第五十九話「帰還の日」
王都が見え、機動馬車二台はしばらく街道を道なりに走る。
「うーん……直接議論の場に出るのは私だけど、さすがに海賊の格好のままってわけにはいかないわね。最低限の体裁は必要だし……」
反対の窓側に座るリヴィアの服装へちらりと視線をやり、シエナは独り言のようにぼやいた。
「まあ、王城に戻ったら何か服を用意してあげるわ」
その一言に、リヴィアの目がぱっと輝いた。
「えっ、豪華な服着られるの!? ラッキー!」
(体裁とかより、そっちに食いつくのか……)
レイディルはそう思いかけて、すぐに小さく息を漏らした。
そういうところは、昔から変わっていないようだった。
そんなこんなで、機動馬車は王都南側へと進む。
しばらく走ったところで、王都アルディアスへ入る手前。
街を囲うように巡る堀と、その水面に架かる南門への木の跳ね橋が見えてきた。
中央から二枚に割れて跳ね上がる構造のそれは、今は静かに降ろされ、王都への道を開いている。
橋の先には重厚な門扉。
その向こうには、広場を中心に広がる街並みと、奥にそびえる王城の屋根が覗いている。
だが、馬車は橋を渡る前に、街道脇の少し開けた場所でふいに停止した。
少し後ろでは、同行していた二号車も同じように停車する。
「……どうしたんです?」
レイディルが首を傾げると、シエナはすでにレイラを呼び、二人で馬車を降りていた。
外で何やら話し込んでいる。
やがて入口からシエナがちょいちょいと手招きする。
呼ばれるまま外へ出ると、彼女はニコニコと笑っていた。
その顔はどこか楽しげだ。
「さて、操縦士さん。あなたにはこれから重要な任務を伝えます」
「重要な任務?」
「簡単よ。ヴァルストルムの傍に立っていてちょうだい。おあつらえ向きに昇降機もあるってウェリィから聞いたわ」
「なんでまた……?」
レイディルが周囲を見回すと、堀の手前、街道脇で待機していた騎士と三頭の馬が目に入る。
三頭の馬の背には、すでに将軍とレイラ、ロルフが跨っていた。
「先日、先に城へ連絡を入れて用意させておいたわ。街の中央を往くのだもの。馬車の中より、馬上の方がよっぽど騎士らしいでしょ?」
「……?」
「あーもう、ちぶちんね」
シエナは呆れたように肩をすくめ、それから口元を上げる。
「私たちは帝国を退けて帰ってきた。なら、やることは一つでしょう?」
「……あー」
そこでようやくレイディルも察した。
橋を越え、南門をくぐれば、その先は中央広場へと続く王都の大通り──人々の視線が否応なく集まる、王都最大の晴れ舞台。
シエナは満足げに頷き、宣言する。
「そう……凱旋よ」
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南門が開け放たれる。
先頭に将軍がゆるりと馬を歩かせる。
次いで機動馬車。
その右手にはレイラが並進していた。
さらにその後ろを、もう一台の機動車が静かに続く。
門前の道を行き交っていた人々は、近づいてくる列に気づくと、何事かと足を止めた。
やがて先頭の将軍の姿を認めるや、道の端へとさっと身を寄せていく。
そうして自然と開いた人垣の先へ、街の人々の視線はたちまち機動馬車へと吸い寄せられた。
生き物ではない機械で作られた馬。
その精巧な造形としなやかな動きに、人々は思わず目を奪われた。
次に視線は機械馬の背後、御者台へ移る。
手綱を引く御者の横には、シエナ姫がしずしずと座していた。
その表情は凛として気品に満ち、沿道の人々へ向けては、微笑みを湛えながら白い手をゆるやかに振っている。
姫の姿を見た人々は、その意味をすぐに悟った。
これは──凱旋だと。
確信は瞬く間に人々へ伝わり、ざわめきはたちまち大きな歓声へと変わった。
その歓声の中、沿道の視線は列の先頭から、次第に後続へと移っていく。
御者台後方の窓からは、ジルベルトが涼しい笑顔を浮かべ、慣れた様子で手を振っている。
手には痛々しく包帯が巻かれていたが、それすら勝利の証に見えた。
名誉の負傷というやつだ。
続いて、人々の視線は荷台に控える機械の騎士へ向かう。
鋼の騎士、ヴァルストルム。
その胸元、せり上がった昇降機の上では、どこかぎこちない動きで操縦士レイディルが手を振っていた。
もっとも、そのぎこちなさには、少しばかり理由があった。
ほんの少し前。
南門へ入る直前、街の外で足を止めた時のことだ。
~~~~~~
「そう、あなたも手を振るのよ。
勇猛果敢に戦った英雄がここにいると、人々にしっかり見せるために」
シエナの言葉を聞いたレイディルは、苦いお茶でも飲んだような、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
「なにその顔……」
シエナがたまらず指摘する。
「いや、ほら……たくさんの人の前で目立って手を振るって、なんか恥ずかしいじゃないですか……」
「演説の時はやり遂げたじゃない」
「いや、まぁ、あの時は我慢しましたけど……」
レイディルは頬を掻きながら視線を逸らす。
演説台に立つのも相当緊張した。
だが今回は、それとはまた別だ。
今度は大勢の人々へ向けて、笑顔で手を振らなければならない。
元々ただの一般人だったレイディルにとって、そういう“振る舞い”はどうにも慣れない。
誇らしさよりも先に、気恥ずかしさの方が勝ってしまう。
そんな彼を見て、シエナは小さくため息をついた。
「必要なのは勝利そのものだけじゃないわ。
人々に“勝てる”と信じさせる象徴がいるの」
その視線がまっすぐヴァルストルムへ向けられる。
「あなたとヴァルストルムは、今や王国の希望そのものよ」
機動馬車の入口で聞き耳を立てていたベイルが、顔を出し楽しそうに笑った。
「ははは、レイディル頑張れよ!」
「お前も一緒に立てよ。こういう時だけ他人事みたいに言いやがって」
「オレ別に活躍してねーし、他人事だしー」
即答だった。
「なんて思いやりのないやつなんだ!!」
珍しくレイディルが吠えた。
(へぇ、レイディルが悪態付くの珍しい、気心知れた友達だとこんな感じかな、なるほど)
二人のやり取りをアリーシアスが面白そうに見ていた。
その時、荷台の休憩室から現れたジルベルトが、気楽に言う。
「あんなの適当に手を振っときゃいいのよ」
さらりとした言い方に、レイディルは微妙そうな視線を向けた。
「そうねぇ──夕食のことでも考えながら振っとくといいわね」
そう言いながら彼女はケタケタと笑っていた。
「甘受よ、今日は英雄になりなさい」
つまりは潔く諦めろ、ということらしい。
~~~~~~
そんなやり取りを経ての今である。
レイディルは笑顔を作ろうとするほど口元が引きつり、手を上げる動作もなんだか棒のように硬い。
結局、ぎこちなさは最後まで拭えなかったが、レイディルはそれでもなんとか人々の歓声に応えるように手を振り続けていた。
王都アルディアスを満たす歓声は、王城へ届くその時まで途切れることはなかった。
気づけば列は、いつしか王城の前庭へと辿り着いていた。
城の門前では一人の執事が一行を出迎えるため待機していた。
シエナ姫は軽やかに機動馬車を降りると同時に執事に命じた。
「爺や、各重臣を召集なさい。事前連絡通りこれより会議を始めるわ。可及的速やかに」
命を受けた執事は深く一礼すると、慌ただしく城内へと消えていく。
それに合わせるように、レイディルたちも機動馬車から順に降り立った。
間を置くことなく、シエナは次の指示を重ねた。
「私は将軍とともに一足先に準備を始めます。執政官は身支度を整え次第、会議室へ。あとロルフ、あなたはリヴィアを客間へ通しなさい」
ロルフが短く応じ、リヴィアの方へ歩み寄る。
将軍は一同を見回し、口元をわずかに緩めた。
「慌ただしいが、すまんな。ひとまず皆、ご苦労だった」
労いの言葉を残し、将軍はシエナ姫より一足先に城内へと入っていく。
だがシエナの指示はまだ終わらない。
「同盟の件は会議にて私から提起します。リヴィアは同席する必要はありません。ただし、対外的な体裁があります。提案の使者を王城に滞在させているという事実そのものが、こちらに交渉の意思がある証になります」
一息に言い切った後、シエナはふとリヴィアの服装へ視線を落とした。
「服は……そうね、メイド達に見繕わせるわ」
シエナ姫は一通り言い終わると、一行に背を向け王城へと足を向ける。
そして顔だけ振り返り、レイディルたちに告げた。
「忙しなくて申し訳ないけれど、今はこんな感じ。とりあえずは各々方、用件を済ませておいてちょうだい」
そう言い、シエナ姫は颯爽と城の中へと入っていった。
途中ですれ違う給仕や騎士たちにも、手際よく次々と指示を飛ばしていく。
「はー……シエナのが“嵐”って感じだよねー」
ウェリティアが頭を掻きながら、シエナ姫の背と荷台のヴァルストルムを交互に見比べて呟いた。
「リヴィアが入城するってなると、やっぱ俺がリヴィアのママさんに説明しとく必要があるな」
同盟の話がある以上、リヴィアがすぐに母と顔を合わせるのは難しい。
ならば先に事情だけでも伝えておくべきだ──そして、それをやるのは自分しかいないと、ベイルは半ば呆れながらも理解していた。
そのために、王都まで同行していたのだ。
「なにを?」
リヴィアがきょとんとして聞き返す。
「お前、一年以上顔見せてなかったんだぞ……何度俺に聞かれたか……」
ベイルは呆れたように言う。
「うーん、ちゃんと手紙は出してたんだけどなぁ……」
リヴィアは腕を組み、不思議そうに唸った。
「戦時下だからな。届く可能性は結構低いぞ、それ」
レイディルが苦笑混じりにそう返した。
「やれやれ……まぁママさんも『見つけたら教えてちょうだいね』って軽く言ってただけだけどさ……」
ベイルが肩をすくめて続ける。
「相変わらずだな、あの人」
レイディルはどこか懐かしむように漏らした。
「ママってば楽天家だから」
リヴィアは笑っていた。
(一年も顔を見せてなかったのに、その程度なんだ……)
アリーシアスは内心でそっと零した。
「というわけで、ちょっくらいってくるわ」
と、ベイルは足早に城を後にする。
ベイルが去ったのを確認すると、ロルフに促され、リヴィアもまた軽い足取りで城の中へ向かっていった。
「今日はひとまず解散、かしら」
マリーが残ったものたちにそう切り出した。
長時間の運転で凝り固まった身体をほぐすように、クラウス博士は腰に手を当てて大きく反り返った。
「そうだねぇ、僕はちょっと技術局へ顔を出してくるよ。機動馬車とヴァルストルムのメンテナンスもあるからね。ウェリィも来るだろ?」
「来るも何も、二号車をここに置いて帰れって言うなら別ですけど」
「それは困るね」
「でしょうね」
そんなやりとりをしながら二人はそれぞれの機動馬車へと乗り込む。
「あ、レイディル君、暇になったら何時でも遊びにおいで」
クラウス博士は御者台から、そう言うとゆっくりと馬車を進めた。
「それじゃあ私たちも行くわね」
「ジルさんの治療、ですか」
レイディルの問いに、マリーは小さく頷いた。
「ええ、医術院に行って治療方針を固めようと思って。今後のことも含めて、色々考えなきゃならないことがあるしね」
「なるほど、ただ治癒魔術をかけていればいいというわけでもないんですね」
治癒魔術に関して門外漢であるアリーシアスも、深く頷いていた。
「そんじゃねー」
当の患者本人は、包帯だらけの右手をひらひらと振る。まるでこれから治療に向かうとは思えない気楽さのまま、マリーと共に去っていった。
それぞれが、それぞれの場所へと戻る最中、城から一人の男が現れた。
黒のロングコートを軽やかに揺らし、金髪をさらりと流した眼鏡の男。
端正に整えられた服装には隙がなく、コートの下には白いフリルシャツと細身のスラックスを上品に着こなしている。
胸元には赤いチーフと装飾ブローチが差され、どこか貴族めいた華やかさを添えていた。
深い紺の細縁眼鏡から銀のチェーンが伸び、その留め具には小さな赤い宝石があしらわれていた。
だが全体の印象は決して気取りすぎず、どこか肩の力の抜けた柔らかな雰囲気があった。
男は現れるなり、ダイレルへと声をかける。
「執政官、お疲れ様です。おかえりなさい。
執務は滞りなくやっておきました」
「うむ、すまなかっ──」
ダイレルの礼が言い終わるよりも早く、男はレイラの方へと向き直り、両腕を目いっぱいに広げ近づく。
「おお! レイラ。戻ってきたのか。
よく激戦を、死地を潜り抜けた。兄ちゃんは鼻が高いぞ!」
やや仰々しいその態度にも関わらず、レイラはこともなげに返事を返した。
「あっ、お兄ちゃん」
兄……いつか聞いた執政官補佐ラディオ・フィオランテか、とレイディルとアリーシアスは思った。
「使ってた剣が、刃こぼれしちゃって。
一足先に私だけ戻ってきたの」
レイラは目線を腰の剣へと落とし、そう告げた。
「剣か──よし、待っていろ、とびきりの業物を用意させるからな」
兄の言葉にレイラはアリーシアスに振り返り
ちらりと見る。
そして視線をラディオに戻すと首を小さく左右へと振った。
「ううん、剣はこっちで探すから気にしないで」
レイラの反応にラディオは直ぐに何かを察したようにアリーシアスの方を見やった。
「なるほど……良い友が出来たんだな」
ラディオは顎に手をやりうんうんと頷いている。
その横でダイレルがゴホンと咳払いをした。
「少々過保護ではないか?」
執政官がそれを言うのか、とレイディルは思わず内心で突っ込みかけたが、口には出さなかった。
ここで余計なことを言えば、藪蛇になる未来しか見えなかったからだ。
「何言ってんですか。レイラは戦場へ行ってるんです。会った時くらい必要以上に過保護にしとかないと!」
そう力説したかと思えば、ラディオは今度はダイレルへと向き直った。
「それよりもですね。執政官こそもっと表に気持ちを出すべきでは?」
「公私混同はしない主義だ」
「はっ! 公私混同結構! 伝える時に伝える、それが必要不可欠でしょう!」
ラディオの熱のこもった口調に、ダイレルはただただ気圧されるしかなかった。
そんな父の様子を見て、アリーシアスはふふっと小さく笑みをこぼす。
「おっと、挨拶が遅れたね」
そう言ってラディオは居住まいを正した。
「私はラディオ・フィオランテ。そこの大隊長殿の兄だ」
続けてアリーシアスとレイディルへ向き直ると、深々と一礼する。
「アリーシアスお嬢様。はじめまして。話はそこの私の上司からかねがね聞いている。
なんでも、とてもよく出来た娘だとか、天才魔術師だとか!」
「は、はぁ……父が……?」
「本人を前に言わないのが、この執政官の弱点だと私は思うよ」
目を丸くするアリーシアスの隣で、レイディルもどこか納得したように小さく頷いていた。
それを見たラディオは、すっと目を細めてレイディルを見やる。
その視線は、まるで人となりを推し量るようだった。
ラディオは一通り見終わったのか、小さく「ふぅん」と呟いた。
「キミが噂の操縦士か。
噂は聞いている。なるほど、なるほどな……」
ラディオの何か言いたげな様子に、レイディルは思わず上半身をわずかにのけぞらせた。
「……まあいい。師に恥じぬ剣を振るいたまえ」
レイディルにそう一言だけ言うと、ラディオはダイレルの方へと向き直る。
「失礼しました、執政官。つい話し込んでしまいました。あなたには会議もあるというのに」
「あぁ、そうだな。仕事は山積みだ……それでは先に失礼する」
ダイレルは三人に短く挨拶を済ませると、ラディオと共に城内へと歩き出す。
だが数歩進んだところで、ラディオがふと思い出したように足を止め、肩越しにレイラを振り返った。
「ああ、それとレイラ」
兄の声に、レイラが小さく首を傾げる。
「あの家には帰る必要はないからな」
あまりにも自然な口調だった。
けれど、その言葉に込められた意味だけは妙に重い。
「あ、うん。宿舎に行くから」
レイラはそれだけ答え、どこか慣れたように頷いた。
それを聞いて満足したのか、ラディオは再びダイレルと共に城内へ消えていく。
(あの家……?)
レイディルはラディオの言葉が妙に引っかかったが、自分が深入りすべきことではない気がして、結局何も言わなかった。
周囲を見回すと、残っているのはレイディルとアリーシアス、そしてレイラの三人だけだった。
「さて……どうするか」
彼がそう漏らした瞬間、アリーシアスとレイラは示し合わせたように顔を見合わせる。
「わたしたちは買い物に行きますよ」
「剣の新調……約束していたので……」
二人は互いに顔を見合わせると、まるで「ねっ」とでも言うように小さく頷き合った。
「いつの間に……? ああ、オレが荷台で寝てる時か」
アリーシアスはこくりと首を縦に振った。
「そっか。じゃあ俺はどうするかな……」
何気なくそう言った途端、アリーシアスがレイディルへと目を向けた。
「何を言ってるんですか。一緒に行きましょう」
「なんで?」
あまりに当然のように言われ、レイディルは思わず眉をひそめた。
「なんでもなにも……先程まで沢山の人に手を振ってたの忘れたんですか? だいぶん顔知られてますよ。そんな人が王都を一人でふらつくのは危険です」
凱旋の最中、あれだけ沿道の視線を集めていたのだ。
今のレイディルは、良くも悪くも王都で最も注目を集める人物と言っていい。
「……確かにそうだけど……」
言われてみれば確かに、とレイディルは妙に納得してしまった。
「それに、どうせこの後暇なんでしょう?」
アリーシアスはすました顔のまま、当たり前のように言い放つ。
「なら荷物持ちくらいしてもらいます」
「……結局そっちが本音じゃないか?」
レイディルがじとっとした目を向けると、アリーシアスはふんすと鼻を鳴らした。
「失礼ですね。ちゃんと安全面も考えています」
「あの~……私はそんなに買わないので……」
そこでレイラが申し訳なさそうに小さく右手を上げ、遠慮がちに口を挟んだ。
かくして三人は、賑わう王都中央区へと足を向けた。




