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俗物水滸伝  作者: 孔明
40/64

第40話  宋江、見限る

 望んだ以上の名馬を購入することができた宋江はご機嫌だった。今日の自分の運勢はきっと大吉であろうと信じて疑っていなかっただろう。

 だが残念ながら宋江の今日の運勢は凶である。名馬を得た幸運を打ち消して余りある不幸が、宋江へ訪れようとしていた。

 そしてその不幸とは、正に幸運から生じるのである。


「あの馬商人め……俺が買おうって言った時には、理由つけて売らなかった癖に、もう相応しい人物に売ってしまっただと? ふざけやがって」


 開封府でも10指に入る大きな屋敷で、大勢の手下に囲われながら吐き捨てるのは高球だった。

 武術は嗜み程度の高球だが一応は武官である。見栄えのいい剣や鎧、そして馬には目がない。開封府にとんでもなく美しい白馬を売り出している馬商人がいると聞いたのが三日前。興味をもって高球自ら足を運んだのが昨日のことであった。

 美しい名馬に高球は言い値で買うと馬商人に言ったのだが、馬商人は『貴方はどうやらこいつに気に入られていないようで』などと言って売るのを拒んだ。

 いつもの高球であれば馬商人にこのような生意気なことを言われたら、即座に冤罪をかけて殺害する方向に動いたことだろう。けれどその時は絶世の美馬を見た感動で機嫌がよく、明日に出直してもっと大金を持ってくればいいなどと殊勝なことを考えていた。

 しかしいざ大金をもって馬商人を訪ねてみれば『もう売ってしまった』である。高球の怒りは臨界に達した。


「おい! 俺の馬を、横から掠め取りやがった無礼な野郎はどこのどいつだ!?」


「宋江殿です」


 答えたのは陸謙である。

 陸謙は林冲の一件で高球の信用を勝ち取り、今は側近として侍るようになっていた。着ている服も華美で、如何にも権力におもねる腐敗軍人という見た目である。


「宋江? どの宋江だ、誰だそいつは?」


「農業を担当しておられる、科挙官僚の宋江、字は公明様です」


「故郷の宋家村を繁栄させ、困った人間によく手を差し伸べることから、及時雨などと言われておりますが、大した野心のないつまらない男ですよ」


 陸謙に並ぶ側近の牛邦喜が補足する。だが牛邦喜はただ悪意でそうしたのだろうが、その評は皮肉にも宋江という人物を正しく現していた。

 相手が科挙官僚であると聞いた高球は眉間の皺を濃くする。高球は徽宗の寵愛一つで太尉に登り詰めた成り上がり者である。周囲の者は表面上は高球を敬っているが、内心では見下している者が殆どだ。そしてその見下している者の代表格が科挙官僚であった。

 死ぬほどの猛勉強をして難関の科挙を及第して地位を得た彼らからすれば、大した学もないのに皇帝からの寵愛で太尉の地位を得た高球は許しがたいのだろう。そして高球の側もそうやって見下してくる科挙官僚が大嫌いであった。


「今日行ってそれでも売ろうとしなければ、馬商人を罪人にしたてあげて馬を押収する手はずだったが予定変更だ。馬商人は後回しにして、その宋江ってやつから馬を奪う」


「高太尉。市井の馬商人であれば適当な罪を擦り付けることは容易いでしょう。ですが相手は陛下の側近である宿元景殿からも評価され、莫大な財も成している官僚です。そう簡単に罪をなすりつけられるものではないと思いますが?」


「ふふふ、陸謙。お前は結論を急ぎすぎる。別に擦り付けやしねえさ」


「どういうことですか?」


「官僚なんて生き物はな。誰も彼も突かけば埃が出てくるもんなのさ。おい牛邦喜、宋江には妻や愛人はいるか?」


「たしか妾が一人いたかと」


「じゃあそいつだ。牛邦喜、そいつを買収して弱みを掴んでこい」


「はっ!」


「いくら善人を気取ろうと今の国で官僚やるなら、汚れずにはいられねえんだ。これで及時雨・宋江もおしまいだ、ざまぁみやがれ」


「………………」


 高笑いする高球が解散を告げると、陸謙は尾行がないことを確認してから、すぐに宋江のもとへ走った。

 着物を着飾り、高球に媚を売る腐敗した軍人そのものの生活をしている陸謙であったが、あの日の約定を忘れたことは片時もない。心にあるのは常に贖罪だった。

 仕事をしていた宋江を見つけた陸謙は、こっそりと目配せする。宋江はすぐに意図に気づいて、陸謙と人気のない場所へ行った。


「宋江様、一大事です」


「貴方がここにきたということは、高球絡みですね。なにがありました?」


 陸謙は宋江が買った馬が原因で、高球の恨みを買ってしまったことを宋江に話す。

 宋江はげんなりとしていた。馬を買ったつもりが、一緒に高球の恨みまで買ってしまったのだから無理もないだろう。


「高球のことだから、真っ当に大金を出して、私から馬を買い取るなんてことはしないんでしょうね。で、高球は私になにをするつもりですか?」


「宋江殿には閻婆惜という妾がいるでしょう。高球はその妾を買収して弱味を聞き出すつもりです」


「妾……? ああそういえば閻婆惜さんは表向き妾ってことになっていましたね。つい忘れていました」


「余裕そうですが、すぐに動かれたほうがいいのでは? 牛邦喜はもう閻婆惜に接触しようと動いているはずです」


「大丈夫ですよ。閻婆惜さんは妾ってことになっていますが実際には侍女ですし、そもそも侍女だろうと妾だろうと、梁山泊や林冲のことを話すほど馬鹿になったつもりはありません」


「それならばいいのですが、お気をつけ下さい。高球のことですから第二第三の手を用意してくるはずです。くれぐれも隙を見せられぬよう」


 余り長話をして誰かに見つかってしまっては台無しだ。宋江は直ぐに陸謙と別れ、何食わぬ顔で自分の仕事場へ戻っていった。

 そして宋江が官僚として仕事をするのは、今日が最後となる。




 陸謙が言った通り、閻婆惜に接触すべく動いていた牛邦喜は目的を果たしていた。

 閻婆惜を宋江の家から連れ出すことのできた牛邦喜は、取りあえず近くの居酒屋で話をする場を設ける。人気のない路地裏へ連れ込もうとすれば、閻婆惜のような女は目立つ。木を隠すなら森の中、居酒屋という騒がしい場所は後ろめたい話をするのに意外と悪くない。


「それで私をこのような場所に連れ出して、どうするつもりなの?」


 美しい、と牛邦喜は思った。

 もし高球からの任務でここへきたのでなければ、熱心に口説き文句を考えていたことだろう。首尾よく宋江を罪人にすることができたら、自分の女にするのも悪くないかもしれない。


「高閣下は宋江の追い落としを望んでおります」


「まぁ、宋江様を?」


 自分の男に対しての悪意を口にした牛邦喜に、閻婆惜は怒る様子はない。

 牛邦喜はこれはいけると判断して、先を口にする。


「これはほんのお気持ちです」


 高球から預かった金を、閻婆惜の前に転がす。金にがめつい者ならば目の色を変える額だ。だが閻婆惜はちらっと見ただけで、興味は示さなかった。

 この反応に失敗するかもという予感が脳裏を過ぎるが、ここまできて話を止めるわけにはいかない。


「宋江を陥れるのに有益な情報を提供していただけたならば、閣下はこの倍……ものによっては三倍の報酬を支払うと仰せです。どう、でしょう?」


「牛邦喜様といったかしら。私は、宋江様を愛しているのよ」


(これは失敗か?)


 はっきりとした愛の告白に、牛邦喜は策の失敗を悟る。

 だが、と閻婆惜は続けた。


「私が愛している宋江様は平和と平穏の中で老いさらばえていく凡人じゃないの。困難と不幸にのたうちまわって、苦しみながら、それを乗り越えていく英雄なの。

 英雄には苦難が必要よ。嘗て高祖が任務に失敗して、やむなく山賊に身を落としたようにね。もし高祖が任務に成功していたら、どうなっていたかしら? きっと県の小役人のまま、特に群雄として台等することもなく、つまらない一生をつまらないまま終えていたでしょう。

 私は愛する宋江様にそんなつまらない人生を送って欲しくないの。皇帝でも、乱世の覇者でも、天下を震わす大将軍でもいい。百年先、千年先も語り継がれる英雄になって欲しいのよ。そのためには官僚でいてもらっては困るわ。このまま官僚として働いても宋江様なら宰相まで出世することはできるでしょう。でも宋江が宰相になってしまったら、きっとこの世は動乱も起こらず、何事もなく丸く収まってしまうわ。

 それを防ぐためにも宋江様にはなんとしても官僚を辞めて欲しかったの。ありがとう牛邦喜様。きっと高球様は宋江様を私が愛する通りの英雄にしてくれるわ。感謝してもし足りないくらい」


 長すぎる演説をぶちかました閻婆惜に、牛邦喜は愕然とした。

 牛邦喜には言っていることが半分も理解できない。理解を拒絶していた。確かなのは牛邦喜はもう閻婆惜に欲情することはないということだけだ。

 例え美人でもこんな女は御免である。


「と、とにかく俺達に協力してくれるということでいいんだな?」


「ええ、だからお話するわ。宋江様のいけない秘め事。といっても宋江様は隙のない人だから、私が知っていることなんて一つだけなのだけど」


「教えて欲しい」


「以前に林冲という方が高球様の配下を殺して開封府を脱走した事件があったでしょう。その脱出の手引きをしたのが当時は都にいた公孫勝様と宋江様よ。

 私が夜中にこっそり宋江様の部屋に聞き耳をたてていた時、宋江様が公孫勝様とそんな話をしてるのを聞いてしまったの」


「……それが本当なら確かにとんでもないことだ。だが良かったのか? 宋江がお前が話したことを知れば、宋江は間違いなくお前を憎み殺そうとするぞ」


「素敵な未来ね。宋江様から憎悪を一身に向けられて殺されるなんて、夢みたいなことだわ。変だと思うかしら? でもね、武官様。この世の全てより愛しい人に、まったく関心を向けられないより裏切り者として憎まれるほうがよっぽど良いと思わない?」


「……話は終わりだ。俺は失礼する」


 これ以上、閻婆惜と話していると自分まで頭がおかしくなりそうだ。そう思った牛邦喜は早々に退散した。

 高球の屋敷へ戻った牛邦喜はすぐに閻婆惜から聞いた話を伝える。高球は想像以上の弱味に歓喜していた。


「なにぃ!? 宋江の野郎が林冲の脱出を手引きしていやがっただと!? なるほどな。あいつ一人でやったにしちゃ一連のことは手際がよすぎて妙だと思ってたんだ。すぐに宋江を逮捕させろ!」


「はっ!」


 手勢を率いて宋江の屋敷に向かった牛邦喜は、いきなり押し入られて混乱する宋江を問答無用に拘束する。

 宋江は抵抗しようとしたが「林冲の開封府脱出を手引きした容疑だ」と怒鳴ると、観念したのか静かになった。


「おい、宋江。馬はどこだ? 先日馬商人から美しい白馬を買っただろう」


「馬なんだから厩舎ですよ。庭にあるでしょう」


 牛邦喜は部下に馬を犯罪の証拠として押収するよう命じる。言うまでもなくただの建前だ。馬は官の倉庫ではなく、高球の厩舎へ連れて行かれることになる。

 てきぱきと指示を飛ばす牛邦喜に宋江は呆れた目を向けた。


「仕事はしないのに、仕事が早いんですね」


「…………っ」


 反射的に宋江の顔面を殴りつける。

 宋江は殴られたというのに呻き声一つあげない。ぞっとするような目で牛邦喜を見ている。いや背丈は牛邦喜のほうが高いのに、見下されていた。

 高球から与えられた仕事を完璧に遂行して喜ばしいはずなのに、牛邦喜は自分がなにか致命的な過ちを犯してしまったような気がした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 俗物モノのはずがヤンデレモノになってしまったでござる
[一言] 三国志も水滸伝、こううと劉邦とか、最後ハッピーエンドじゃないのがいやで、源義経とか中国に逃げた説を今でも信じているので、関ヶ原も三成に勝って欲しいので、結局根回しが出来ないとどっかで後ろから…
[一言] 閻婆惜、怖い女だ……
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