第7話 「構造的な分岐の可能性」
第7話 家に帰れば日常
私は素早く階段を駆け上がり、自室へ滑り込むのであった。
三十六計逃げるに如かずである。
(うむ。愛しきマイスペースよ。やはり、ここが一番しっくりくるのである)
私は入学式という人生の一大イベントを終え、ついに我が部屋へ凱旋、舞い戻って来たのである。
さて。
制服がシワになると、マミーに怒られそうなので、着替えるとしようか。
ネクタイを取る。
ブレザーをハンガーにかける。
シャツを脱ぐ。
スカートを脱ぐ。
そして、キャミソールにハーフパンツという部屋着スタイルへ。
「さて、ランチスリーピーでも――」
私はベッドへ向かいかけた。
「……いや、待て待て待て!」
危ない。
非常に危ない。
(今ここで昼寝をしてしまうと、晩御飯前に起こされる)
(そして夜に眠れなくなる)
(そのまま深夜を突破し、完徹で学校へ行くことになるのではないのか?)
このパターンは、過去に何度も経験している。
「……いかん」
私はベッドから距離を取った。
(そうだ)
(春休みという、学生故の特権期間は今朝をもって終了したのである)
「ふむ……」
ならば。
「今週の時間割スケジュールでも確認しようかー」
私は鞄の中身を探した。
……。
「……無い?」
机の上を探す。
「無い?」
引き出しを開ける。
「無い?」
制服のポケットを漁る。
すると、ハードグミが出てきた。
「よし、一つお口に放り込んで――」
「違う! そんな場合ではないのだ!」
そして、私は固まった。
「あうッちぃっ!」
(何てこった、パンナコッタである)
思い出した。
「学校のロッカーに、全部置いて来てしまったのである……」
初日から、やってしまった。
しかし、ここで慌ててはいけない。
私はゆっくりと立ち上がり、深く息を吸う。
「さて……」
足を床にしっかり踏み。
体の軸を正道に保ち。
おへその下、丹田に力を込めるように――。
「はぁ~~~~……」
……。
「空手の息吹だと?」
私は目を見開いた。
「体が勝手に……!?」
(まさか)
(ゆっきーに汚染されてしまったのか?)
(あの脳筋空手に……?)
「よし、落ち着け。私」
私は自分に言い聞かせる。
(ゆっきーに連絡したら済むだけなのである)
(またしても、足元が疎かになっていた)
(気を付けなければ)
私はスマートフォンを手に取り、ゆっきーとのメッセージ画面を開いた。
『ゆっきー様至急 時間割表送れ 我、学校に置き忘れたり』
「よし」
送信。
ポチッ。
「これで一安心である」
……。
「……ん?」
既読が付かない。
「既読にならないだと!」
私はスマートフォンをじっと見つめた。
(まあ、時間が解決してくれるであろう)
時は流れ
「ただいまー」
玄関から、ダディの声が聞こえた。
「……あ」
しまった。
せっかく部屋着に着替えたところだったのに。
私は慌てて制服を拾い上げる。
ブレザーを手に取る。
そして、制服姿にパッと着替え急いで階段を駆け下りた。
「お帰り、ダディ」
まだ少しシワの残ったブレザー姿のまま、私はダディの前に立った。
ダディは少し驚いた顔をして、それから、にやっと笑った。
「うん、ただいま。制服姿似合ってるね。可愛いよ、自慢の娘だよ。入学式、どうだった?」
「うん、普通」
少し考えてから答える。
「……ちょっと疲れた」
「そうか」
ダディは笑った。
「じゃあ晩御飯、ゆっくり食べよう」
その時、キッチンからマミーの声が聞こえてきた。
「そろそろ食べるわよ?」
「手、洗ってきたら?」
「はーい」
私は洗面所へ向かった。
そして、制服のまま食卓につく。
今日一日の出来事を話しながら、マミーの作った晩御飯を食べる。
特別なメニューではない。
けれど。
(なんだか、落ち着くのである)
学校では、知らない人ばかりだった。
新しい環境。
新しい制服。
新しい生活の始まり。
それでも、家に帰れば、いつもの食卓がある。
いつものマミー。
いつものダディ。
そして、いつもの自分。
(高校生活という新しい構造が始まっても、ここだけは変わらないのである)
食事を終える。
少しテレビを見て。
風呂へ向かう。
湯船に浸かると、今日一日の出来事が頭の中をゆっくりと流れていった。
入学式。
ゆっきー。
電車。
ポール角。
教室。
そして、まさかの自己紹介なし。
(そういえば、ゆっきーには時間割を送ってくれるよう連絡したのである)
(明日の時間割は……まあ、どうにかなる)
……はず。
(今は、とりあえず、このままもう少し湯に浸かっていたいのである)
風呂から上がる。
部屋へ戻る。
スマホを手に取る。
画面をぼんやり眺めていると――。
「……ん?」
既読が付いている。
そして、きちんと時間割のスクリーンショットまで返信されていた。
「……よし」
(予定さえ分かれば、戦術的に一安心なのである)
(対策の分岐は、無数に広がりを得たようなものなのだ!)
明日への不安が、すっと軽くなった気がした。
私は明日の準備を簡単に確認する。
制服。
鞄。
必要な筆記用具。教材はノートだけ持って行くだけの
スタイリッシュスタイルである。これぞ、最適化ですある。
そして、時間割。
(よし。これで明日は大丈夫である)
電気を消す。
布団へ潜り込む。
「おやすみ」
小さく呟く。
目を閉じる。
高校生活初日。
大きな事件が起きたわけではない。
けれど。
今日から何かが変わった。
そんな気がする。
学校では新しい世界が始まり、家に帰れば、いつもの日常が待っている。
その間を行ったり来たりしながら、私は少しずつ「高校生」という新しい生活に適応していくのだろう。
(まあ、まずは留年だけは全力で回避するのである)
現実は厳しけり。
それでも。
明日は、明日の時間割がある。
私はそんなことを考えながら、静かに眠りへ落ちていった。
――次話へ続く。乞うご期待




