第49話 西門慶、目をつける
この街には西門慶という男がいる。
薬屋を営む大商人で、気前よく賄賂をばら撒くことで、商人ではあるが絶大な権力をもっている男だ。知事とも面識をもち、役所には子分同然の者も何人かいる。
極端なことだが西門慶の財力をもってすれば、白昼堂々理由なく人を殺めたとしても無罪判決を勝ち取ることができるだろう。腐敗した世において金に勝る弁護士は存在しない、一つの見本例であった。白昼堂々でそれなので、コソコソとやれば余裕で無罪になることは言うまでもない。
そういうこの県の実質的な最高権力者は、一ヶ月ぶりに帰ってきた。
護衛兼側近を伴って県の門を潜った西門慶を、一番付き合いのある王都頭が呼び止めた。
「おや。これはこれは西門慶様ではありませんか。近頃お姿が見えないと思っておりましたが、どこかへ行かれていたのですか?」
部下同然の王都頭の問いかけに、西門慶は形のいい眉を歪め、吐き捨てるように答える。
「美味いモノを食べに三つ隣の県に遠出だ」
「またですか……。その様子じゃご満足はされなかったようで」
「そうなのだ! この県にまで伝わってくるほどだったから、どれほどのものかと思ったがまったくの期待外れよ! 良いのは見てくれだけで、味は酷いものだった!」
「さ、然様ですか」
大金持ちの西門慶は酒も芸術も相応に楽しむが、なにより一番好んでいるのが食事だった。
自分が食べたいと思ったモノを食べるためであれば、金も労力もまったく惜しまない。これまでに西門慶が好きなモノを食べるのに使った金は、現在の財産の倍に匹敵する莫大なものだった。
代々薬屋を営む西門家は七代目の西門慶の代で、財産を何倍にも膨らませたが、それもこれも西門慶の美味いモノを食べたいという情熱が原動力になったが故である。
「西門慶様。私程度が口出しするようなことではないかもしれませんが、ご自重をしてくださいよ」
「分かっている。それより私が留守にしている間、面白いことはあったか?」
「それなら虎殺しの英雄の話ですね。楊志と武松って男が……」
「人食い虎を退治して都頭になったのだろう。それくらい私のいた街にも伝わってきた。他にないのか?」
「それ以外となると、ございません。申し訳ない」
謝る王都頭を西門慶は「構わん」と許す。別になんとなく聞いただけで期待していたわけではなかった。
西門慶は改めて故郷の街並みを見て嘆息する。子供の頃からずっと見てきた街だ。だがもう見飽きたものだった。何一つとして西門慶の興味をひくものは存在しない。
(この県にいるのはいい加減に飽きたな)
いっそ屋敷を引き払い、首都東京開封府へ引っ越すのもいいだろう。
自分の才覚なら都でも成功する自信はあったし、なにより都には皇帝すら足しげく通うという妓女がいるという話だ。きっと退屈はしないだろう。
西門慶が真面目に都への転居計画を考え始めたところで、
「――――っ!?」
西門慶の視線が釘付けになる。それは丁度、武松の家から帰る途中の藩金蓮であった。
今まで見たどんな女もあれと比べれば芥。妖気すら感じるほど美貌に西門慶の心は一目で夢中になっていた。
「おい王都頭。あの女は誰だ?」
また西門慶様は飽きもせず、と愚痴りながら王都頭は口を開く。
王都頭は長年この街で都頭を務めてきた古株。流石に街の事情には詳しく、藩金蓮が武大と結婚することになった経緯や、武大が虎殺しの武松の兄であることなどを、事細かに説明した。
「藩金蓮……金蓮か。ふふふふふふ、私はこの街のものは全て見飽きたと思ったが、今それを改めよう。きっと彼女の秘部に喰らいついて舐めれば、きっとどんな砂糖菓子より甘いのであろうなぁ」
高貴な顔つきで下品な舌なめずりをしながら、西門慶は藩金蓮の歩いていった方向を眺め続けていた。
西門慶のやることは決まった。まずは控えていた家来に藩金蓮のことを調べるよう命じる。そして、
「へへっ。西門慶様、なにやらご機嫌になられたようで、できたら……」
「抜け目のない奴め。まぁいい、良いものを見つけてくれた礼だ。とっておけ」
懐の財布を逆さまに振って、中身を全て王都頭の掌に落としてやると、王都頭は踊るほどに喜んだ。




