第137話 有明の潮路と佐嘉の差配
天正六年(一五七八年)十二月中旬
有明海の干潟から吹き上がる冷たい潮風が、佐嘉城の黒々とした堀の水面を波打たせていた。
城内の広間には、数十冊に及ぶ分厚い検地帳と、佐嘉・神埼・小城の各郡から集められた年貢目録が整然と積み上げられていた。
パチ、パチ、パチ、と乾いた算盤の弾かれる音が、静まり返った座敷に響き渡る。
「……若、大枠の数字が弾き出せましたよ」
蒲生弥三郎が額の汗を手拭いで拭い、帳面を崇清の前へ差し出した。
「龍造寺山城守が無理やりかき集めていた肥前東部の実高、表向きは十二万石とも吹聴されておりましたが、泥田の普請遅れと逃散した百姓の引き算を行えば、堅い実入りで凡そ九万五千石から十万石といったところです」
「上出来だ、弥三郎」
崇清は帳面の墨目を指先でなぞり、向かいに控える鍋島直茂を見据えた。
「直茂殿。島津が鍋島領に課す軍役の筋目を、この数字に基づいて定めたい」
直茂は居住まいを正し、拳を膝の上で握りしめた。
「はっ……仰せの通りに」
「十万石の領地に対し、平時より兵籍と装備を整え、定められた訓練を受けた精鋭二千五百を、要請に応じていつでも動かせる体制を整えていただきたい。……外征や大合戦に及ぶ場合でも、動員の上限は三千五百まで。百姓を無理に引き連れるような過剰な動員は、治安代行の定めとして禁じます」
直茂はわずかに目を見張った。
(二千五百……? 十万石の軍役にしては、あまりに少なすぎる)
戦国の大名であれば、十万石の領国からは四千から五千の兵を無理にでも絞り出すのが常であった。ましてや隆信の生前は、農繁期であっても百姓を根こそぎ徴発し、二万余の軍勢を揃えていたのだ。
「身の丈に合わぬ動員は、田畑を荒らし、領国を内側から腐らせますからね」
崇清は静かに微笑み、人差し指を立てた。
「出陣の際、定められた日数の兵糧は島津の兵站網より現物を支給いたします。鉄砲の鉛玉と火薬についても、必要量の半分は島津側で手配し、残る半分を鍋島家でご用意いただく。調達にかかる費用は、後日原価にて精算する仕組みといたしましょう」
直茂は息を呑んだ。
軍役を課しながら、その軍役を果たすための弾薬と糧秣を主筋が供給・補填する。
それは単なる命令と服従の関係ではなく、島津という巨大な兵站機構の中に、鍋島家が一個の確固たる歯車として組み込まれることを意味していた。
「……承知仕り申した。無理のない数字と確かな補給があるならば、鍋島の手勢、いかなる戦場へも遅れ馳せはいたしませぬ」
崇清は筆を取り、定書へ署名を入れると、次の議題へと目を向けた。
「さて、次は龍造寺家臣団の処遇です」
座敷の奥、襖が開かれ、一人の若者が案内されて入ってきた。
亡き龍造寺隆信の嫡男・龍造寺政家である。
父を失った衝撃と、急転直下の降伏劇に顔色は青ざめ、その体は微かに震えていた。
崇清は立ち上がり、礼を尽くして政家を迎えた。
「政家殿。遠路、ご苦労に存じます」
「……崇清殿。龍造寺の一門、いかように処断されるおつもりか」
絞り出すような政家の問いに、崇清は穏やかに首を振った。
「処断などいたしませぬ。過日、直茂殿へお伝えした通り、主家の血脈を断つことこそが最大の不義にございます。……政家殿には、都へ上っていただきます。朝廷より名家として相応の家格を賜り、都の屋敷と生活の扶持を島津が保証いたしましょう」
「都、へ……」
「大友義統殿と同じ道です。血生臭い泥田の争いから身を引き、朝廷の庇護の下で名門の血筋を千代に伝えていただく。……これが、主上と島津宗家が定めた筋目でございます」
政家は深く俯き、肩の震えを静めた。乱世の武門として、これ以上の落とし所は望むべくもなかった。
「……仰せ、謹んでお受け仕る」
政家が頭を下げると、崇清は直茂と座敷の家老たちへ向き直った。
「そして、肥前に残る龍造寺の一門、譜代の家臣、ならびに在地国衆についてです。……すべて『選択制』といたします」
崇清は声を一段引き締めた。
「第一に、政家殿に従って都へ上る道。ただし、都の屋敷と扶持で養える人数には限りがございますゆえ、政家殿が選ばれた側近・祐筆ら二十名ほどに絞っていただきます。……第二に、肥前の地に残り武士として生きる道。こちらは本人の望みと才覚に応じ、鍋島殿の家臣団へと編入していただく」
広間の武士たちが息を詰めて耳を傾ける。
「そして第三に、鍋島殿の配下に入ることを潔しとせぬ者がおれば、島津へ仕官を願い出ることも認めます。ただし、肥前国内に所領を残せば鍋島殿の自治と摩擦を生みますゆえ、島津直臣となる者は、筑後や肥後などの直轄領へ所領を移すか、高須や八代の兵站・軍政役人として召し抱えることといたしましょう」
旧龍造寺の家臣たちは、互いに顔を見合わせた。
選抜されて主家に供奉する道、郷土に残って鍋島に仕える道、新天地を求めて島津へ移る道。
武士としての生き方が三つに切り分けられたことで、家中が一斉に結束して背く口実は、あらかじめ大きく削ぎ落とされたのであった。
「……恐れ入りました」
直茂は深く額を畳へ擦り付けた。
「これにて、肥前を預かる我が胸のつかえも下り申した。鍋島加賀守、この命に代えて、肥前自治の責務を果たしてご覧に入れましょう」
*
数日後。
崇清は佐嘉を後にし、南の島原半島・日野江城へ足を伸ばしていた。
城内の広間で崇清を迎えたのは、まだ幼さの残る当主・有馬晴信であった。
数えで十一歳の晴信の背後には、安貞や純忠といった有馬の長老・重臣たちが、緊張の面持ちで居並んでいる。
「日野江の城、よくぞ沖田畷の激戦を耐え抜かれましたな、有馬殿」
崇清が声をかけると、晴信は幼いながらも凛とした面持ちで頭を下げた。
「島津殿の鉄砲と兵糧の支えがあったればこそにございます。……我が有馬の命運、島津の御旗の下に捧げる所存」
崇清は頷き、重臣たちへ視線を移した。
「有馬家の島原領三万石は、過不足なく完全安堵といたします。また、有馬殿は所領が狭く、度重なる龍造寺の圧迫で民も疲弊しておられる。……課す軍役は、島原半島の沿岸警備と、水軍百名の供出のみにとどめましょう。陸の遠征に兵を出す必要はございませぬ」
重臣たちの間に、安堵の空気が広がった。
だが、崇清の話はそこで終わらなかった。
「その代わり――有馬殿には、島津の海の道の中継役を担っていただきます」
崇清は一枚の書付を卓上へ滑らせた。
「有明海、ならびに不知火海における、島津通商網からの『卸売り優先割当権』をお渡しします」
「卸売りの、優先割当……?」
筆頭家老が怪訝そうに身を乗り出した。
「高須から運ばれる純白の白塩、薩摩の砂糖、南蛮船がもたらす舶来品。これらを島原湊へ優先して荷揚げし、有馬家を通じて周辺の海運商人へ卸す権利です。もちろん、各領内での商いや課税はそれぞれの領主の定めに従うものといたしますが、荷元を押さえる中継手数料だけでも、有馬の蔵は大いに潤いましょう」
重臣たちの表情が、急速に色めき立った。
筆頭家老が晴信を振り返り、深く頷いて見せる。
「……晴信様。これほどの破格の条件、有馬の家臣団一同、謹んでお受けすべき着到と存じます」
「うむ」
晴信は居住まいを正し、崇清を真っ直ぐに見つめた。
「有馬の行く末、島津殿の海の道とともに歩んでまいります。謹んで、お受けいたします!」
弱小領主の誇りを傷つけず、重い軍役の代わりに海運の実利を握らせる。
崇清が提示した現実的な算盤の前に、有馬の家中は完全に安堵と信頼を寄せたのであった。
*
佐嘉へ戻る途上、有明海の沿岸を望む丘の上で、崇清と弥三郎は馬を止めていた。
初冬の冷たい空の下、広大な干潟の向こうに、無数の白い竹骨帆が浮かび上がっていた。
南の八代、そして高須から海を渡ってきた、島津の快速関船と廻船の船団であった。
潮が満ちる刻限を待って湊の沖に停泊し、喫水の浅い平底の小舟が、干潟の澪筋を巧みに縫って桟橋との間をせわしなく行き交っている。
船倉から運び出されるのは、純白の白塩、備蓄米、冬越しの木綿や味噌。
佐嘉周辺の主要街道で不要な関所が払われた城下へ向け、荷車を引く商人や人足たちが、泥を跳ね上げながら活気に満ちた荷揚げを繰り広げていた。
「……動きましたね、若」
弥三郎が算盤を懐に収め、潮風に目を細めた。
「鍋島に自治を認め、有馬に船を預け、佐嘉の関所を払って塩を流す。……新たな戦を交えることもなく、肥前東部と島原の海路をこちらの商いに組み込めましたな」
「ええ。これでもう、背後を憂う必要はありません」
崇清は額に手をかざし、北東の空――関門海峡の方向を見据えた。
懐には先刻、博多の神屋宗湛と楠行者衆から届けられた早馬の報せが入っていた。
安芸の吉田郡山城を発した安国寺恵瓊が、時間稼ぎの手続き論を携え、すでに博多への街道を急いでいるという。
「毛利殿が引き延ばしの舌先を弄してくれている間に、こちらの足場はすべて整いました。……さあ、博多へ参りましょう」
崇清の口元に、冷徹な実務家の笑みが浮かんだ。
「天下の外交僧が、どんな美味い茶を点ててくれるのか。……楽しみに付き合おうではありませんか」
お読みいただきありがとうございます。
佐賀仕置も一段落いよいよ毛利と向き合う形ですね




