62話「話は巡って」
王城から西へ、しばらく歩いた先。
石造りの街並みが途切れ、視界がふっと開ける。
芝の敷かれた緩やかな広がりに、まばらに木々が立ち並ぶ。
そこには、魔術研究庁をはじめとした各種機関の建物が点在していた。
やがてその奥、緩やかな芝地の奥に、低く横に広がる建物が姿を現す。
装飾は控えめで、どこか無機質な印象を与えるその建造物。
それこそが、魔術研究庁である。
重厚な正面扉の先には、磨き抜かれた床と白い壁のロビーが広がっている。
外観とは違い、内部には適度な彩りがあった。
壁際には花瓶や壺が置かれ、ところどころに観葉植物が配置されている。
無機的になりすぎないよう、景観に気を配っているのが見て取れた。
ロビーの端には、二階へと続く階段。
そこを登ると、左右へ伸びる廊下がある。
壁際にはいくつかの部屋があったが、人の気配はなく、平時は使用されていないようだった。
その先には四角く巡る廊下があり、その一辺の中央に魔術研究庁長官の部屋がある。
レイディルはその扉の前で、腕を組み壁に背を預けていた。
「レイディルはそこで待っていてください」
そう言い残し、彼女は一人で長官室へと入っていった。
あれから、しばらくが経つ。
特にすることもなく、レイディルは時間を持て余していた。
時折、職員が廊下を通り過ぎる。
そのたびに、興味深そうな視線が向けられるのが分かった。
(やっぱ見られるのは慣れないな……)
移動してしまいたい気持ちもあるが、待てと言われた以上、出てくるのを黙って待つしかない。
レイディルはとりあえず目を閉じ、瞑想に耽ることにした。
レイディルが扉の外で時間を持て余しているその頃、室内ではアリーシアスと研究庁長官の間で、いくつかのやり取りが交わされていた。
「さて、とりあえず……あなたの《ルミナス・レイ》については、いくらかわかりました。
……端的に言って、光魔術の再興──驚くべきことです」
しっとりとした、知的で冷静な声が室内に響く。
アリーシアスの対面、机を挟んで座る魔術研究庁長官は、女性特有のしなやかな指で《ルミナス・レイ》の概要が記された資料をめくる。
(正確には、純然な光じゃないけど……)
アリーシアスは心の中でそう思ったが、説明が面倒だと思い省くことにした。
作成した資料にも全てを書いてはいない。
「さて、本来ならばこの新術を査定する必要がありますが……」
長官は言葉を選ぶように、わずかに間を置いた。
「お恥ずかしいことですが、昨日協議を重ねた上で結論が出ませんでした」
その言葉に、アリーシアスは不思議そうな表情を浮かべる。
査定──新たな術が生み出された場合、その系統や等級などを定める必要がある。
「しかし、我々だけでは判断しかねました。
そう……あまりに──あまりに特異な事例ですので」
光魔術の再興。
長い歴史の中で、光魔術そのものが存在しなかったわけではない。
だが、かつてのそれは実用に足らず、淘汰されたものだ。
それを、ここまでの水準へと引き上げた例は存在しない。
「問題は、その扱いです」
長官は資料を閉じ、静かに視線を上げた。
「既存の体系に当てはめるべきか。
それとも、新たな枠組みとして定義すべきか……」
一瞬、言葉が途切れる。
「光魔術というだけでも異例です。
それが、破壊力を伴うとなれば……」
最後まで言い切らず、長官は小さく息を吐いた。
「それともう一つ──」
長官はわずかに視線を伏せた。
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ツン。
レイディルの脇腹に、何かが触れた。
ツン、ツン。
執拗に同じ場所を狙ってくる。
(……痛い)
ツンツンツン。
今度は先程までより多い。
「……やめろ」
しつこさに耐えかねて、レイディルは目を開ける。
そこには右手の人差し指でレイディルの脇腹を狙うアリーシアスが立っていた。
片方の手にはなにか封筒のようなものを持っている。
「アリシアか……終わったのか」
レイディルは壁から体を起こし、軽く姿勢を正した。
「他に誰がレイディルの脇をつつくと言うんですか」
「出来ればお前もつつくのやめて欲しいんだが……」
「起こそうと思ったので」
「寝てない。暇だから瞑想してたんだよ」
アリーシアスは何も言わず、じっとレイディルを見つめた。
レイディルも、その視線を見つめ返す。
しばし、無言が続く。
「……え、本当なんですか? こんな場所で? 立ったまま?」
アリーシアスは驚いたように目を瞬かせた。
「仕方ないだろ、やることなかったんだから」
アリーシアスは僅かに間を開けた。
「……まぁ、そういう人も……いるかもしれませんね……」
どうやら、無理やり納得したことにしたらしい。
「で、どうだった? 用事はもういいのか?」
レイディルの言葉に、アリーシアスは思い出したように返した。
「あ、はい。……いえ、それがちょっと面倒なことになりまして」
「面倒?」
アリーシアスは左手の封筒を、ひらりと持ち上げ、レイディルに示した。
「封筒、だな」
「はい。学院長宛の書状が入っています」
学院長。
その言葉にレイディルはピンと来た。
「つまりリグレア……だっけ? リグレア魔術学院に行けってことか」
縁遠い場所なだけに名前にも自信はなかったが、アリーシアスが頷いているあたり間違いではないのだろう。
(……いやいや、名前はどうでもいいか……本題はそこじゃない)
レイディルは小さく咳払いをする。
その様子を、アリーシアスは何をしているのかと言いたげに見つめていた。
「魔術学院は王都から馬車で三日はかかるんですよね……とはいえ、行かないわけにもいかず……」
「まぁ、気軽に行ける距離じゃないな」
王都を離れる必要があるということは、念の為姫にも確認が必要だろう。
諸々のことを考えると、アリーシアスの言うように実に面倒だ。
「そうだなぁ……」
レイディルは何か良い手はないかと少しの間思考を重ねた。
そして魔術研究庁のある位置を思い出す。
「中央区……王城の近くか……」
記憶の中で、王都の地図がゆっくりと形を結ぶ。
「よし、せっかくだからあの人を頼ろう」
「あの人……?」
アリーシアスは一瞬だけ考え、すぐに心当たりに思い至った。
「あぁ、あの人ですか」
レイディルは軽く頷き、二人はその場を後にした。
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魔術研究庁からほど近く。
レイディルたちは心当たりの人物を頼るため、とある建物を訪れていた。
内部は思いのほか慌ただしかった。
それほど広くもない空間を、数人の職員たちが右へ左へと行き交っている。
人数自体は多くないが、それを感じさせないほどの騒がしさだった。
「あっれ? レイディにリーシ……アリーシアス、技術開発局に、なんの用?」
間延びした声がかかる。
振り向けば、右手の壁際に置かれた机と椅子の一角で、少女が歯車を弄りながらこちらを見ていた。
「レイディはやめろ……」
レイディルは一瞬だけ眉をひそめる。
(今、アリシアもあだ名で呼びかけようとしてたな……)
レイディルは小さく息をつき、話を切り替える。
「博士に用事があって……ってか、ここっていつもこんなに賑やかなのか?」
周囲を軽く見回しながら、レイディルはそう言った。
「まさかー」
ウェリティアは大袈裟に肩をすくめてみせる。
「いまお城からなんか仕事が入ってね。
みんな右へ左へ、大忙しってわけ」
どこか気だるげに言いながら、少女はひらひらと手を振った。
「ウェリティアはサボってていいんですか?」
アリーシアスがじっと彼女を見る。
「あー、私、別に職員ってわけじゃないし、ね」
悪びれる様子もなく、軽く笑う。
「彼女は昔っから、ここにただ入り浸ってるだけだよ」
ふと視線を感じ、レイディルは部屋の奥へ目を向ける。そこから、声がした。
「やぁ、二人ともいらっしゃい」
直後、雑多に積まれた机や作業台の向こうから、クラウス博士が姿を現す。
作業台の間を慣れた足取りで抜けながら、こちらへと歩いてくるその姿に、レイディルは自然と視線を向けた。
建物内には、大小さまざまな机や作業台が所狭しと並び、その上には分解途中の機械や見慣れない装置、書類の束が無造作に積まれている。
壁際の棚には工具や部品が詰め込まれ、整理されているというよりは“必要なものがすぐ手に取れるように置かれている”といった様子だった。
それでも人の動きは淀みなく、職員たちはその隙間を縫うように行き交っている。
その中を当然のように歩いてくる博士は、やがて二人の前へと辿り着いた。
「いやぁ、よく来てくれたね。
レイディル君に至ってはもっと早く来て欲しかったくらいだよ。
とはいえ、そんなタイミングもなかったし無理な話だけど」
博士は上機嫌で、矢継ぎ早にペラペラと捲し立てた。
「なんだか……物足りなさを感じていたところだよ」
そんなクラウス博士の様子を見たアリーシアスが、なにかに気づき声をかけた。
「あっ、寂しかったんですね」
その言葉にクラウス博士は一瞬だけ言葉を詰まらせるが、すぐに調子を取り戻した。
「いやいや、たかが一日ぶりだよ?
いくら君たちのことを好意的に見ているからと言って、そこまでセンチメンタルじゃないさ」
「そうですか、素直に寂しがってくれていれば、わたしたちも嬉しかったんですけどね」
残念です。と言わんばかりに大袈裟に首を振ってみせる。
そしてアリーシアスは、横のレイディルへと、同意を求めるように顔を向けた。
「あー、あぁ、そう……だな」
レイディルは視線を泳がせながら曖昧に頷く。
その一瞬、クラウス博士の口元がわずかに引きつった。
アリーシアスはいたずらっぽい笑みを浮かべており、それをウェリティアが笑いを噛み殺しながら見ていた。
「と、ところで──わざわざ来たんだ。
なにか用事があるんじゃないのかい?」
バツが悪そうに、クラウス博士が話題を切り替える。
「そうでした、博士をいじって遊んでいる場合じゃありませんでした……実は魔術学院へ行く用事が出来たので、博士に頼みがありまして」
「いま、サラッとひどいこと言われた気がしたけど……」
二人のやり取りに、耐えきれなくなったのか、部屋の隅からウェリティアの小さな声が漏れた。
「魔術学院というと、エルミナか……確かにちょっと遠いな」
クラウス博士は軽く顎をさすり、すぐに小さく頷いた。
「なるほど、つまり機動馬車を使いたいってことだね」
アリーシアスはコクリと頷いた。
「でも、そんなに簡単に王都を離れてもいいものかな?」
クラウス博士の問いにレイディルが答える。
「そっちはここに来る前に、姫から許可貰ってます」
技術開発局へ来る前に王城に行き、姫と面会している。
姫の反応は二つ返事でOKだった。
──「ただし、一週間以内には帰ってきてね」──とは言われている。
「とすると……長距離だ。運転はそれなりに慣れている者でないと」
クラウス博士の言葉に、レイディルは一瞬だけ考える。
「あっ、オレ運転してみたいです」
ぽつりと、そんな言葉が彼の口から出た。
「……ん?」
アリーシアスが怪訝そうに眉を寄せる。
「今、慣れている人でないとって話でしたよね?」
「いゃ、まぁ、やったことはないけど……なんとかなるだろ。やってみたいし……」
「適当ですねぇ……」
呆れたようにため息をつくアリーシアス。
「って、あれ? 待ってください。レイディル、着いてきてくれるんですか?」
「なんだよ、一人で行くつもりだったのか?」
「ま、まぁ……はい……」
わずかに視線を逸らしながら、アリーシアスは頷く。
……その返答に、微妙な間が空いた。
「実は、俺もエルミナに行けるなら行きたいしな」
その言葉に、アリーシアスはきょとんとした表情を向けた。
「なんでまた」
「解析魔術の免許、更新したいんだよ」
「免許……ですか……?」
この国では、解析魔術の使用には資格が必要とされている。
扱いを誤れば、術者自身に過剰な負荷がかかり、最悪命に関わるためだ。
「そだねー」
その説明に、奥のウェリティアが頬杖をつき半笑いをして相槌を打つ。
いかにも“知ってる側”といった気の抜けた感じだった。
「別に王都でも出来るのでは?」
「できるけど……あっちは講習受けて、申請して、更にまた来いって言われるんだ」
「……はぁ」
「学院なら、一回で済むらしいからさ。ついでだと思って」
そのやり取りを聞いていたウェリティアが、ふと博士の方を振り向いた。
「はかせー、アレ、タイミング的にちょうどよくない?」
軽く顎で奥の机の上の書類を示す。
クラウス博士は少しだけ考える素振りを見せてから、ふっと口元を緩めた。
「あぁ、アレか……そうだね。その方が都合がいいかもしれない」
「都合?」
アリーシアスが首をかしげる。
「うん、せっかくだ。僕らも同行させてもらおう」
「良いんですか? 忙しそうですが……」
予想外の申し出に、アリーシアスが目をぱちくりと見開き、聞き返した。
「え、私もなんで?」
ウェリティアは一拍遅れて、自分を指差した。
「悪いけど助手が欲しいんだよね。技術開発局のみんなは……他にもやることあるしね。
暇なのは君だけだから」
「えー……マジかー」
ウェリティアは露骨に顔をしかめる。
「あそこ行くの何年ぶりだっけかなぁ」
「ウェリティアは、魔術学院行ってたんですか?」
「んー、まぁね。解析魔術だけ習いたかったから、覚えたらさっさと辞めちゃったけど」
そう言って、ウェリティアは軽く首を傾ける。どこか他人事のような口ぶりだった。
「つまり、先輩だったってことですか」
「おやおや、アリーシアスちゃん、そんな嫌そうな顔をして」
「嫌というわけでもないですが……」
そう言いつつもアリーシアスは眉をわずかに寄せている。
ウェリティアはそれを面白がるように、ニヤリと笑った。
「でも博士も来るなら、ヴァルストルムのメンテナンスはどうするんですか?」
レイディルは、今さらのようにそのことを思い出し、博士へと視線を向けた。
「運転は君たちに任せて、道すがらにでもやることにするよ」
さらりと言ってのける博士に、レイディルは思わず目を瞬かせた。
「馬車上で? 走りながら?」
「ははは、そうだね。
なに、多少の揺れはどうってことないさ」
(メチャクチャなこと言ってる……)
レイディルは内心で呟きつつも、口には出さなかった。
「さて、それじゃあ出発は何時にしようか──」
クラウス博士が予定を立てようと口を開いた、その時だった。
「ごめんくださいー」
入口の方から、柔らかく穏やかな女性の声が響く。
その声に、レイディルははっと顔を上げた。
(この声は……)
「あらあら、みんな揃ってるの?」
扉が開き、ジルベルトを伴ったマリーが姿を現す。
「どうしたんですか?」
アリーシアスが目を丸くする。
「実はね……エルミナに行くために、機動馬車をお借りしたいなって思って」
「マリーさんも!?」
思わず声を上げるアリーシアス。
その場にいた全員の視線が、自然と交差する。
──行き先は同じ、目的もまた重なり合っている。
あまりに出来すぎた偶然に、誰からともなく小さな苦笑が漏れた。
一同の反応に、今度はマリーとジルベルトが事情を掴めないまま顔を見合わせた。
こうして、一行の旅路は思いがけない形で顔ぶれを揃えることとなった。
(どうやら、賑やかにはなりそうだな)
レイディルは、どこか肩の力を抜きながらそう思っていた。




