前へ目次 次へ PR 64/95 11-6 藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)はこの件を、勅命を軽んじて遣唐使の大任を批判し、任務を放棄した篁(たかむら)の罪を問うようにと嵯峨上皇(さがじょうこう)に上奏します。 原因は表向きには、篁(たかむら)が船を交換されたのを私的に恨んだうえで起きた問題であるとされた。 それを読んだ嵯峨上皇(さがじょうこう)は怒り、篁(たかむら)の隠岐(おき)への配流が決定されたのです。 隠岐へと流されるその日、篁(たかむら)は一首の歌にその想いを込めて都に宛てて送りました。 「海(わた)の原 八十島(やそしま)かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ 海人(あま)の釣船」