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篁の上司であった遣唐大使の藤原常嗣は、失敗して帰還するごとに嵯峨上皇の任務完遂せよとの言葉を受け、「今度こそ我が名誉にかけてなんとしてでも成功させなくてはならない(私だけでも?)」との決意だったのかもしれません。
しかし、三度目の航海もやはり順調ではなく、船団は虚しく被害を受けて帰港してしまったのです。
また修理してからの出航となると1年を無駄に費やしてしまいます。
この時点で船員たちの士気は大きく下がり、使節たちの意見は、中止派と決行派に大きく割れたのではないでしょうか?
その時の本当の状況がどんな風であったのか、わずかに歴史書に残る記述を除いては残念ながら詳しく知ることはできませんが、小野篁を中心とした中止派と、藤原常嗣を中心とした決行派の対立があったのかもしれません。




