異国情勢
カルミナの勢力圏へ入る際、カイトは国境で受け取った入国証を二度確認した。前に一度も足を踏み入れていない国から追放されたため、今回は先に入国しておく方が安全だと判断しただけだったが、旅券をしまう動作だけは妙に慎重になっていた。指先がわずかに震え、革の表面に汗がにじむ。左腿の固定具が小さく軋む音が、静かな検問所に響いた。
Braviewに集まった評価では、この国は五つの勢力圏の中でも特に評判が悪かった。魔王軍の侵攻を最も深く受けていることを差し引いても、役所は遅く、契約は複雑で、治安は悪く、入国者への扱いも安定しない。ところが実際に街へ入ると、表通りには露店が並び、荷車も絶えず、神殿だけはどこも手入れが行き届いていた。カルミナの像には朝から供物が積まれ、通行人はその前を通るたびに頭を下げたが、勇者について尋ねても知っている者はいなかった。
「…誰も知らないのか。勇者って言葉自体がここでは通じないのかよ」
カイトは小さく舌打ちした。苛立ちが喉の奥で熱くなる。Braviewの断片的な情報だけでは想像もつかない現実が、目の前に広がっていた。
言葉を知らないのではなく、存在そのものを知らなかった。勇者に似た昔話や、女神に選ばれた戦士の伝承すら表には残されていない。魔族と戦う者は騎士か兵士であり、異世界から来た特別な人間がいるという認識だけが抜け落ちていた。
しかし、一つ違う点もある。こと、勇者戦力においては最も活用できている国でもあるし、そして、魔王を半殺しにした勇者もその国の人間らしいが、現在は行方不明である。
「んー、証拠自体はあるが消されている感じがするな、牧場で生前働いてる時によくやった覚えがあるというか。」
Braviewを使える者から断片的な情報を拾い、カイトが辿り着いたのは、神殿でも軍営でもなく、物資管理を請け負う小さな事務所だった。
そこには勇者たちがいた。人数は少なく、装備を持つ者もほとんどいない。帳簿の確認、搬送許可の整理、倉庫の在庫計算、戦費の振り分けなどを任され、外から見れば普通の事務員と区別がつかなかった。勇者であることを表へ出すのは禁じられ、軍事行動には別の許可が必要で、給金も一般の熟練職より低い。死亡後に選ばれ、別世界まで連れてこられた者たちは、この国では英雄ではなく、文字と数字を扱える便利な労働者として配置されていた。
力そのものも弱かった。本人たちが鍛えていないためではなく、カルミナが勇者へ流す力を意図的に抑えていた。強い勇者が人を救い、名を知られ、人を集めれば、救済の中心が女神から勇者へ移る。信仰を奪われる可能性を最初から消すため、勇者の力は国を脅かさず、信仰を塗り替えず、制度の内側で使い潰せる程度に留められていた。侵攻への備えとして召喚しながら、侵攻を押し返せるほどには強くしない。その調整が長く続いた結果、国民は勇者を知らず、勇者も国民から助けを求められず、神殿だけが救済の窓口として残っていた。
カイトは事務所の隅で帳簿をめくりながら、ため息を吐いた。
「…ここじゃ勇者って、ただの便利な計算機扱いか。俺も似たようなもんだが、ちょっと笑えねえな」
カイトではなかった。
勇者パーティー、追放者ギルド、傭兵団、入国していない国と続いた後で、別の者が先に処分される光景は、百十年分の記憶を探しても比較するものがないほど新鮮だった。処分された本人には申し訳ないが、追放という現象が自分だけを狙って発生しているわけではないと確認できたことで、カイトは僅かな安心を覚えた。
安心は長く続かなかった。
追放された者の問題を調べる過程で、採用担当者自身の身元と権限が疑われた。王族側の帳簿では正式な職員として登録され、貴族側の記録では別の部署へ出向しており、神殿側では既に退職したことになっていた。三つの記録がそれぞれ異なり、どれを採用しても残り二つと矛盾するため、役所は採用担当者が不正な権限で人員を集めていた可能性を認定した。
その人物が採用した職員は、調査が終わるまで全員追放となった。
カイトの採用日は三日前で、勤務実績は帳簿三冊と倉庫記録二日分、問題行動はなく、疑われている人物との私的な関係もなかった。それでも採用経路が同じである以上、例外にはならなかった。
最初に追放された者の処分書類へ、カイトの分が追加された。理由欄には本人の行為ではなく、採用担当者の権限に疑義があるためと記され、備考欄には念のため同時処分と付け加えられていた。
こうしてカイトは、自分以外の追放を初めて見届けた直後、その採用者が怪しいという理由で、ついでに追放された。
今回は確かに入国していたため、国外へ出る手続きだけは何の問題もなく進んだ。
五大神、嘗て神は天より追い出され、各地でその神は手を引く。
五大神は全員が女神であり、それぞれ一国ないし一勢力圏の文明基盤と勇者の性質を決めている。情熱と太陽光線の神カルミナ、物理機構と鉄の神グリージオ、奇跡と美の神アルバス、深海と冥府の神ネロ、豊穣と土の神オークルという構成で、名称はすべて色に由来する。勇者の力は共通規格ではなく、各女神が何を与えるかで根本から変わるため、同じ勇者でも勢力圏ごとに運用、社会的立場、戦闘方法が異なる。
嘗て、バアルという神が存在し、それを排斥するためにバアル=ぜブブと侮り、蠅の王を冠するベルゼブブと名付け、悪魔へと改竄した。それを考慮すると神としての体裁を保てた分、彼女等は相当に強力である。
グリージオに関しては夢をベースにインターネットを構築できる等、人が普段使わない90%の脳の領域に干渉し、よくそこらに脳のキャパを理解せず倒れた勇者もいる。それは当然筋肉にも適用され、最も汎用性が高いのがこの勢力圏の特徴であると言える。
一方でアルバスは中々に特殊、奇跡論に干渉した彼女の在り方は、美の収斂とその選別すら行う。グリージオが攻撃や防御の基礎数値に干渉するのに対して彼女はいわば会心率特化ビルドである。美なるものでなければ価値はなく、動植物剰え人をも殺す。その点では最も残酷な国でもある。
カルミナに関しては出し渋っていると聞いている、というより向こうの勇者の中には知らなかった人も多い。
グリージオが余剰のリソースに対してフックを付けて干渉出来るのに対して、カルミナはOSごと外せる完全マニュアル化、力を無理矢理抑えて音を減らし暗殺をする等、こちらの方が多少便利ではあるが…正直、グリージオでも全然再現は出来る。この不憫な状態で魔王を最も追い込んだ人物もいる以上実力次第ではあるのだろう。
一旦そこの現地民と接触したい所だ、自分は魔族に迷惑を掛けられている訳ではないが、この勢力圏の複数国が討伐を国策としている以上、追放対策として名声は挙げておきたい。全ては女神の御心次第である。自分はそれに対してやりたいことを果たすだけである。この女神に見捨てられたら神殿ごとぶっ壊すつもりだが。
そんなことを言っていた翌日の話だ。
少し朝に上空から何か降ってきているのが見えたので少し探す事にした。
それはそれとして飲食店から感染症対策で追放された。
逆に今までされなかったのが不思議である。




