第50話 返すべきものを返す町
初夏の朝、町の外縁にある執行施設へ護送車が到着した。
扉から降りた元伯爵は、灰色の作業着を手にした職員を見て、露骨に顔をしかめた。
「責任者を呼べ。私は王家にも縁のある家の者だ。貴族用の部屋くらい、用意してあるのだろうな」
クラウディアは受入名簿を閉じ、男の前へ進んだ。
「ノルデン賠償執行区所長、クラウディア・ヴェルンです。部屋と作業の割当は、健康状態と適性を確認してからお伝えします」
「だから、私の身分を――」
「判決書とともに確認しています。こちらが、私財差押え後の残債明細です」
男は書類を受け取り、金額を見て口を閉じた。
その下には、被害者の口座、受領確認、労務評価と利益配当の欄が並んでいる。秋にユリウスへ渡した明細より、ずっと読みやすくなった。
「金を中央へ預けた段階では、返済済みにはしません。被害者の受領を確認して、残債を更新します」
「こんな額を、どう返せというのだ」
「働いた評価から規定の生活費を引いた分と、あなたの仕事が生んだ利益の配当を充てます。最初の担当は、診察後に相談します」
男は作業着を指でつまんだ。
粗末だと言いたかったのだろうが、縫い目はしっかりしていた。肘は補強され、袖口は作業中に引っかからない形になっている。
「認めん。監察局へ訴える」
「申立先は、明細の裏にあります」
クラウディアは裏面を示した。
「私を通さず送れます。身分による優遇はありませんが、不当な扱いを受けた時まで黙る必要はありません」
彼女の後ろから、常駐の監察官が進み出た。
身分照会と受入手続きを確認し、自分の印を押す。クラウディアの印とは、別の欄だった。
元伯爵は二つの印を見比べた。
大声で所長を従わせることも、所長に逆らったからといって申立先を奪われることもない。そのことが、すぐには呑み込めない顔だった。
「まず診察へ。案内します」
職員が促すと、彼は明細と作業着を抱えて歩き始めた。
クラウディアは名簿へ受入時刻を書いた。現在の執行対象者は、十九人。
門の外では、住民の荷車が町の市場へ向かっていた。
夕方、所長室の窓から終業の鐘が聞こえた。
クラウディアは残った書類を明日の箱へ移し、ペンを置いた。急ぎのものは、もうない。
玄関を出ると、アルヴィンが立っていた。
隣の都市の巡回を終えて戻ったばかりらしい。外套の裾に道の埃が付いている。
「お帰りなさい。早かったですね」
「予定どおりだ。君が仕事を終える時間に、間に合った」
彼は鞄を持ち直し、空いた手を差し出した。
クラウディアはその手を取った。
初めて会った日は、同じ広場で令状を差し出された。今は一緒に家へ帰るための手だった。
「今日は、新しい人が来たそうだな」
「ええ。肩を痛めていたので、最初は資材の数量確認からです。文字の読み書きはできるそうです」
「そうか」
「ほかの仕事は、明日考えます」
クラウディアが言うと、アルヴィンは少し笑った。
町へ続く道の途中で、二人は市場へ寄った。店を閉めかけていた魚屋が、取り置きの包みを渡してくれる。
「今夜は俺が焼く番だったな」
「香草を多めにお願いします。前に作ってくれたものが、美味しかったので」
「焦がしかけた方か?」
「あれは言わないでおこうと思ったのに」
彼が笑い、クラウディアもつられて笑った。
朝食用のパンを買い、少なくなったジャムを一瓶選ぶ。彼女が代金を払う間、アルヴィンは先に持っていた荷物をまとめ直した。
家の前に着く頃には、町の灯りが点り始めていた。
新しい診療所の窓。倉庫の入口。市場の後片付けをする店。遠くには、夕食を待つ子どもを呼ぶ声も聞こえる。
ここへ来た時からいた住民にも、移り住んだ人にも、それぞれの帰る場所がある。
クラウディアは戸口で立ち止まり、自分の鍵を取り出した。
その小さな重さに、まだ時々、驚く。
奪われた時間は戻らない。返済を受けたからといって、許さなければならない人が増えるわけでもない。
けれど今夜は、誰かの返事を待たずに、この戸を開けられる。
「クラウディア?」
「何でもありません。……帰りましょう」
鍵を回すと、アルヴィンが戸を支えてくれた。
窓から入る夕明かりの中に、二人で選んだ食卓が見える。
「ただいま」
声にしてから、クラウディアは笑った。
アルヴィンも同じ言葉を返し、魚の包みを台所へ運んだ。
彼女は外套を掛け、食卓に二人分の皿を並べ始めた。




