第41話 宋江、清風山へ向かう
宋江が捕まったというニュースは、開封府にいる様々な者たちを動かした。
まず動いたのは王倫と徐寧である。同じ科挙官僚でありそれなりに目をかけられている王倫と、王進と林冲が去った後の禁軍師範では最も声望のある徐寧。二人は宋江逮捕を知ってすぐ弁護に動いた。
そして次に動いたのは開封府に留まっていた阮小五である。
王倫徐寧と違い中央へのパイプなどないため知るのが遅れたが、傍若無人で即断即決が基本の阮小五。知ってしまえば行動は早い。
直ぐに牢に囚われている宋江を救出しに向かおうとして、
「――――やめておけ。考えなしに真っすぐというのは嫌いじゃないが、それは幾らなんでも無謀が過ぎる」
いきなり現れた破戒僧に静止させられた。
「我が心中を読むとは、貴様……何者だ? まさか新手の能力使いか!?」
尋常ではない気配を漂わせた破戒僧に、阮小五は警戒を露わに剣を抜く。
破戒僧は置いているだけで地面がへこむほどの錫杖を握っていたが、それを構えようとはしなかった。
「公孫勝のようにおかしな能力はなくとも、多く人を見ていれば表情から察する術は身に着くよ。おっと警戒はするな、私は味方だ。名は魯智深、林冲の親友だ」
妻を殺された林冲が、高球の配下相手に大立ち回りを繰り広げて開封府を脱出した事件は、特に世の好漢たちの間に轟いている。
好漢の末席を汚す阮小五も大いに興味を持っており、関係者である公孫勝に事の詳細を聞いたことがあった。なので花和尚・魯智深の名前は阮小五も知っている。
「花和尚・魯智深……本物か? 貴様が天孤星の真名を騙るフェイカーではないと証明はできるのか?」
「証明は難しいな。宋江殿や林冲がここにいれば一発だが。だが62斤の錫杖を持った破戒僧は、そうはいないと思うがね。
それとも宋江殿たちとのあの日のやり取りを詳細に聞かせれば証明となるのかな?」
「いや、いい。俺も真実を見極める心眼は備わっている。貴様が魯智深というのは確かなのだろう。
それで俺を止めたということは、お前には良案があるのか?」
「良案というほど大したものじゃないがね。まあ私に任せておけ」
そう言う魯智深に着いていった阮小五が辿り着いたのは高球の屋敷だった。
暗殺するのか、という阮小五が問いかけると魯智深は首を横に振る。
「高球は周囲を豪傑と精兵とに守らせている。私とお前の二人っきりで殺すのは不可能だ。
そんなことができるならあの時、私は林冲と一緒に高球を殺していたさ」
「ならなにが目的でここへきた?」
「あれを」
そして魯智深は屋敷の庭にある建物を指さした。
阮小五は納得する。確かにそれはそのままにしておくには、腹立たしいものであった。
都の官僚から一転して牢屋に入れられる羽目になった宋江だったが、取り乱すことはなかった。
閻婆惜の証言で逮捕されることになってしまったが、逆に言えば証拠はそれだけしかない。方々に賄賂を贈れば死刑にはまずならないだろうという打算があったからだ。
(まあ高球に1万貫くらい賄賂を差し出して、見っとも無く許しを請えば無罪放免になることだって不可能じゃないでしょうけど)
だが宋江はそれだけはやらないと決めていた。
宋江は自分を俗物であると思っているし、必要なら小役人に頭を下げることだってする。けれどそんな宋江でも死んでも頭を下げたくない相手というのはいて、高球はその一人だった。高球のような下種に頭を下げるくらいなら、宋江はこの牢獄内の壁に頭をぶつけて叩き割り自害するだろう。
(高球が許さない以上、無罪放免はどれだけ賄賂を積もうと不可能。なら私にできるのは罪をどれだけ減らせるかですが……)
大金を出せば労役免除の特別待遇の囚人になることもできるだろう。貧乏人には厳しく、金持ちには甘いのがこの国だ。
けれど宋江は大人しく罪に服して、お勤めを果たし上げ良民に戻る当たり前の選択をするつもりはなかった。なにせこういう時のために梁山泊という駆け込み寺を用意していたのである。使わないのは損だろう。
それから二日ほどが経って正式に宋江の裁判が行われた。
裁判は王倫と徐寧の二人の弁護と、宋江が方々に配らせた賄賂の効果で、宋江は死刑ではなく江州となった。
「すまんな宋江、無罪にはできなかった」
「流刑地でなにかあったら手紙を出してくれ。必ずなんとかする」
開封府から流刑地へ向かう宋江を、王倫と徐寧が見送りにきた。
「お気持ちだけ受け取っておきます、二人とも。安心してください、私は大丈夫ですから」
軽く別れを済ますと囚人服に首枷をつけられた宋江は、二人の役人に引っ張られながら出発する。
これからの予定について二人には話しておこうかと思ったが、止めた。自分と違って二人はこれからも開封府でそれぞれ官吏として働いていくのだ。余計なことを話して、二人の経歴に瑕をつけるわけにはいかない。
「へっ。アンタも運がないな。官僚から一転して流刑囚とは」
不必要な賄賂をケチって、宋江は護送役人二人には賄賂を贈っていなかった。
それを宋江は早くも後悔し始める。少しの間だけ耐えればいいと高を括っていたが、護送役人の囚人に対する扱いは人が家畜に対するよりも冷酷だったのである。
「同情してくださるなら、この首枷を外せとまでは言いませんが、せめて飲み水くらいは分けてほしいんですがね。私の分でしょう」
「嫌だね」
そう言って護送役人は見せつけるように水を飲んで見せる。
「どうだ? 普段は偉そうにふんぞり返ってる官僚様もこうして囚人になっちまえば、生かすも殺すも俺たち次第よ」
「水が欲しけりゃ金を払いな。50貫も出せば水の一杯くらい恵んでやってもいいんだぜ」
「……情けというのは、人の為にするものではないのですよ」
「あぁ? なにを難しいことを言ってやがる! 士大夫って偉そうにしやがって!」
役人が懲罰用の鞭を宋江へ振るう。首枷で拘束されている宋江はまともに避けることもできない。鞭が肩に直撃し、焼けるような痛みが宋江を駆け巡った。
護送役人たちが苦痛で顔をゆがめた宋江を嘲笑う。自分より高い立場の人間を、甚振る暗い嗜虐の発露だ。
「私は……及時雨なんて大層な渾名で呼ばれましてね。恵みの雨という意味なのですが、余裕がありましたのでそれで人助けなどをよくしてきました」
「だからなんだってんだ!?」
「こういう時に助けてほしいから、私は人助けをしていたんですよ」
そう言うと馬と大勢の人間が走ってくる音が近づいてくる。
いきなりのことに護送役人は恐怖で慌てだした。
「な、なんだこれ!? なにが来てやがるんだ!」
「私の助けですよ」
宋江に驚きはなかった。もし晁蓋や公孫勝が捕まって流刑になれば、自分は必ずそれを助けに行っただろう。だから自分が今こうして流刑になった時、誰かが助けてくれるだろうと確信していた。
恐らく開封府に留まっていた阮小五が動いたのだろう。足音の数からいって数は五十ほど。率いているのは晁蓋だろうか、それとも王進か。或いは梁山泊ではなく宋家村から来たのかもしれない。だとすれば率いているのは林冲や索超ということもあるだろう。
はてさて率いているその人は誰なのかと、宋江が土煙の上がる方を見る。
「天下の義士たる宋江殿がみすみす流刑になるのを見過ごせずに助けに参った! 俺様こそは錦毛虎・燕順様とは俺様のことよ!!」
「親分、俺様って二回言ってますよ!」
「うるせぇやい! 人が格好良く名乗りをあげてんのに野暮なツッコみするんじゃねえ!」
「……え、どちら様?」
なんと宋江を助けにきたのはまったく知らない男達だった。
燕順と名乗った男は、茶色がかった髯をもち、目は丸く腰はがっちりとしている。堂々たる体格をもつ巨漢だ。
その燕順を親分と呼んだ人物は、着ているのは山賊らしいボロであるのに、貴公子然とした雰囲気をもつ白皙の美青年である。そういう趣味のない宋江ですら一瞬ドキリとするほどの美貌だった。
「やい小役人共!」
宋江と震え上がる護送役人の前まできた燕順は、乗っていたから馬から降りる。
如何にも山賊の親分という風体の男に睨まれ、護送役人たちは失禁していた。
「やい小役人! よくも宋江殿を罪人として歩かせるなど無礼を働いたな!」
「お、お許しください! 俺たちは仕事で仕方なくやっていただけなのです!」
「やかましい! 俺はそうやって命令だったからだのと言い訳する輩が一番嫌いなんだ! 死ね!」
そう言うと燕順は朴刀を護送役人の頭に叩きつけた。割れた頭から血と脳みそが飛び散り、隣にいる役人の顔にかかる。
もう一人の護送役人は平然としている宋江に助けを求める。
「そ、宋江様……ど、どうかお助けを……」
「情けというのは、人の為にするものではない。さっき言ったでしょう」
宋江は伸ばされた手を冷然と無視する。
そして燕順が振り下ろした朴刀で、もう一人の護送役人の頭も潰れることになった。
「危ないところだったなぁ、宋江殿! だがこの俺がきたからには役人なんぞに手は出させんぞ!」
「ありがとうございます、燕順さん……で良かったですね? なぜ私を助けてくれたのです?」
「なぜもなにも、音に聞こえた及時雨・宋江殿の危機と聞けば、男であれば駆けつけるだろう」
燕順はキョトンとしていた。
どうやら本当に裏も打算もなく、会ったこともない宋江がピンチと聞いて助けに来てくれたらしい。
宋江の中で燕順という男の存在が大きなものとなっていった。
「野暮な事を聞いてしまいました。燕順さん、宋公明。この恩は忘れません」
「い、いやぁ。それほどでもねえさ。……そうだ! 天下に聞こえた義人・宋江殿とは是非とも一度話したいと思ってたんだ! 役人から逃げるついでに俺が首領をやってる清風山にきてくれないか? 歓迎するぞ」
「すまないな宋江殿。燕順の親分は顔は恐いし腐れ役人が大嫌いだが、義人はたいそう好きでね。できれば少しの間だけでも滞在してくれれば嬉しい」
燕順の誘いに、その部下らしい美青年が援護射撃をする。
「恩もありますし山に行くのは構いませんが、そういう貴方は? 山賊というより名家の貴公子のような外見をしてますが」
「失礼、名乗るのが遅れてしまいましたね。私は鄭天寿。ご覧の通り国宝級のイケメンなので白面郎君と呼ばれています」
「こんな顔だがうちの山じゃ副首領の王英と並ぶ幹部だ。こう見えて腕っぷしもあるんだぜ。清風山じゃこいつに勝てるのは俺様だけよ」
なんでも鄭天寿は清風山では主に先鋒を任せられているようだ。首領である燕順が先頭に立って突撃するのは危険なので妥当だろう。
段々と宋江は彼らが山賊をしている清風山に興味が出てきた。副首領の王英なる人物も、どういう人間なのか気になってくる。
本当は梁山泊入りする予定だったが、その前に寄り道をしても罰は当たらないだろう。
「それじゃ燕順さん、清風山に案内してもらえますか?」
「おおっ! うちの山に来てくれるのか! じゃあ早速……」
「――――清風山へ行くのは構わないが、忘れ物だぞ宋江殿」
そう言って現れたのは魯智深と阮小五だった。
しかも阮小五が引いている馬は、高球に奪われたはずの照夜玉獅子である。
なぜ魯智深がここにいるのかは分からないが、二人が取り戻してくれたのだろうということは分かった。
「なんだお前ぇは? まさか追手か!?」
「落ち着いて下さい、燕順さん! 彼は味方です!」
「清風山の二人には初めましてになるな。私は魯智深で」
「俺様こそ梁山泊が誇る魔天阮三雄が中核にして、混沌を統べる覇者! 短命二郎・阮小五だ!」
名前が売れていない魯智深はともかく、梁山泊の幹部の阮小五はそれなりに名前が知れている。
燕順と鄭天寿は大物の登場に驚いているようだった。
「魯智深さん。あなた梁山泊に行くといって今までなにしてたんですか?」
照夜玉獅子を取り戻してくれたお礼を言った後、魯智深に気になっていたことをぶつける。
林冲の妻を助けられなかったあの日。林冲は宋家村へ、魯智深は梁山泊へということで別れたはずだった。
「実は道中で方臘という男に出会ってな。仲間になれと誘われた」
「方臘? 聞かない名前ですが、それで仲間になったのですか?」
「もちろん断った。私の中の宿命というべきものが『こいつは敵だ』と叫んでいたからな。それで『仲間にならないなら死ね』と奴の配下に襲われ、危うく殺されるところをどうにか逃げてきたのだよ」
「貴方ほどの豪傑が逃げるしかなかったですって?」
魯智深はあの林冲とも互角の腕前をもつ豪傑だ。その豪傑が逃げるしかない相手など、とても信じられない話である。
「強いなんてものじゃない。方臘という男の側近で、石宝と呼ばれていた髑髏面の男の強さは常軌を逸していた。あれは人ではなく鬼神の類に違いない。林冲と私と二人がかりで戦っても勝てるかどうか」
「……世は広いですね。そんな化け物が地上に存在していたとは」
魯智深が林冲を持ち出して嘘を吐くはずがない。
宋江は個人の武勇で林冲を超える男など、この中華には存在しないと思っていた。だがその考えは井の中の蛙だったらしい。
「それでそんな危ない連中に目をつけられている私が入山しても迷惑だろうと、敢えて梁山泊とは距離を置いてきたのだ」
「石宝を従える、方臘はどのような人物でしたか?」
「宋江殿が底知れぬ大器だとするなら、奴は得体の知れない大器だな。石宝の武勇以上に奴からは危うさを覚えた。今は無名だがいずれ奴の名は宋国全土に響くだろうと確信しているよ」
「……魯智深さん、無茶な頼みをするようですが」
「分かっている。私の方でその方臘についてよく調べてみよう」
「お願いします。もしかしたら彼はこの宋王朝にとっての陳勝、樊崇、張角になるかもしれません」
陳勝、樊崇、張角。三人が三人とも農民反乱の首謀者である。
中華の王朝の多くは農民反乱を切っ掛けとする乱世により衰退し、滅亡するを繰り返してきた。
もしかしたら方臘の名はこの三人に並ぶやもしれない。そういう予感が宋江にはあった。
「阮小五さん、梁山泊と……宋家村に私が清風山に行くことを伝えてください」
「任せろ。俺が引き受けた以上、成功は確約する」
「それと宋家村の父上に、私と親子の縁を切るように言っておいてください。親子のままだとこれから迷惑をかけてしまいますからね」
「いいのか?」
「書類上の繋がりが消えるだけです。心の縁は切れませんよ」
「……承知した。必ず伝えよう、その事も含めてな」
魯智深と阮小五と別れると、宋江は燕順たちと共に清風山へ向かった。
ふと思い出す。清風山の近くの清風塞では悪友の花栄が副長官をしているはずだった。




