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鋼騎のヴァルストルム  作者: 小春ささら
カーネス攻略戦
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43/91

38話・幕間「疲れは温泉で」

「クリスタルムの充電方式はこうだ」


 クリスタルム専門店を後にした一行。 

 そういいレイディルは身振り手振りで充電方式の説明をしている。

 簡単に言うと、クリスタルムを専用の機械に刺し、そこに雷の魔術を流し込むといったものだ。


 アリーシアスは魔術部分はともかく、機械知識は心底興味無さそうだった。



 ひとしきり説明を終えると丁度宿に着く。


「それじゃあ私は買った物を宿の主人に渡してくるわね」


 そう言い、マリーは1階の奥へと消えていった。


「さて、レイディルは夕飯食べたら早めに寝るんですよ」


 明日からはレイラの剣術の訓練がはじまる。

 アリーシアスはレイディルが倒れないよう、そっと促した。




------




 翌朝、まだ日がほんの少し顔を出しかけているそんな時間。


 鳥のさえずりも些か遠慮がちだ。


 適度な準備運動、適度なジョギングを終え、レイディルとレイラは公園の隅へ立つ。


「えっと……いい、ですか。

剣術を、しっかりと身につけるには……とにかく時間が足りません」


 本来ならば日々の積み重ねがものを言う世界だ。

 それでもなお、付け焼き刃にならないよう身体に染み込ませる。その方法を考えてきた、とレイラは言う。



「まず……虚実入り交じる動きを……見極めるところから始めます。

……自然と剣の軌道が身に染みるので……」


 レイディルは頷いた。

 分かるようで、分からない。

 けれどレイラが真剣なので、真剣に聞くしかない。


「なので……私がギリギリの……寸止めで攻撃します」


 一拍置いて、レイラは当然のように言った。

 寸止め……それは中々に怖い、レイディルの頬に一筋の汗が滲む。



「……この真剣で」


 レイディルの背筋を、冷たいものが走る。


「それから……一切動かないでください……

 一ミリでもずれると、多分……当たります」


「多分!?」


 思わず声が出た。

 レイラは小さくうなずいた。


「私……下手なので……」


 朝の静けさが、急に別物になる。

 鳥の声まで遠ざかった気がした。



 「下手ならやめてほしい」とは言えず、流れで実践することになる。


 相対するレイラ、剣を伸ばせばレイディルに届きうる距離だ。


 幅広の剣が早朝の光を受け、鈍く輝いている。

 

(鋭い……)


 レイディルはゴクリと唾を飲み込んだ。


「最初は、攻撃する前に……声、かけますね」


 レイラはそう言いながら、手元を何度も確認していた。


「……それじゃあ……行きますよー……」



 レイラは、わずかに膝を曲げ、呼吸を整える。  その姿は、ただ立っているだけのはずなのに、鋼の柱のような存在感があった。


 レイディルの背中に汗が伝う。


 動いてはいけない。


 剣が来る。


 来る──




 レイラのまつ毛が、わずかに揺れた。


 次の瞬間……



 レイディルの前髪の先端がハラリと宙に舞った。


「はぁっ……」


 幸いにして一瞬。

 剣が速すぎて何が起きたかもわからない。


 だが身体はしっかりと反応していた。

 後になって手が恐怖で震える。


「あ……少し早かったですね……次は……もう少し見やすく速度落としますね……」


(お、落とさなくていい……!)


 心でそう思いながらも、必死で身体の震えを止めようと努力する。


(止まれ止まれ止まれ……動いたら……斬られる!)


 動かずにいた先程ですら髪が切れたのだ。

 もし動いたら……と、思うとゾッとした。



「次……行きます」


 レイラは一歩だけ、前に滑るように動いた。


 さっきとは違う。

 今度ははっきりと見える。


 見えてしまった。


 横薙ぎの一閃だ。



 レイディルの視界に鈍色の金属が通る。

 見開いた眼球の前を、瞬きと瞬きの間を、刃がすり抜けた。

 それは神業であったが、やられた本人はそんなことに意識を割いている余裕など微塵も無かった。


「ひっ……!」


 レイディルは恐怖に、思わず情けない声を上げ硬直する。


(今のは……今のは当てる気だったこの人……!)


 二撃目の剣閃は確実に一撃目とは違っていた。


 レイディルの背中から一気に汗が吹き出た。



「えらい……です! ちゃんと……見てました!」


 レイラは感動し声を上げた。


「う、動けなかった……だけですよ」


「ても……私が“当てる気”だったことは……気付きました、よね?」


 「確かに……」とレイディルは声を漏らした。



「実は……一撃目も二撃目も……同じ軌道でした。

つまり……最初の剣が虚で……次は実です」


 同じ剣に見えても、そこに含まれる意味合いは違う、とレイラは言う。


「次からは、掛け声なしで……多方向から斬撃を繰り出すので……剣の意味を感じ取りながら、軌道を覚えてください。

もちろん……スレスレで振ります」


「は、ははは」


 レイディルから乾いた笑いがこぼれた。


(確かに、こんなこと繰り返してたら……嫌でも覚える……)

 

 自然と剣の軌道が身に染みる、レイラの言った言葉が理解できた。


 


------




「今のオレにうぶ毛は……無い」


 レイディルが呟く。


 レイラは自分を下手だと言っていたが、それは自己評価の低さゆえだろう。

 事実、レイディルが少し動いてもレイラはそれに合わせるよう剣の軌道を変え、見事に肌の表面を撫でるかのように剣を滑らせた。


 結果、レイディルの露出している部分の身体のうぶ毛は全て剃られた。




 早朝の特訓を終え、宿に戻るレイディルとレイラ。


「あっ、おかえりなさい」


 食堂にはマリーとアリーシアス。


 アリーシアスは机の上に本を広げ、熱心に読み耽っていた。顔は手元に向けたまま、視線だけをすっと扉の方へ動かして二人を出迎える。


「た、ただいま、です……」


 そのアリーシアスの出迎えに、レイラが答えた。


「あら? ディル君、なんだか妙にツルツルね……?」


 マリーのその言葉に、パサリ、とアリーシアスがページをめくろうとした指先がピタリと止まった。


「いえ、あの、まぁ……」


 マリーが項垂れるレイディルに聞いた。

 レイディルはまさか特訓でうぶ毛が無くなった、とは言えず言葉を濁す。



 アリーシアスは本から視線を外し首を傾げて、じっと観察する。


「……顔も腕も……なんか、光ってますよ?」


「気のせい……だと思う」


「そうですか? なんかこう……剃りたての──」

「気のせいだ」


 それ以上言及するなと、レイディルはぴしゃりと言い放った。

 食堂の奥で、レイラが水を飲みながら静かに言った。


「剣の……特訓をしていれば……たまに良くあること……なんですよ」


「え、剃られたってことです?」


「言わなくていい……」


 アリーシアスの言葉にレイディルは羞恥心で目を逸らす。


「……私も、レイラちゃんに剃ってもらおうかしら……」


 マリーがレイディルの腕を見ながら真剣に呟いた。

 レイディルはそっとマリーから離れ、距離を取った。




その夜、レイディルがふと目を覚まして廊下から下の食堂に目をやると、薄暗い明かりの中でアリーシアスが何やらコソコソと動いている姿が見えた。

 声をかけようかとも思ったが、彼女は手帳を片手に妙に張り詰めた様子で何事かブツブツと呟いていた。


「なにやってんだ?」


 レイディルはそう思ったが疲れもあり、彼女のことは気にせず、そっと布団に戻るのだった。





 ──三日後。


 いつもの時間、いつもの公園にいつもの二人。


 何度体験しても恐怖を拭えない行為に、レイディルは内心ドキドキしていた。

 レイラの腕は疑いようもない。

 しかし、どうしても薄皮一枚スレスレを走る刃には慣れるものではなかった。


「今日は……いつもの特訓にプラスして……えぇー……身体に染み付いたその動きを覚えさせる訓練もやろうと、思います」


「はぁ……」


 レイラの言葉に気の抜けた返事を返すレイディル。


 レイラはもしかして自分の説明が分かりにくかったのかと、ハッとする。


「つまり……ですね。

体感した剣筋は身体に染み付いているので……実際にその動きをして、身体に覚えさせる……というわけです……」


 彼女はこの説明で伝わるだろうか、そう自信なさげに上目遣いでレイディルを見た。


 レイディルは少し考えてから、真面目にうなずいた。


「あー、レイラさんの放った剣を、模倣する、と?」


 レイディルはそう理解し、内心少しホッとした。

 マネをするだけなら何とかなるだろう、と思ったからだ。


 そう思い、レイラの最初の説明を思い出す。


『いつもの特訓にプラスして』


 プラスして……

 プラスとは加える、足すという意味である。


「あ……つまり……今日も斬られるんですね」


「……寸止め、です」


「寸止め……ですよね」


 それでも彼の顔は引きつっていた。






 まずはいつもと同じようにレイラに斬られる。

 そうしてその後、型を、剣閃を再現する。


 とはいえ、言葉にするよりもそう簡単なことでは無かった。


 レイラの剣は実に綺麗で鋭い。

 レイディルは基礎を習っていたとはいえ、その美しさも、鋭さも持ち合わせていなかった。


 幾度か、木剣を振る。

 ブンブンと勢いの良い音が鳴った。

 レイラに比べて随分と鈍い振りだ。


 レイディルはいまいち上手くいかない自分の剣に、首を傾げる。



「レイディルさん、大事なこと……忘れて、ます」


 懸命に木剣を振るレイディルにレイラが口を挟んだ。


「“大事なこと”……」


 レイディルは呟き、何が大事なのかを改めて考えた。


「いまは、ただ動きを……マネしてるだけです。

私は、“身体に染み付いた”と言ったと思います……」


 レイラはあえて答えは言わない。

 自身で気付かなければ意味がないからだ。


「身体に染み付いた……身体に……」


 真っ先に思い浮かんだのは“恐怖”であった。


(うーん、恐怖を再現? なんか違うな)


 思い直し再度考える。



(レイラさんはなんと言っていただろうか?)


 木剣をブラブラさせながら、レイラの言葉を遡る。


(そもそも、オレの剣が“真面目過ぎる”って言われたからレイラさんに剣を習ってるんだよな……真面目、真面目か……)


 真面目に振る。それ自体は悪いことではない。

 丁寧に、正確に、型どおりに、基本的に忠実に。

 それはこれまで、自分が身につけた唯一の剣法だった。


 だがレイラの振るった、薄皮一枚を掠めた剣は違った。

 鋭く、速く、そしてどこか残酷だ。


 斬るのか、斬らないのか。

 刃の意味が呼吸のたびに変わる。



(同じ軌道の……剣、でも同じじゃない……虚実……)


 自身の中で歯車がカチリとハマった気がした。


「あっ、オレ今ただ振ってただけ、なんですね。

なんて言うんだろうフェイント……?」


 レイディル自身、戦術として砂煙を上げたり、敵が思いつかないような動きをしたこともあった。

 それを思い出すが、違うと頭を振る。


「いや、レイラさんがやったことはもっと……高度だ……」


 剣に意識を向ける。

 同じ振り方でも、当てる当てないをまず意識してみた。


 身体スレスレを通った刃を思い出し、木剣を振り抜く。 


 シュッとした鋭い音と共に剣が走った。

 空気がひと筋、裂けた気がした。



「今のは……良い一撃でした」


 レイディルは自分が振った剣を見る。

 意識する前と後で剣が変わったわけではない。

 しかし、確実に“剣閃”は変わった。


「大切なのは……虚実。

もっと言えば……剣を振る意味合い、です」


 斬る為に振るうのか、斬らない為に振るうのか。

 その斬撃はどういう意図を持つのか。

 それを意識するとしないとでは天地ほどの差がある。

 そして、それは同じ軌道ですら違うものに変える。


 そうレイラは説明した。



「同じように振るフェイントでも……今のレイディルさんなら、きっと……数段上の効果があるはず……です」


 レイディルはこくりと頷いた。


 ただ振るうのではない。

 意図を持って振るう。


 それだけで、剣はこんなにも違うものになるのか──


 レイディルはそう思い、剣を強く握る。

 心なしか、その手には熱が宿るようだった。


 更に身体に馴染ませるため、この特訓は三日間続いた。




------





 午前、午後の日程を終えクタクタになりながらもレイディルは宿へと戻った。


「ふぃ~……」


 ため息ともとれるような、そんな言葉が口から漏れる。


 一階食堂にて、マリーがレイディルを申し訳なさそうに出迎えてくれた。


「マリーさんどうしたんですか……そんな顔して」


「ディル君って毎日私の料理、美味しい美味しいって幸せそうに食べてくれるじゃない?」


「あっ、確かに……そう……ですね?」


 レイディルはそんなに幸せな顔をしていただろうか……そんな顔を見られていたのだとしたらなんだか恥ずかしくなってくる。と、思った。


「それがなにか?」


「今晩も腕によりをかけて作ろうと思ったのだけれど──」


 マリーは口の中でゴニョゴニョと言葉を濁していた。


「実は宿の調理台の調子が悪くって……」


 申し訳なさそうにマリーは言う。


「えーっと、酒場が再開したそうだし、今日はそこで食事を……」


(マリーさんオレが残念がると思って言いにくそうだったのか)


 レイディルは気を使わせたみたいでなんだか申し訳ない気持ちになりながら答えた。


「それじゃあ、みんなで酒場に行きましょうか」


 レイディルの言葉に、マリーは少し肩の力を抜いたように微笑んだ。

 その表情は申し訳なさと素直な感謝が同居していた。




------




 博士とレイラを誘ってみたものの、博士は機動馬車の改良が大詰めで集中したいと言い、レイラはジョギングをしてから行くので少し遅れると言った。

 結局酒場へはレイディル、マリー、アリーシアスの三人で行くこととなった。


 酒場の扉をくぐると、喧騒と陽気な声が建物内に満ちていた。


「みんな再開を楽しみにしてたのね 」


 マリーがシミジミと言う。


「とりあえず席を取りましょう」


 アリーシアスが隅を指さし答えた。


「おぉ! レイディル君じゃないか!」


 席に向かう途中、賑やかに声を掛けてきたのはマイス老人だった。


「君らのおかげで、またこうして皆と飯が食えるようになったよ。

本当にありがとう!」


 老人が感謝を述べると、周りにいた人々もまたあれが例の……と、話題の人物を見るような目で注目した。


 そうして遅れてレイラが酒場へと到着する。


 また増えた恩人に酒場は更なる盛り上がりを見せた。




 ── 誰かが景気よくレイディル一行の食事を奢ると言い出してからは、宴会だった。


「あらあらこのお酒(ウイスキー)美味しいわ」


 マリーがウキウキとお酒を嗜む横でレイラもまたお酒を勧められていた。


「あ、あの……私そんなに強くないので……」


 と、レイラは遠慮しているが、街の人はそうではなかった。


「帝国の奴らが大半呑んでしまったけど……残ってる酒は是非恩人に呑んでもらいたい!」


 感謝の気持ちだと住人は言う。

 だとすれば無下にするのも申し訳ない、とレイラはお酒(ウイスキー)に口をつけた。






 それから一時間、レイラとマリーにペースを合わせて呑んでいた住人の大半は机に突っ伏していた。


「わぁ……マリーさんはともかく、レイラさん、底なしですね……」


 見ていたアリーシアスの声が若干棒読みである。


「この街の人たちは一斉に倒れなきゃならない習性でもあるのか……」


 レイディルの声は少々引き気味だ。



 当のレイラは水でも飲むかのようにグビグビと呑んでいる。


「レイディル君は呑まんのか?」


 マイス老人が座ったまま、上半身だけを向け、そう聞いてきた。


「オレは呑める年齢じゃないんで……あと多分、弱い気がします」


 レイディルはなんとなくだがそんな気がした。


「呑んでる人たちは楽しそうですねー」


 果実で作ったジュースをコクリと飲みながらアリーシアスは呟いた。


「まぁ、まだオレたちには……早いな」


 レイディルもまた水を飲みながらご満悦なマリーを見て声を漏らした。



 ひとしきり呑んだ後、店にあった酒樽は空になった。


「それじゃあキリもいいので、そろそろ出ましょうか……」


「あぁ……そうだな」


 と、レイディル。

 長時間賑やかな酒場にいたせいなのか、少し疲れ気味の表情だ。



「おや、お兄さん、疲れた顔してるわね」


 酒場にいた女性客がレイディルに声をかけてきた。

 外の風の音が、ヒュウと鳴る。


 ──途端。


 倒れていた客たちがムクリムクリと起き出し、各々なにかブツブツと言いはじめた。


 その異様な光景にドン引きするレイディルであったが、アリーシアスが彼の腕をチョンチョンとつつく。

 よく聞いてみて、と言っているようだ。


「お……せん……」

「つかれ……は」


 レイディルが耳を傾ける。

 どうやら住民たちは「疲れには温泉」と言っているようだった。


(なんでゾンビみたいに起き上がってまで言うんだ……)


「いやあ、本当コイツら面白いじゃろ?」


 マイス老人はケタケタと上機嫌に笑っている。


「ちょっと変わってるけれどね」


 と、先程の女性客が苦笑いをしていた。




------




 老人に温泉の場所を教えてもらい、一行は湯屋を目指す。

 一区切りついたのか、酒場を出る前に博士と合流した。


「いやはや、良いタイミングだったかな?

この街に来たなら温泉だよね」


 珍しく機械以外のことでウキウキしていた。



 街を少し外れると、やがて温泉館が見えてくる。


 岩山の斜面を削り、しっかりとした基礎の上に大きな温泉館が建っていた。

 石造りの外壁には装飾が施され、柱や梁には黒鉄が使われている。

 月光を受け、鉄の表面が鈍く輝いた。


 本来ならば旅人が湯治(とうじ)目的で訪れる。この街の貴重な収入源の一つだ。

 だが、帝国に占領されている間、当然ながら営業は停止していた。


 温泉の再開はもう少し先の予定であったが、住人たちの連絡を受け、恩人のためとあらば、と特別に再開を早めてくれていた。



「マリーさん、レイラさん、あんなに呑んだ後でお風呂って大丈夫ですか?」


 途中、レイディルが心配になり声をかける。


「え……? そんなに呑んだかしら……」

「えーっと……酔ってないので……」


 二人はそう答えた。


「良い子、良い大人の方々はマネしないように……」


 誰に向けてかアリーシアスが呟いていた。




------




 カポン。


 どこからともなく、湯気の中に響く謎の音が聞こえた気がした。


 湯屋の洗い場は、立ち上る湯煙で白く霞み、独特の硫黄の匂いが漂っている。


 空は晴天。

 透き通る夜闇に、星々が煌めく。


 月だけが頭上から湯処を見下ろしていた。


 岩を積み上げて囲われた大きな湯船。

 開放された頭上、露天。


 湯に身を沈めれば、大人なら胸元ほどの深さ。

 少し腰を曲げれば、肩までしっかりと浸かれる。

 流れ込む湯は、浸かった者の体に、ゆっくりと染みていくだろう。


 一目見ただけで、そんな予感がした。



 ここは女湯。

 本日は貸切だ。



 胸まで湯に浸かり、アリーシアスが息を吐き出す。


「うひゅー……」


「シアちゃん、なんだか独特な吐息ね」


 湯船の縁の岩に腰掛けマリーが微笑んだ。

 レイラが「あつつっ」と漏らしながらも入る。


「はぁ……トレーニングの後の……温泉、染みます……」


 肩まで沈みレイラがしみじみと呟いた。


 アリーシアスが湯面をパシャリと弾く。


「レイラさん、インナー姿見た時から思ってましたけど……すごく体、綺麗ですよね」


「えっ……」


 レイラは顎の先まで沈む、湯の温かさなのか、恥ずかしさなのか耳まで赤い。


「そ、そんな……わたし、筋張ってて。可愛げ……ないです」


「そんなことないですよ。

戦う人なのに、ほらこんなにお肌が綺麗」


 アリーシアスはレイラの二の腕をつつく。


「きっと普段のお手入れがしっかりしているのね」


 マリーも乗ってきた。


「で、でも、そういう……アリーシアスさんだって……すべすべで……」


 レイラがおずおずとやり返すようにつつき返す。


「わたしはまだ少女なので」


 年齢のおかげとアリーシアスは素直に言う。


 二人を見てフフッと笑うマリー。


「あ……でも、マリーさんの方が……凄いです」


「確かに、色々と凄いですね……」


 レイラとアリーシアスがマリーの方をまじまじと見やる。


 温泉に入るため、皆、一糸まとわぬ姿だ。

 そしてそれはマリーのボディラインをより顕(あらわ)にさせていた。


「レイラさんは程よく引き締まりスレンダー、逆にマリーさんはボンキュッボンですね。

まさにわがままボディ」


「シアちゃん……なんでそんなにおじさんみたいなの……」


 マリーのツッコミを他所に、アリーシアスは自分の胸を見る。


 レイラは様子を察し、咄嗟にフォローをしようと声を出そうとした。


「あの……」


 しかしレイラが言うよりも、僅かに早くアリーシアスが言葉を出した。


「わたしが現状を嘆いているとお思いですか?

ふふふ、わたしは未来が約束されているので心配ご無用です!」


 アリーシアスはそう自信たっぷりに告げる。


「遺伝バンザイ!」


 両手を上げて喜んでいた。


「あ、お母さんが……?」


「ええ、母が」


 レイラの疑問にアリーシアスは大きいと言いたげだった。



「お母さん……」


 レイラはその言葉を口の中で反芻した。


「どうしたんですか? なにか悩みでも?」


 レイラの表情を見てアリーシアスが、サブサブと近づく。


「い、いえ……あの……私、お母さんの期待にあまり応えられていない……ので」


 表情が曇る。


 アリーシアスはマリーと顔を見合せ、なにか言うべきかと逡巡した。



 やがてマリーが目配せをして、アリーシアスが頷いた。


「詳しい事情も知らず、何か言うのは無責任ではありますが……わたしたちはレイラさん凄いと思っています」


 アリーシアスはそう言いつつ両手を握りしめ湯に沈める。


「……だから、どんな理由があっても、レイラさんが頑張ってることだけは、ちゃんと伝わってます。

少なくとも、レイラさんの部下の方たちやわたしたちは……評価していますよ」


「そう……なんでしょうか」


 レイラが上目遣いに少女を見る。

 その顔めがけ、アリーシアスは合わせた手のひらの隙間からお湯をぴゅーっと飛ばした。


 レイラは反射的に首の動きだけで躱す。


「あっ……ここはお湯がかかって『んもー!』と怒られてしまうことを想定していたのですが……」


 アリーシアスの言葉にきょとんとするレイラ。


「見事な身かわしね」


 マリーが真顔で関心をした。



「フフ……アハハ」


 レイラはクセで避けてしまったこと、アリーシアスが気を利かせておどけて見せてくれたこと、それらを感じで笑みをこぼす。


 控えめながらも純粋な笑顔だった。


「笑ってる方が、何倍もいいですよ」


 そんなセリフにレイラは顔を赤らめ、再び湯に沈んだ。



 和やかな雰囲気の中、男湯の方からのレイディルの声が響く。


「うおおおおー! 温泉最高ぅ!」


 夜空の星々に届くかのような歓喜の声。



「……なんです? アレ……」

「凄く嬉しそうね……」


 アリーシアスは呆れ顔をし、マリーもまた少し苦笑している。

 レイラは沈んだままだ。



「ちょっとー男子ー、うるさいですよー」


 棒読み気味にアリーシアスが男湯へ、注意を投げかけた。



「ほら、だから言ったじゃないか、喜びすぎだって」


「えぇー、でもホント生き返った気分なんですよ……今日も朝から死にそうで……」


 博士とレイディルのヒソヒソした声が、それでもなお、声を殺しきれず聞こえてきた。


 アリーシアスは誰が見ているわけでもないのに、ジトッとした目をして完全に呆れ返っていた。


 そうして夜空を見上げる。



 空には湯気。そして、ただただ静かに月が一行を見つめていた。


挿絵を書きましたが、ちょっとだけ肌色多い感じのイラストなのでpixivのURLだけ載せておきます


https://www.pixiv.net/artworks/138552457

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