第42話 武松、里帰りを決める
時間は少しだけ戻り、滄州の柴進の屋敷。
楊志がきて、武松と刎頸の誓いをかわしてから数か月の時が過ぎた。
あれから酒を飲んでも暴れることのなくなった武松は、親友となった楊志と毎日のようにどんちゃん騒ぎをするようになった。これに柴進までもが一緒になって飲み食いすることもあるので、誰も止められない。
武松の変化を悟ってか、他の食客も少しだけ武松と話すようになった。落ち着いて話せば乱暴者ではなく、意外に面倒見がいいだとか頭の回転も悪くないなどの良い面も見えてくるようになる。
楊志のような刎頚の友は流石に増えたりはしないが、日常会話をして酒を飲んだりする程度の友人が武松にも増えていった。
二人は充実した日々を送っていたといえるだろう。
だが充実し飢えが満たされたからこそ、気になり始めるということもある。最近武松の脳裏を掠めるようになったのは、故郷にいる兄のことだった。
「そういや家を飛び出してから兄貴と一度も会ってねえ」
武松が故郷を出ることになったのは、役人を殴り殺してしまったためである。
その役人は武松を恐れて死んだふりをしていただけで、殺人犯として手配されていないことを後になって知ったが、その時は荒れていたこともあって故郷へ帰ろうなどという発想が出てくることはなかった。
「……兄貴。今どうしてんだ? ちゃんと飯食ってんのかなぁ」
だが心がある程度休まったことで、武松に望郷の心が芽生え、徐々に成長してきていた。
「そんなに心配なら一度故郷へ帰ってみたらどうでござるか?」
「そうすっかなぁ。このままじゃ酒も喉を……いや、酒は通るが飯が通らねえ」
楊志の提案に武松もその気になる。
碗に注がれた酒はとっくに空になっていた。
「うし、帰るか」
思い立ったが吉日。武松が立ち上がると、楊志もまた腰をあげた。楊志の腰は軽いのである。
「なら拙者もやることなくて暇だったし、一緒に行くでござるよ。ここは酒も料理も不便がないのはいいんでござるが、少々飽きたでござる」
「よっしゃ! 楊志も一緒なら心強ぇ! いっちょ里帰りといこうじゃねえか!」
楊志も同行する、の一言が武松の背中を押し切った。
マイペースな楊志と異なり、一度決めたら武松はテキパキとしていた。余り多いとはいえない荷物を片付けると、その足で柴進のところへ挨拶に行く。
「故郷へ里帰りですか」
「ああ。すまねぇな急に」
「貴方の乱暴者っぷりには随分と手を焼かされたものですが、こうして屋敷の問題客二人が一気にいなくなると思うと、寂しさを覚えますね」
この数か月間で柴進の酒蔵に貯蔵している酒量は随分と目減りした。それもこれも全てはこの酒豪二人が勝手に持ち出すからである。
運動がわりの腕試しと称して庭で大暴れした挙句、飾られた奇石を粉砕したこともあった。お蔭で柴進は楊志が世に伝わる義人ではなく、わりと駄目な男であることも理解してしまった。
しかしそんな問題児二人に、柴進は怒りより親しみを覚えていた。柴進が根っからのお大人気質なこともあるが、もし柴進が柴家の末裔ではなく無一文でも、きっと二人に好意を抱いただろう。生まれも育ちもまるで異なるが、柴進は遠い親戚のような親近感を二人にもっていたのだ。
「随分と世話になっちまったな、柴進。いつかこの借りは返すぜ。なんか荒事になったら俺を呼びな。すぐに駆け付けて、敵の親玉をぶち殺してやるからよ」
「ついでにいつか拙者が再就職する日は、口添えを頼むでござる」
物騒ではあるが力になると誓う武松と、厚かましく更なるお願いをする楊志。実に対照的だった。
「これは餞別です。どうせ故郷への路銀もたいして持っていないのでしょう」
元からこういう日がくると思っていた柴進は、用意してあったお金を二人に渡す。隣にいる侍女は『甘やかしすぎではないか』と視線で告げていたが、柴進はむしろ金という形でしか好意を伝えられない自分に浅ましさを覚えていた。
こういう男たちとは金ではなく、心で通じ合いたい。そう思ってしまうのは贅沢なことであろうか。
「なにからなにまですまんでござるなぁ」
「じゃあな、柴進! また会おうぜ、いつかきっとな。今度は俺達が酒を奢るぜ!」
「ええ。楽しみにしていますよ」
そうして嵐のように楊志と武松は、柴進の屋敷から旅立っていく。
山東の梁山泊で『晁蓋』が首領となり、大いに勢力を増している頃のことであった。




