第十五話「白光、天を貫く」
ロデリックは監視塔の上から、ギガスを操りつつ周囲を見渡す。
隣の塔で観戦していたはずのドレアドの姿は、もう無かった。
──あの強かな老人のことだ。頃合いを見て撤退したのだろう。
恐らく、部下たちも安全圏への撤退もすでに済んでいる。
「ふむ……これでこの要塞にいるのは私一人になったというわけか。」
ロデリックは懐から一つの笛を取り出すと、それを口にくわえて吹いた。
音は出ない。
ギガスの咆哮にかき消されたわけではなく、そもそも人間の耳には聞こえない音が発せられていたのだ。
『獣笛』──訓練された特定の個体魔獣にのみ届くよう調整された特殊な笛だ。
人の耳には聞こえないが、音は確かに空を伝っている。
すぐさま、甲高い鳴き声が空に響き渡る。
現れたのはただの猛禽ではない──
鷲の頭と翼、馬の胴と脚を持つ、異形の魔獣。
ロデリックの相棒、ヒポグリフのトルザだった。
監視塔の最上部は、屋根こそあるが壁はなく、四隅に柱が立つだけの開けた構造だ。
風が吹き抜け、見晴らしはいい。
だがそのぶん、身をさらしている感覚も強い。
腰の高さほどの簡素な柵が周囲を囲んでいるが、それも気休め程度のものだ。
トルザはその柵を軽やかに越え、全長三メートルのしなやかな巨体をロデリックの傍へと降り立たせた。
ロデリックはトルザの頬をそっと一撫ですると、静かに言葉を紡いだ。
「トルザよ、よく聞くのだ。
私のギガスは、まもなく爆発するだろう。
……ギガスの核は限界を超えて、既に『臨界』に達している。
だから、お前はできるだけ遠くへ逃げろ。
……私は、お前を巻き添えにしたくはない」
部下たちには、トルザさえいれば退却は容易だと伝えてある。
だがロデリック自身は──戦場に残った。
目下交戦中の敵、ヴァルストルムをこのまま放置するわけにはいかない。
その覚悟は、すでに決めていた。
しかし、トルザは動こうとはしなかった。
その鋭い目は、まっすぐにロデリックを見つめている。
まるで「置いていくつもりなら、諦めろ」とでも言うように。
トルザもまた、ロデリックを一人にしないと覚悟を決めていたのだろう。
そしてその瞳の奥には──
たとえ爆発が起きようとも、自分の飛行速度なら必ずロデリックを連れて逃れられる。
そう言いたげな、確かな光が宿っていた。
人の言葉を発しない相棒だが、その頑固さは知っていた。
ロデリックは目を閉じ一呼吸し、覚悟を決めた。
ジルベルトは大型ギガスの体から、肉眼では捉えきれないほど微細な閃光が断続的に走るのを見た。
そして……
──風よ、集え、我が呼び声に──
「風の魔術!?」
アリーシアスの隣でジルベルトが実行言語を紡ぎ出す。
アリーシアスは一瞬なんのために唱えているのか分からなかった。
──大気の脈を一つに束ね──
ジルベルトはなおも続ける。
(これは……二級魔術のストームバースト……)
──そよ風を超え、爆ぜる力となれ──
(確かこれは、複数の暴風に対象を巻き込み切り裂きすり潰す魔術……)
──全てを押し流す奔流を放て──
アリーシアスは必死にその答えを探ろうとし、
そして一つの違和感を覚えた。
(本来の実行言語と違う……
本当は『一つ』ではなく『鋭く』、そして『そよ風を超え』ではなく『そよ風を捨て』……
つまり攻撃力を削ぎ落としている、だとすればジルベルトさんは──)
アリーシアスは御者席に勢いよく頭を突っ込むようにして、逆さの姿勢で叫んだ。
「マリーさん! 今すぐ大型ギガスの足元へ走ってください!」
「えっ!? 今だってかなり危険なところにいるのよ……?」
正気か、と言いたげにマリーが困惑する。
だが、少女は真っ直ぐな眼差しで彼女を見つめ返した。
マリーは深いため息をひとつ。
「……わかったわ。必要なことなのね。
それなら、なりふり構わず全力で突っ走って見せるわねッ!」
言うや否や、手綱に最大限の魔力を注ぎ込む。 後先は考えない。
全魔力を。
機動馬車は猛烈な加速を始め、クレーターの中を跳ねる。
いびつな地形は衝撃吸収機構でも緩和しきれず、車体は大きく揺れ、車輪が悲鳴のような軋みを上げる。
激しい戦闘の中心に突っ込むため、飛び交う巨岩や石礫、鋭利な岩盤の破片が馬車に向かってくる。
──全てを押し流す奔流を放て
障害を払い、道を広げ
嵐の息吹を解き放て──
ジルベルトは今だ術の準備中だ。
援護も望めない。
今、頼れるのはアリーシアスただ一人だった。
彼女は冷静に状況を見極める。
一つ一つ迎撃していては間に合わない。
だが、即時発動できる下級魔術では、飛来する岩を防ぎきれない。
「だったら!」
アリーシアスは強くイメージする。
面ではなく、点からの衝撃に強い形。
受けるのではなく──
「衝撃をズラす……!」
彼女は機動馬車の前方に向けて、三角錐状の 防御壁を展開した。
鋭く尖ったその壁が、突進する馬車の盾となり、飛来物の衝撃を左右に逸らしていく。
「名付けるなら、スパイクウォールと言ったところですかね」
彼女の障壁が突進する馬車の道を切り開いた。
レイディルは、回避行動を取りながら、光の大砲を撃つタイミングを慎重に見定めていた。
撃てば要塞を巻き込む…… だが、それだけが彼の躊躇の理由ではなかった。
「射程距離は……」
頭に地図を思い浮かべる。
要塞の背後には森が続き、そのすぐ先にトレルムの街がある。
つまり、要塞の真後ろに街があるのだ。
この砲撃が、威力を減衰させず直進すれば、
トレルムの街ごと、焼き払うことになる。
しかし、射線をずらすため左右に回り込もうにも、荒れ狂う大型ギガスの隙を突くことが難しかった。
それほどの機動性をこの巨体は発揮しているのだ。
(クソッ!)
あまり考えている時間は無い。
──軽やかな流れを力に変え
空を震わす一陣を呼び起こせ
我が意志を風の咆哮に乗せ──
レイディルの背後から聞こえたのは実行言語。
魔術師ジルベルトとアリーシアスを乗せた馬車が、勢いよくクレーターを飛び出し、ヴァルストルムの横を突き抜けた。
「何だあの馬車は!」
これにはロデリックも驚く。
しかし、すぐさま彼はその速度と馬車上の魔術師を見つけ、脅威と見なした。
大型ギガスの拳が馬車を捉える。
すんでのところで、馬車の速度が勝り、拳をすり抜ける。
しかし、その衝撃で車体が揺れ、もう一方から迫る追撃の拳を避ける余地が無かった。
金属が砕ける甲高い音が戦場に木霊し、大型ギガスは動きを止めた。
ボロボロと地面に金属片が崩れ落ちる。
崩れたのは、ヴァルストルムが持っていた剣だった。
レイディルはその剣を盾代わりに構え、大型ギガスの拳を真っ向から受け止めていたのだ。
ギチギチと互いの力が拮抗する。
「今までよく持ってくれた!」
レイディルは砕けた剣に感謝を告げ、ヴァルストルムの全身の力でギガスの腕を跳ね上げる。
巨影が体勢を崩し、大きくぐらついた。
その刹那。
──地を覆う全てを押し退け
疾風、我が前を切り開け
無限の空を突き進め──
空気が震える。
ジルベルトの口から紡がれた言葉が、魔力を呼び起こしていく。
突き出された腕の先に、渦巻く風が凝縮し、爆ぜる直前の力を溜め込む。
「ストォーム・バァァーストォッ!」
気迫のこもった叫びとともに、魔術が解き放たれる。
荒れ狂う風が、一直線にギガスへと襲いかかる。
岩を纏った巨体が軋む。
なおも風は勢いを増し、巨体を空へと押し上げていく。
ついに、その足が、地を離れた──
「なっ! バカな!」
ロデリックは驚愕する。
「相手がどんな魔術師だろうが、あの質量を飛ばすなどと……!」
その通りだった。
通常ならばいくらジルベルトと言えど、大型ギガスを飛ばすのは現実的では無い。
しかし、ヴァルストルムに対抗する為の出力が仇となった。
臨界間近の大型ギガスはボロボロで、その質量は失われていたのだ。
ロデリックは監視塔の高さを超え、吹き飛ばされるギガスを見ていることしか出来なかった。
間髪入れず、ヴァルストルムは腰の大砲を両手で支え、空へと照準を合わせる。
(外すなレイディル……少しでもズレればいくつかの大きな破片が残る……!)
破片が残れば、その部位に蓄えられた魔力がこの場を吹き飛ばすだろう。
呼吸を整え、照準を合わせる。
臨界状態に達したギガスの核は、不安定な魔力を脈打たせながら暴走の寸前で踏みとどまっていた。
ボロボロのギガスが放つ魔力の脈動が、空を歪ませ、今にも全てを吹き飛ばさんとしている。
「いっけぇぇぇ…!」
レイディルが叫ぶ。
次の瞬間、ヴァルストルムの両腕の大砲が轟き、光の奔流が迸った。
光はまるで天を裂く槍かのように、空へと駆け上る。
ヴァルストルムはその強大な反動に耐えきれず、地面に足をめり込ませた。
一直線に伸びる光は、空を舞う岩の巨影を捉え、その全てを粉砕していく。
上空で大きな輝きと共に、ギガスも核も魔力も消し去った。
光の余波が大地を震わせ、監視塔のロデリックは手すりを握り潰さんばかりに力を込めた。
光は雲を貫き、空に一筋の輝きを刻んだ後、異常な静寂が訪れた。
大型ギガスの破片は跡形もなく消え、後には煙と瓦礫の残骸だけが戦場に漂う。
「くそっ! くそっ!!
せめてギガスが爆発すれば、ヴァルストルムを倒せたものをッ……凌ぎきられた……!!」
ロデリックは悔恨を噛み締め手すりを叩く。
そばにいた魔獣は冷静に戦場を見やり、状況を悟る。
そしてロデリックを半ば無理やり背に乗せた。
「……くそ……限界だ」
レイディルが大きく息をつき、ヴァルストルムは片膝を付いた。
操縦室内は明かりを消したかのように暗くなり、ヴァルストルムは機能を停止した。
レイディルはハッチを開けて外に出ようとしたが、足に力が入らず、そのまま前のめりに転がり落ちた。
アリーシアスとマリーが慌てて駆け寄ってくる。
地面に仰向けになった彼の頭にマリーが手を添える。
「高いところから落ちたけど大丈夫みたいね。
頭は打ってないわ」
彼女はそう言いながらレイディルの様子を確かめる。
アリーシアスも無言でしゃがみ込み、ちらっと彼の顔色を確かめたが、それ以上慌てる様子はなかった。
マリーはレイディルの検診を続けた。
「……や、大丈夫です……ただ、疲労困憊なようで……」
ぜぇぜぇと息を切らしながらレイディルは言葉を何とか出した。
どうやらしっかりと意識はあるようだ。
アリーシアスはホッと胸をなでおろした。
それと同時に上空に小さく何かが羽ばたく音が聞こえた。
見上げると、要塞の塔から飛び立つ生き物がいた。
その背にはギガスを操っていたであろう男を乗せている。
アリーシアスは逃がすまいと、最速で魔術を構築した。
「──焔よ集え深紅の息吹を撃ち放て業火の使者よ──ブレイズ・オーブ!」
四級魔術、拳大程の火球をぶつけ爆ぜさせる火の魔術だ。
短縮しているため、致命傷を与えるには程遠いが、翼を上手く狙えば撃墜する事は可能だろう。
しかし──
空飛ぶ生物の周囲の魔力壁によって、いとも容易くかき消されてしまった。
「あっ!」
アリーシアスは予想外の事に声を上げた。
「あ~、ムリムリ。やめといた方がいいわよ。
世にも珍しい、ありゃ魔獣ね。
で、乗ってるのが元帥か~……」
ジルベルトが少し離れた場所から手を額に当て、目を細めて上空をじっと見ながら、アリーシアスたちのそばへゆっくり歩いてくる。
「魔獣ですか……あの……?
三百年ほど前に、ほぼ狩り尽くされたという……」
アリーシアスは本でしか見たことがないと付け加える。
魔獣とは魔力を行使できる獣の意である。
人のように実行言語を介さず、強力な魔力を武器とする事が出来る生き物だ。
「魔獣ってのは大体常に防御壁を張ってるって考えた方がいいわよ~。
それにあれはヒポグリフ、凄く早く飛べるわ。
この距離からはもう手出しても無意味ねぇ……」
おそらく撃ってもその飛行性能で躱されるだろう。
ジルベルトは諦めの表情を浮かべた。
空を飛ぶヒポグリフの上の男は、地上のヴァルストルムとレイディルを見やる。
そして──
「我が名はロデリック・ダンテル!
ヴァルストルムよ、この名を覚えておくがいい!
いつか貴様に目にものを見せてくれるわ!」
一際大きく名乗りを上げたが、彼の声は翼と風の音にかき消された。
「何か言ってますね……遠くて聞き取れませんが……」
アリーシアスは怪訝な顔をする。
「多分アレだわ。『覚えてろー!』とか、ああいうやつ」
ジルベルトは鼻で笑った。
「何だか懐かしい感じのする捨て台詞ね」
マリーは遠い目をした。
そうこうしている内に、帝国の元帥を乗せたヒポグリフは風のような速さで空へと消えていくのだった。
◆設定的なよもやま話◆
○剛風 ストーム・バースト
(今回使用した攻撃力無し版)
風よ、集え、我が呼び声に
大気の脈を一つに束ね
そよ風を超え、爆ぜる力となれ
全てを押し流す奔流を放て
障害を払い、道を広げ
嵐の息吹を解き放て
軽やかな流れを力に変え
空を震わす一陣を呼び起こせ
我が意志を風の咆哮に乗せ
地を覆う全てを押し退け
疾風、我が前を切り開け
無限の空を突き進め
○剛風 ストーム・バースト
(本来の実行言語)
風よ、集え、我が呼び声に
大気の脈を鋭く束ね
そよ風を捨て、刃となれ
全てを切り裂く疾風を放て
障害を砕き、敵を穿て
嵐の咆哮を解き放て
軽やかな流れを剣に変え
空を裂く一閃を呼び起こせ
我が意志を風の怒りに乗せ
地を這う全てを粉砕せよ
疾風、我が刃を振り上げ
無限の空を突き進み砕け




