼女は、なにやら嬉しそうな声を上げる。
「ち、違うんです! これはレイディルが無理矢理!」
「なんて人聞きの悪い……」
「ほ、ほ、本当に実在するんですね……! お姫様抱っこする人!」
静かな緑地に、三者三様の言葉が飛び交った。
深緑の葉から零れる日差しと、その隙間から覗く青い空。
「でもですね……パーティでも、中々お目にかかれないんですよ」
「それはそうです。そんなことしてたら変な人じゃないですか」
ウキウキと満面の笑みをたたえるレイラと、やや呆れ気味に答えるアリーシアス。
(庶民には馴染みのない話だ……)
二人のやり取りを聞きながら、レイディルは目を伏せていた。
レイラに手渡された、よく冷えた水をゴクゴクと飲み、アリーシアスは一息つく。
ようやくなんとか身体が動かせるくらいには回復したようだ。
倒れていた場所から、少し離れたベンチにレイラとアリーシアスは腰をかけ、その前にはレイディルが立っていた。
レイラはニコニコとアリーシアスの様子を見つめている。
「で、なんでアリシアはあんな所で寝てたんだ? しかもレイラさんまでこんな所に」
「だから、寝てたんじゃありません!」
両手で容器を大事そうに持っていたアリーシアスが口を尖らせて反論する。
「あ、えーっと、実は今朝方のことなんですが」
「そこはわたしから説明します」
レイラが語り始めるのを受けて、アリーシアスが引き継いだ。
~~~~~~
中央区からやや南に行った大通りに面する宿屋。
連日、マリーの部屋にお世話になるわけにもいかず、かと言って屋敷に戻るのも気が引けたアリーシアスはそこの二階に部屋を取り宿泊していた。
窓から見える大通りでは、徐々に人々の姿が増えはじめていた。
そんな時間帯。
なにやら一階のロビーがにわかに賑やかになる。
チェックアウトをする人達の喧騒かとアリーシアスは思ったが、どうやらそうでないことはすぐに分かった。
ザワザワとした声に違和感を覚え、アリーシアスは部屋を出て一階へと降りる。
何故か受付前には人垣が出来ていた。
「ちょっとすいません」
アリーシアスがその人垣を分けて進む。
身体が小さいので上手くすり抜けられた。
「!?」
人垣を抜け、彼女が目にしたもの、それは──
「おはようアリーシアス」
しれっと朝の挨拶をする父、ダイレルの姿であった。
こんな場所に執政官がわざわざ足を運んだのだ。
人が集まるのも無理からぬというものだった。
「皆さん、執政官が物珍しいのは分かりますが……すいませんが解散をお願いします」
補佐官であるラディオが手を叩き、集まった人々に言う。
ラディオの一言で人々はちりじりになっていった。
遠ざかる人たちがアリーシアスを一瞥する。
「なんの用ですか、こんな騒ぎを起こして……しかも補佐官さんと護衛さん付きで」
ダイレルの護衛としてついてきていたロルフが軽く会釈をして答える。
ラディオもまたにっこりとアリーシアスに軽く手を振った。
「騒ぎになるとは思わなかった」
呆れるアリーシアスにダイレルはそう言うと、宿屋の主人に向かって頭を下げて謝っていた。
「で?」
「うむ、一万歩ほど譲り不承不承だが、お前が遊撃隊に参加することを許可したわけだが……」
ダイレルは腕を組み、まだ納得のいかない様子で告げる。
「出発の日まで、特訓をしてもらおうと思ってな」
「特訓……?」
アリーシアスがなんの?と聞く前に、ダイレルが続けた。
「その為にスペシャルなコーチも呼んである」
ダイレルが宿の出口に向かって手招きすると、ひょっこりとレイラが顔だけを出した。
照れくさそうな顔でその場から動かない。
「お嬢様の友人かつ、大隊長のウチのスペシャルな妹であれば過不足なく……いえ、十二分以上に適任でございましょう!」
ラディオが仰々しい身振り手振りに加え、まるで演劇のセリフのように言って見せた。
「はぁ……」
気のない返事を繰り出すアリーシアス。
「わざわざ大隊長殿自ら、お前の特訓をすることを提案してくれたんだぞ」
「あ、いえ……そんなこと言ってな……」
「しかも国外へ出陣前のこの忙しい時期にだ」
レイラの否定の言葉をかき消しながらダイレルは続けた。
「なんでも、彼女は地獄の猛特訓とやらが得意だそうで」
ダイレルの言葉にレイラは頭の上にビックリマークを浮かべた。
そして勢いよく顔を横に振る。
「い、いえ、あの……聞いてません……!私……普通のトレーニングを監修してくれって……」
そんなレイラの反応を横目でチラリとダイレルは見つめる。
「いや、限界突破できるほどの特訓を考え付くのが上手いと聞いたが……?」
ダイレルの背中は、首を縦に振れと言わんばかりの圧を放っていた。
「え……えっと……は、はい……」
その雰囲気に負け、レイラは小さく首を縦に振ってしまったのだった。
~~~~~~
「と、言うわけで……」
話を聞いていたレイディルの頬に汗が幾筋も垂れる。
「レイラさんの本気の特訓を……?」
「えっと……手を抜けず、申し訳ないです……」
レイラが縮こまり頭を下げる。
まるで小動物のようだった。
レイディルはアリーシアスに視線を向ける。
彼女は小さく頷いた。
どうやら本当のようだ。
レイディルの背中に冷たいものが走る。
彼は反射的に両腕を抱え、一つ身震いをした。
「でも今更、短時間の特訓をしたところで……」
アリーシアスが半目になりながら、ブーたれる。
「やらないよりは、マシというところではないでしょうか」
「あるいは『この程度やり遂げなくて、よく我儘が言えたものだ』とでも言いたいのか……」
レイラがそう答えると、アリーシアは空を見上げると、呆れ顔で自身の前髪へフッと息をふきかけた。
「コンマイチであれ、生存率を上げられればってトコだろうな」
レイディルは腕を組み頷く。
「あの、もうお昼ですけれど……昼食食べられそうですか?」
レイラがアリーシアスに問いかける。
「あまり胃が受け付けそうにないですね……かと言って食べなければ持たないし……」
そう言って首を捻った。
「でしたら軽いもの食べましょう」
レイラがにっこりと微笑んだ。
すると、彼女の提案を受けるように、レイディルの背後から声がかかる。
「でしたら、私もその昼食、付き合ってもよろしいかしら?」
レイラが見知らぬ人物に目をぱちくりさせている。
アリーシアスは「げっ」という顔だ。
レイディルは聞き覚えのある声に、ゆっくりと振り返る。
艶のある美しい金髪に、もみあげの縦ロールを携えた少女がそこには立っていた。
「イリス……なんでここにいるんですか!?」
王都にいるはずのないアルコイリスの姿を見て、アリーシアスが眉間に皺を寄せ聞いた。
「話せば長くなりますが──」
アルコイリスはコホンと咳払いをし、口を開いた。
「今朝、ウェリティアさんがバーンと現れて、学院長がヨシと言ったので、課外学習ということで私もズバッとこちらに来た次第ですわ」
「……はい?」
「ですから、こちらへ」
「いや、全然分かりませんけど……」
矢継ぎ早にやり取りされる言葉を聞き、レイラは何故かふふっと笑っていた。
レイディルが横にススッと移動し、腰を落として小さな声で聞く。
「なんか、面白いとこありました……?」
レイラは口に手を当て答える。
「いえ……なんだか親近感が湧くなぁって……」
(親近感……?)
レイディルは腰に手を当て、しばし考え混んだ。
やがて気の抜けた時のレイラを思い出す。
「あぁー……」
説明になってないというか、分かりにくいところがなんだか似ていた。
「そもそも、昨日の朝にいい感じに別れましたよね? あれは無駄だったと?」
「そうは言っても……私もこうなるとは思っていませんでしたもの」
「というか、せっかく説明時のコツをわたしなりに考えたのに……ちゃんとしてくださいよ」
「目下、研鑽中でしてよ」
「せめて使う姿勢は見せてください!」
アリーシアスとアルコイリス、二人の言葉の応酬に耳を傾けていたレイディルだが、埒が明かないと見るや、口を挟んだ。
「で、結局なにがなんなんだ……」
レイディルの呆れた声に反応するかのように、もう一つの人影がゆっくりと現れた。
「あー……この人、足速すぎ……」
フラフラとした足取りで現れたのは、ウェリティアだった。
疲労困憊という顔をしている。
そんな彼女にレイディルとアリーシアスからの期待の眼差しが突き刺さる。
「あっ、これ私が説明する感じ……?」
ウェリティアが頬を人差し指でかいた。
「つまり……」
ウェリティアは一同に説明をする。
昨日のお昼過ぎ、技術開発局に、突如としてダイレル執政官が訪ねてきた。
ウェリティアはクラウス博士は忙しく機動馬車を使えないことをダイレルに伝えると、彼は二号車で、すぐさまエルミナに行って欲しいと頼んできた。
二号車の運転を出来る者はウェリティアしかいなかったため、彼女がエルミナへと行くことになった。
出発の際、ダイレルから手紙を預かることとなる。
その手紙は二通。
フェリシア宛と学院長宛である。
昨日の昼に王都を出て、エルミナに着いたのが夕刻。
ウェリティアはエングラム邸へと戻り、事情を説明し手紙を渡した。
そして一泊させてもらい、次の日、早朝から学院へ赴いた。
「そこで学院長に手紙を渡して、アルコイリス嬢を連れてさっき王都に戻ってきた……と言うわけ」
ウェリティアの説明を聞き終え、得心がいったのかアリーシアスが一つ頷いた。
「なるほど、父さんの差し金……ですか」
その声色には呆れた色が滲んでいる。
「なんて、行動力……」
アリーシアスはそうボソリと呟いていた。
「大変だったよ……」
ウェリティアがダルそうに言葉を吐いた。
それもそのはずである。
彼女はエルミナから王都へ戻ってきた次の日、またすぐにエルミナへと行ったことになる。
「いやー、ああいうのを強行軍って言うのかもね」
ウェリティアはどこか遠い目をしていた。
「そういえば機動馬車の二号は操縦者の魔力で動くんだったか」
レイディルが思い出しながら告げると、ウェリティアは首を縦に振る。
「博士みたくアップデートしなきゃね……」
アリーシアスがアルコイリスをじっと見つめる。
「……それで、なんでイリスを連れてくる必要があったのか、です」
「あー、それ? なんかさ、執政官によると『ライバルがいた方が特訓の効果も上がる』ってさ……」
説明をするウェリティアも「そんなことで効果が本当にあるのか」と、半信半疑だ。
「と、言うわけで昼食後、特訓に付き合いますわよ!」
アルコイリスは元気よく声を出す。
そんな彼女を見つめ、アリーシアスは息を吐いた。
「はぁ……アレに自ら飛び込んで来るなんて……酔狂な……」
アリーシアスの言葉などどこ知らず、アルコイリスは視線をレイラへと向けた。
「貴方が特別コーチですわね。私アルコイリス・メイルバッハ・ストラークと申します。よろしくお願いしますわ」
そう言いスカートの端を摘んで持ち上げる。
「あ、わ、私……レイラ・フォオランテとも、申します」
レイラは慌てて立ち上がり、そして小さな声で「よろしくお願いします」と告げた。
「フィオランテ、フィオランテ……」
アルコイリスは口の中で呟くように繰り返す。
「思い出しましたわ。あの名高きフィオランテ家の!」
アルコイリスの声に、レイラは複雑そうな顔をした。
しかし、それも一瞬のことだった。
「わ、私もストラーク家のことは……よ、良く存じています……なんでもお父様が名うての騎士だったと……」
「もう、引退して久しいですけれどね」
互いが互いの家の話へ、そして会話は上流階級の話へと変わっていった。
気だるそうにウェリティアが呟く。
「天上のお話はよくわかんないね」
「……ウェリティアがこの場にいてくれて助かった」
レイディルとウェリティアは庶民感覚を噛み締め、しばし天上人たちを眺めていた。
やがて二人の会話が一段落すると、アリーシアスはベンチから立ち上がる。
疲労していた足も幾分か回復したようだ。
「では、わたしたちは一度昼食を取ることにしましょう。イリスは──」
言いかけてアルコイリスに視線を向ける。
「当然着いていく」といった顔だ。
そしてアリーシアスの視線はレイディルへと向く。
「オレは……そうだな」
本当ならば少し身体を動かすつもりだったが、タイミングを失った。
「午後も予定入ってるし、このままクラウス博士のところに行くことにする。昼食は適当だな」
「そうですか」
「残念ですわね」
アリーシアスとアルコイリス、両名の反応を見たレイディルが、手で小さく「悪いな」と謝った。
そんなやり取りをしていると、レイディルはふいに肩を叩かれる。
「んじゃ、行こっか」
ウェリティアがレイディルの肩に手を置きながら、もう片方の手でちょいちょいと開発局のある方角を指さした。
「ウェリティアも戻るのか」
「私もやること沢山あるからねぇー……いやはや……」
ウェリティアは予定が狂ったことに、やれやれと息を吐いた。
そうして彼女は、レイディルの背中をグイッと押す。
「なんだなんだ?」
「はい、機動車二号、一名様ご案内っ」
「あんなもんこの近くに止めてんのか!? 邪魔だろ!」
ツッコミも虚しく、レイディルはドンドンと押され、やがて木々の中に消えていった。
残された三人は、レイディルたちに小さく手を振っていた。
機動車二号を開発局の裏手、ヴァルストルムが鎮座する機動馬車の横に停め、ウェリティアは裏口からレイディルを中へと案内した。
「……楽なのは良いけど、昼買えなかったな」
「あー、ごめんごめん。ふつーに直で来ちゃったね……私のだけど、とりあえずこれで飢えをしのいで」
そう言ってウェリティアは紙袋をレイディルへ手渡した。
「ビスケットか」
紙袋の中には手のひらサイズのビスケットが一枚。
レイディルはそれを取り出すと、二つにパキッと割った。
「半分だけ貰っとく。ありがとな」
ウェリティアは半分返ってくるとは思っておらず、きょとんとした顔で受け取っていた。
そんな彼女の反応を尻目に、レイディルは部屋の中を見渡した。
「相変わらず、なんというか……」
辺りには部品や資材が所狭しと並べられている。
いや、散らばっている、と言った方が正しいような散乱具合だ。
レイディルはその中から一つ、机にあるものに目を止めた。
(羽……?)
レイディルがその部品の正体を確かめるより早く、奥から声がかかった。
「やぁレイディル君。いらっしゃい」
資材をかき分け、クラウス博士が姿を現した。
「おや、ウェリィもおかえり」
クラウス博士は半分になったビスケットをボソボソと噛んでいるウェリティアへと挨拶を済ませる。
「博士、忙しいのにヴァルストルムの……というか、オレの要望も聞いてもらってすいません」
「いやいや、良いんだよ。防衛の為の新兵器は既存の物に手を加えるだけで済みそうだからね」
彼はそう言って背後を親指で指さした。
そこは他と違い開けていた。
そしてその中央に大砲が一門。
用途は分からないがパーツが増設されているようだった。
「と、まあ、あんな具合でね。明日あたり完成すると思うよ」
クラウス博士は笑いながら告げる。
レイディルは不思議そうに大砲を見つめた。
(あれで果たして──)
「『果たして中型ギガスに対抗できるのか』かな?」
レイディルの心を見透かしたように博士は言う。
「心配ご無用。アレの真骨頂は弾の方だからね」
「弾……」
一体、如何なる手を加えるのか、どんな弾なのかレイディルは疑問が尽きなかった。
「それは完成してからのお楽しみということで」
クラウス博士は口角を上げる。
やはりまだもったいぶりたいらしい。
そうして気を取り直したクラウス博士は話題を変えた。
「さて、早速だけれどヴァルストルム君の装備について相談したいんだけど──」
太陽は落ち、街が夕闇に染まる。
クラウス博士との打ち合わせを終え、レイディルは帰路につこうとする。
帰り間際にウェリティアがレイディルに告げた。
「夕飯は美味しいもの食べられるよ」
その一言。
レイディルは首を傾げつつ、技術開発局を後にして大通りへと出る。
すると、そこにはアリーシアスたちが待っていた。
「あっ、やっと来ましたね」
よく見るとアリーシアスとアルコイリスの二人は汗だくで疲労も限界といった感じだ。
立つ気力もないのか、道路の端に座り込んでいた。
コーチをしているレイラはというと──
適度に良い運動をしたのか、肌には汗が滲み頬は高揚していた。
しかし、余力を残しているといった感じで、ニコニコと真っ直ぐに立っていた。
「なんでまた、こんなところに……」
レイディルがそう呟くが早いか、アルコイリスが息を切らしながら言った。
「えぇ……実はレイディルも……はぁ……夕食に誘おうと思いまして……ぜぇ……」
「どこで食べるか……イリス、話してくれないんです……」
アリーシアスは頭を垂れたまま、俯きながら言った。
「皆さん揃ってからと思いまして……ゼェゼェ」
アルコイリスの息が整うのを待ってからレイディルは改めて問いかけた。
「で、どこに行こうっていうんだ?」
「ダイレル様の屋敷ですわ」
その単語が出た途端、レイディルとアリーシアスは苦々しい顔をした。
アルコイリスは二人の顔を交互に見やり、不思議そうな顔をしていた。
「なんというか……あんまり、気乗りしない場所だな……」
レイディルは歯切れ悪く告げた。
アリーシアスもまた視線を横に逸らしている。
「昨日の今日ですからね……」
アリーシアスもまた、気乗りしない様子だった。
しかし、アルコイリスは気にした様子もなく、立ち上がりアリーシアスの腕を取った。
そして彼女を立ち上がらせると、レイディルの方へと顔を向ける。
「なにを気にしていらっしゃるかわかりませんけれど……ダイレル様から言伝を一つ」
アルコイリスは人差し指をピンと立てる。
「『今日は忙しいから、帰らん』……と」
レイディルとアリーシアス、二人は顔を見合わせる。
「うーーーん」
レイディルが腕を組み唸る。
長く。
「……それなら別に良い……か……?」
レイディルは完全に気は乗らないが、ダイレルと顔を合わせないのであれば、と考えた。
「でも、何故イリスがわたしの家で食事なんて言うんです?」
アリーシアスが首を傾げる。
「それは着いてからのお楽しみということで」
「いえ、そういうことじゃなく、なんの権限があってか聞きたいんですけど」
その言葉は無視され、アリーシアスはアルコイリスに手を引かれる。
「まぁまぁまぁ」
「答えてくださいよ」
アルコイリスとアリーシアスの声が夕闇に染みる。
二人を追うように、レイディルとレイラもダイレルの屋敷へと歩き出した。
王城へと向かう道を歩き、途中の通りを西へ。
しばらく行くと、敷地を囲う壁と、その奥に建つダイレルの屋敷が見えてくる。
正面には、敷地へと続く大きな門が設けられていた。
「あれが……執政官の家……」
最後尾を歩くレイラがぽつりと呟いた。
屋敷は王城からほど近くに建ち、執政官という立場に見合った立派な造りではあるものの、想像よりは大きくは無かった。
「住んでいる人数も少ないですし、広くある必要はないですからね」
アルコイリスに手を引かれ歩くアリーシアスが答える。
「普段は父一人。王都にいる時はわたしも追加で。十年より前は一家揃ってましたけれどね」
アリーシアスは淡々と説明をする。
「あとは……屋敷の近くに、使用人さんと護衛さんが寝泊まりしている離れがありますかね」
彼女が指をさした方を見ると、壁の向こうから屋根を覗かせる建物が一つ。どうやらあれが離れのようだ。
さらに敷地内には、馬車を収めるための馬車庫と、移動用の馬を飼う厩舎も備えられているらしい。
歩いて王城に行ける距離ではあるが、執政官の安全と緊急時の対応の為、移動には主に馬車を使っているのだろう。
四人が門の前へと到着する。
するとタイミングを見計らったかのように、門がひとりでに開いた。
重い音を響かせながら、その門がゆっくりと開いていく。
その門の奥から、一人のメイドが姿を現す。
首元で切り揃えられた黒髪。
その頭にはメイドカチューシャ。
黒を基調としたロングスカートに、白いエプロンを身に着けている。
「この人は……」
レイディルは見覚えのある姿に思わず言葉を漏らす。
「……あれ?」
アリーシアスが声を上げる横で、アルコイリスはその反応を楽しむように、フフッと笑っていた。




