7・1000万のポーション
驚いてしまい、変な間が空いてしまったせいか、
「……どうでしょうか? 1000万ホープじゃ不服でしょうか? なら22000万ホープなら……」
「と、とんでもない! 1000万ホープでもやり過ぎだと思います!」
ホレスがとんでもないことを言い出したので、慌てて返事をする。
今さっき2000万ホープって言ったよね!
一気に二倍って!
元の世界では残業ばっかだったのに、薄給だったから2000万円って十年間働かないと得られない値段だぞ!
「……私はそうは思えません」
ホレスが神妙な顔をして続ける。
「例えば【全体効果】の付いた《血色の指環》は5億ホープの値段が付けられています。そう思えば、【全体効果】の付与されたハイポーションが1000万なのは逆に安すぎだと……」
「ハイポーションの元の値段ってどれくらいなんだ?」
「私の店では3万ホープで売らせてもらっています」
3万円……じゃなくて、3万ホープのハイポーションがたった一瞬で1000万ホープになっちゃったよ!
この世界においては【全体効果】とはそれ程、絶大な効果があるのだろうか。
「それに、これからあなたとのお付き合いを考えれば、1000万ホープなんて端金ですよ」
見るだけで安心するような笑みを浮かべるホレス。
1000万……1000万。
ホレスの言葉通りだったら、これだけで四年はなにもしなくても生きていける。
これからのスローライフを考えたら、即答で1000万ホープを受け取るべきなんでは?
「じゃあ——」
そこで言葉が詰まる。
——俺は本当にそれでいいのだろうか。
考えてみろ。
四年も、と考えるか。
四年しか、と考えるべきなのか。
それに俺はなにもしなくて生きていきたい、とは考えていない。
家に引きこもりっぱなしの生活も、憧れることは憧れるが、楽しいのは最初の一ヶ月だけだろう。
やがて退屈になり、精神的に病んでしまうかもしれない。
——俺のスローライフとはのんびり暮らすことである。
時間に追われることなく、人付き合いでストレスを溜めることなく、命の危険にさらされることなく。
ならば……ここは。
「それはとても嬉しいんだが……その1000万ホープでしてもらいことがある」
「してもらいたいこと?」
「ああ、住むところを紹介してもらいたいんだ」
やっぱり雨風しのげる住居は大事である。
……出来れば広い部屋がいいな!
でも1000万ホープじゃ、大したところは紹介してもらえないだろうか?
「それくらいなら——お安いご用です。住むところだけではなく、当面の生活に不便がないように取り繕いますよ」
「助かる」
メッチャ良いヤツだな、ホレスって。
——だんだんホレスのことを信頼し始めている。
ここで俺が考えるのはホレスと専属契約を結ぶか否かである。
間違いなくホレスは有能な道具屋の店主であろう。
ならばホレスにだけ、ポーションを卸しておけば安泰じゃないだろうか?
それに「納期が−、納期がー」なんて急かされることもなさそうだ。
たくさんの業者と折衝をするなんて、真っ平ごめんだった。
「……それは止めておきましょう」
と。
俺の考えを読んだかのように、ホレスが諭すようにして言う。
「確かに私としてもあなたと専属契約を結びたいところです。
ですが、お互いもっと信頼関係を結んでからでも遅くはないかと。それに専属契約は私にとってもリスクがあります。
この辺り一帯の商業組合はうるさくてね。商業組合内での決めごとの中に『専属契約の禁止』という条項があります。
無論、その条項を無視して商業組合から抜けてでも、あなたと専属契約を結ぶ価値はあると思いますが」
なにも喋らなくても、先読みして解答を提示してくれる。
こんなこと言われたら、ますますホレスのことを信じたくなってくるじゃないか。
「そうか……面倒臭いだな」
「私もそう思いますが、色々とメリットもあるのですよ」
そのメリットについてはまた後日聞くことにしよう。
「じゃあ……取り敢えず住むところを紹介してもらえるか?」
「かしこまりました」
ホレスは立ち上がり、高級店の店員のようにして頭を下げた。
う〜ん、様になっている。
まだ異世界に来てばっかなのに、まるで自分が王様になったかのような気分だ。
「では行くとしましょう」
ホレスの後に付いていく形で、店から出た。
どうやらホレスの知り合いが営んでいる不動産屋が近くにあるらしい。
そこまでホレスと一緒にアルフガフトを歩いていると、
「ん?」
目を惹かれるものが現れて、思わず足を止めてしまう。
「奴隷屋……?」
大きい建物であった。
清潔感もあり下品な印象を抱かせない。
その建物の前に『奴隷屋』と書かれた立て看板が置かれていた。
「おや? コウキさんは奴隷に興味がおありで?」
「この世界にはそんなものが許されているのか」
「はい——コウキさんの世界では奴隷はいなかったのですか?」
「昔はいたみたいだけどな」
だが、それはピラミッドとか作る人達や、世界大戦前の黒人の扱いだったりで随分昔のことだ。
いや……元の世界でも奴隷は現存したのかもしれない。
分かりやすいところでいうなら社畜である。
彼等は会社によって雇われ、奴隷のように働かされることになるのである。
……まあ昔の俺みたいだな。
昔っていうほど昔じゃねーけど。
「やっぱり奴隷っていうのは酷い扱いを受けているのか?」
「それは——いや、一度話を聞いてみる方が早いですね」
そう言って、ホレスは奴隷屋の中へ入っていった。
俺は少し抵抗を覚えたが、置いてけぼりも嫌だし好奇心もあったので後に続いた。
「あら、ホレスじゃないの。久しぶりね」
奴隷屋、という名前の響きから牢屋がいくつも置かれていて、不潔な場所を想像していた。
しかし中に入ると、そこはまるで高級なホテルのようであった。
床には赤絨毯が敷かれており、壁には高そうな絵画も飾られている。
大きな花瓶には花が飾られており、店内が良い香りで満たされている。
そんな店内奥のカウンターから、見た目三十代前半といったところの女性がホレスに声をかける。
「ヒルデさん、ご無沙汰しております。最近のお店の調子はどうですか?」
「ぼちぼちね。あんたのところは……聞くまでもないか」
ホレスとヒルデと呼ばれる女性は仲が良さそうに喋りだした。
「コウキさん。紹介します。この方が奴隷屋の店長であるヒルデさんです」
「ど、どうも……コウキです」
いきなり話を振られたので、一応名前だけ告げておく。
「ほお……」
そんな俺をヒルデは興味深げに眺めて、
「成る程ね。ユニークなスキルを持ってるじゃないの」
「ふふふ、そうでしょう」
多分、ヒルデも【鑑定】スキル持ちなんだろう。
イアンも言ってたけどやっぱり【鑑定】スキルというのは珍しくないものなのだろうか。
そういや、不特定多数の人に俺のスキルが見られることに対する対策をホレスに聞いていなかった。
「コウキさんの素性について喋っても大丈夫ですか?」
きっと《異人》のことだろう。
「ああ、俺が他の世界から来た《異人》ってことだよな」
「い、《異人》! 初めて見たわ。驚いた。ホレスが連れてくるほどだから只者じゃないと思ったけど、まさか《異人》だなんてね……」
「ヒルデさん。それでこの方の世界には奴隷というものが存在していなかったらしいのです。説明してあげてくれませんか?」
ホレスのおかげで話がスムーズに進む。
この世界を理解するためにも、良い機会だから気になることは全部聞いておこう。
「奴隷ってのはやっぱり酷い扱いを受けているのか?」
「酷い扱い? ハハハ! 昔はそういうこともあったかもしれないけどね。今はガチガチの法律に守られてて、そんな扱いをしているのは闇業者くらいよ」
「じゃあ——」
「一応、奴隷はこの建物内で飼わせてもらっているけどね。でもここにいる奴隷達も住むところも食べるところもないからね。決して閉じ込めているわけじゃないわよ」
「住むところを提供してやってる、ということなのか」
「う〜ん、少し違うわね。もちろんそういう面が大きいけど、すぐにお客様に対応出来るように……」
それからヒルデから奴隷の説明を受けた。
……まとめると。
どうやら俺達の考える『奴隷』と、この世界でいう『奴隷』とでは意味合いが違うらしい。
どちらかというと、奴隷屋は『派遣会社』を思わせた。
家のことをやって欲しい。専門的な知識を貸して欲しい。単純に労働力が足りていないから来て欲しい。性的なことを処理して欲しい……。
そのようなお客様にニーズに合わせて、派遣会社が人を派遣する。
そのため——奴隷のランクにもよるが、奴隷達は人間として扱われ、酷いことにはなっていないらしい。
「分かった? それに奴隷屋で虐待されていて、ボロボロの奴隷なんか買いたくないでしょう?」
「確かに。元気で積極的で健康的な奴隷の方が良いよな。よほど変な趣味を持っていない限り」
「そうでしょう。だから奴隷屋は奴隷を維持するためのお金も多くてね。こうやってキレイな建物だけど、内情は火の車」
ヒルデは首を回しながら、バッテンマークを両腕で作った。
お金のことで首が回らない、とでも言いたいのだろうか。
「この世界ではなかなか面白い人達がいるんだな」
「そう? 私にとっては昔からあるものだから……」
なんてことを喋っている時であった。
「……ヒルデ。お腹空いた」
と。
小さな女の子が階段から降りてきて、ヒルデの後ろ袖を引っ張った。
「……レオナ。基本的にお客様と喋っている時は呼ばれるまで部屋の中にいなさい、と言ったでしょう。これが終わったらご飯にするから」
どうやらその小さな女の子はレオナと言うらしい。
「(しょんぼり)」
あ、見て分かるくらいに肩を落としたぞ。
「ヒルデ。その娘は——」
ヒルデに尋ねようとした時であった。
小さな女の子がこちらを向いた瞬間、視線がその子から離れなくなってしまった。






