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俗物水滸伝  作者: 孔明
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第44話  武松、一目惚れする

 店主の善意の忠告を無視して、酔っぱらったまま岡に突入した二人は、無謀者そのものであった。

 ふらついた足取りで馬鹿みたいに騒いでは、道の途中で立ち小便をする。

 おもむろに流行の歌を音程を外しながら歌いだしては、下らない冗談に馬鹿笑いをする。

 完全に性質の悪い酔っ払いそのものであった。

 そんなに五月蠅くしていれば、勘の鈍い虎だって自分の縄張りに侵入してきたご馳走に気づく。この岡を縄張りにしている虎は、鈍いどころか鋭いほうだったので、当然これに気づいた。

 今日の食事はあの愚かな二人にしよう。

 そう考えた虎は涎をしたたらせながら馬鹿二人に背後から近づいていった。

 こうして足音を消してゆっくり忍び寄り、獲物が気づいて逃げようとしたところを、一気に全速力で急所に食らいつき殺す。それから死んで動かなくなった獲物をゆっくり食べる。それが虎の狩りのやり方であった。

 これまで幾人もの血肉を食ってきた虎は、首尾よく近づくことに成功した。

 しかし虎にとっての誤算だったのは、虎に気づいた二人がこれまでと正反対の行動をとったことであろう。


「ふひひはははははははは! 本当に出てきたでござる! 虎でござる虎でござる!」


「美味い酒を飲んだ後は虎を殺したくなるんだよ! つぅわけで死ねや! ひぃーははははははは!」


 そして更なる誤算は二人が虎より性質の悪い酔っ払いだったことであろう。

 伝家の宝刀・吹毛剣を抜いた楊志と、岩をも砕く拳を武器にする武松は、馬鹿笑いしながら虎に突撃していった。

 瞬間、虎は野生の本能で気づいてしまった。これまで狩る側であった自分が、狩られる側に転落したことを。

 かくして楊志と武松によって、人食い虎はろくな抵抗もできずに退治されてしまった。


「ふぃー、やったやった。んだよ虎の癖に弱ぇじゃねえか」


 虎の返り血で血まみれの武松は、あてが外れたと吐き捨てる。

 死んだ虎の名誉のために補足すると、虎は決して弱くない。腕のいい猟師が熟練の技と知恵を駆使して、複数人でかからなければ倒せない相手だ。

 こうも一方的にやられてしまったのは、楊志と武松の強さがおかしいだけである。


「にしても酒飲んで目当ての虎も殺したら、腹が減ってきたでござるな。こんなことなら居酒屋で料理も注文しときゃよかったでござるよ。武松、なんか近くに食えそうなもんとか落ちてねえでござるか?」


「おいおい楊志。テメエの目は節穴かぁ? 食えそうなもんならここに転がってんじゃねぇか!」


 そう言って武松は死んだ虎を指さした。


「だが武松。流石に生じゃ食えないでござるよ? 腹を壊すぞ」


「ならさっさと岡越えをして、適当な民家の火を借りて焼いて食おうぜ! 人間をたらふく食って太った虎なんだから、きっと食い甲斐があるぞ」


「そりゃ良い案でござるな! じゃあ虎を真っ二つにぶった切るから、半分ずつ背負って持ってくでござるよ!」


「おう、任せたぜ!」


 髪の毛を剣に吹きかければ、触れただけで毛が切れてしまうほどの切れ味から、吹毛剣と名付けられた楊一族の秘宝。それが今や虎を真っ二つにするための包丁がわりだった。

 虎を真っ二つにすると半分を楊志が、もう半分を武松が背負う。ドバドバと流れ出す血が二人の体を汚すが、酔っぱらっている二人はまったく気にしない。

 そしてそのまま二人は岡を超えていった。




 真っ二つになった虎の死体を担いで楊志と武松が岡越えをすると、当然ながら騒動になった。

 世間を騒がせていた獰猛な人食い虎が退治されただけでも驚きなのに、それをやったのが猟師でもない旅人二人で、おまけに真っ二つになった虎の死体を担いできたのである。

 岡を超えたところにある陽穀県は春夏秋冬が一度にきたようなお祭り騒ぎとなり、話は県を統治する知事にまで伝わった。


「なに!? 例の人食い虎が退治されただと! それもやったのは旅人二人? 本当か!?」


「はっ、虎の死体も担いでおりましたし間違いございません。街じゃ虎殺しの英雄だなんだと持て囃しておりまする」


 部下からの報告を聞いた知事は、にわかに虎殺しの英雄二人に興味が湧いてきた。

 国が根本から腐敗しきったこの時代。県知事などは殆どが権力を笠にきた強盗の別名であったが、ここ陽穀県の知事はまだマシな部類であった。

 賄賂は受け取るし送ることもあるが、統治を揺るがすほどのことはしない。そういう平凡な人間なので、英雄というものに素朴に惹かれる性質だった。


「よし! その二人に会おう。ついて参れ」


「何も知事が直接行かれずとも後日呼び出せば……」


「いやいや。それでは虎の返り血も洗い流され、手柄をあげたその姿を見ることが叶わないではないか。私は英雄のありのままの姿が見たいのだ」


「はぁ。そういうものですか」


 早速、知事は虎殺しの英雄がいる場所へ足を運ぶ。

 そうして楊志と武松を見た知事は圧倒された。全身を虎の血で真っ赤に染めながら、自身の流した血は一滴もなし。周囲の人々が遠巻きに英雄だ、この県の救世主だと持て囃しても、それを誇るでもなく自然体でいる。まるで自分がなにをしたのか理解していないかのようだった。

 講談師が語ってきかせるような英雄が、現実のものとしてそこにいた。


「そなたらが虎殺しの英雄達か。あの虎には民のみならず、地元の猟師までもが何人もやられていてね。私自身、たいそう恐れていたものだ。この県の知事として礼を言わせてほしい。君達はまったく見事な英雄だ!」


(ぶっちゃけ酔っぱらってて、なにやったか覚えてないでござる)


(なんか気づいたら岡超えしてた上に、血塗れで虎の死体背負ってた。わけわかんねぇ)


 楊志と武松は内心ではそう考えていたが、当然知事には心の声など分からない。

 なお二人の記憶がはっきりしているのは、居酒屋で酒を飲んでいたところまでである。


「実はあの人食い虎には賞金がついていてね。殺したのは君達二人だから、君達二人が貰う権利がある。早速渡そう」


「いらねぇよ。記憶にねえことで称賛されても寝覚めが悪い。虎に食われた猟師たちの家族に山分けしてやってくれや」


(ええ~。拙者はちょっと欲しかったでござるよ)


 そう思った楊志だったが口には出さない。基本駄目人間の楊志であったが、友人に対しては例外である。賞金をいらないと言った武松の心意気に、無粋なことを言って泥をぬるのは避けたかったのである。

 知事はそんな態度に非常に感銘を受けた様子だった。


「おおっ! その剛毅さと気前のよさ、ますます気に入った。二人とも我が県で都頭(警備隊長)にならんか? 虎殺しの英雄二人が都頭なら、民も安心して暮らせるだろう。私も知事として箔がつく!」


「ほ、本当でござるか!? やったでござる! 再就職でござるよ!」


「兄貴が住んでるのは隣町だし、どうせ会いに行くなら就職してからのほうが恰好がつくな」


 乱暴者のチンピラで知られていた自分が、都頭になって帰ってきたらきっと兄は仰天するだろう。驚いた兄を想像しながら武松は笑みを深めた。


「俺も喜んで引き受けさせてもらうぜ」


「そうか! 良い返事がきけて嬉しいぞ。ささっ。体を洗い流してくるといい。今日は虎殺しの英雄の誕生と、二人の都頭就任を祝って宴会だ!」


 念願の再就職に加えてタダ飯にありつけることに、楊志は狂喜乱舞していた。

 地方の都頭は元の楊志の地位と比べれば下であるが、取っ掛かりとしては悪くない。少なくとも無職のままぶらぶらしているよりは遥かにマシである。


「……ん?」


 そんな楊志を微笑ましく眺めていた武松は、虎殺しの英雄を一目見ようと集まってきた野次馬の中に、息をのむほどの美女がいることに気が付いた。

 着ている服は平凡な民のそれだが、肌は貴い姫君かと錯覚するほど白く、濡羽色の髪は黒真珠を溶かし込んだよう。触れれば幻となって消えてしまいそうなほど儚げなのに、どんなに目を擦っても忘れられない。


「まるで桔梗の花だ……」


 武松の心になにかが芽生えようとしていた。


(こんな田舎にもあんな美女はいるもんだな。そろそろ俺もいい年だし、ああいう女を嫁にできりゃ、きっと幸せってやつになれるんだろう。今度見かけたら声をかけてみるか)


 この時の武松は無邪気にそんなことを考えていた。

 これから待ち受ける余りにも残酷な運命を知らずに。



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[一言] 真っ二つになった虎の死体を担いで酔いが醒めた時、血で気持ち悪そうw
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