第三章 其ノ伍
基子は佐々木と一緒に車に乗り込んだ。
佐々木には集会所で待っていてくれと言われたのだが、直接恭平に問いただしたいことがあったため、半ば強引に同行させてもらう。
知らせに来てくれたおじさんは、要件だけ伝えるとバタバタとどこかへ駆け出して行ってしまった。
外は霧がかかっていた。
空も雲が覆っているのか、太陽の姿は見えてこない。
車はガタガタと狭い山道を下る。すると、すぐに舗装された道に出た。そこを左に曲がり、小さな東屋や民家を通り過ぎる。
いつの間にか、自転車で徘徊していた時に見た学校が目の前に現れた。そこも横目にすり抜けしばらく進むと、佐々木は唐突に車を停めた。
霧がだいぶ濃くなってきている。視界の先は白く見通しが悪い。この状況で運転するのは危険と判断したのだろうか。
佐々木は後ろの席からボディーバックを掴み取り車から降りた。そして、一瞬だけ考え込むとそのまま霧の中へと吸い込まれて行った。
基子も慌てて車を降り、足早にその後を追う。
佐々木の向かう先に、薄らと人影が見えた。
地面には白い模様が書いてある。
どうやらここは、基子がこの地に降り立ったヘリポートのようだ。
ふいに佐々木は立ち止まった。
基子もそれに倣い立ち止まる。
そして、佐々木はヘリポートの真ん中に佇んでいる人影に声をかけた。
「そこにいるのは恭平か?」
人影から返事はない。
佐々木はもう一度声をかけた。
「恭平なのか?」
その声に反応したのか、人影はゆらり、ゆらりと左右に身体を揺らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてきた。そして、二人のすぐ手前で足を止めた。
濃い霧のせいで、顔は伺いしれない。
ただ、背格好からして恐らく本人であることは間違いなさそうだ。
基子は佐々木を追い越し、恭平に近づこうと足を一歩踏み出した。
すると、さぁっと風が優しく吹いた。さらさらと霧が少しだけ凪ぐ。
その刹那、目の前に立つ人物の顔がぼんやりと見えた。
「恭っ……!」
声をかけようとした瞬間、基子は言葉を失い立ち止まった。
そこに立っていたのは確かに恭平だった。
しかし、風貌が明らかにおかしい。
返り血でも浴びたかのように全身は赤黒く染まっていて、首元には真一文字に切り裂かれたような大きな傷があった。
そして、虚ろな目でこちらの様子を伺っている。
基子はずずっと後ずさった。
佐々木はボディーバックからおもむろに何かを取り出し、それを恭平の方へと向けた。
鈍色に光るその物体。
親指が動き、カチリと撃鉄を起こす音がした。
「恭平! 聞こえているか!」
鼓舞するかのように佐々木は声を張って呼びかけた。しかし、反応はない。
「すみません猿渡さん。急いで、逃げて下さい……」
後ろも振り向かず佐々木は言った。
「えっ! で、でも——」
「いいから、早く逃げて!!」
戸惑う基子を怒鳴りつける佐々木。
その声に驚き、基子は霧の中を慌てて走り出した。
車の横をすり抜けて、真っ直ぐに進む。
しばらくして、バンっと大きな銃声が響いた。
その音に足を止め振り返る。
もちろん、濃い霧のせいで何も見えない。
再び二発の銃声。
嫌な想像が脳裏をよぎる。
しかし……
——私が行ったところで、何かできるわけでも……
基子は前を向きなおすと、再び足を動かした。
そして、すぐに十字路に突き当たった。
どちらに行こうかなんて悠長に考えている暇などない。
走るスピードを緩め右側に曲がった。
くねくねと緩いカーブが続く人家の間をすり抜ける。
すると、今度はY字路ぶつかった。
流石に息が切れてきたため、はあはあと肩で呼吸をしながら立ち止まり考える。
——えっと、さっきは右だったから次は左で!
後ろを振り返り、誰かが追ってきていないことを確認すると、地面を大きく蹴って左の道を進んだ。
しばらくして、こちらの道を選んだことを後悔した。
緩やかな坂道は、段々と勾配を上げ、体への負荷を増やしていった。
——な、なんなのこれ。本当になんの罰ゲーム。
重くなった足を無理やり前に進めていると、いつの間にか舗装されていた道が途切れ、山道へと変わっていた。
「きゃっ!」
昨日の雨で地面がぬかるんでいたせいで、ずるりと足を取られた。
咄嗟に手を着き、尻餅だけはなんとか回避。
「ふう、危なかった……」
立ち上がり、泥で汚れた手を見つめそれを払う。
ふと、この島で恭平に会った時のことが頭をよぎった。
南台所神社へ続く階段の下で、滑って転びそうになったところ目撃されたこと。
後ろを振り返るも、今はそこに誰もいない。
足元に気をつけながら進むと、前方にうっすらと何かが見えてきた。
「えっ! ちょっと待って、ここって……」
そこには今にも朽ちてしまいそうなボロボロの鳥居が佇んでいた。
地面には丸く苔むした石が所狭しと敷き詰められている。
まさに、先ほど基子が転んだ時に思い出した恥ずかしい現場である。
戸惑いながら後ろと前を交互に見やる。
恭平が追ってきているかどうかはわからない。
かと言って、戻ることは怖くてできない。
それに、霧に浮かぶ古い鳥居が、自分を呼んでいるようにさえ思えてしまう。
——戻るも地獄、進むも地獄、か。
大きく深呼吸をして恐怖心をゴクリと飲み込むと、基子は鳥居の下を潜った。
先日登った時よりも、雨のせいで玉石の階段は滑りやすくなっていた。
基子は手が汚れてしまうのは仕方ないと割り切り、 最初から両手を使い登り始める。
四苦八苦しながらなんとか登頂。
休む間もなく真っ赤に染められた神社に向かう。
神社に着くと、立て付けの悪い観音扉を開け、その先のガラス戸を潜った。
そして、神棚の前まで進み、膝を折って切に願う。
——どうか、この悪夢が覚めますように。
仕事に疲れ、有給休暇を取ってリフレッシュに来ただけのこの島。
疎遠になっていた幼馴染に会い、なぜか変な事件に巻き込まれ、今も現状がよくわかっていない。
夢でなければなんなのだと思いたくなるものの、膝から伝わるコンクリートの冷たさは現実のものだった。
すると、段々と耳の奥から耳鳴りが聞こえた。
——ちょっと待って! これって!
そう思い咄嗟に目を開けるも、とさっと何かが倒れる音が遠くから響き、目の前が再び暗くなった。




